窮鳥懐に入れば猟師も殺さず……のはずがない(その1)
「なんだなんだ、俺がうたた寝している間にずいぶん面白いことになっているじゃねえか。なあ、もっとよく見せてくれよ、その不細工な泣きっ面をよぉ」
カゲフサは何ともぶっそうな物言いと共に、ずかずかと応接間に入ってきた。その格好は、きちんと寝間着から和服に着替えてある。
「くっくっく、まったくザマぁないぜ。おい、この俺に拳銃向けてきたあの意気はどこ行ったんだよ」
どっこいしょ、と言いつつカゲフサはおキヌの隣であぐらをかいて座る。それまで座布団の上にいたハンゾーは、いったんカゲフサに抱っこされてからその膝の上に降ろされる。そちらをちらりと見たおキヌが口を開いた。
「起きたのかい。だったら、一言くらい言っておくれよ」
「悪ぃな。何度かぼんやりと意識が戻ることはあったんだが、こうやって動けるようになったのはついさっきでね」
「そうかい。――――茶、煎れてくるよ」
「いいっていいって。お前もここに座ってろ」
立ち上がろうとしたおキヌを、カゲフサは手で制する。
「……で、器量よし相手にうつつを抜かして、いつの間にか組合を乗っ取られたって泣き言をほざきに来たのかよ。獅子身中の虫って言葉、知ってるか?」
完全に馬鹿にした目つきで、カゲフサはジェーニョ兄弟を見る。しかし、以前は流暢かつふざけた物言いで言い返してきた双子は、火の消えたような暗いテンションで見つめ返すだけだ。
「ったく、気色悪いぜ。おい、ニャンとか何とか言ってみろ」
幽霊のような辛気くささに、さすがにカゲフサも不気味なものを感じたらしく嫌な顔をする。
「……所帯持ちのアンタには分からないだろうな」
「そうだよ。ちぇっ。見せつけてくれるじゃねえか」
どうやら双子には、カゲフサとおキヌがおしどり夫婦に見えるようだ。
「下らねえ。他人様をうらやむ前に、てめえの男をもっと磨けってんだ。そんなしけたツラで子分がついて来るのかよ」
調子が狂う、と言わんばかりにカゲフサは一度ため息をつくと、身を乗り出す。
「仕方ねえ。このまま叩き出すってのも寝覚めが悪いからな。一つ、このカゲフサ様に相談してみるってのはどうだい?」
まさかの申し出に、二人はぽかんと口を開けてそちらを見る。
「ど、どういう意味だ、それ……」
「わ、わけが分からねえ……」
「合縁奇縁って奴さ。この鬼灯町で、俺とお前らが何の因果か縄張り争いを繰り広げたんだ。切った張ったはあったけど、喧嘩をしてりゃあ情は湧くし気心も知れる。俺とお前らはもう、知らない仲じゃねえだろ?」
宿敵に急に優しくされ、何が何だか分からないといった顔で双子はただうなずく。
「この俺を見てみろ。腕っ節は立つ、顔は男前、おまけに度胸もあれば金だってある。なあ?」
「……自分で言うことかい。まったく口だけは良く回るねェ」
カゲフサの自画自賛に、隣のおキヌが渋い顔をする。
「ですよねー。自分で自分を格好いいって言っちゃうなんて。ハンゾー君がそう言っておだてるならまだ分かるけど」
おキヌの言葉にあかねが同意する。そろそろ飽きてきたため、あかねは手を伸ばしてカゲフサの膝の上からハンゾーを奪い取り、自分の膝の上に乗せる。
「ニャー、耳は引っ張らないで欲しいニャン。伸びちゃうニャ」
やや雑な手つきで頭を撫で、ついでに耳をつまんだりいじくったりするあかねに、ハンゾーは抗議する。一人と一匹の茶番を横目で見つつ、カゲフサはおキヌの諫言を鼻で笑った。
「いいじゃねえか。自分は三下の愚図ですって卑下するよりはるかにましだぜ」
そう言ってから、再びカゲフサは居心地が悪そうなジェーニョ兄弟に顔を向ける。
「もう、事態はお前らの手には負えないんじゃねえか? ファミリーはもうない。子分はついてこない。おまけにそのハグロとかいう女にお前らは骨抜きだ。ここは一つ、このカゲフサ様が仲裁役として間に入ってやろうって言ってるんだよ」
カゲフサは何と、ここで自分が時の氏神となってやろうと提案してきたのだ。
「カゲフサさんが、ハグロさんとジェーニョ兄弟さんたちを仲直りさせてくれるんですか?」
「応よ。はばかりながらこのカゲフサ、惚れて愛した女房がちゃんといるんでね。女の心情も少しは分かるってモンよ。組合背負って立つ辛さと、変幻自在の女心の扱いにくさ。酸いも甘いも噛み分けるくらいに知ってる俺に任せりゃ、大船に乗ったも同じよ」
カゲフサの惚気に、おキヌは馬鹿なことを言うな、と言わんばかりによそを向いている。しかし、だからといって呆れかえっているわけでもなさそうだ。そもそも、人前で公然とおキヌに惚れたとカゲフサは宣言しているのだ。ほんの少しだけ、おキヌが嬉しそうなのも無理はない。
それにしても、ジェーニョ兄弟が縮こまれば縮こまるほど、逆にカゲフサはますます増長する。ネコの喧嘩と同じだ。優勢な方が体を大きくふくらませて強そうになればなるほど、劣勢な方はどんどん身を低くしてますます弱まっていく。それと現状は変わらない。
「ほら、早く楽になれよ。ファミリーも何もかも諦めて、街角組合の軍門に下れって。な?」
ここぞとばかりに、カゲフサは畳みかける。これは結局のところ戦いだ。拳や銃弾が飛び交う物理的な戦いではなく、言葉と思惑が飛び交う心理的な戦いだ。カゲフサも結局のところ、縄張り争いが大好きなボス猫である。ただのお人好しから、ジェーニョ兄弟に甘言を囁いているのではない。彼らのファミリーこそが、カゲフサの目当てらしい。
ここで二人が首を縦に振るならば、それはジェーニョファミリーの落城である。二人の心は折れ、栄えあるジェーニョファミリーが街角組合に吸収合併されることは間違いない。新進気鋭のネコたちの組織は、結成から半年を待たずしてあっさりと消滅してしまうこととなる。
だが、事態はカゲフサの思惑通りには運ばなかった。
「――だ、誰が諦めるか。あれは俺たちのファミリーだ。俺たちのものだ!」
「――そ、そうだ。兄貴の言う通りだ。誰が敵対するファミリーの力なんて借りるか!」
いつの間にか、二人の気迫は元に戻りつつあった。力の戻ってきた瞳で、二人はカゲフサを睨みつける。
「おうおう、言ってくれるじゃねえか。その敵対するファミリーのところに、お嬢ちゃんの手を煩わせて、ニャンニャン子ネコみたいに泣きながら連れてこられたのはどこの誰だよ」
「あ、ああああれはその…………何かの間違いだ! そう、間違い!」
「知らねえな。何のことだかさっぱり分からねえな。うん、分からん!」
先程までの醜態に言及されても、二人は白々しくとぼける。
「証拠はどこにあるんだよ! ほら、言ってみろよ!」
「そうだそうだ。録画は? 録音は? 記録は? ないだろ。じゃあノーカウントだ! 疑わしきは罰せずだ!」
あろうことか、逆にこちらをなじるようなことまで言い始める。やはり二人はクズである。信用がおけないことは明々白々だ。
「チッ。やっぱりそう簡単にはいかねえか」
「小賢しいことはしないでおくれよ。あんまりやると男が廃るねェ」
小さくカゲフサが舌打ちすると、隣のおキヌも小声でそう言う。
「分かってるって。俺はいつだって真っ向勝負よ。手練手管は性に合わねえ」
カゲフサとしても、こんな風に口先で相手を動揺させるのは、普段の喧嘩では使わない手段らしい。
「ほ~う。じゃあ、お前らはこの街角組合の助けは借りないってことですかい」
「もちろんだぜ。あんな女一人に、このジェーニョ兄弟が後れを取るはずがねえ!」
「百戦錬磨のオレたちの実力、せいぜい遠巻きにして見てるんだな!」
「ハグロなんてちょろいもんだぜ。今すぐ落としてやるさ!」
「ジェーニョファミリー復活なんて余裕だぜ!」
最初のうちは、恐らく二人は空元気だっただろう。ここで頭を下げてカゲフサに泣き付いたら男が廃る。いや、カゲフサに泣き付いたらファミリーが失われる。そうなってしまえば、マンムトファミリーの資金をつぎ込んだ自分たちの居場所が失われてしまう。贅沢はできないし、ちやほやしてくれる部下もいない。
そんな事態を避けるべく、二人はカゲフサの誘いに抗った。抗っているうちに、徐々に根拠のない自信が蘇ってきたのだ。今や二人はなぜか自信満々になり、ハグロなど恐るるにたらないと豪語している。そうやって自分たちを盛り立てているのだが、傍目から見ていると無理をしているのが丸わかりで、かえって痛々しい。
――――そして、そんな張り子の虎のような自信はあっさりと打ち砕かれることとなる。二人が大声でハグロなんて怖くないと豪語したちょうどそのタイミングで、呼び鈴が鳴った。来客がカゲフサの屋敷に訪れたらしい。突然の呼び鈴の音に、双子は黙る。あかねはハンゾーをいじくる手を止め、ハンゾーもあかねの手をはたくのをやめた。
「ニャーン。どちら様ニャー」
玄関の引き戸が開く音と、案内役のネコの声とがほぼ重なった。どうやらネコはイチゴらしい。あかねの脳裏に、あのちょこちょこと小股で歩く小さなネコの姿が再生された。
「ニャン? すっごくきれいな人ニャ。誰ニャー?」
どうやら来客は美人のようだ。双子が顔を見合わせたのと同時に、その声ははっきりと聞こえた。
「ごめんください、かわいい子ネコちゃん。私はハグロっていうのよ。よろしくね?」
その声はいわゆる、鈴を振るような可愛らしい響きではなかった。凜としていて、力強く、その内奥に培われた自信と優雅さと艶やかさが滲み出ているかのような声だ。それは玄関を越え、廊下を進み、襖をすり抜けて応接間にまで秒速331.45メートルで届く。
間違いようもない。それはハグロの声、ジェーニョファミリーを乗っ取った魔性の女の声である。
「出たニャアアアアアア!」
「怖いニャアアアアアア!」
恥も外聞もなく、ジェーニョ兄弟は悲鳴を上げてひしと抱き合った。一瞬で二人の表情は恐怖一色で塗り潰され、両目は瞳孔が開ききっている。
その様子を見て、あかねはふと、以前あったとある事件を思い出した。カゲフサと、その兄弟である駅前組合のマサツナが大喧嘩をしていたときのことだ。たかが小さな公園の所有権一つを巡り、大の大人のネコがみっともなく喧嘩をしていることにうんざりしたあかねは、ハクメンを呼び出して二人と戦わせることにしたのだ。
その場の空間をねじ曲げて顕現した祟リ大蛇を目にした二匹は、悲鳴を上げてしっかりと抱き合った。その声と表情は、今の双子の声と表情にきれいにオーバーラップしている。双子にとってハグロは、カゲフサたちにとってのハクメン並みに恐ろしい相手と化しているようだ。
御山の主に対して、そこまで恐怖するのは分かる。何しろハクメンとは、生ける災害のような化外である。目の前に雪崩か山崩れが轟音と共に迫ってくるのに、落ち着いて構えていろと言う方が不可能である。だが、ハグロがいくら高位の化外だとはいえ、さすがにハクメンほどの存在ではない。双子の怯え方は、いささか大げさである。
抱きついた双子の足元から、これで何度目かの白煙が爆発音と共に立ちのぼる。それを目にしても、あかねは驚く様子もなくハンカチを取り出すと口と鼻を覆う。異臭がするわけではないが、たき火の煙と同じでまともに浴びると煙たい。最初のうちは突然爆竹が爆ぜたような感じで驚いたが、日に何度も繰り返されると慣れてくるのも当然である。
煙の中から出てきたのは、ジェーニョ兄弟の本性であるオレンジ色の縞々というカラーリングのネコである。二匹に戻った二人は、お互いの顔をじっと見つめてからやおら離れる。まるで磁石のS極とN極のような動きだ。
「嫌ニャア! 連れて行かれるのだけは絶対に嫌ニャー!」
「怖いニャア! ハグロに会うのはもう勘弁して欲しいニャー!」
完全にパニックに陥った二匹は、わけの分からない言葉を吐き散らしながら、めったやたらに応接間を走り回る。まるで、ワサビかトウガラシでも舐めたネコが、水を求めてじたばたと暴れているかのようだ。
「どこか! どこか隠れる場所は! 隠れる場所はないかニャー!」
「どこでもいいニャ! 怖いニャ! 嫌ニャ! マンマミーアニャー!」
「大丈夫だよ、そんなに怖がらなくても。嫌なら嫌ってはっきり言えばハグロさんだって聞いてくれるよ」
双子のあまりの豹変に、半ば引きつつもあかねは無責任なことを言う。ここまで二匹が怯えているからには、それなりの理由がなきにしもあらずである。それなのに、あかねは「大丈夫だよ」などと安請け合いするので困ったものだ。
あかねの言葉を完璧に無視し、とうとう二匹はそれまで自分たちが座っていた座布団を持ち上げるなり、その下にするりと潜り込んでしまった。どこにも隠れる場所が思いつかなかったのだろう。極限まで体を丸くし、かつ極限まで体を平たくしたことによって、どうにかこうにか二匹は座布団の下に隠れることに成功した。
と言っても、ちらっと見ただけならばぎりぎり怪しまれない程度だ。数秒注視するならば、明らかにおかしな座布団である。その下に何かが――ネコにしか見えないが――隠れていることなど、小学生でも分かる。だが、ここは二匹にとってアウェーとなる街角組合の本拠地だ。とっさにこの方法しか思いつかなくても仕方がない。




