窮鳥懐に入れば猟師も殺さず……のはずがない(その3)
しばらくカゲフサは黙っていた。きっと、カゲフサの視点からは、座布団の下に隠れる双子の鼻先が見えていることだろう。もしかしたらその目まで。絶対に双子は訴えているに違いない。
「お願いだから黙っていてニャ」
「どうか、オレたちのことは秘密にしてニャ」
と。ここでカゲフサがしらを切れば、ハグロが諦める可能性もなきにしもあらずだ。
しかし、カゲフサは一度深くため息をついた。
「…………お前らの負けだ。こいつはえらい別嬪さんだが、悪女の深情って奴をしっかり味わってきな」
悪女の深情とは、外見の悪い女性は、美人と違って愛情や嫉妬心が深いという意味だ。ハグロは外見は一級だが、その精神が異様だ。悪女と評されても、仕方なくもある。
カゲフサの言葉は、ハグロではなくジェーニョ兄弟に向けられていた。すなわち、二人がここにいると認めたも同然である。
「あんたの捜している奴らは、そこにいるぜ」
そう言うと、カゲフサはハグロの隣を指差す。すなわち、二人が隠れていた座布団を。
「ひどいニャー! あり得ないニャー!」
「許さないニャー! この裏切り者ニャー!」
居場所がばれた双子は、ハグロが座布団に手を伸ばす前に自分から大きくジャンプして姿を現す。と同時に、白煙をまとうや否や人間の姿に戻った。すっかり腰砕けの状態だが、それでも逃げようという決意だけは充分残っているようだ。双子はハグロと目を合わせずに、その脇をすり抜けて襖を大きく開く。その先は自由への活路である。
だが。
「あら、どこへ行く気? 止まりなさい」
ハグロが小さく呟いて、右手の人差し指を一本立てた。かすかに、周りの空気に香水の芳香が混じる。次の瞬間、脱兎の勢いで応接間から逃げだそうとした双子の足が突然もつれた。ハグロが指一本触れていないにもかかわらず、双子の足は動きが鈍くなり、全身が廊下に倒れる。
「あ? あれっ? なんでっ? なんで動かないんだ。なんでっ? なんでっ!?」
「くそっ。なんだよこれはっ! 動け! 動けってば!」
その場で喚きながら両手を使って這いずっていく二人の背中に、ハグロの言葉が投げかけられる。
「はいはい。静かにして。お客様の手前よ。行儀よくしなくちゃ。……ちゃんと、そう教わったでしょ?」
含みを持たせたその言葉を聞くや否や、双子はぴたりと黙る。
「よしよし。いい子いい子。やればできるじゃない」
ハグロは一応双子を誉めるのだが、双子に喜ぶ要素は皆無だ。
「何をしたんです?」
あかねが不思議そうに尋ねると、ハグロは何食わぬ顔で答えた。
「ちょっと、言うことを聞いてもらっただけよ」
「何に?」
「体に」
「体?」
「ええ。骨格と筋肉と神経に。みんな、私のお願いを聞いてくれたのよ。体の持ち主よりも優先して、ね」
奇妙な物言いに対して、あかねは理解できないといった風に首を傾げただけだ。しかし、それ以上ハグロも自分の施術の説明をすることはなかった。そんなことよりも、今は優先したいものが目の前にある。
「さて、ようやく見つけたわよ。…………もっとも、最初から目星はついていたんだけど」
ハグロは悠々と獲物を見つめる。双子は苦労をしつつも、倒れた状態から起き上がることはできていた。まるで、ずっと正座していて足が痺れた人間のような動きだ。けれども逆に、二人は観念したのか大人しく正座している。
「ごめんニャさい」
「ごめんニャさい」
「別に謝らなくてもいいわよ。あなたたちがこうして逃げてくれたおかげで、街角組合の親分さんともお知り合いになれたんだし」
ハグロは明るく二人の謝罪をいなす。しかしそれは、二人を思いやっているわけでも、二人の謝罪を受け入れているわけでもない。二人が頭を下げていることなど、彼女には興味がない。
「さあ、懐かしの我が家は見たでしょ? もう大丈夫。二人がいなくても、きちんと私たちがジェーニョファミリーを運営してあげるから。そもそも、あなたたちが運営していたら、遠からずあのファミリー、潰れちゃうわよ。あなたたち、経済感覚が滅茶苦茶だから。自覚はあったんじゃない?」
ハグロの正論に、二人はぐうの音も出ないようだ。散財と消費が趣味の二人の経済感覚は、まさに蕩尽という語がぴったり当てはまる。ファミリーの本拠地のリフォームに、日々の美酒&美食。下らないことにファミリーの資金を湯水のように浪費していたのは、言うまでもない。
ハグロがいなかったら、たしかにファミリーは早晩経営難に陥り、瓦解していただろう。しかし、だからと言って双子が安堵などするわけがない。ジェーニョファミリーは自分たちの私物であり、自分たちの誇りであり、自分たちの玩具である。自分たちの承認欲求を快く満たしてくれるファミリーを、ハグロに奪われるのは腹の虫が承知しない。
「だ、黙れ! この泥棒猫! たかが金回りの問題で、俺たちのファミリーを奪おうなんて承知しないぞ!」
「兄貴の言う通りだ! 女は引っ込んでろ! これは男の問題だ。女は家でパスタでも茹でてりゃいいんだよ!」
言うに事欠いて、女性蔑視の発言である。いくら追い詰められているとは言え、もう少し言葉は選ぶべきである。
「ふ~ん、そんなこと言うんだ。この葛葉に連なる血脈の化外に。畏れ多くも始祖より御三家の名を賜った一族の娘に、そんなことを言っちゃうんだ。そ・ん・な・こ・と・を」
双子の発言を受けて、ハグロの目つきが変わった。それまでの人間味があった、ごく普通の形の瞳孔から、ヘビやネコのような縦長の鋭い瞳孔へと。
「ニャッ!」
「ヒィッ!」
その眼光を浴びて二人が震え上がったのもつかの間。すぐにハグロの目は元に戻る。
「まあ、別にいいけど。ジェンダーにおける役割の分担なんて、化外によってそれぞれだわ。そもそも、私は葛葉の家じゃ腫れ物扱いだし」
怒りを抑えて理性を取り戻したと言うよりは、そもそも最初から怒っていなかったようだ。
「でも、まだ教育が足りないみたいね。少し詰問されたくらいで化けの皮がはがれて元通りになっちゃうなんて、やっぱり一夜漬けは効果がないみたい。いいわ、お家に帰ったらまたしっかり特訓しましょ? がんばってね?」
しかし、結局のところ双子が行き着くところは同じようだ。
また連れ戻される。連れ戻されて、キツネたちにキツネ流の生き方をみっちりと叩き込まれる。権力構造のピラミッドの中に押し込まれ、息が詰まりそうな毎日を強制される。そんな自分たちが容易に想像できたのか、双子は悲鳴を上げて首を左右に振った。
「嫌だあ! あんなところに戻るのだけは嫌だあ!」
「もうオレたちを放っておいてくれよ!」
「なあに、その言い草。まるで私が悪いことをしているみたいじゃない。ひどいわ」
「“みたい”じゃなくて、現に悪いことをしてるんだよ!」
「そうだよ! なんでオレたちに構うんだよ。お前の美貌ならば、廓でいくらでもいい男を捕まえられるじゃないか!」
一応、双子はハグロを誉めてはいる。誉めつつも、拒絶しているのだが。
「そうかもしれないけれど、一度やってみたかったのよ。源氏物語の光源氏みたいに、一から自分の理想の異性を育てるっていうの。ね? 古典に倣うなんて面白そうだと思わない?」
ハグロは生き生きと語るが、双子はがたがたと震えながら首を左右に千切れてしまいそうな勢いで振る。
「でも、廓の中じゃまっさらで、どの権力組織にも属していないキツネなんて皆無なのよ。産まれたときから、一生涯の役割がおおよそ決まっているなんて、まるでアリかハチよね。特に男性はそうよ。女性の添え物みたいなもの。ああ、どこかに添え物にならないくらい我が強くて、廓とは関係がない男性がいないかなって思っていたら――――」
優雅にハグロは笑うと、双子をそれぞれじっくりと見つめる。
「――――ここにいたのよ。そんな理想的な二人が」
「理想的じゃないニャアアア!」
「いい迷惑ニャアアア!」
二人はネコの声で叫ぶ。自分たちが、単なるハグロの気まぐれにつきあわされていることを深く深く理解したので。
双子にとって、ハグロは一人の女性ではなく、賞杯でしかなかった。自分たちが愛で、楽しみ、自分たちの自尊心をさらにくすぐってくれる賞品としてしかハグロを見ていなかった。しかし、ハグロもまたそうだったのだ。ハグロにとって双子は、自分の興味を満足させてくれる、実験動物のようなものだったのだ。
「分かっただろ! もう無理なんだよ! あんたにはつきあえない! な! な! 分かってくれよ! 分かれよ!」
「頼むよ! 手を引いてくれよ! どこかよそで好きなだけ自分の理想を追求してくれよ! なあ! この通りだ!」
とうとう、双子はハグロに土下座して許しを請う。それほどまでに、双子はハグロから解放されたかったのだ。
「う~ん…………」
その懇願もまたのれんに腕押しと思いきや、ここに来て不意にハグロは考え込む素振りを見せた。
「やっぱりキツネとネコの感性の違いかしらね。キツネならば、ここまですれば普通に自分の生き方を享受するんだけど。ネコが我が強いっていうのは本当みたいね。……それだけ見られたから、有意義ではあったかな?」
ハグロの言うことももっともである。キツネはともかく、ネコの我の強さは一級品だ。ネコにとって自分こそが第一であり、一番であり、世界の王である。ハグロはそこを見誤っていたのだろう。ネコはどんなことがあっても、自分のしたいことを曲げない。飼い主とだって張り合うネコの意地は、ハグロにとって予想外だったのかもしれない。
もしかして、これは脈があるかもしれない。このままハグロが手を引いてくれるかもしれない。双子は途端に目を輝かせて顔を上げる。このまま、彼女が興味を失ってくれたら自分たちの大勝利だ。立つ鳥跡を濁さずとばかりに、ハグロはファミリーからも手を引くだろう。そうなれば、再び贅沢三昧の日々が待っている。
人の手から餌をもらう野良猫の境地で、ハグロの次の言葉を待つジェーニョ兄弟に対して、あに図らんや、ハグロはさらに首を傾げた。
「あ、でも、サンプルとしてもう少し手は加えてみたいわね。もったいないし」
再び奈落の底に叩き落とされたかのように絶望に染まった双子に、ハグロは笑顔でこう言った。
「じゃあ折衷案。どちらか片方だけ、私に頂戴。もう片方はファミリーに帰してあげる」
彼女の提案は、恐ろしいものだった。双子を引き離し、片方だけを自分がもらい受けるというものだ。
「今すぐには決められないでしょ? 明日まで待ってあげる。明日、どっちが私についてきて、どっちがこの町に残るか、きちんと決めてきてね」
「どうしてそんな……」
「そんなひどいことが言えるんだよ……」
自分たちがしてきたことを棚に上げて、二人は呻く。その顔は、希望と絶望がきっちり半分ずつ表現されていた。そんな面白い顔をした双子に対し、ハグロはまったく悪びれる様子もなくこう言った。
「だって、言ったじゃない。『君のためなら何でもしてあげる』って。ね?」




