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しなくてもいい決意と抱負





 よく整備された県道を、一台のオープンカーが走っている。アルファロメオかフェラーリかと思えるような、徹底的にデザインを追求した外車だ。しかも、走る際の効率性や安定性も同時に兼ね備えているような、見ているだけでため息の出る洗練されたスタイルである。色は深紅。まるで繁殖期を迎えてメスを探し回る、オスの甲虫のようだ。


 運転席と助手席で夕暮れの陽光を浴びつつ、吹き付ける風に男性にしては長い髪をなびかせているのは、ジェーニョ兄弟だった。運転席に座っているのが兄だが、外見だけではどちらが兄のマルコであり、弟のアントニオであるかはまず分からない。完璧なまでの一卵性双生児だ。


 県道は緩やかな登り坂がずっと続いている。このまま行けば、やがて高速道路へと合流することだろう。


「なあ、兄貴」


 弟の方が、ハンドルを握っている兄に呼びかける。


「兄貴、聞いてんのか?」


 兄は、「キリッ!」という擬音が聞こえそうな顔で前を向いたままだ。口には、シガレットチョコの代わりに棒付きキャンディーをくわえている。


「兄貴ってば!」


 ついにしびれを切らした弟が、兄の肩に手を当てて揺すぶる。


「うるせぇな。聞いてるよ」


 最初から聞こえてたらしく、兄は不機嫌そうな声を上げる。喧嘩の前にネコが上げる唸り声そっくりだ。


「どこまで行くんだよ」

「フッ…………」


 キリッ、とした顔を崩さずに、兄はハンドルをどこか嫌らしい手つきで撫でる。


「こいつが満足するまでさ」


 自分ではいいことを言ったつもりの兄に、弟は胡乱な目で言い放つ。


「あのさぁ、言いたくないんだけどさ。その台詞、兄貴は格好いいと思ってる?」


 反応はない。


「イタリアを出発する前、それと同じ台詞を言ってみたんだよ。あの宝飾店のペルシャ猫をドライブに誘った時さ。あいつ、鼻で笑い飛ばしやがった。クソが」

「そりゃお前、笑われて当然だよ」


 兄はちらりと弟に視線をやる。


「なんでだよ」

「お前程度のダンディズムじゃ、まだまだ足りないってことさ」

「ふざけんな。だったら兄貴だって同じだろうが」

「俺は違うさ」

「どこがだよ。サイドミラー見てみろよ。オレと同じルックスとセクシーボディじゃないか」

「とにかく、違うんだよ」


 それ以上言葉を重ねるのが面倒になったのか、それとも単に返答に窮したのか、兄はアクセルを踏み込んでスピードを上げる。法定速度を超えている上に、まるでビー玉が転がるかのような危なっかしい運転だが、周囲の車からクラクションを鳴らされることはない。何しろ彼らは化外だ。この車ごと、その存在感は希薄なものとなっている。


「なあ、兄貴」


 再び弟が口を開く。ややしんみりとした口調に、今度は兄はすぐに応じた。


「何だ、兄弟」

「親父、今頃かんかんだろうな」

「ああ。多分――いや、絶対にそうだ。俺たちを見つけて尻尾と耳の毛を全部引っこ抜いてやる、なんて子分たちに息巻いている様子が目に浮かぶぜ」

「笑い事じゃないぜ、兄貴。親父が本当に日本にまで追いかけてきたらどうするんだよ」

「バカか。そんな面倒くさいことするわけないだろ。それにクソ親父の迷信深さは筋金入りだぜ。この科学全盛の時代に、未だに飛行機みたいな鉄の塊が空を飛ぶなんて信じられないなんて言ってるんだ。追いかけてくるわけないだろ」


 どうやら、一卵性双生児といえども性格の違いはあるようだ。兄の方が楽観的で、弟の方が悲観的に見える。あるいは兄の方が気ままで、弟の方が真面目なのかもしれない。もっとも、それは二人きりでいる時だ。あかねの前では、二人は見事に息が合っていた。二人だけになると、それぞれの個性が表れるのだろう。


「でも、でもでも、子分たちを自分の代わりに差し向けてくる可能性だってあるじゃねえか。まずいだろ、やっぱり」

「おいおいアントニオアントニオアントニオよ。だったら何なんだよ。だったら」


 ハンドルを握ったまま、兄は弟の方を睨む。


「お前、だったら今すぐ飛行機に乗ってイタリアまで飛んで、親父にドゲザして謝れって言うのかよ、あ?」

「そ、そんなことは言ってないだろ。ただ…………」

「『賽は投げられた』カエサルだってそう言ってるんだ。今更後戻りはできねえよ。そもそも兄弟、俺たちは何だ?」


 兄は、胸毛に覆われた分厚い胸板を叩く。


「泣く子ネコも黙る〈マンムトファミリー〉の切り込み隊長じゃねえか。欲しいものを手に入れて何が悪い。マリア様もお許し下さるさ」


 そう言われて、弟はスーツの腕をまくる。毛深い二の腕には、聖母マリアのタトゥーもどきがある。ちなみに兄の方は死神だ。こういう時だけ慈悲深きキリストの母の名を出したところで、到底救ってもらえるとは思えないのだが。


「そもそも、俺たちはこう書き置きしたじゃねえかよ」


 弟がまだ心配していると思ったらしく、兄は少し口調を和らげた。


「『誠に勝手ながら、マンムトファミリーの資金、ニッポン遠征の軍資金として運用させていただきます。向こうでファミリーを立ち上げ、一端となった暁には倍にしてお返ししますのでご安心を』って。な? 何も問題ないじゃねえか?」

「親父は冗談が大嫌いだったじゃねえかよ! よく考えたらただ普通にネコババするよりなお悪くなってねえか!」


 兄の言葉に、弟は悲痛な声を上げて抗議する。これが運転中ではなかったら、兄の襟首をつかんで揺すぶっていることだろう。


「俺は冗談のつもりじゃねえぜ。百パーセント本気で書いたさ。だから、きっと親父にも俺たちの本気は伝わったって」

「オレたちが後足で砂をかけるような不忠義者だってことは、百パーセント伝わっただろうな、ああ」


 ――そろそろ説明が必要だろう。この二人――いや、二匹と呼ぶべきか――は、ローマでマンムトファミリーという集団に属していたネコの化外である。外見上は強面な無法者を気取っているが、要するに縄張り争いをするネコたちの争いを、化外の身で行っているだけだ。やっていることはややはた迷惑ではあるものの、人畜無害の域を出ない。


 ただ、ネコたち当人にとっては本気である。本物のネコたちが縄張りの維持と奪取に血道を上げるように、化外のネコも組織を作り、子分を傘下におさめ、抗争を行って縄張りの取ったり取られたりを繰り返している。もちろん日本のネコたちもそうだ。ここ鬼灯町では、街角組合と〈駅前組合〉という二つの組織が主なネコたちの所帯となっている。


 恐らく、この緊迫感をネコたちは楽しんでいるのだろう。それがなければ、元よりお気楽とのんびりが毛皮にくるまれて歩いているようなネコたちである。三百六十五日、何もせず日なたで寝転がっているだけで一生を終えてしまうことだろう。彼らにとって縄張り争いは、本気になって争える数少ないゲームである。


 ジェーニョ兄弟もまた、ローマでファミリーの発展拡大に大いに貢献してきた。兄が自分たちのことを切り込み隊長と称したのは、伊達ではない。抗争となれば拳銃片手に真っ先に飛び込んでいくくらい、向こうではけんかっ早く腕っ節の立つネコとしてファミリーでも重宝されていた。ボスからも大いに期待されていたのも当然である。


 しかし、二人のファミリーへの忠義立ては、飼い主が長年暖めていた日本移住の計画を実行に移したのと同時に、朝露のようにあっさりと消えてなくなった。二人はファミリーがこつこつ貯めていた資金のおよそ三分の二を勝手に持ち出すと、飼い主と一緒に日本へ高飛びしてしまったのである。


 さすがに、マンムトファミリーが即潰れてしまうほどの額を持ち出したわけではないが、当面はファミリーは活動縮小を余儀なくされることだろう。ボスがかんかんに怒っていると兄が言うのも当然である。しかし、兄にも弟にも良心の呵責はない。弟が悩んでいるのは、単にお礼参りに来られては困ると思っているだけだ。


 二人にとってこれは、一世一代のチャンスをものにする賭けだった。二人には選択肢が三つあった。一つは、ファミリーに忠義立てし、飼い主を捨ててこのままローマに残るというもの。もう一つは、徒手空拳で日本に旅立ち、現地のネコたちの組合でまた一からやり直すというもの。


 そしてもう一つは、ファミリーから持ち出した資金を元手に、新たなファミリーを自分たちで創設するというもの。二人は最後を選んだ。シェフの飼い主のことは大好きだったから離れたくなかったし、再び一からやり直すのは面倒くさい。何より、イタリアから来たネコということで、まともに扱ってくれるかどうか不安でもあった。


 今の彼らは、ただのファミリーの構成員ではない。その名も轟く(予定の)「ジェーニョファミリー」のボスである。トップである。ドンである。その肩書きが、二匹の肩を文字通りそびやかさせる。構成員こそまだいないものの、資金面では当分問題はない。しばらくの間豪遊できるくらいの額が懐にあるので、自然と気が大きくなっていく。


 やがて、兄は前触れもなく路肩に車を駐車した。


「降りろよ」

「あ、ああ……」


 言われるがままに弟は兄に続いて降りる。路肩とは言っても、白線の内側に大きく寄せても、なお車体が道路にはみ出してしまうような場所だ。弟が降りたのを確認してから、兄は愛車のフロントを指でなぞる。


 たちまち、車体に変化が起こった。スマートでしゃれたデザインのオープンカーが、見る間に厚みを失い、形を崩し、平面となってしぼんでいく。まるで、自動車の形にふくらんでいた風船から、空気が抜けていくかのようだ。いくらも経たないうちに真っ赤なオープンカーは、ぺらぺらの空気が抜けた風船のようになってしまった。


 そしてさらに変化は続く。今度はその空気の抜けた風船が縮んでいく。どんどんと小さくなっていき、最後に残っていたのは一枚のトランプほどの大きさのカードだった。兄はそれを拾い上げる。トランプではなくてタロットカードだ。大アルカナは「戦車」。二人が運転していた自動車は、かくして一枚のカードと化してしまった。


 本物のオープンカーを、タロットカードの中に収納したのではない。タロットカードを媒体にして、オープンカーのような走る存在を作り出していたのだ。いわゆる式神のようなものに近いだろう。元より幻想に近しい化外である。このような施術を行うことも可能だ。といっても、すべての化外がこのような魔法のようなことができるわけではない。


 戦車のタロットカードをポケットにしまうと、兄は歩き出す。


「どこ行くんだよ、兄貴」

「急くなよ。ほら、見ろ」


 兄は数歩歩くと立ち止まり、眼前の光景を見るように弟を促す。そこに広がっていたのは、北に大きな鬼灯山を配置し、東西をなだらかに流れる三滝川で分断された、鬼灯町そのものだった。


 緩やかな登り坂をずっと走っていった先にあったのは、遠くに広がる鬼灯町を一望できる場所だったのだ。


「どうだ、兄弟。町が見えるだろ」

「ああ。こんなところがあるなんて知らなかったぜ」

「昨日、ドライブしていて見つけたんだ」

「オレが食材集めに奮闘している時にか? いいご身分だな、兄貴は」

「そう言うなよ。事前の偵察ってわけさ」


 夕日に照らされて、二人の眼前に鬼灯町が広がっていく。小さいようで大きく、古いようで新しい、不思議なおもちゃ箱のような町だ。小綺麗な新興住宅地があれば、昭和の香りが漂うひなびた商店街もある。化外などまったく知らない観光客が集う明治からの町並みがあれば、畏怖すべきヘビの化外であるハクメンが座す鬼灯山がある。


 白い柵にもたれ掛かり、二人は並んで鬼灯町を眺める。二人のサングラスが、夕日を反射して輝く。このすべてが、二人のために用意されているのだ。今ある組織を蹴散らし、組合員を貪婪に吸収し、野放図に支配力を拡大するために。この町は、二人に勢力図を塗り替えられるためだけに存在していたのだ。


 欲が膨れ上がって、胸を満たしていく。それは苦しくもあり、また心地よくもあった。名を上げていく期待と喜び。きっと、マンムトファミリーのボスもこれを味わったのだろう。


「アントニオ」

「なんだよ、マルコ兄」


 その感覚を堪能し、兄は弟に告げた。


「鬼灯町、捕りに行くぜ」


 弟は歯を見せて笑うと応じた。


「どこまでも付いていくぜ、兄貴」






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