生きる意味(仮)
異端者としてとして攻撃され、排斥されようとする僕は何度も死にたいと思いました。この当時住んでいたマンションは八階。ベランダの柵は頑張れば乗り越えられる高さでした。
僕って死んだ方がいいのかな、と母親に尋ねたことがありました。母親は泣きました。自分の息子にそんなことを訊かれたら親ならショックですよね。まあ、特に助けてくれもしなかったけれど。
僕は学校に行く意味を、そもそも生きている意味を見いだせなくなっていました。いや、人の生きる意味なんて元々ないんですけどね。
「生きる意味や価値を考え始めると、我々は、気がおかしくなってしまう。生きる意味など、存在しないのだから。」これはオーストリアの精神分析学者、ジグムント・フロイト氏の言葉です。この言葉を知った時、僕は救われたような気持になりました。
やっぱりそうなんだ、僕の感じていたこの違和感のようなものは決して間違いではなかったんだ。
生きる意味について考えた時、死を意識した時、僕の中に生まれた違和感は当然のことだったんだ。
なら、死ねばいいのかな。
僕の小学校では五年生からマーチングバンドに半ば強制的に参加させられました。勿論僕は目立つことを避ける為に地味な楽器をやりたいと思っていました。希望する楽器のアンケートには第一希望にスネアドラム(小太鼓)、第二希望にバスドラム(大太鼓)、第三希望にコルネット(トランペットより一回り小さい金管楽器)と書きました。パーカッション(打楽器)を希望したのは叩くだけで簡単そうだったから、でした。後から思うとこの安易な選択が恐ろしかったと思います。その話はもう少し経ってからですが。
そして結局僕の思い通りになんてなるはずもなく、第三希望のコルネットを担当することになりました。これが僕と音楽の出会いです。
僕は純粋でした。真面目でした。だから不安を抱えながらも練習には一応真摯に取り組んでいました。ここで僕の長所が発揮されます。僕は身体が小さく、また女性ホルモン過多なのか声が高いのです。それに声変わりの気配もまったくありませんでした。そして歌は得意な方で、音感にも優れていました。
これらもあって僕は他の生徒よりも上達のスピードが速かったのです。
五年生になってからの半年間はマウスピースと呼ばれる直接口をつけて息を吹き込むパーツだけで練習していました。肺活量を鍛えるロングトーン、口の形だけで音の高さを変えるリップスラ―、舌で息の流れを止めて音を切るタンギング。それらの僕の評価は上位に位置していました。嬉しかったですね。こんな僕でも人より優れた部分があったんだ。認めてもらえるんだ。
そして楽器本体で練習が始まった後は学年で最も高い音域が吹けるようになりました。僕はたちまちコルネットに、音楽に没頭しました。普段の練習に加えて残って練習するようにもなり、先生に質問したりもできるようになりました。
そのおかげで僕の力を褒めてくれる存在も現れました。僕は自分の居場所を手に入れたのです。日々の学校生活では灰色でも、音楽に触れている間だけは色鮮やかな世界にいることができたのです。
僕はメインの戦力として、また先生によって選ばれた実力ある生徒として少数編成のチームでも吹かせてもらっていました。
ある時僕達は近隣の中学校と合同演奏会をすることになりました。僕の学区内の中学校です。そこで先輩たちの演奏を聴き、そして男子部員が今年でいなくなってしまうと知った僕は中学生になったら必ずこの部に入ろうと決めました。
僕に初めて夢ができたんです。そしてそれが僕の生きる意味でもありました。
僕は嫌なことにも耐えることができました。死にたいとは、思わなくなりました。僕は音楽に救われたのです。
ジグムント・フロイト氏の言葉を、僕はこう解釈します。
「人は生きる意味を持って生まれてはこない。ないものを探したって見つからない。なら後付けすればいい。人の生きる意味、価値は自分で手に入れればいい。」
僕達には生きる意味などありません。ですが手に入れることはできるのです。それが与えられたものであっても、自ら手に入れたものであっても。それがあなたの生きる意味なのです。
僕が初めて見出した生きる意味、自分の価値、それが音楽だったのです。
でも、やはり僕の人生はそうはさせてくれませんでした。
物を叩き落して壊すには、高い所からの方がいいですよね。つまり、そういうことです。