第五話 絶対防御の綻び
彼女の名はリリエールと言うらしい。
こんな可愛らしい名前なのに名前負けしていないのは凄い事だ。
今すぐ嫁に来てくれと男が押し寄せてもおかしくなさそうだが、こんな立場に陥ってしまったのはやはり種族のせいだろうか。
「とっくにわかってると思うけど、私は……うぐっ」
「あぁ、言わなくても大丈夫。契約に縛られてるんでしょ?」
「……」
応接室で尋問タイムである。
こう言うと非常に聞こえが悪いが、要するに捕虜から情報を集めているだけだ。
……これでも聞こえが悪いな。面接って事にしとくか。
さて、漆黒の髪に眼帯といえばルナリア族と相場は決まっている。
ルナリア族というのは、先日の戦争でとある事情により人族側に与した魔族であり、魔族にしては珍しく魔術ではなく武器を主として戦う。
常人が目で追えない速度で動き、瞬く間に切り捨てる事が出来る戦闘特化の種族であり、対人戦闘のスペシャリストであると同時に暗殺のスペシャリストでもある。
ルナリア族のその異常な強さの源泉は魔力だ。
一般的な魔族と違って魔力を身体能力の強化に使っている。
そのため、地力が劣る魔族では、魔術を発動する前に切って捨てられてしまうのである。
そしてもう一つ。
右目の魔眼がチート級の能力を発揮する。
ここ最近のルナリア族は素性を隠すために眼帯をしているのだが、みんな眼帯するから、結果的には何の意味も無いのが空しいところだ。決して中二病患者ではない。
……そう、何のために素性を隠しているのか。
どれだけ単体で強いルナリア族でも、数の暴力には勝てなかったのである。
戦争で敵に回った彼らは、その終結と共に四方八方から強烈なバッシングを受けた。
当然である。先日の戦争はどちらが戦勝国というわけでもなく、痛み分けに終わったのだから、裏切ったルナリア族を守ってくれる者は誰もいなかったのだ。
その結果、ルナリア族は大多数が殺されたか、そうでなければ奴隷堕ちしている。
つまり彼女はアーネウスの奴隷なのである。
「あいつの用いた隷属魔術がどれほどのものかわからないな。君はどこまで話せる?」
「……アーネウス様の不利にならない範囲だったら」
「うーん……コモン、どう思う?」
「聞きたい事を聞いてみて、話せない事柄であれば黙秘してもらえばよろしいのでは。さすれば彼女も苦痛を味わう事はないでしょう」
それもそうだな。それでいくか。
ちなみに、奴隷の言動を制御できる隷属魔術というものが存在する。
制限に抵触する事を話そうとするとその奴隷に負荷がかかるという代物だ。
使用するには、めちゃくちゃ難しい術式を覚えるか、小さな家一軒分ぐらいの額の魔道具を闇市で購入して発動するか、とにかくハードルがバカ高いことで有名な魔術だ。
仮に購入できたとしても、魔族は魔道具の扱いが下手だから、まともに使用できない可能性すらある。
人族が改良に改良を重ねた『誰でも使える隷属魔道具』が存在するが、それはもう金額が青天井過ぎて一般人にはとても無理。
が、アーネウスには金がある。
個人資産だって相当な額になっているはずだし、奴は権力を乱用して魔王城の国庫から金を捻り出していたのだ。
隷属魔術が使えなくても、魔道具を買う金ぐらいは容易に用意できたことだろう……ギャグじゃないです。
ええい、余計な手間を増やしやがって。
「じゃあ、俺の質問にひとつひとつ答えてくれ。隷属魔術が発動する場合は何も言わなくていい」
「わかったわ」
「まずは、そうだな……君以外の奴隷はどこにいる?」
「…………」
「ダメか。そりゃそうだよな。だったら……『君と同じ立場に陥っている、ここにいる魔族』はみんな女?」
「男もいるわよ」
「そうか……んー、という事は、だ。君はアーネウスに犯されちゃった?」
「クロノ様!」
窘めるようなコモンの声が飛んだ。
うんまぁ、さすがに今のは俺の聞き方がマズかった。
もうちょっと遠回しに言うべきだったと思う。
デリカシーがないと言われても反論できないだろう。
が、意外な事に彼女は素直に答えてくれた。
「少なくとも私は手出しされてないわね。他の人は知らない」
「……そうか」
うぅむ、ちょっとこれじゃアーネウスの目的がはっきりしないな。
てっきり肉便器としての奴隷を欲しがったのかと思いきや、これだけの女に手を出さないとか理解できない。
たとえ魔術で縛っていてもルナリア族って事でビビった可能性は無くも無いが、他の奴隷の扱いを聞かないと何とも言えん。
当初俺が考えていた奴隷の使い道は三つだ。
ひとつは前述したとおりの事。
もうひとつは、無休に無給で使える人手を欲しがった事。
世間での奴隷の扱いは、大別するとこの二つに分かれる。
奴隷を性的対象として見ない奴らは結構いる。
統計としては、奴隷を購入する輩の四割程度だろうか。
俺たちが魔物に欲情しないのと同じだと考えてもらえばいいだろう。
要するに同種・同族だと思っていないのだ。
家畜と同レベルだと思っているから、一切手を出そうとしない。
で、最後の三つ目が用心棒として買う事。
特に戦争終結以降、こういう輩が増えている。
もちろん、この場合に奴隷とする対象はルナリア族だ。
この種族は本当に強いから、護身用として買っておけば、後ろめたい事情がある奴らも夜グッスリ眠れるというものだ。
アーネウスはどれだったのかね。
現状だけを鑑みると一つ目の可能性は低い。
二つ目か、奴隷がルナリア族ばかりだったら三つ目か。
奴は戦争終結以前からも奴隷を買っていたようだから、やはり二つ目だろうか。
まぁ一部の加虐趣味の変態どもが、ただ痛み付けて愉悦を得るためだけに購入する場合もあるが、これは極少数だ。
リリエールの状態を見ても奴にそのような変態嗜好は無さそうだし、考慮しなくていいだろう。
「……じゃあ次に――」
その後いくつかの質問を投げかけてみたのだが、結局アーネウスの急所となる回答は得られなかった。
直接的な質問には黙秘されてしまうのだ。
残念だけど仕方ない。
決定的な証拠を握ってから戦う予定だったが、こうなったら出たとこ勝負するしかない。
「アーネウスのところに案内して」
「わかったわ」
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帰りは驚くほどスムーズだった。
先程の迷宮のような入り組み方はなんだったのか、外観と相違ない距離感で玄関に戻る。
そして、最初とは逆側の道を進み、アーネウスの部屋へと向かったのだが――。
「そりゃそうだよな」
「えぇ。彼でも逃げ出す頭ぐらいはあったでしょう」
奴はいなかった。
リリエールに俺たちの暗殺を指示したとはいえ、それが本当に可能か否かでいささか疑問符が残ったのだろう。
そのため、幻惑系の魔術で時間稼ぎをさせ、その間に自分はどこか遠くへ逃げ出した。
そんなところだろうな。
こうなってくると面倒くさい。
やはり最初の時点で奴の思惑に乗らず、さっさと片付けるべきだったろうか。
リリエールがメイドとして俺たちに挨拶してきた時点で、二つの選択肢があった。
一つは彼女を無視して先にアーネウスを蹴散らしてしまう事。
そもそも着服の証拠もその金で奴隷を買っていた証拠も握っているので、金の返還だけならもう何の手間暇もかける必要が無いのだ。
だから、それだけを目的にするなら、俺の当初の選択は間違いだったと言い切れる。
が、ここで奴隷が絡んでいるからややこしいのだ。
そもそも俺たちが奴に奴隷を解放させるには、
・国費で奴隷を購入していたと証明する事
・目の前の人物――例えばリリエールが、アーネウスの奴隷だと客観的に証明する事
・そのリリエールは着服した金で購入した奴隷であると証明する事
の三つの条件を満たさなければならない。
そうでなければ奴隷を解放しろと言ったところで鼻で笑われるだけだ。
奴隷は一応、個人資産として認められているからな。
一番目はもう証拠を握っているから良いとして、二番目と三番目が難しい。
奴の口を割らせるか、奴隷本人から情報を得るしか、俺たちには知る術がないのだ。
そこでもう一つの選択肢、奴隷の救出を優先する事。
奴隷であるリリエール自身からなら、俺たちに明確に敵対しているアーネウスを相手取るよりかは、容易く情報を得ることが出来ると思った。
もっとも、奴にこれほど強力に奴隷を制御できる実力があったとは、ちょっとナメていたかな、というところである。まさか二番目すら証明できないとは思っていなかった……。
「すまん。今度は俺のミスだった」
「いえ、彼女らを優先したその思考回路、嫌いではありませんよ」
「どういう事よ?」
「つまりですね――」
コモンが先程の俺の選択肢についてリリエールに説明する。
それは寸分違わず俺の考えと一致しており、ちょっとビビる。
というか引いた。
こいつ実は俺に惚れてるんじゃないだろうか。
……まぁそんな事ありえないのは、諸々の事情でわかっているのだが。
彼はゲイで無ければバイでもない、純粋なノーマルである。
彼女は一通り話を聞き終えると、
「……ぷっ……あは、あはははは! あなたって噂通りのバカな人、いえ、変な人ね。私なんて所詮あの男の玩具、考えなくても、どっちを優先すべきだったかなんて明白じゃない」
爆笑した。
涙目である。
初対面でこんなこと言われたら、俺も涙目になりそう。
「ぐうの音も出ないな」
「全くです」
「でも、そうね」
呆れたように捲し立てるリリエールに俺たちが凹んでいたところで、彼女は、
「そっちのドルド族が言ったように。私も、あなたのそういう考え方は嫌いじゃない。……いいわ、クロノ=クロノス。あなたになら頼める」
そして。
「アテならあるわ」
悪戯を思い付いたような笑顔を携えながら、そう言った。
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彼女は奴隷たちがどこにいるかは知っている。
知ってはいるが、隷属魔術が働いているので、それを教えることはできない。
そこに俺たちを連れて行く事もできない。
その前提を置いた上で、それでも案内できる場所があるという。
屋敷には結界に覆われた謎の空間がある。
裏庭の先、掘っ立て小屋ぐらいのサイズの建物なのだが、そこに何があるかは全くわからないという話だ。
メイドとして屋敷の掃除をしている際に辿り着き、どうしたらいいかアーネウスに聞いたところ、放置しておけと言われた場所らしい。
「どう考えても奴にとって結構重要な情報だと思うんだけど、どうしてそれを俺たちに話すことが出来る?」
「『近づくな』とも『話すな』とも言われてないもの。ただ『放っておけ』って命令されただけ」
「油断か、慢心か。とにかくツメが甘い奴だな」
「たとえ誰に存在を知られようと、あの小屋に侵入できるはずがない。……アーネウス殿がそう考える事が慢心とは、僕には思えませんが」
「まぁ、そうもそうか」
さて、前財務長アーネウス。
その一族が初代財務長から受け継いでいる魔術は、結界魔術である。
それも世間に流布されているオーソドックスな結界ではなく、一子相伝の特別製、並大抵の攻撃で突破できるようなレベルじゃない。
多分父上でも相当頑張らないと無理なんじゃないかな。
それがあるからこそ、彼の一族が魔王城の金庫番をしていたのだから。
戦時下では軍の守りを担当する場合もあった。
アーネウス最大の功績である。
ちなみに、俺が先程使用した結界魔術も、アーネウスに教えてもらった……というより使っているさまを盗み見ながら術式の組み方とかを覚え、魔道具に落とし込んだものである。
俺がこれを披露した時の、奴の苦虫を噛み潰したような顔が思い出される。
もっとも、本家本元のそれとは比較にならない劣化版だ。
それでも、俺の結界魔術が突破されかけたのは今回が初めてだ。
さすがルナリア族、パラメータを攻撃力に全振りしているだけはあるな。
いや、彼女が特別優秀なのかもしれない。
そう思わないとちょっと自信無くす。
そのリリエールは、俺たちを引き連れて数分歩くと、不意に立ち止まった。
そして前方に手を差し出す。
すると確かに、そこに『見えない壁』が存在しているような反応を見せた。
空間が波打ち、断絶されていることが把握できる。
視線を上げると噂の小屋が視界に入った。
「案内しておいてなんだけど、結局これをどうにかしないとあの小屋には辿り着けないわ」
「コモン君、どう?」
「アーネウス殿の結界を突破しろと? 人族の騎士団に一人で突っ込んだ方が、まだ勝機がありそうですがね」
「ですよね」
コモンの言う事は決して誇張ではない。
アーネウスはバカでアホでどうしようもないが、それでも結界魔術に関しては右に出るものがいないほどの鉄壁さを誇っている。
奴の存在がなければ、今も戦争は続いていた事だろう。
……あまり言いたくないが、魔族が負けていた可能性もある。
忌々しいが、それはいい。
今考えるべきことじゃない。
とにかくわかっている事は、俺とコモンが全力で攻撃を加えようと、まともな方法でこの盤石の守りの突破は到底成しえないという事だ。
そう、まともな方法ではな。
「仕方ないなぁ」
俺はポケットから徐にカードを取り出し、そして魔力を込めた。
リリエールが物珍し気にそれを眺めている。
確かに、その辺の魔道具店で売られているようなものと比べるとかなり異色だろうからな。
一般的には、発動する魔術の性質にあわせた道具を使用するものだ。
例えば、以前述べた灯の魔術の魔道具はランタンである。
俺は魔術が使えない関係上、大量の魔道具に頼らざるを得ないから、こうして利便性込みで作ることにしたのだ。
きちんと発動してくれるだろうか。
実験では上手くいったのだが。
「……アクセス。コード=095、『氾濫』」
魔道具の輝きが広がっていくのに併せて、決壊したダムから流れる水のように身体から急速に魔力が失われ、眩暈がしてきた。
と同時に、前方の空間が徐々に歪んでいく――精巧に繋ぎ絡められた魔力の糸が、一本一本、丁寧に解かれていく――。
「ぐ……やれ、コモン!」
「古の盟約の下に。母なる海は時に全てを包み込み、時に全てを貫く矛となりうる。愚者に大海の脅威を思い知らせよ。『アクアブレイク』!」
空間の綻びに向かって、コモンが水魔術を発動した。
彼の右手から発射されたそれは槍を形作り、絶対防御を誇ったアーネウスの結界をいとも容易く引き裂いてみせた。よし……成功だな。
「良くやった」
「もったいなきお言葉。新作の試運転としては上々でしたかな」
「いや、魔力の消費量が多すぎるし、発動時に余裕がなさすぎる。今回みたいな場合はともかく、戦闘で使えるようにするにはまだかなりの改良を加えなければならないな」
「ねぇ……ちょっと」
「左様ですか。では、また睡眠時間を削って頑張って下さい。くれぐれも仕事に差し支えぬよう」
「そこはお手伝いしますとか言うところじゃないの?」
「僕には無用の長物ですので」
「魔族って卑怯だよな、だって自由に魔術使えるんだもん」
「ちょっとってば!」
俺とコモンがやいのやいのと実験結果と今後の方針を話し合っていると、突如リリエールが大声で話に入り込んできた。
何だよ、ビックリさせやがって。
「何?」
「今のは何なの? その……あなたの魔道具? 見たことも無いけど、何をしたのよ?」
そういえば何の説明もしていなかった。
いや、でもルナリア族なら俺がどんな人物か知っていてもおかしくないだろうに。
今はこんな片田舎に囲われているとはいえ、本来は城下街でもよく見かけたような、バリバリやっていた種族だ。
『魔王の息子』の噂なんていくらでも聞いているはずなんだが。
「これは俺が作った俺専用の魔道具だよ。今回使った『氾濫』は記念すべき95個目の魔道具だ。……作った中でまともに使えるのは三割ぐらいだけど」
「それは知ってるわ、クロノ=クロノスは魔術が使えないから魔道具に頼って戦うって。でも……その、何? どうして結界が破られたの?」
「厳密には破れてない。アーネウスの結界魔術に干渉して崩してみただけだ。どんな魔術でも核となっている部分があるはずだから、それを突いて崩壊を仕掛けた。さすがに完全にぶっ壊すことは出来なかったけど」
「そんな魔術聞いたことも無いわ」
「そりゃそうだ、俺のオリジナルだし」
「……あの変な詠唱も?」
「変って言うなよ……自然に浮かんできたんだよ……」
そう。
結界魔術の第一人者を相手取るとわかってから、俺は如何にしてその結界を破るか、という事に重点を置いてきた。
もしも話がこじれて最終的に戦闘になったとしても、アーネウスの防御を突破する手段はない。
それじゃ結局は雲隠れされて終わりだ。
わざわざ遠出して何の成果もあげられませんでしたじゃ父上に失望されてしまうかもしれない。
そこで俺は発想を転換させた。
別に力技で突破する必要はない。
壮大な建築物がたった一本の柱を抜いただけで倒壊してしまう事もあるように、魔術の『急所』に干渉することが出来れば、あとはコモンが何とかしてくれるだろう、って感じだ。
これを完成させなきゃ旅立てない、って事で、俺の睡眠時間は削りに削られた。
昼間はコモン、フローチェと共に情報の収集と整理、精査を行い、夜は魔術の開発とそれを魔道具に落とし込める作業。
あぁ、思い出すだけで涙が出てくる。
「……噂通り。いえ、噂以上? やっぱりあなた、変人だわ」
「百万回は聞いたよ、その言葉」
さぁて。
最大の懸念事項をクリアしたところで、ボスとご対面だな。