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叫べ「賽は投げられた」と(その3)





 加速の効果は、即座に現れた。既に限界まで駆動させているジェーニョ兄弟という名前のエンジンに、さらにガソリンが注ぎ込まれた上にアクセルがこれでもかと踏み込まれたのだ。


「ぬぉおおおおおおお!」

「ニャニャニャッハー!」


 もはや人間でもネコでもない奇声を張り上げつつ、二人は両目をデメキンのように飛び出させて疾走する。


 どう見てもドーピングのオーバードーズである。間違いなく、オリンピックでは永久出場停止になること請け合いだ。だが、そんな腐朽の不名誉など知ったことかと言わんばかりに双子は両足を回転させ、リヤカーごとハグロのキャンピングカーに肉薄する。ただの化外の合計四本の足が、四つの車輪で疾駆するキャンピングカーに追いついたのだ。


 かつてないほどハグロの姿が近づく。一緒に、その足下に置かれたコタローの入ったケージもまた。それに気づいた双子の目が、彼岸から戻ってきて理性の光を灯す。すかさずまったく同じ動作で、二人はスーツの胸ポケットからベレッタを抜き放つ。瞬時に銃身が変形し、サブマシンガンがその手の内に具現した。法術の産物だからこそできる荒技だ。


 ためらいなく引き金が引かれ、小気味よい発砲音と共に、再びハグロに銃弾の雨が浴びせられる。けれども、その結果もまた同じだ。ハグロが手を広げるや否や、襲い来る弾丸はすべて彼女の周囲の空間に縫い止められる。たとえ弾丸という意思を持たない無機物であろうとも、彼女の魅了の前には意味をなさない。


 あらゆる存在を強制的にかしずかせ、意のままとする。桁外れの異能を存分に見せつけるハグロだが、彼女の顔に傲慢さや侮蔑の色はない。不敵な笑みを崩さず、それでいてその両目はしっかりと見開かれている。どのような方法で追いすがるのか、どのような作戦ですがりつくのか、それを見逃さないようにハグロは二人を注視している。


 むしろ、ハグロは期待に胸をふくらませている。かつてないほど、まるで恋人を待つ恋する乙女のように。ありとあらゆる手段でへこませ、プライドを打ち砕き、地べたをはいずり回らせたジェーニョ兄弟が、ここまでハグロを追い詰めようとしているのだ。たとえ、どのような方法を取っても。彼女に指一本触れることができなくても。


 その覚悟が、その輝きが、その執念が、ハグロの目にしたかったものなのだ。この瞬間が彼女にとっての生きる意味であり、生きていることを実感できる唯一の機会である。


「ああ――――」


 ハグロの唇が動き、歓喜の声がもれる。


「――――生きてて、良かった」


 かつて成人まで生きられないと宣告された化外の少女が、今ここで生きている。


 他者の激しい執念による光を浴びて、今こそハグロは輝いていた。生を、心の底から謳歌していた。彼女の言葉は、果たして二人に届いたのだろうか。弾倉に込められたすべての弾丸を撃ち尽くした兄のマルコは、そのままサブマシンガンを真横に放り投げる。それだけでは終わらない。


「いくぜハグロ!」


 そう叫ぶや否や、マルコは地面を蹴って高々とジャンプした。空中を平泳ぎで泳ぐかのような変てこな体勢で、マルコはキャンピングカーの屋根にまで届こうと身を躍らせる。サブマシンガンの弾幕によってハグロの気を逸らせ、その隙にコタローの入ったケージをかすめ取る作戦なのか。


「少々無謀ね。返してあげるわ」


 ハグロのその言葉と共に、彼女の周囲の空間で静止していた弾丸がぐるりと方向を変える。弾丸の先端がポイントするのは、未だ空中にいるマルコだ。今までさんざん彼女に撃ち込んだ麻酔弾が、そっくりそのまま迎撃に使われることになり、マルコの顔が引きつる。


 だが、この程度で撃墜されるジェーニョ兄弟ではない。


「ニャンッ!」


 ぼんっ、という音と共に白煙が上がり、マルコは一瞬でオレンジ色の縞々のネコに戻る。当然、その大きさは人間の時の比ではない。ネコに戻ったマルコは限界まで体を平たくし、あたかも空中でダンスを踊るような滅茶苦茶な姿勢で、四方八方から飛来する弾丸を辛うじて回避する。


「もらったニャ!」


 放物線を描いてハグロの足元に落ちようとするそのネコの体が、突然静止した。


「ギニャッ!?」

「残念ながら、もらうのは私の方。ここまでよ」


 果たして、マルコは理解していたのか。ハグロの側に接近するということは、彼女の芳香で満ちた空間に侵入するということに。


 彼女の魅了の施術は、主に芳香を媒体にして発動する。それは彼女に近づくほど強くなり、言わば結界のようにして張り巡らされていた。コタローのいるケージに近づくには、そこを突破しなくてはいけない。あの時反転したロケット弾は、あらあじめこの結界の中で魅了されていたため、離れていても命令に従ったのだろう。


 クモの巣に引っかかったチョウのようにもがくマルコと、ハグロの目が正面から合う。しかし、突然そのネコの顔がにやりと笑う。不敵な、勝利を確信した顔に。マルコの口が開くと、何かを吐き出した。床に落ちることなく、マルコの顔があるすぐ近くの空間で静止したそれは、小型の手榴弾だった。


「ここまで、か。それは俺とお前だよ、ハグロ」

「兄貴ー!」


 叫ぶアントニオに、マルコはネコの姿のままで手榴弾のピンを抜き、一言告げる。


「悪いが先に行くぜ、兄弟。コタローを頼んだっ!」


 その言葉の最後は、爆音によってかき消された。キャンピングカーの屋根で、マルコが取り出した手榴弾が爆発したのだ。爆音と共に衝撃波が発生し、黒い煙がもくもくと立ちのぼる。


「あンの野郎格好つけやがってぇっ!」


 アントニオが叫びつつ、手を伸ばしてキャンピングカーの後方に取り付けられている梯子をつかんだ。そのまま自分も屋根に登ろうとするが、突如その体が硬直した。同時に、屋根の周囲にまとわりついていた黒煙が吹き散らされ、その中から無傷のハグロが姿を現した。


 元より、あの手榴弾は本物の殺傷力を有する武器ではない。当たった対象を麻痺させる、文字通りの意味でのスタングレネードである。だが、その効果もハグロの周囲を防護する魅了の障壁を破ることはできなかったようだ。


「反則だぞハグロォ!」


 辛うじて動く口を動かして、アントニオはハグロに抗議する。


「ならばあなたは、それに対してどう対応するつもりかしら?」


 完全にアントニオの全身の所有権を掌握したハグロは、彼に向かってそう問いかける。現時点で、リヤカーはアントニオの体をフック代わりにして、キャンピングカーによって牽引されている状態だ。幸い、アントニオは足を縮めているため、靴も足も地面から離れている。


「さあ、私に見せてみて。あなたのお兄さんはなりふり構わず自爆したわ。あなたもそうするつもり? 二番煎じは少々つまらないけれども、それしか方法がないとしたら、あなたは迷わずそうするの?」


 まっすぐにこちらを見据えるハグロに、アントニオは返答を詰まらせる。


 彼女はこちらをバカにしているのでも、挑発しているのでもない。あたかも研究者がサンプルの行動を逐一記録するかのように、二人の行動を最初から最後まで丁寧に観察するつもりなのだ。


「オレは……オレは…………」

「あなたたちの言う、“男の生き様”っていうのは、果たしてどんなものかしら。……でも、その状態じゃ見られそうにないわね」


 自分で行動を呪縛しておいて、ハグロは残念そうに首を左右に振る。ハグロからすれば、本気で男の生き様を見せたければ自分の術くらいは破ってもらわなければ困る、とでも言いたげだ。肝心の所で何もできずに、アントニオが奥歯を軋らせるほどに歯ぎしりしたその時だった。






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