第四話 昨今のメイド事情
恙なく進んでいきそうと思った旅路は、本当に恙なく進んだ。
城下街から離れれば離れるほど魔物が頻繁に出現するはずなのだが、日を重ねるにつれその数が減っていった。
ちょっと違和感を覚えるぐらいにもう何の問題も発生せず、俺はずっと鳥車に揺られながら寝たり雑談したりアーネウスとの会話をシミュレーションしたりするだけだった。
そう、鳥車である。馬車ではない。
どこぞの最終幻想とかいうゲームで見たようなバカでかい鳥系の魔物が馬の代わりを担っている。
司の記憶を受け継いだ今では違和感この上ない。
以前は全然そんな事思わなかったのだが。
鳥車を引きずる魔物の名は、ルフ種と言う。
魔物の中でもとびきり従順で、特に調教とか必要なく魔族に懐く。
すぐに懐く。
野生のルフ種と出会ったら嫁にしろとか言われているぐらいだ。
人族にも懐かないことはないらしいが、詳しい事は知らない。
そして俺専属のルフ種の名は。
「フニル、ちょっとスピード緩めて」
「キュイー、キュキュイー」
――魔物。
魔物とは動物が過剰な魔力の影響で突然変異を起こしたものである、というのが定説だ。
魔大陸は特に魔力が充満している土地なので、そこで成長した動物が変異したのだろうと言われている。魔力たっぷりな野菜をエサとし、魔力豊富な魔族に懐く。
そのため、一般的に魔族は魔物を使役することに優れると言われている。
無論、使役するには慣れと経験とそれなりの手腕が必要となるし、魔物自体は理性皆無で残虐な存在なので、よく野良魔物なんかの討伐参加が促されていたりするのが悲しいところだ。
かつて日本でニホンオオカミが駆除されたのと似たようなものだろう。
一方、人族は動物に好まれ、動物を使役する。
どうも奴らは魔力があまり好きではないらしい。
そのため、逆に魔族にはあまり近づかないし、調教の手間も魔物と比べ段違いである。
上手い事棲み分けされていると言うべきか、そうあるべくして進化していったというべきか。
何でもいいけどね。
「ねぇコモン君、もう腰が痛くて痛くて仕方ないんだけど、まだ着かないの?
そろそろだと思うんだけど」
「お若いのに何をおっしゃいますか。もうすぐですよ」
「古今東西、『もうすぐ着く』って言われて本当にもうすぐ着く事なんてありえないよね。
君はそれをわかっていてあえてそう言ってるよね」
「とんでもございません。僕がクロノ様に嘘を言ったことがありましたか?」
……ないかもしれんけど平気で軽口は叩くし話を誤魔化したり言うべき事を黙っていたりはするからな。
「で、具体的にあとどれくらい?」
「あと二分ほどで」
「本当にもうすぐだな!?」
「キュイィ」
思わず窓から身を乗り出すと、眼前にポリネの町が広がった。
前情報によると、特筆すべき点は何もない、小さな小さな町だ。
人口にして三十人にも満たない、町っていうか村だな。
まったく、アーネウスの一族がこんな辺境の出自だというから驚く。
末裔はゴミだったが、これでも代々、長兄が成人になったら魔王城に努めている、魔大陸でも有数の大魔族なのだが。英霊が霊の墓所に祀られているぐらいだ。
こんな田舎で育つからあんな歪んだ性格になってしまうのだ、ってのは偏見もすぎるかね。
司も生まれ育ちが田舎だったからか、少しだけそう思ってしまうな。
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「へぇ、ここは確かにポリネの村ですけんど……おたくらは?」
ポリネに入って真っ先に話しかけた村人は、開口一番そう言った。
やっぱり村だった。
ちなみにフニルは念のため村の外で待機させている。
さらに念のため、とある魔術を発動させておいた。
さて、日本のようにテレビもインターネットも発達していないこの世界では、情報の伝達が著しく遅延する。
遅延するだけならいいが、そもそも届いていないなんてことはザラだ。
彼らは俺の事など欠片も知らなかった。
胡散臭そうな目でチラチラと俺を見ながら、コモンと会話を繰り広げている。
こういう視線は初めてかもしれない。
城下街では誰もが俺の顔と名前を知っていたから、少なくとも表向きはみんな平伏してくれるし、好意的に思ってくれている奴は気さくに話しかけてくれたりするものだ。
ふーむ。どうするかね。
「こちらはクロノ=クロノス様です。
魔王様のご子息であり、現在は魔王城で財務長を務めておられます。
ポリネにおられる、アーネウス殿を訪ねて参りました。
どちらいらっしゃるか、教えて頂いてもよろしいでしょうか」
おっと、考えている間にコモン君が素性をバラしてしまった。
まぁバラされて困るような身分ではないというか、隠そうにも隠せなくて非常に面倒といえば面倒なんだがね。
今回のような場合、どう反応するかは二択だなぁ……。
司の故郷では、彼の父親が総理大臣よりも偉かったらしい。
どうも田舎というのはそういうものらしいな。
俺は王都の生まれ育ちだからわからないけど、遠くの恋人より近くの他人というか、見ず知らずで雲の上にいるような偉いらしい人よりも、身近でいつも偉そうにしている人の方が上のようだ。
逆に、物凄く偉い人が来た、どうしよう、とりあえず町を挙げて大々的に祭りだ、みたいな反応をする地域もあるらしい。
この辺は地域の特色によるのかもしれない。
田舎って言ったって千差万別、全部同じじゃ世の中つまらんしね。
はてさて、この村はどっちか。
「クロノ……!?
ご領主様がいつも言っておられる、あの!?」
「恐らくそのクロノ様で間違いございません」
「――みんなぁ!!
クロノ=クロノスが来たぞぉ!」
あ、これあかんパターンだ。前者の方だ。
「クロノっていやぁ、いつもご領主様の悪口ばっかり言って、あげくお城から追い出して仕事を奪ったっていうふてぇ野郎の名前だ! お屋敷には近づけさせねぇ! 俺たちぁ、ご領主様のおかげで平和に暮らせてんだ!」
村人は持っていた鍬を構え、俺たちを向かい打つ構えだ。
逡巡していると、先程の招集の言葉を聞いた村人たちが続々と集まってきて、誰もが一様に俺たちに敵意を向けてくる。
なるほど、どうやらポリネでは、アーネウスが神のように扱われているようだな。
「……お前たち」
「待て、コモン」
普段のクールな仮面を少しばかり脱ぎ捨てて、ほんのちょびっとだけ怒りをあらわにするコモン。
村人たちにはわからないかもしれないが、魔力の波動が漏れている。
この調子でいくとポリネが更地になってしまうな。
その気持ちは大変嬉しいが、今ここで彼らを全滅させる事に何のメリットもない。
コモンだって当然そんな事は理解している。
ちょっとイラッときちゃっただけだ。
その証拠に、俺の静止にハッとしつつ、すぐに頭を下げてきたではないか。
「……申し訳ございません。僕のミスです」
「仕方ないさ」
確かに不用意に素性を明かしたが、まさに仕方ないとしか言えない。
彼の一族は代々城下街生まれの城下街育ちで、親族もみんな城下街で働いていて、田舎に出ていく事など滅多にないのだから。
世間知らずとか経験不足と切り捨ててしまうのは容易いが、俺にはできない。
なぜなら、俺も世間知らずで経験不足なバリバリの若者だからだ。
というかコモンより年下だし。
司の記憶がなければ、何だこいつらふざけやがって、とキレてた可能性が高い。
高すぎる。俺は気の長い方じゃないしな。
それに、彼らの気持ちもわからんでもない。
例えば魔王城にとっては父上が絶対で、いかに組織構造を改革しようとも最終決定権は父上にある。
そして、魔大陸において最大の戦闘力を誇っているのも、恐らくは父上だ。
だから、俺も含めて誰もが父上に従う。
だが。
グラネリアには、父上に勝るとも劣らない存在がいるのはわかっている。
例えば人族には勇者とかいう糞野郎がいて、そいつのせいで俺たちはジリ貧の戦いを強いられたし、御伽噺では全世界に喧嘩を売った稀代の反逆者みたいなのがいたし、魔族と人族の他に妖精族という存在がいる。いや、後者については『グラネリアには』、と言ったら語弊があるが……。
ここで責めるわけにはいかない。
コモンも、村人たちもだ。
「突然おしかけて悪いけど、教えてくれないかな。
魔大陸全土に影響がある、重要な問題で彼に相談に来たんだ。
君たちだって、アーネウスが魔王城で仕事をしていた事は知っているんだろう?
しかも結構な役職だった。
そんな彼なら、突然重要な案件が飛び込んできたっておかしくないだろう?」
「う……そりゃあ、ご領主様はすげぇお方だ……だけんど」
「お前の言う事なんて……」
「クロノの言う事は嘘ばっかりだって、いつもご領主様が言ってるんでい」
「もしも嘘だったとして、俺がアーネウスの守りを突破できると思うのか?」
「思わねぇけどよぉ」
アーネウスを持ち上げつつ交渉すると、村人たちもちょっと検討しようとしている雰囲気だ。
実にチョロい。
このぐらいチョロい女の子が俺の前に現れてはくれないだろうか。
絶賛彼女募集中とか広告してみようかしら。
数分ぐらいあーでもないこーでもないと騒ぎつつ、そろそろ面倒になってきたなぁ、夜中にお屋敷とやらに忍び込もうかなぁなんて検討し始めた頃に、奥の方がザワつき出した。
人込みをかき分けて件の人物がやってくる。
「これはこれはクロノ様。皆、静まりなさい。
武器を収めなさい。
恐れ多くも、この方に向かってそんな事をしてはいけないよ」
「ご領主様……! こいつは!」
「すまんなガントル。
確かに私はいつもクロノ様の愚痴を言っていたかもしれないが、老人の戯言なのだよ。
たとえどれだけ尊敬していても、いつもうるさく言ってくる目上の方について、愚痴りたくなる気持ちはわかるだろう?
私もまだまだ未熟だという事だ」
「へい……でも、本当にそうなんで?」
「あぁ、そうだとも。私が信じられないかい」
「滅相もねぇ! おいお前ら、帰ぇんぞ!
仕事の続きだぁ!」
すげぇ大物感を漂わせる小物がそこにはいた。
そして、こいつもなかなかやるじゃん、と素直に思ってしまった。
こういった言い方をすれば、村人間でアーネウスの株が下がることは無い。
むしろ、『俺もお前と同じだ』と目下の人間に発言することは、親近感さえ生むだろう。
と同時に俺に対する言い訳にもなっている。
無論俺は欠片も信用していないが、向こうだってそんな事は織り込み済みだろう。
表向きの理由をアピールしただけだ。
どうしてこういう口車をもっと良い方向に生かせなかったのか、解せない。
仕事もこのぐらい要領良くやれるなら追放されることも無かったろうに。
自分のホームで気が大きくなっているだけなのだろうか。
「皆が失礼しました。改めて、クロノ様。
遠方から遥々、ようこそいらっしゃいました。
本日は如何なさいましたか?」
「んー……。そうだな、立ち話もなんだし、どこか静かに話せる場所はないか」
「それでしたら私の家にご招待致しましょう」
お望み通りの展開になりそうだな、と思いながら、俺たちは彼の後についていく。
目配せをしたら、わかっていると言わんばかりにコモンが頷いてくれた。
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道中、それとなく村人に話を聞くも、奴隷っぽい影は無さそうだ。
「最近、それまで見たことなかった魔族が増えていないか?」とかなりストレートに聞いたのだが、誰も首を縦には降らない。
どうやら屋敷にメイドが住み込み始めたらしい、ってことぐらいだ。
アーネウスは独り身で養子も取っていなかったはずだし、年老いた身ではなかなかしんどかったのかもしれない。
まぁ、アーネウスが奴隷を購入し始めたのは相当昔だし、もはや村人の一員になってしまっているのかもしれないが。
あとはアーネウスに口止めされている可能性もあるな。
話半分に聞いておこう。
小高い丘の上、屋敷というだけあってなかなかの敷地面積を誇るそこに案内された俺たちは、屋内に入った瞬間噂のメイドに向かい入れられた。
「おかえりなさいませ……あら?」
「あぁ、こちらはクロノ=クロノス様だ。
魔王様のご子息にあたる。
そして横にいるのがコモン。
現在は……クロノ様の部下だったか?」
「えぇ、僭越ながら」
「なるほど、君は優秀だったからな。
それも頷けよう。
……丁重にもてなすように」
「畏まりました」
メイドにそう言い捨てると、アーネウスはさっさと奥に引っ込んでいった。
丁寧な言葉遣いで下手に出ているつもりだろうが、この辺詰めが甘いよな。
普通、目上の人物に挨拶もせずいなくなるなんてありえない。
内心俺たちを見下している良い証拠だ。
向き直って、メイドを観察する。
特徴的な漆黒の髪に、百人が見れば百人が振り向きそうなほどの端正な顔立ち。
年の頃は俺と同じぐらいだろうか、美人というよりもかわいいって言葉が適切だな。
惜しむらくは、右目に眼帯。
うん。中二病かな? と言いたくなるが、多分笑えない理由だ。
そして――隙がない。
メイドとはいったい何だったのか。
「本日はようこそお越し下さいました、クロノ様、コモン様。
応接室にご案内致しますので、どうぞこちらに」
……どうしよう。迷うところではあるが……。
「あぁ、よろしく頼む」
俺はコモンに目配せしながら、アーネウスの思惑に乗っかる事に決めた。
優先順位がどちらにあるかは微妙なところだ。
でも、この選択が間違いではなかったと祈りたいね。
メイドに促され、屋敷の奥へ。
アーネウスが向かったのと逆の方向だ。
そして右折し、左折し、長い長い廊下を直進し、右折し……どうなってんだこの屋敷。
外観はここまで広い印象なかったぞ。
せいぜい三回曲がったらもう行き止まりぐらいの規模だったはずだ。
(クロノ様)
(わかってる)
まぁ罠だろう。
ここはアーネウスのホームだ。
そして、奴ほどの人物になれば敵も多い。
敵じゃなくたって、金は持っているのだから狙う奴はゴマンといるだろう。
こんな辺境の地を襲撃する賊がいるのかどうか知らんが、セキュリティを設けていない方がおかしい。
クロだな。アーネウスはバカなのだろうか。
これ見よがしに誘い込んだら、自分は悪い事をしていますと宣言しているに等しいのだが。
そういやバカだから追放したんだった。さっきの大物感につい忘れかけていた。
とは言えどうするつもりだろうか。
奴は守りに関しては卓越しているから、俺やコモンでもそう簡単には突破できないと思っているだろう。
逆に攻撃力は不安があるはずだ。
……あぁ、そのための彼女かな?
「随分遠いね。まだかな?」
「お待たせ致しました、こちらが応接室になります」
不意に現れた扉――俺には唐突に出現したようにしか思えなかった――に向かって右手を掲げるメイド。
あからさまに怪しいここに入れという事らしい。
その顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
まぁ、虎穴には入らずんば何とやら、入るんだけどね。
コモンに先行させ中に入ると、扉の向こうには、確かに応接室らしき風景が広がっていた。
高級そうなソファにガラス細工のテーブル。
絵に描いたような応接室だ。
俺が何の予備知識も事前情報も無くこの部屋に案内されたら、そうですかと素直に腰かけた事だろう。
そう、奴に不信感を持っていなければな。
――風を切る音が聞こえた気がした。
「……っ! やっぱり、ダメだったわね……」
次に、カキンと何かがぶつかる音と、何かがひび割れる音と、項垂れるメイドの声が聞こえた。
振り向くと、俺を突き刺す紅の瞳と目が合う。足元に眼帯が転がっていた。
「少々想定と異なっていたようですが」
「これもありえるとは思っていたさ。……悪いね」
「わかってた事よ。……それで、殺すの?」
彼女はいつの間にか手に持っていた短刀を俺に渡しながら、そう言った。
……風を切る音はメイドが物凄いスピードで動いた音で、カキンって音は短刀が俺の結界にぶつかった音で、ひび割れる音はその結界に傷がついた音で、項垂れるメイドの声はそのまま、メイドの声だ。
そして赤い瞳は、外された眼帯の向こうにあったもの。
要するに、部屋に入った瞬間、背後から奇襲されたのだ。
が、俺が事前に発動していた結界魔術に防がれた。
奇襲に失敗したメイドが全てを諦め、命を差し出してきた。
つまりそういう事だ。
でも、殺すわけにはいかない。彼女にはまだ用がある。
「その前に、尋問の時間だよ」
俺は静かにそう言った。