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表があれば裏がある。どちらもたどり着く場所は同じ





 鬼灯山は、登る道によってまったく違う顔を見せる。あかねたち三枝家が神主を務める鬼灯神社へと続く、表参道と呼ぶべき道は、初詣や七五三、さらには合格祈願や恋愛成就など、様々な理由から参拝客が訪れる明るい場所だ。鬼灯神社の祭神は大物主神だが、それこそ八百万を超える種類の願いを人間から捧げられて、首を傾げていることだろう。


 道もよく整備されていて、日当たりもよい。最近は観光客もよく訪れるいわゆるパワースポットのような扱いも受けており、テレビ局が撮影のために来たこともある。かつてはひっそりと鬼灯町を見守り、ただ異界においてのみ華やかな姿を見せていた場所とは到底思えない、日常生活の一部として受け入れられた神社だ。


 しかし、何事にも表面があれば裏面がある。この日ノ本において、神のあらわれに際して和御魂に対し荒御魂があるようなものだ。鬼灯神社に続く表参道に対し、こちらの道は時折裏参道などと呼ばれることもある。文字通り真裏にあるわけではない。表参道から離れた場所にある、鬼灯山の頂上まで続く暗く細い道だ。


 こちらは何から何まで、まさに表参道の裏とでも呼ぶべき様相を呈している。地元の鬼灯町の住人でさえ、ここの道を使うことはほとんどない。観光客ならばなおさらだ。地を這うヘビを思わせる細道に敷かれた石畳は苔むし、降り注ぐ陽光は生い茂る杉の巨木によって遮られる。同じ山とは思えない、静かで密やかな、陰鬱ささえ感じる場所だ。


 実のところ、昔から人々もこちらの道の異様さは感じ取っていた。表参道が明るく親しみやすい雰囲気だからこそ、こちらの裏参道がその影となる部分を一手に担ってしまったのだろう。分かりやすい異様さの発露としては、呪術だ。まことしやかに、こちらの道から丑の刻参りをすると呪いが成就すると囁かれてきた。


 もっとも、そんな静謐さも陰鬱さも、三枝あかねにはまったく縁のない話である。あかねはいまだかつて呪いなど見たこともないし、呪いを掛けられたこともないし、誰かを呪いたいとも思ったことがない超健康優良児だ。精神も肉体も知性も健全そのものかつ単純そのものであり、そういった妖しげな噂など一笑に付してしまっている。


 そもそもここは鬼灯山だ。鬼灯神社を実家とするあかねにとってここは、我が家の庭のようなものだ。幼い頃からあちこちを探検してきたし、あのハクメンとも知らぬ仲ではない。何かあったらハクメンに泣き付けばいいと、他力本願そのものの思考であるため、呪いなどへっちゃらなのである。


 そんなあかねである。日曜日の早朝。まだかすかに朝靄の残る神秘的な参道を、鼻歌交じりにてくてくと登っているのも仕方がない。彼女は巫女ではあるのだが、およそ敬神の念というものがない。誰であろう、ハクメンが匂宮太夫に言っていた「自分を恐れぬ守役見習い」とはこのあかねのことだ。その傍若無人っぷりは、おいおい明らかになるだろう。


 服装は制服でもなければ、巫女の装束でもない。ついこの間買ったばかりのふんわりしたフリルスカートに、重ね着したシャツというラフなスタイルだ。おしゃれしたい気持ちはよく分かるが、特に履き物がこの場所とは致命的に合っていない。これでは、苔の生えた石畳で転んでしまう。


 しばらく楽しげに歩いていたあかねだったが、一本の杉の巨木が生えている辺りで立ち止まった。その杉には「二郎杉」という名がある。石畳を踏む音がやむと、たちまち周囲は静まりかえった。さして町から離れていないにもかかわらず、まるで深山幽谷の中に放り込まれたかのようだ。この辺りの異質さが、裏参道が不気味がられる理由である。


 しかし、重ねて言うが、あかねはそんな事実など知ったことではない。周囲を軽く見回してから、あかねは手を口元に掲げる。メガホンの形だ。


「ノーリートーくーん! どこですかー! どこにいるんですかー! ノーリートーくーん!」


 思いっきり彼女は息を吸い込むと、早朝の山の静けさを汚す無遠慮な大声を張り上げた。


 すぐさま返事はあった。


「バカみたいに叫ぶな。お前はサルか」


 その声はあかねの横でも後ろでもない、真上から聞こえてきた。返答の速さからは「何度もこうやって叫ばれてたまるか」という焦りが伝わってくる。


「おサルさんじゃないよ! 隠れているノリト君が悪いんだってば!」


 ふくれっ面であかねは真上を見上げる。


 杉の木のてっぺん付近。生い茂る太い枝の上に、一人の痩身の少年が座っている。肌も髪も色素が薄く、どことなく冷血の爬虫類を思わせる雰囲気だ。手足も細長く、肥満とはまったく縁のない体形をしている。こちらを見下ろすその顔は、あからさまなまでに不機嫌そのものといったところだ。目鼻立ちの整った顔立ちなのに、表情だけがどうも悪い。


「分かった分かった。だから叫ぶな。お前の声は無駄にでかくて環境に悪いんだよ、あかね」


 吐き捨てるように少年はそう言う。放っておいたら、本当に唾でも吐きかねない勢いだ。彼の名前は、中学校の名簿には八木沼典人とある。ただし、それは表向きの名前だ。彼の本当の名は、大抵漢字を使わずにノリトと書く。何しろ彼は、人ではない。


「早く降りてきてよ」

「お前に言われるまでもない」


 あかねに急かされて、ノリトは枝の上で立ち上がる。それと同時に、肩胛骨の下部付近が突然膨れ上がると、シャツとズボンの間から何かが滑り出してきた。色は金属質の赤銅色。硬質な鱗のようなものに覆われたそれは、明らかに人の体の部位ではない。爬虫類、それもヘビの尾だ。


 自分の身長ほどもあるそれをしならせるや否や、ノリトは身を宙に躍らせた。落ちる、とあかねがひやっとしたのもつかの間。長い尾がフックのようにして杉の木の枝に巻き付く。器用にノリトは、背から伸びる尾を使って下に降りてきた。枝がなくなると直接幹に尾を這わせて減速する様は、まさに壁を降りるヘビそのものだ。


 後地上まで三メートルほどになると、ノリトは幹を軽く蹴ってあかねの隣に着地した。それと同時に、背から伸びている尾がするすると引っ込んでいく。彼はおおよそ人間の形をしているが、ヘビの化外だ。


「悪いな。ちょっと、周りを見ていたんだ。先に降りていればよかったな」


 けれども、口を開けばまともな日本語がちゃんと出てくる。


「ううん。別にいいよ。見晴らしがいいと気持ちいいからね」


 さっきの渋面が嘘のように、あかねはにこにことしている。心底ノリトと会えて嬉しいらしい。


「おはよう、ノリト君」

「ああ、おはよう、あかね」


 顔見知りであるが、それでも二人はきちんと挨拶を交わす。ノリトの役目は目付。守役見習いのあかねを、化外の側から補佐する役職だ。


 といっても、昔はむしろ監視する役職という方が正しかったらしい。化外たちと人間たちの間を取り持つ守役といえども、所詮は人間。何かの拍子に裏切られては困ると、その生殺与奪を握るためにいるのが目付であった。しかし、あかねはそんなきな臭い過去などまったく関心を示さない。ノリトを仲のいい友だちとしてしか見ていないのは、一目瞭然だ。


「じゃあ、お詫び」


 いきなりあかねはそう言うと、ノリトに一歩近づく。近づかれた分だけノリトは一歩後ろに下がる。


「なんだよ」

「私も連れてって。見てみたいんだ、ノリト君が見てた景色」


 当たり前のようにそう言ったあかねに、ノリトは目を見開く。


「お前を背負って登れって言うのかよ。冗談じゃない。尾の邪魔になって一緒に落ちるぞ」

「じゃあ抱っこしてよ、抱っこ。いいでしょ、ほら」


 いつでもどうぞ、と言わんばかりに両手を広げるあかね。


「こうやって、私がノリト君の首に手を回して、ノリト君が私の膝の下に手を回して固定するの。お姫様抱っこって言うんだって。ねえ、やってみようよ」

「絶対にごめんこうむりたいね」


 かなり密着するスキンシップを恥ずかしがる様子もないあかねに、やってられないとばかりにノリトは横を向く。態度も口も伝法なノリトだが、性格は純真というか、まともというか、ダイレクトに好意を示されると困ってしまうようだ。


「なんで? ノリト君結構力があるじゃない。やってみようよ。あ……もしかして恥ずかしい? 照れちゃう?」


 ノリトの態度のぎこちない理由を素早く嗅ぎ取ったあかねの顔が、面白いものを見つけたとばかりに笑みに変わる。ねこじゃらしに飛びつくネコそっくりの雰囲気だ。


「わー、ノリト君ったら紳士なんだ。偉い偉い」

「お前……じゃあ言ってやるよ」


 あかねに茶化されて、さすがにのノリトもかんに障ったらしい。三白眼を歪めて彼女に言い放つ。


「お前、臭うんだよ」


 突然のノリトの一言に、あかねはぎょっとして口を閉じる。相当ショックを受けたのは一目で分かる。


「に、臭うって……くさいってこと?」

「ああ。その臭い、俺は嫌いなんだ」

「うわー! ひどいひどい! ひどいひどいひどい! ノリト君ったらデリカシーなさ過ぎだー!」


 絶対に認められないとばかりにあかねは叫ぶ。


「私汗臭くなんかないです! ちゃんと制汗スプレー使ってます! だから臭くなんかないんです!」


 陸上部という、汗をよくかく部活に所属している分、あかねはそういったことには特に敏感になっている。やっぱり女子として、汗臭いというのは禁句中の禁句のようだ。それをよりによってノリトにずばりと言われ、あかねはむきになって否定する。


「バカ野郎。誰が汗臭いって言った」


 しかし、後一歩で涙目になりそうなくらいになってまくし立てるあかねに対し、ノリトはうるさいカかハエを追い払うかのような仕草と共にそう言い放つ。


「へ? 違う……の?」

「俺が嫌いなのは、お前が使っているその制汗スプレーの臭いなんだよ。鼻が変になりそうだ」


 顔をしかめてそう言うノリトだが、あかねには理解できない。顔をちょっと肩口に寄せて、くんくんと鼻をひくつかせてみる。汗の臭いはしない。代わって、出かける前につけた制汗スプレーの匂いはする。これが悪臭だとは思わなかった。


「そうかなあ。別に、そんなに変な臭いって感じはしないけど」

「お前たちはな。ヘビは嗅覚が敏感なんだよ」


 ノリトの言う通り、ヘビの嗅覚は非常に鋭敏だ。そもそも、あの二叉に分かれた舌は、空気中の匂いの分子を立体的に捉え、嗅ぎ分けるために存在している。匂いの漂ってくる方向を、正確に当てるためだ。もっとも、さすがにノリトの舌は二叉ではない。


「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、今度変えてみようかな」


 解せないものの、ノリトが嫌がっていることだけは分かったため、あかねはそう言う。それに対してノリトは首を横に振った。


「よせよ。気に入ってるんだろ。俺がどうこう言うからって止めることはない」

「そんなに気に入っているものじゃないよ。ただ単に、何となく使ってるだけ。何か別のを探してみるよ」


 ノリトとしても、自分の文句であかねが気に入っているものを変えるのは気に食わないようだった。要するに、「臭う」と言ったのはあかねを抱っこしたくない言い訳だったらしい。ただ、それでも制汗スプレーの匂いが好きではないのは事実だが。


「もしかしてノリト君、制汗スプレーの臭いならば全部駄目なの?」

「さあな。もう一回言うが、俺が嫌いだからってお前が遠慮する理由なんか何一つないんだ。好きにしろ」

「駄目だよ。だって私がくさかったらノリト君抱っこしてくれないから」

「結局そこに話が戻るのかよ」


 やれやれ、とノリトは肩をすくめる。余計な気遣いをさせまいとする感情もあるのだが、やはり彼はあかねを扱いかねているらしい。


「まあ、いいけどさ。今度はしてね」

「いつか、気が向いたらな」


 ノリトのやる気のなさが分かったらしく、あかねはそれ以上食い下がることはなかった。


「それで、どうしたの? 何か困ったことでもあったの?」


 あかねはとりあえず守役の顔になってそう言う。休日に裏参道に来た理由は、ノリトからメールがあったからだ。


 メールには集合場所と時間は書かれていても、その理由までは書いてなかった。


「俺はない。御山は今日も安定してる。ハクメン様は御山に知ろしめし、世は並べて事もなし、といったところだ」


 御山とは、ここ鬼灯山の美称である。


「ってことは、ネコさんたち?」

「大正解。街角組合の親分が、今すぐあかねに会いたいとさ」


 どうやら、町で生活しているネコの化外たちの方が、あかねに用があるようだ。


「ふうん。どうしたんだろう? お隣の組合とは、ついこの間仲直りしたのにね」


 あかねは首を傾げる。確かに、鬼灯町を二分する街角組合と駅前組合は、ついこの間まで骨肉の争いを繰り広げていた。その二つの組合を強制的に和解の席に着かせたのは、このあかねである。


「さあな。どうせ下らない理由だろ。あまり本気にするなよ」


 目付のノリトの方は、さほどやる気がないようだ。ヘビの化外はどうも、ネコの化外を見下す傾向にある。


「駄目だよ。親分さんが困ってるんだから、ちゃんと手伝ってあげないと。私は守役だよ。そしてノリト君は目付。二人で一緒にがんばろう?」


 普段の自堕落でお調子者なところはどこへやら。すっかり守役見習いの立場が板に付いてきた態度で、あかねはノリトをたしなめる。


「はいはい。そういうところは真面目だな、あかねは」

「だってハクメン様から賜ったお仕事だよ? しっかりやりたいじゃない。ねえ?」

「そうだな。分かってるじゃないか。ハクメン様の名を出せば、俺としても黙っちゃいられない。お前にしてはツボを心得てきたな」


 妙な言い方で、ノリトはあかねを誉める。やや皮肉っぽい物言いだったが、そんな微妙な棘などあかねには到底届くはずもない。


「えへへ、ノリト君のおかげだよ」


 当の本人は、普通に誉められたと思い笑っている。その屈託のない笑みを見て、軽くノリトはため息をつく。呆れた、というよりはかなわない、といった感じだ。


「さあな。じゃあ、行こうか」

「うん。今日もよろしくね」


 二人は揃って裏参道を下っていく。人間と化外という異なる種族でありながら、この凸凹コンビは何だかんだ言って仲がよいのだ。






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