弟のマッサージ
なんちゃってマッサージ小説です。専門家ではないのでおかしなところはご容赦ください。
僕には姉がいる。
社会人の姉。いつも朝早くに出掛けたと思ったら、夜は残業ばかりで遅くに帰ってすぐ寝てしまう。大学生の僕は、朝は一限がなければ寝てるし、夜も遊んでるか寝てるかだ。だから同じ家に住んでいるのになかなか会えない。
姉弟仲は悪くないと思う。姉はよくまわりで聞くような暴君ではなかったし、結構優しかったからだ。そして僕も、そんな姉が普通に好きだった。
そして、実は僕と姉は血が繋がっていない。
知ったのは僕が小学四年生だった時。祖父の葬儀で意地悪な親戚が姉が養子であることをばらしてしまったのだ。姉はとっくに知ってたらしく、何でもない顔をしていたが、キレた両親がその親戚を葬式から追い出すというひと悶着はあった。
そして僕は、ボケッとした頭で姉が僕の姉をやめてしまうのでは?いうことを考えていた。
前後の記憶はあんまりないが、すごく嫌な気持ちになったことは覚えている。
当時僕は姉を「姉ちゃん」から呼び捨てにちょうど切り替え始めていた頃だったけど、その騒動のあとはずっと「姉ちゃん」呼びになった。
今思えば、呼び捨てにしたらそのまま姉が他人になってしまうような気がしていたのかもしれない。姉が他のよく聞く暴君のように振る舞わないことも、それに拍車をかけていたように思う。
きっと姉は、実の弟でない僕に対して、かなり遠慮していたのだろう。
両親もそれを薄々気づいていたのか、目一杯姉を可愛がった。そして僕も、反抗期らしい反抗もせず、姉によくなついた。
そんなこんなで、僕は今でも姉と会えればよく話をする。学校や姉の仕事先の話もするし、互いにお笑いが好きだから気になる芸人の話もする。姉はお気に入りの芸人が出来ると直ぐに真似をしだすから、僕も負けじとネタを返す。
「あら、まだ起きてるの?」
リビングに入ってきた姉は、家族を起こさないようにそっと帰ってきたみたいだ。僕はぼんやりと見ていたテレビから視線をはずし、ジャケットを脱いでワイシャツとスラックスだけになった姉を見た。
「見たい番組があってさ」
おかえり、ただいま、と声を掛け合って、姉はソファーに座る僕のとなりにどっかりと腰をおろした。
姉からは、都会の埃っぽい香りと、少しのデオドランド、それから姉本人の香りがした。
「録画しとけばいいじゃない。明日は遅いの?」
姉は、冷蔵庫からとってきた麦茶を飲みながら、番組表を見ている。
「明日は昼からだからへーき」
僕は姉からリモコンを取り上げ、録画していた姉の好きなバラエティに切り替えた。
「あら、ありがとう」
「僕のはもう見終わったからいいんだよ。それより姉ちゃん、晩御飯は?」
今日の晩御飯はドリアだったから、温めればすぐ食べられる。その旨を言うと、姉はうーん、と悩んで、ダイエット中だからなー、とかなんとかいって頭を降った。
「明日休みだから朝食べる。もう昔みたいに安易に深夜は食べられないのよ」
「あ、そう」
確かに、最近少し肉付きがよくなった気がする。でもそんなこと言ったって、まだまだ姉は細い。むしろちょうどよくなったくらいだ。そう言うと、姉はちょっと赤くなって「うえぇー、」と変な声をあげた。
「足がね。まだもーちょいショーパンを履いていたいのよ」
女の矜持に関わるのだという。やつれた顔をしながら化粧落としシートで顔を拭う姉だが、空腹に耐えている。決意は固いようだ。
「まぁ、姉ちゃんがそういうならいいんだけど。でも食べないと疲れ取れないでしょ」
僕は、ソファーに座る姉の背後に回ると、両手で姉の肩をぐいっ、と掴んだ。
ごり、
「うわっ、石が詰まってるみたい!肩凝りすぎだって」
久々に触れる姉の肩は、疲労と肩凝りでガチガチになっていた。
血行が悪いから冷えてるし、これでは頭痛や目の疲れといった症状も現れるだろう。
「最近頭いたいとかない?」
「そういえばちょっと頭が重たいかな…?」
やっぱり。
これでは、強く揉んだら筋肉を痛めてしまうだろう。僕は凝り固まった筋肉を柔らかくする為、優しい揉み方に変更した。
最初の痛みに息を詰めた姉も、リラックスしてきたのかされるがまま目を閉じている。
「あー、きもちい」
お疲れモードの姉と久々に会って、なんだか仏心が沸いたのかもしれない。僕は本格的に両手を方に宛がうと、首筋からくっ、くっ、と揉み始めた。
「もう堅すぎ。全然指が入っていかないじゃん。ちょっと痛いよ、我慢してね」
首から肩の天辺を走る筋肉の部分を、肩井という。このちょうど真ん中を、指で肩のラインとは直角に動かす。
「いたっ」
「ここはね、痛ければ効いてるんだよ。はい、我慢」
ぐりぐりと揉んだあと、さすってやる。痛みが散ってく感触に、姉はほっとしたように力を抜いた。
「んじゃまたちょっと痛いよ」
首の一番出っ張っているとこの横、ここは 肩中兪といって肩の痛みを取るツボだ。ここを、さっきみたいに直角に動かす。
「いたたた…」
ちょっと涙目になっている姉が可愛そうだが、心を鬼にして揉む。ここから、もうちょっと外側の肩外兪までぐりぐりと伝うように揉んでやる。
「はい、痛いのはおしまい。あとは肩を柔らかくしていくよ」
ここまでで姉はだいぶ消耗したらしい。ぐったりとしている姉に思わず笑ってしまった。
「姉ちゃん大丈夫?」
「大丈夫、痛きもちいよ」
完全に強がりだが、頑張って泣くのを我慢したんだ、許してやろう。
「大丈夫、もうここからは痛くしないから」
本当だろうな、という姉の視線はさておき、上から順番にツボを押すように揉んでいく。肩を通って腕の中ほどまでいったらまた戻っての繰り返し。
「あ、でも痛かったら言ってよ?相当凝ってるから」
姉がこくりと頷いた。よしよし。
上から下、だんだん指が入るようになってきたら、解すような感じでぐにぐにと。肩全体を動かすように。
「肩を掴んで回すから、動くかないでね」
「うわっ」
姉のわりと華奢な肩を遠慮なくむんず、と掴んで、上下に回すように動かす。
「ちゃんと息吸ってー、吐いてー」
ちょっとびっくりしたのか姉が息を詰めたようだったから、リラックスを促す。力が入ってちゃマッサージも効果半減だ。
「はい上手ー、結構ほぐれてきたね」
「うん、なんかすごく楽になってきた…」
姉は今度は緊張が解けたからか少しうとうとし始めた。
うつ向く姉のうなじの髪の毛を払って、今度は首を揉んでやる。
「姉ちゃん、まだ寝ないでよ」
「うーん…」
首の根本の筋肉を、猫の首をつかむようにくにくにと揉む。親指と、人差し指には中指を被せて固定するように。下から上に向かって動かすように揉んでやる。
「これ、きもちいだろうけど頑張ってよねー」
「…」
まぁいいか。首を揉んだら次は肩甲骨だ。力なく垂れ下がった姉の両腕を後ろに回して、手のひらが外を向くように組ませる。
そして腕を伸ばさせたまんま上に向かって上げさせる。
「ごめん、ちょっといたいかもよ、はい、ぐいー」
「いたたた…」
ゆっくりと、筋肉を痛めない範囲で容赦なく上げる。これは開いた肩甲骨をもとにもどす動きで、肩甲骨剥がしとも言われる。肩甲骨を引き寄せたりする筋肉を
菱形筋 といい、デスクワークなどをやる人は猫背になりぎみで伸ばされたままになりがちだ。ちょっと痛いけど、うまくここが解れると肩凝りが驚くほど取れる。
肩の高さまで上げて、ゆっくり下ろしてやると、姉の肩はだいぶましになったようだ。
うん、柔らかくなった。かなり楽になったはずだ。
「はい終わり。座ってのマッサージは10分くらいでいいんだってさ。お疲れ様」
「ええー、もう終わり?」
さっきまで痛がってたくせに、現金なもんだ。不服そうな姉の頭をがしがしと撫でて、僕はあくびをひとつひらりと手を振った。
「遅いんだからもう寝るよ。ちゃんと風呂には入れよ、お姉ちゃん」
そういうと、じとっ、と僕を見ていた姉だったが、ふと微笑んで「ありがと、おやすみ」と手を降った。
こういうとこ、素直なんだよな。
「仕事、あんまり根つめないでよ」
「はーい」
そっとリビングのドアを閉めて、自室に向かう。もう夜も一時を回っている。働き者の姉に、今度は全身マッサージでもしてやるか。
姉の鼻唄が聞こえてくる。僕はばれないように、小さく笑った。