安請け合いは災いの元
最後の一匹が、ばたりと両腕を投げ出してうつぶせに倒れた。
「ごめん……ニャ。ウチは……ここまでが限界ニャ……」
芝生とキスしていたその黒猫は、それっきり尻尾を地面に垂らして動かなくなる。強力な麻酔弾は瞬く間に黒猫の意識を刈り取り、楽しい夢の世界へといざなっていった。
「おいおいおいおい、物足りないにも程があるぜ。腕がなまっちまう」
「なんだなんだなんだなんだ、この愛らしくも弱々しいChu-Shin-Guraは? せめてこの十倍は連れてきてくれよ」
硝煙の煙の向こうに、憎むべきカゲフサの仇がいる。今やハンゾーはたった一人で、松組のネコたちを壊滅させた二人と対峙していた。
異界にあるジェーニョファミリーの拠点。その緑溢れる芝生の庭に、松組のネコたちが死屍累々とばかりに横たわっていた。気合いは充分。やる気も充分。そして腕っ節も充分なはずだった。街角組合でも選りすぐりの腕っこきが名を連ねる松組だったが、たった二人によって全滅してしまったのだ。リーダーのハンゾーをのぞいて。
ネコの化外たちの喧嘩には、きちんとルールがある。特に重要なのは、やられたネコはやられ役を演じなくてはならないというものだ。たとえ意識があっても、体力が充分でも、やられたと判断したらちゃんと地面に横たわり、死体になりきらなくてはならない。そうしなければ、ただの喧嘩が流血沙汰に変わってしまうだろう。
だが、今松組のネコたちは死体役になりきっているのではない。彼らは皆眠っている。耳を澄ませれば、丸くなって眠るネコたちの寝息が聞こえてくるだろう。彼らの意識と戦闘意欲を根こそぎ奪い去ったのは、強力な麻酔弾だ。モルフェウスの庭園という、ギリシャの異界で咲くケシから取れた麻酔薬は、化外であろうとも耐えることはできない。
「残ったのは、お前だけだぜ。忠犬ならぬ忠ネコちゃん」
「マリア様にお祈りは済ませたかい?」
その松組を壊滅させた張本人は、嫌みっぽく笑うとハンゾーに拳銃を突きつける。銃の種類は、どうやらイタリア製のベレッタのようだ。それを両手に握り、四挺の銃口から立ちのぼる硝煙に身を浸すのは、ご存じジェーニョ兄弟である。
にやついた二人の表情に、逆にハンゾーの反骨精神に灯が灯る。
「舐めるニャ! こう見えてもボクは松組筆頭、カゲフサ親分の懐刀、街角組合のハンゾーニャ! お前たちみたいなへなちょこに負けるわけにはいかないニャー!」
ハンゾーは肉球を握りしめて息巻く。なぶり殺しにされるわけにはいかない、と言わんばかりの態度だ。
「そのわりには、俺たちがおたくの親分を撃ったときに何もしなかったよな」
「そうだよな。見てるだけだったよな」
「ニャー! それは言わないで欲しいニャー!」
一番痛いところを突かれ、たちまちハンゾーの声に泣きが入る。確かに、親分が銃撃されたときに何もできなかったくせに、松組筆頭だの懐刀だの叫んでも説得力は皆無である。
「――ねえ、ちょっといい?」
だんだんと緊張が緩みつつあるハンゾーとジェーニョ兄弟の会話に、向こうのプールの方角から声が加わった。ビーチパラソル付きのデッキチェアから、一人の人間らしき者が起き上がってこちらを見ている。派手なビキニ姿である上にサングラスまでかけて、現在進行形で日光浴中のハグロである。
彼女の水着は要所要所に華美なレースの装飾がしてあって、どことなく下着のようなデザインだ。しかし、ハグロは恥ずかしがる様子など欠片もなく、存分に自分の肢体を露出している。男性の目を釘付けにすること間違いなしのスタイルだ。特に、キュッとくびれたウエストが魅力的すぎる。あいにく、ネコのハンゾーはそこに魅力を感じないのだが。
ハグロはデッキチェアから立ち上がると、側に揃えてあったビーチサンダルを履き、芝生の上を歩き出す。その手が伸びると、地面に横たわった一匹の錆猫を抱き上げた。豊かすぎるバストに猫をうずめるようにして腕の中に収めると、サングラス越しに二人の方を見る。
「そろそろ飽きてきちゃった。手短に終わらせてもらえないかしら」
彼女は松組のヒットマンたちとジェーニョ兄弟の戦闘の一部始終を、プールサイドで横たわりながら眺めていたらしい。本人たちはいたって真面目な戦いでも、彼女にとってはただの暇潰しに過ぎなかったようだ。あんまりな物言いだが、彼女の言葉を受けてジェーニョ兄弟はすぐさま姿勢を正す。
「オッケー了解もちろんですとも!」
「ただいま今すぐかしこまりました!」
一瞬で二人の関心はハグロへと移り、次いでおまけとばかりにハンゾーに向けられたベレッタが火を噴いた。
「じゃ、さっさと寝てろ」
「グッバイ、子ネコちゃん」
「ギニャー!」
避けることもできずに、ハンゾーは全身に四発の麻酔弾を浴びる。
ばたり、とハンゾーは仰向けに倒れた。空を雲が流れていく。今日もいい天気だった。明日もいい天気だろう。明後日も、明明後日も。その雲の向こうで、半透明のカゲフサが笑いながら手を振っている。つられてハンゾーも手を伸ばし、ゆらゆらと左右に動かした。
「親分……さん……。待ってて……ニャ。ボクも今……そっちに……いく……ニャ……」
ハンゾーの目が閉じ、安らかな寝息を立てて体を丸めたのを確認もせず、ジェーニョ兄弟はいそいそとベレッタをしまい、ハグロの方に歩み寄る。対するハグロはと言うと、もう手の錆猫から興味を失ったらしく、ネコを元に戻してデッキチェアに横たわっていた。サングラスは前髪に引っかけてある。彼女の気性は、ネコ顔負けに移り気らしい。
「お待たせしました」
「何でも、お申し付け下さい」
惜しげもなく五体を見せつけるハグロの両脇で、二人はあたかも給仕のように控える。それまでは自分たちがトップであることを疑わず、たとえマンムトファミリーのボスであろうとも敬意の欠片も抱いていなかったこの二人が、ハグロの前では爪も牙も失った子ネコ同様である。
対するハグロも、二人の気色悪いまでの敬服を受けても眉一つ動かさない。そのすらりとした腕が伸びると、長い指が傍らのサイドテーブルに置かれていたワイングラスをつかむ。
「ついで?」
「喜んで」
「仰せのままに」
すかさず二人は側に置かれた白ワインのボトルを二本、それぞれつかむとハグロの持つグラスに中身を注いでいく。
ワインが七分目ほど注がれたところで、ボトルが持ち上げられる。それを待ってから、ハグロは静かにその中身を口へと持っていく。ゆっくりと、時間をかけて味と香りを楽しんでから、彼女はグラスを置いた。つくづく、ほれぼれするような優雅な動作である。有無を言わさぬ存在感がある。
「全滅みたいね」
ぽつりとハグロが呟いてから、目を庭にやる。そこには、丸くなって惰眠を貪る数多くのネコたちが転がっている。仇討ちの結果としては、何とも平和的な光景だ。
「もちろんさ。君に怖い思いは絶対にさせないよ」
「これが、オレたちの力量さ。たいしたもんだろう?」
すかさずジェーニョ兄弟は、ここぞとばかりに自分たちがいかに有能で素晴らしく、格好いいナイトであることをアピールする。
「ええ、なかなかできる方じゃないかしら。すごいわよ」
「お褒めにあずかり感謝感激」
「その言葉だけで、最高のご褒美さ」
耳がとろける、もしくは腐りそうな言葉が次から次へと二人の口から聞こえる。
ハグロがここ、レストラン・デルフィーノの支店、あるいはジェーニョファミリーの拠点を訪れるのはほぼ日課になっていた。本場イタリアの食材と技術を使った料理が、ずいぶんと気に入ったようだ。そして、日々過剰なまでにサービスを繰り返すジェーニョ兄弟もまた、とりあえずハグロの興味関心の対象となっているらしい。
彼女は、自分の出自や人となりについて話すことはほとんどない。ジェーニョ兄弟が彼女について分かっていることは、キツネの化外であること、大きなキャンピングカー(内部が異界化している)で暮らしていること、そして唸る程の膨大な資産を有していることくらいなものだ。
はっきり言って正体不明とほぼ同義の化外なのだが、ジェーニョ兄弟はハグロのプライベートな部分を根掘り葉掘り聞き出すことはない。「女性には秘密が付きものさ」「そしてそれが、女性をより美しくするのさ」とでも思っているのだろう。けれども、冷静に考えれば、どこの誰とも分からない女性にここまでサービスをするのは異様だ。
だが、それも仕方がない。不思議なことに、ハグロには、他者に仕えてもらって当然、というある意味とてつもない傲岸不遜な雰囲気が常に漂っているのだ。それがたとえ、つい先日会ったばかりのネコの化外に対してであっても例外はない。そして逆に、ハグロの側にいると、彼女に仕えるのが当然と何となく思わされてしまう。
一歩間違えれば、ただの傲慢な鼻持ちならない悪女なのだが、どういうわけかハグロはそれを嫌みなく当然のように行使しているのだ。言わば、天然の女王とでも形容するべき気質だ。それにまともにあてられたジェーニョ兄弟は、ご覧の通り彼女から賞賛されるべく、こうして食事からプールからサービスから、あらゆる形で彼女に仕えているのである。
白ワインで喉を潤したハグロは、満足げな表情と共にグラスをサイドテーブルに戻す。ワインのボトルには、「冷却」と書かれた札が貼られている。化外たちが使う、術の効果を閉じ込めた〈印紙〉と呼ばれるものだ。これが効果を発揮している限り、冷蔵庫がなくともボトルの中身はほどよい温度に保たれたままだ。
身を捻ると、ハグロは今度はデッキチェアの上でうつぶせになる。満腹になったヒョウが体を伸ばすのとよく似た動作に、ジェーニョ兄弟の視線がそちらにぴたりと固定された。執事を侍らせる財閥の令嬢、とでもいった感じだろう。自分が呼びつけたはずのジェーニョ兄弟に、もう関心はないようだ。
「それにしても、君は本当に不思議で魅力的なレディだ」
「まったくだよ。なんてミステリアスで美しいんだ」
臆することのないハグロの態度に、思わず二人の口から賞賛と共に驚きの言葉がもれる。
「そう?」
対するハグロの言葉はそっけない。自分という存在に自信があるため、他者の評価をさして必要としない者の口調だ。
「今まで、何人の化外に同じことを言ってきたのかしら。この色男さんたち」
「おいおい、この賛辞が合う相手なんて一人だけじゃないか」
「そう、君以外にこんな言葉は囁けない。オレたちは嘘がつけないからね」
どこまでも二人はハグロを褒めたたえる。彼女を一人の化外としてではなく、トロフィーとして愛でている。
ハグロは、まさに二人にとってトロフィーだった。ここ鬼灯町を支配し、ファミリーのボスとなったご褒美。それがハグロだった。二人はもう既に、金も、子分も、組織も、権力も手に入れた。次に欲しいものは、自分たちを愛してくれ、かつ自分たちが愛せる女性だ。突如現れたハグロは、二人の欲望のマドンナ像にぴったりと合致していたのだった。
「こういうことを聞くのは、レディに失礼かもしれないんだが――」
しかし、ここで二人はさらに興味をいだく。自分たちの手に収まったマドンナが、いったい何を考えているのかを。
「いったい、君はなぜ鬼灯町に来たんだい?」
兄の疑問は弟の疑問でもある。ぴったりと息を合わせて、二人はハグロに疑問を投げかけた。
「ええ、簡単なこと。探し物よ。欲しいものがあるの」
薄目を開けて、何でもないかのようにしてハグロはそう答えた。彼女は存在感こそ圧倒的だが、妙に希薄なところも持ち合わせている。何を考えているのか分からない。何を望んでいるのかも分からない。しかし、ハグロの口から出てきた言葉は「探し物」であり「欲しいもの」だった。
これを見逃す手はない。二人は彼女の言葉に飛びつく。
「その探し物、俺たちに任せてくれないか?」
「どんなものであろうとも、必ず探し出してみせるとも」
「そうさ。君のためなら、君の望みを叶えるためなら、何だってするよ」
「オレたちの誠意、分かってくれるかな。分かってくれるよね?」
矢継ぎ早に繰り出される二人の言葉を浴びて、ハグロは不意に上半身を起こした。静かに目を見開くと、二人の顔をまじまじと見る。その瞳の色は金色だ。明らかに人間とは異なる色をしている。彼女が人をかたどった姿をしているものの、その本質において人とはかけ離れた化外である証拠だ。
どこか、子供のように純真な瞳だった。あれだけ厚かましいほどに堂々としていて、他者が自分に仕えることを当然のように受け止めている化外なのに、その目だけは澄みきっていて、背筋が凍るほどに美しかった。輝くような視線にさらされて、ジェーニョ兄弟はたじろぐ。後ろ暗いことを数多く行ってきた二人の反応としては、当然のものだろう。
「ふ~ん…………」
しかし、それ以上ハグロは何かすることはない。じっと二人の顔を穴が開くほどに見つめているだけだ。
「…………意外といいかもね」
そう呟くと、彼女は視線を逸らし、目を閉じた。何がいいのか、そもそもなぜ二人の顔を見つめたのか。それをハグロが二人に説明することは、ついぞなかった。




