第七話 戦争の果てに
相手の要求を一つだけ。俺はそう条件付けた。
ここで、そもそもの目的は横領した金の返還と、奴隷の解放という二つであるが、俺はもちろん後者を要求した。
前者は今後、正規の手段でいくらでも回収できるからな。
だが、後者はそうもいかないかもしれない。
俺の目の届かないタイミングで皆殺しにされたらかなわん。
ほどなくして、隷属魔術が解除された。
解除とほぼ同時にリリエールが高速で動き、アーネウスをぶっ飛ばす。
結界魔術が働いているっぽいから直接的なダメージは大して無いっぽいが、構わずひたすらぶっ飛ばす。右ストレートでぶっ飛ばす。
ルナリア族は武器を使う種族だった気がするが、知ったこっちゃねぇとばかりにグーパンでぶっ飛ばす。結界があってもあれだけやられたら吹き飛ぶんだなー、ルナリア族って凄いなーって思いながら、俺とコモンはドン引きしつつそれを眺めていた。
荒い息をしながらようやくフルボッコタイムを終えたリリエールは、その筋の人たちが「ありがとうございます!」と感謝したくなるようなゴミを見る目を向け、
「死ね」
とストレートに吐き捨てた。
実に清々しい奴だな。ムカついたから殴る、それでいいじゃないかと言わんばかりのシンプルさだ。
うん。俺はこういう奴嫌いじゃないよ。
でも、さっきコモンやリリエールが俺に言ってくれた「嫌いじゃない」とは、多分かなり意味合いが違う「嫌いじゃないよ」だと思う。そう思いたい。
「スッキリしたところで、リリエール=サン。奴隷たちのところに連れて行ってくれる?」
「何なの、その口調。いいわよ。じゃあ着いてきて」
未だ若干怒気を立ち昇らせている彼女の背中におっかなびっくり着いて行く俺たち。
が、小屋の戸を開いたところで、背後から死に体の声が聞こえてきた。
「ま、待て……」
アーネウスである。
彼はヨロヨロと立ち上がり、埃を払って俺たちに向き合った。
顔中痣だらけだが、あれだけやられて痣程度で済むなら儲けものと言うべきだろう。
さすが、結界術だけは天下一品だな。色々な意味で惜しい奴だ。
「何だ。あぁ、殺すつもりはないから安心していい。ただし逃げたら知らん」
「違う……そうではありません。その娘に着いて行ったところで、奴隷は見つかりませんよ」
「どういう事だ?」
「そのルナリア族には、購入して以来ずっと屋敷でメイドと攻撃の要を担わせていましたから。他の奴隷とは違います。……だから、その娘が想定している鳥籠に、既に奴隷どもはいません」
ええい、面倒な事を……。
「どうしてわざわざそれを教えてくれるわけ? 黙っていれば、私たちは右往左往する事になっていたわけだし、その間に逃げられたかもしれないのに」
「クロノ様の要求は『奴隷の譲渡』。ここでその要求を叶えられなかった場合、私は死ぬだろう?」
「……なるほど。つくづく、自分本位な男ね」
「何とでも言うがいい。……奴らは、ここだ。――古の盟約の下に、彼の者が望む道筋を示せ。『解放』」
アーネウスが魔術を唱えると、本棚がひとりでに動き、地下への階段が出現した。
幻惑系か、空間系かわからないが、とにかく俺たちの認識を弄って隠していたらしいな。
絶対の自信を持つはずの結界術、それを張ってなお隠蔽する。
それほどのものが、この下にはあるというのか?
何度も言うが奴隷を持つのは別に悪い事じゃない。
自分の金で買うなら好きにすればいい。
父上はいい顔しないだろうし、俺だって嫌悪感を覚えるが……それにしたって、ここまでして隠す必要があるものじゃない。
「……思えば、いい機会かもしれませんね」
「何がだ?」
「いつかは魔王様にお見せするつもりでしたし、先にクロノ様を通しておくのも悪くはない、そう思ったまでです」
「だから何が?」
「とはいえ、未完成品をお渡しすると考えると大変恐縮ではあります」
俺の問いかけを、アーネウスは完全に無視しながら言葉を紡ぐ。
それは一見返答の様相をとりながらも、実際は単なる独り言に過ぎなかった。
自分の言葉に勝手に納得し、つい先程まで憔悴していた顔にみるみる生気が宿る。
「では、ご案内致しますよ。クロノ様……」
皺枯れた声だが、表情はかつてないほど自信に満ちているようだ。
いや、違うな。そうではない。
自信ではない。これは、『自慢』したい奴の顔付きだ。
……ちょっと、嫌な予感がしてきたな。
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それは想像を絶する光景だった。
吐き気と眩暈がするような匂いが充満していたが、俺には最初、それが何の匂いなのかすらわからなかった。
暗く細い道を抜け、数分歩いた先にあったその光景を見るまで、わからなかった。
……鼻が壊れてしまうぐらい、ここにはその匂いが染みついていたのだ。
「血の匂い……なのか、これは」
「ふむ、そうなのかもしれませんな」
「なんだその曖昧な言い方は」
「僕の鼻は、もうとっくに麻痺していますから」
それもそうか。彼……ドルド族は犬系なだけあって鼻が敏感である。
俺でさえ頭痛がするほど血の匂いが充満しているのだ、コモンならあっという間にやられてしまうだろうな。
なんて、こんな軽口を叩いている場合ではないのだが、そうでもしないと正気を保っていられそうになかった。多分、コモンも同じだったのだろう。
目はキョロキョロと忙しなく動いているし、暗がりでさえ冷や汗が流れまくっているのを確認できる。
道の先、広々とした空間に抜け出たところで、大きな檻と、よくわからん大量の実験器具が転がっているのが視界に入った。拷問器具かもしれない、とも思った。
これなら人体を分解できる、そう思わせるような巨大な斧やノコギリが散乱していた。
刃には血がこびり付いている。分解して何をしていたんだろうか。
吊り下げられている肉塊が何なのか、脳が理解を拒否した。
血に混じって漂ってくるもう一つの匂い、獣の匂い。
アーネウスが読んでいた本。
村人は「アーネウスのおかげで平和に暮らせている」と言った――ポリネに近づけば近づくほど、魔物の数が減っていった気がした――。
百人じゃ利かないほど奴隷を購入しているはずなのに、村人はリリエール以外存在すら認識していなかった。
色々な情報が勝手に結びついて、繋がっていって、理解したくないようなことも理解してしまう。
「…………」
暗闇の中、深紅の瞳が檻を真っすぐに見つめていた。
檻の中にいる何か……いや、誰かと視線で会話しているように思えた。
彼女が何を考えているのかはわからない。わかりたくもない。
「おっと失礼。私としたことが明かりもつけず、大変失礼致しました。――古の盟約の下、我らを照らせ。『カンテラ』」
ボウッ、と拳大の炎がいくつか、空間に浮かび上がった。
例の灯の魔術だ。いつでもどこでも使える非常に便利な魔術で、俺も何としても覚えたかったのだがどうしても無理だった。残念極まりない。
「さぁ、クロノ様。差し上げますよ、あれを」
ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべ、魔族でもない、人族でもない、魔物でもなければ妖精族でもない巨大な何かを指差しながら、アーネウスはそう言った。
かくしてゲームは終わり、俺は奴隷を手に入れた。
胸元のカードが完全に効力を失ったのを実感する。
契約が履行された証だ。
信じ難い事に履行されてしまった。
こんなんで履行されるなら破棄した方がマシだったかもしれない。
つまり、確かにあれは奴の所有する奴隷なのだろう。
その言葉に決して嘘はない……。
「く……くふふふ、ひゃひゃひゃはは! どうです、素晴らしいでしょう! 私が長い年月と莫大な金をつぎ込んで作成した合成魔獣です! 魔族と魔物の進化の先にあるもの! そう、今、我々にとって新たな時代が幕を開けた!」
「アーネウス殿! こんな事が許されると思っているのかァ!」
コモンが激昂しながら、魔力を練り始める。
あれは殺す気だ。一切の手加減を加える必要はないと、それだけの破壊力がこの空間に降り注ごうとしている。
俺たちが巻き込まれる危険性を全く考慮に入れていない。
それだけやらないと、あの結界魔術を突破できないとわかっているのだ。
そこまでして、奴を殺したいのだ。
無数の『顔』が、瞳が、俺たちを見つめていた。
何体もの、見覚えのあるようなないような魔物が無理やり繋ぎ合わされている。
あれらは、この辺り一帯に生息している魔物だったはずだ。
そして魔物だけではない、その身体には魔族が強引に融合させられていた。
もしかしたら人族も混じっているかもしれない。もう、わからない。
思わず吐かなかったのが奇跡だ。
……合成魔獣……などと、この世界にそんな概念はない。
一部のマッドサイエンティストが書物に記していたような気もするが、所詮戯言だ。
誰も本気にしやしない。……こいつみたいなキチガイ以外は。
だが、頭の中で司が納得している。
どうやら異世界の娯楽ではよくある話らしい。
そんなものが持て囃されている世界など虫唾が走るが、目の前の現実に虫唾が走っているのは司も同じようなので何も言わない。
(殺せ)
(殺す)
――こんな奴、生かしておくわけにはいかない。
二つの魂の意思が合致し、俺はほぼ無意識に首元の宝石を握り締める、そして――。
「お、ねぇ、ちゃん」
この場にいる、誰のものでもない声が響いた。
それは幼い声だった。助けを求める声だった。救いを求める声だった。
俺と、司と、コモンの思考が完全にストップする。
「やくそく、まもれなくて。ごめん、なさい」
「……いいのよ」
巨体に縫い付けられている、百を超える『顔』の一つが発した声だ。
もはや原形を留めておらず、俺にはとうてい種族を判別することは出来そうにない。
だが、その涙声に、確かに応えるものがいた。
リリエールだ。彼女は落ち着きはらった足取りで合成魔獣に歩み寄り、簡単に檻を破壊してその『顔』と向かい合った。
「私こそ、遅くなってごめんね、アリアナ……」
「お、ねえちゃん……こわいよ……いたい……たすけてぇ」
「大丈夫よ、すぐに終わらせてあげるから。きっと、向こうでは暖かい毛布に包まれて穏やかに眠れるわ。……だから、目を瞑って」
それは、俺が彼女に抱くイメージとはおよそかけ離れた、とても優しい声だった。
慈しむ響きに、ホッとしたように『顔』は瞼を下ろす。
その『顔』に静かに口付けた後、ひとつひとつの『顔』、いや、奴隷たちにも同じように目を閉じさせた。
全員が全員、知り合いだったとは思えない。
リリエールはつい最近奴隷堕ちした様子だったが、この合成魔獣の様子を見る限り、彼女がこの地に訪れるずっと以前から制作を進めていたと思われる。
それでも、誰もが彼女の願いを聞いた。抵抗することなく全てを委ねた。
……それが奴隷たちの心からの願いなのは、誰が見ても明らかだった。
そして、魔眼の輝きと同時に、中空から美しい刀が姿を現した。
日本刀、と司の声が驚愕に彩られている。
化粧の一切を排除しながらも、見る者全てを虜にしてしまいそうな刀身を携えたそれ。
一目でわかる。あれは、彼女のためだけに拵えられた業物だ。
リリエールはそれを握り締め、構えると、
「古の契約の下に、時空の調和を崩し、万物を切り裂く稲妻の如く。泡沫の夢は永劫の彼方で咲き誇り、やがて彼の者を救う祈りとなる。願わくば、我が身に宿りて原初の誓いを果たさん――『雷鳴』」
紫電が瞬き、リリエールの姿が消える。
俺にはその動きを目で追えなかった。
多分、この場にいる誰にも出来なかっただろう。
まさに神速と言わんばかりの速度で、気付いた時には、『それ』は跡形もなく消滅していた。
切っ先に血の一滴も残さず、肉片の一欠片さえも消し去り、まるで初めからそこには誰もいなかったかのようだ。
そう。
奴隷なんて、初めからどこにもいなかった。