小さな社会
人の生きている世界。社会。環境。それらはどのようにして維持されているのでしょうか。法律でしょうか。警察の存在でしょうか。どれも間違ってはいませんよね。でもそれだけでは完璧な正解でもない。
僕が思うに、僕達の生きている世界や社会を維持しているのは僕達自身です。
伝わりにくい言い方でしたね、申し訳ない。
犯罪や異端者を抑制する存在。それらは法律でもなければ警察でもない。僕達自身なんです。
パノプティコン、という言葉をご存知でしょうか。僕がこの言葉を知ったのは高校卒業後間もなくでした。なんとなくの知識でしたが、それでも僕は「あー、なるほど」とびっくりするくらい容易くその意味を飲み込んでしまいました。僕の生きてきた世界に対して、納得がいったんです。
パノプティコンとはそもそも監獄の設計思想だったようです。その思想は哲学なんかにも取り上げられ、今日の僕達の生活にも密接に関わっているのです。
パノプティコンを簡単に説明します。先にも言った監獄を例にすると「お互いが囚人であり、お互いが見張り員」ということになります。僕達はお互いが犯罪を犯さないようにする抑止力同士であると言えます。
これは民主国家だと非常に顕著に現れていると思います。
また例を出します。十人のグループがあって赤と青どちらかを全員で選びます。そのうちの九人が赤を選び、一人が青を選びます。この場合青を選んだ一人も赤を選ばざるを得なくなりますよね。要するに多数決です。もっとも、パノプティコンという監獄であれば、この一人が青を選ぼうとすらしなかったかもしれません。何故なら監視されているから。異端者になってしまうから。
さて、説明が長くなってしまい申し訳ない。ですがこの「パノプティコンの監獄」はこの先もずっと僕の周りにあり続けます。僕はどの時代でも監獄に収容されているのです。
それは皆さんもなんですけどね。
僕の通っていた幼稚園は男女比が狂っていました。女の子が二十人ちょっといたのに対して、男の子は僕含めて五人だけでした。さっきの多数決の話を考えると、全体意見として男の子の意見は潰されてしまいますよね。四、五歳にして早くも生きるのに窮屈な社会環境にいたことになります。まして子供というのは自制が働きませんからね、抑圧され続けた男の子達は日々不満が募っていくのです。
そんな女の子優位な小さな社会。その中でもやっぱり男の子だけの社会もあります。たった五人の社会です。
社会というのには優劣がつけられます。平等なんてありえないと僕は思っています。「神は人の上に人をつくらず」なんて言葉がありますが、この言葉から僕はなんの魅力も感じません。はりぼて以外のなんでもありませんよ。だって、その神をつくったのは人でしょ。
そんな優劣が当たり前な社会で、僕は最底辺にいました。五人の中で最も低い身分を与えられていたのです。今考えると非常に良く出来ていたと思います。リーダー格の男の子がいて、その側近みたいな男の子が二人くっついていて、電車好きな男の子が一人いて若干浮いていましたが発言力は持っていて、そしてなにもない僕がいて。
そんな底辺な僕がどんな扱いを受けていたか少し紹介します。
まず鬼役は僕の仕事でした。鬼ごっこですね。単純なルールの鬼ごっこもあれば、鬼は高い所に三歩までしか登れないルールや、バリアと宣言されたらタッチしても数秒間無効になるルール、などなど。子供の発想は豊かですね。でもまあ、その発想が僕を苦しめていたわけですが。
皆さんもお察しの通り、鬼役は完全に劣勢ですよね。たった一人で複数人を相手に、しかも理不尽なルールを定められて、それでも追いかけ続けなければならない。そうです、僕はただ彼らにスリルを与える為だけの存在だったのです。
キャーキャー言いながら、たまに僕のことを挑発しながら逃げていく彼らを、僕はどんな気持ちで追いかけていたのでしょうか。楽しみを見いだせていなかったのは火を見るより明らかですよね。
そして余裕綽々で逃げ回り、自分たちが満足すると鬼ごっこは終わります。アスレチックの上で四人が僕を見下ろしている様。僕にはどうすることもできず、泣いてしまうこともありましたね。子供って恐ろしいです。
次の遊びは戦隊ものごっこでした。牛乳パックやお菓子の箱なんかで武器を作り、皆でポーズを決めて、架空の敵に挑んでいく遊び。
さて、お気づきの人はいますでしょうか。戦隊ものは基本的に五人編成。僕達もちょうど五人。ぴったりですね。仲間外れなんかにはされません。ここでさっきの優劣と序列がでてきます。戦隊のポジションですね。リーダー格は勿論レッド。側近はブルーとグリーン。電車好きはイエローかブラック。そして僕は紅一点のピンク。
我慢すればいい話です。気にしなければいい話です。でも、やっぱり気にしますよね。子供だし、男の子だし。
僕は戦隊ものごっこが始まると一人で迷路の絵本なんかを読むようになりました。おかげで先生とは仲良かったです。虚しいですね。
そして最後は、女の子側へと差し出されます。どういうことかと言いますと、たまに女の子からおままごとへの誘いがくるんです。ぶっちゃけ男の子側は興味ありません。元気に動いていたいのです。そこで僕の出番です。他の男の子四人は僕を置いていきます。僕は女の子の集団に囲まれてよく解らない設定と演技を要求されるのです。
旦那さん役のこともあれば、赤ちゃん役のこともあり、ペットの犬役のこともありました。
一言で言えばつまらない。それに加え幼いながら羞恥心みたいなものも感じていました。嫌だったんですよね。でも逃げられもしなかった。僕が女性に対して苦手意識をもったのはこの頃なんですね。
この小さな社会で僕は、自らを守る術を得ていきます。それが孤独です。
一人でいれば嫌なことを押し付けられないで済むし、仲間外れにもされません。絵本を読んで、ゲームをして、一人で遊んでいればいいのです。
だから僕は異端者でした。他の人と同じことができない。協調性に欠ける人間。
民主国家では、パノプティコンの監獄では、排斥されるべき異端者になってしまったのです。
僕は僕を守りたかっただけなのに、その結果僕は周りから攻撃されるようになる。打つ手なしですね。八方ふさがり。完全に詰みです。
これが僕の始まりでした。僕という人間の基礎をつくった社会でした。小さな社会だったからこそ、恐ろしかったのかもしれませんね。本能のままに動く小さな社会だったからこそ、僕を歪めて育ててくれたのでしょうね。