第二話 株式会社魔王城
俺が周りの奴らとは違うという事に気付いたのは、まだ幼い頃だった。
それは決して肯定的な意味ではない。
『魔王の息子』という魔大陸では並ぶ者がない身分は、俺という存在を周知させるのに一役買っている。少なくとも城下街で、俺の顔と名前を知らない奴はいないだろう。
これで俺がその名に恥じない素晴らしいポテンシャルを持っているのであれば、問題はなかった。
周囲の尊敬を集め、大魔族たちをも納得させられる息子であれば、次代魔王に相応しい魔族であれば。
だが、世の中はそんなに都合良くいかない。
魔族にとって、魔術の使用は呼吸をするのと同じぐらいに自然な事で、だいたい3~4歳の頃に親や兄弟から魔術を教わり、すぐに使えるようになる。
何も特別な事はない、努めて普通の事なのだ。
そりゃあ個々人によって才能の多寡はあるが、「全く何一つ魔術を使えない」、そんな落ちこぼれ野郎の例、俺は一件しか聞いた事がない。
その一件については言うまでもない。
俺の事である。
魔族のくせにまともに魔力のコントロールもできない。
父上譲りの膨大な魔力の持ち腐れ。
そのわりには魔道具の扱いに長けていて、まるで人族のようだ、と陰口を叩かれているのも知っている。
この世界――グラネリアにおいてはもはや一般常識である。
魔族は高い魔力とそのコントロールに優れ、魔術を扱う。
一方、人族は魔力が低く、一部の例外を除いて魔術を扱えない代わりに、魔力を概念や物質に集積することに優れる。
だから俺の特徴だけを上げれば、人族のようだと言われても仕方ないのだ。
……と諦めていたところに、先日の白昼夢だ。
もうね、色々と納得するしかない。
まさか俺が元々は人族で、多分グラネリアではない異世界からの転生者だったなんてな。
それなら魔力の扱いが下手なのも頷けるってものだ。
はぁ。人族から魔族への転生なんてありかよ。
なんて溜息をついても仕事は終わらない。
「で? 今日のトピックは何だっけ?」
「こちらです」
俺の言葉に、部下は一枚の羊皮紙を差し出した。
動物のような耳が気怠げにしな垂れているのがわかって、面倒な案件なんだろうなって暗に示していた。うん。動物っていうか具体的には犬耳だな。
『俺』の知識によると、かつて漫画とかでよく見た犬人間って奴だ。尻尾もあるし。
なんてことだ。俺の部下が犬だったなんて。
……実際は、犬系の魔物が知能を得て、そこから進化していった魔族なのだろう。
いわゆる進化論だ。
人族だってかつては猿だったのだから、犬が二足歩行したり五本指だったりしても何の問題も無い。
と、資料資料。
昨日のあれのせいで、何でもないグラネリアの常識をつい前世知識と結び付けてしまって困るな。
「……うん……何これ」
「交際費ですな」
「そんな事はわかってる。ちょっと金額がバカなんだけど。
誰とどんだけ交際すればこんな金額になるのさ。
一応念のため聞くけど、使ったバカは誰?」
「無論おわかりかと思いますが、前財務長です」
まーたアイツか。わかってたよ。
さて、俺が財務長とかいう素晴らしいポストについたのはつい最近のことである。
財務長は魔王城の財政を管理する『財務部』の長、という一見すると地味な仕事なのだが、その実態は、他部署への予算の配賦権限を持つ最強の部署だ。
いつの時代、どこの世界でも、金をコントロールできる奴が最高の権力者と言える。
日本でも、かつては大蔵省という国の金庫が覇権を握っていた時代があったみたいだしな。
ちなみに、元々こんな部署は存在しなかった。
というか部署という概念が存在せず、個々の業務については世襲制の担当者(一人。あとは臨時で暇なやつを手伝いに駆り出す)が在籍しているというシステムだった。
当然呼び名も『長』ではなかったが、使い分けるのが面倒なので過去の担当者も長と呼ばれるのが最近の傾向である。
世襲制の一人体制というのは一長一短で、短の部分の話をすると、問題が発生する都度、その長が連日徹夜しながら潰していたのである。
何故なら、結局細部はそいつしか対応できないからだ。
完全にオーバーワークだ。ブラック企業も真っ青だな。
父上がどうにかならんかなーと長年呟いていたのをそれとなく聞いていた俺は、成人した頃に部署別の縦割りな組織構造を提案したところ、あっさりと採用。
あれから三年弱、ようやく形になってきたところだ。
そうして、現状の『株式会社 魔王城』はこんな感じ。
魔王-軍部-各部員
財務部-各部員
魔術研究部-各部員
各地域の担当部-各部員
……etc
要するに魔王直下に部署を配置しただけだ。
それぞれの部署に長がいて、長の下に数人の部下がいる。
日本では普通だったな。普通の中小企業だ。
これもまた前世知識の賜物だったんだなぁ。
話を戻す。
財務長は、代々同じ一族が担ってきていた。
記録によると初代財務長はものすっごく優秀な魔族で、しかも一族直伝の魔術の特性から、金庫番を受け持った……が、その子や子孫までもがずっと優秀とは限らない。
前財務長は、権力の上に胡坐をかいて甘い蜜を吸っていたどうしようもない奴だった。
気付いたら商人からアホみたいな利率で借金をしていたり、金を貰えるタイミングより払うタイミングの方が先で資金ショートを起こしかけたり――いわゆる回収サイトというやつだ――父上が思わず愚痴をこぼしてしまうのも詮無きことだった。
というわけで、財務部員たちと画策して俺が円満に解決した。
具体的には実家に帰ってもらった。
お前ももう歳だ、後を若い者に任せろ、退職金を渡すから、金輪際俺たちに関わらないでねというのを迂遠に伝えてやっただけだが。
んで、奴を追い出したのだからその責任を取るべきだし、他の財務部員との関係も良好という事で、俺が後任についたのである。ついたわけだが。
「……もう疲れたな」
「同感です。いっそ殺しますか」
「恩もあるし、……まぁ他にも色々ある。
出来ればそれは避けたいし、そもそも、今更あいつを殺したところで何も解決しないんだよなぁ」
全ては過去の事。
その過去の事を精査し、「やべぇ」って問題を洗い出すのが、最近の俺たちの仕事だ。
「やべぇ」事が多すぎてもうハゲそう。
ただでさえ生まれつき白髪なのに……ハゲの魔王様とか威厳がない。
いや、逆に威厳に溢れているだろうか。
「これさぁ、急ぎの案件だと思う?」
「わかりません。わからないので、取り急ぎ内容を把握する必要があるかと」
「ですよね」
彼の言う事はいつもご尤もで腹が立つ。
とりあえず、内訳を調べるか。
「コモン。過去の帳簿を引っ張り出してきて」
「もう出しています」
「……ひょっとしてその山?
さっきから2、3回崩れ落ちるの見てたんだけど。
関わりたくないから無視してたんだけど」
「ひょっとしなくても、そうです」
そうですか。
そうですか。
……父上に深夜残業代請求してやる!
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あれからそこそこの月日が過ぎた。
デスマーチはヒートアップする一方で、部下であるコモン君(20歳彼女募集中)の毛並みも日に日にしなしなになっていく。
俺はあのもふもふ感が好きなので、何とか早く帰してやりたいと思うのだが、彼がいないとこの世界でも俺は自殺を検討する羽目に陥ってしまうので頑張ってもらうしかない。
俺は俺で、部下たちが集めてきた情報の分析をしたり、今回の件で必要となるだろう新しい魔道具の開発をしたりで、もう睡眠不足でクマがヤバイ。
十秒ぐらい目を瞑ったら眠ってしまうかもしれない。
ちょっと異常なぐらい疲れがとれていない。
あれ、俺ってこんなに身体弱かったかな。
が、その甲斐あってだいだいのところは理解した。
「つまりこれはあれだ。使途不明金ってやつだ」
「何ですそれ?」
「何に使ったのかさっぱりわからん怪しい金ってこと。でもまぁ……」
つまりそういう事だろう。
「出金の記録を追う限り、明らかですなぁ。
聞き込みに走り回ったフローチェの功績と言えるでしょう。
ところで彼女は?」
「情報を持ってきてすぐにダウンしたから休ませてる」
「左様ですか。僕もダウンしてよろしいでしょうか」
「そう言えるうちはまだまだ大丈夫だよ」
項垂れる犬耳をしり目に、俺は彼女が持ってきた資料と睨めっこである。
ちなみにフローチェというのは猫耳が可愛い女の子(16歳彼女募集中。……彼女募集中)で、城下街を中心に情報収集した後、片道三日ぐらいかかる町まで大急ぎで駆けずり回って情報の追跡をし、往復四日で帰ってきた社畜の鏡のような魔族だ。
俺に資料を手渡した後過労で倒れて、今は仮眠室で寝ている。
俺の部下はこの二人。どう考えても人手不足なので、絶賛職員募集中である。
仕事は大変だけど給料は高く、アットホームな職場でやりがいのある業務。
魔王の息子と一緒に頑張りましょう! と広告を打っているのだが、残念ながらまだ履歴書すら届いていない。
それはそれとして。
「……魔大陸の奴隷市場っていくつあったっけ?」
「我々が把握してるだけで、五か所ですかな」
「意外と少ないな」
「『把握してるだけで』という枕詞がございますゆえ」
左様ですか。
奴隷。
奴隷である。
日本というか地球では表向きは廃止されていた奴隷制度であるが、グラネリアでは公然と存在している。これも結構父上の頭を悩ませている問題となっていて、グラネリアには孤児が多い。
元々貧富の格差が酷い世界だった上に、数年前まで戦争をしていたのだから当然である。
戦争の件は置いておくとして、孤児は野垂れ死ぬか、親切な魔族に拾われるか、親切でない魔族に拾われて奴隷商に売られるか、奴隷商に直接拾われるか、ぐらいしか人生の選択肢が存在しない。
それで絶望して自害する奴隷もいる。
自害防止の魔術はあるがそれも置いておくとして、自害する奴隷もいれば、明日の生死もわからず彷徨っていた頃よりはマシ、と奴隷であることを受け入れてしまう奴らもいるから困ったものだ。
しかもどちらかと言えば後者の割合の方が高いという始末。
まぁ、誰だって死にたくはないだろう。
つまり、買う側、売られる側双方に一定の需要があるから、奴隷制度が成立してしまっている。
父上が奴隷廃止を宣言したところで、結局闇市がさらに活発化するか、野垂れ死ぬ孤児が増加するだけ。恐らく、もっと抜本的な解決策が必要なんだろうね。
……さて。
「前財務長アーネウスは、魔王城の金を私的に利用し、奴隷を買っていた。
様々なルートを経てわかりづらくしているが、フローチェが持ってきた情報によればそれは明白。
買った奴隷たちをどこに匿っていたのか、どう利用していたのかはわからない。
そいつらが今どこにいるのかもわからない」
「はい」
「恐らく奴隷商は、アーネウスが何を購入し、どのように扱ったのか、その行く末さえ知っているはずだ。お得意様だっただろうからな。
……だが、公に奴隷制度を禁止していない以上、奴隷商を拷問する合理的な理由は無いし、そもそも拷問程度で奴らが口を割るとも思えない」
「その通りです」
なら、取れる手段はひとつだけだな。
「アーネウスを直接しばこう」
「そうおっしゃると思い、既に手配しております。
いつでも出発できますが」
「さすがコモン君。
でも、この心身ともにボロボロな状況で旅に出たら道中魔物に殺される未来しか見えないから、出発は明朝にしよう」
「承知しました。例の魔道具の方は?」
「完成したよ」
「つまり準備万端という事ですな。
では、今日は帰ってもよろしいですか?」
「よろしいですよ」
そう言うと、コモンは適当な感じで俺に頭を下げ、フラフラの身体を引きずって帰宅していった。
あいつ、普段は畏まった敬語と態度に終始しているくせに、時々雑な感じになるのが面白いよな。
特に、数日前俺が気絶して以来、コモンの態度は少々おかしい。
チラチラとこちらを訝し気に見る事が増えた……元々俺に遠慮なく「変な奴を見る目」を向ける男ではあるが、心配をかけたのだろうか、見られていると感じる機会が増えたような気がする。
上司として善処しなければな。
……こうして財務室に一人になった時を見計らって、最近は色々と考えている。
主に前世の事、『司』に関することだ。
司の抱えていた恨みは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。
どれだけの絶望を背負えば、ここまで堕ちる事が出来るのだろう。
家族を恨み、友を妬み、世界を呪った。
それでも死を選ばず生きてきた日々の中で選んだ、たった一つの希望。
それが凛だった。
深い、深い愛情を感じる。
彼の理性の上ではそれは上っ面に近いものと認識していたようだが、俺にはわかる。
司は凛を愛していた。狂おしいほどに、司は誰かに認めて欲しかったのだ。
自分自身の存在を、生まれてきた意味を、誰かに認めて欲しかった。
そして認めてくれた初めての人が凛だった。
だから、真っすぐで純粋で、穢れの一切混じらない愛がそこにはあった。
まるで母親に甘える子供のようだ。
愛情に飢えていたんだろう。それは理解できる。
俺だって、そんな溺愛されていたわけではないからな。
だが、かといって父上に蔑ろにされていたわけでもない。
周囲には変人扱いされているが、父上も、そして――母上も。
多分、俺を息子として愛してくれていたのだと、そう思える程度には尊い存在として扱われてきた。
俺は18歳で、司は28歳だった。
そこに十年もの歳月の差があるにもかかわらず、歩んできた人生だけでこうも考え方に違いが生まれるものか。
(……吞み込まれないようにしないとな)
油断していると、司の感情に支配されそうになる。
恐らく、転生術はまだ効力を発揮しているのだろう。
あれは前世の魂をそのまま上書きする反則的な魔術だったはずだ。
つまり、司に俺が上書きされてしまう可能性は、まだ残されているのだ。
(お前の人生を抱えてやってもいい。
背負ってやってもいい。
呑み込んでやってもいいし、少しぐらいなら利用されてやってもいい。
だけど、俺は俺だ。お前じゃない。
お前はお前の人生を、さっさと消化するんだな)
持ちつ持たれつな関係でいきたい。
これからも、きっと前世の知識が必要になる時は来る。
従来、無意識的に使っていたそれを、これからは意識的に用いる事になるだろう。
だからその対価として、司の望みを少しは叶えてやりたいと思う。
だが、俺にはクロノ=クロノスとしての俺の未来があって、なんやかんやでついてきてくれる部下もいて、父上の後を継ぐという使命もある。司に付き合って闇に堕ちてしまうわけにはいかないのだ。
(ま、もうひとつのお仕事はお前の好むところだろう。それで満足してくれよな)
胸ポケットのカードを弄びながら、誰もいない静かな月夜に語り掛けていた。