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誰だって叱られに行くときは足が重たくなる





「浮かない顔をしているな」


 昭和を思わせる鬼灯町の商店街を歩きつつ、ノリトは隣のあかねに声をかける。二人とも制服のままだ。下校がてら、カゲフサの家にまで出向く予定である。バッティングセンターの休憩場で、カゲフサがジェーニョ兄弟に襲撃されてからすでに二日が過ぎた。ネコたちの噂話によると、親分は未だぐっすり就寝中らしい。


 あかねには今日の昼休みに、一緒にカゲフサのところにまで来てくれるよう頼まれた。二つ返事で了承したが、それ以後まともに会話した回数は数えるほどしかない。ノリトはあかねの部活が終わるまで図書室で暇を潰し、頃合いを見計らって校門近くで待っていた。だが、あかねと合流した後も、ノリトの口が動く回数は一人でいた時とさほど変わらない。


 いつもならば隣を歩きつつ、あかねはノリトに今日あったことを身振り手振りを交えて熱く語っているはずだ。あかねとノリトは、同じクラスではない。それが良かったのか悪かったのか、ノリトは判別できなかった。一緒ならば四六時中隣で実況中継をされるのかもしれないし、一緒ではないからこそ、あかねの弁に熱がこもるのかもしれない。


 二人はどこまでも対照的だ。女子と男子。健康的に日に焼けたあかねと、どことなく不健康そうで色白のノリト。人なつっこそうで快活なあかねと、いつも不機嫌で近寄りがたい雰囲気のノリト。極端に着崩しているわけではないが、ややラフな感じに見えるあかねの制服と、隅から隅まできっちりと校則通りのノリトの制服。


 二人のカバンもそうだ。そもそもノリトはあかねと違い、カバンを背負わずに長く伸びた尾の先端に引っかけている。彼のカバンはきれいに手入れされ、余計な付属品もなければ落書きや傷もない。いつ風紀委員や教師からチェックされても困らない、学業に専念する中学生のお手本のような代物だ。


 一方、あかねの背負っているカバンは、厳しい教師が見たら眉をひそめたくなるようなものだ。カバンの両脇には、ゴテゴテとありとあらゆるアクセサリーが無目的かつ無作為に取り付けられている。本人は面白がってくっつけているのだろうが、端から見れば邪魔なようにしか見えない。


 あかねはおしゃれに対してはごく普通の女の子だが、ことアクセサリーになると過剰になるようだ。そのセンスも振るっている。妙にカラフルなグレネード。コミカルなくせに、細部にこだわりを感じる戦車。ファンタジックで、魔法の杖のような形のピストル。マシンガンを構えたブサイクなネコに、ロケットランチャーを構えたやはりブサイクなキツネ。


 あかねなりに統一したものでデコレートしているようだが、なぜミリタリーグッズっぽいものばかりなのかノリトには理解できなかった。どうせ、「女の子のためのミリタリーコーディネート」とか「今年の夏はかわいいミリタリーグッズに注目」などと書かれたファッション雑誌の影響だろう。本物のミリタリーファンが見たら、首を傾げるに違いない。


「腹痛か? いくら空腹だからって、拾い食いだけはやめておけよ。ネコだってそんなことはやらん」


 いつもの打てば響くような返答があかねから返ってこないので、ノリトはさらに付け加えた。


「してないってば!」


 ようやく、あかねはノリトの方を向く。手に持った和菓子の紙袋が揺れた。


「じゃあ、なんでそんなしけた顔なんだよ。お前らしくもない」


 そう言いつつも、ノリトは口の端に苦い笑いを浮かべる。何が「らしくもない」だ。自分はあかねでもなければ、その親類縁者でもない。ましてや、同じ人間ですらないのだ。それなのに、あかねの何が分かるというのだろう。何をもって、あかねらしいと言えるのだろうか。ただ、あかねはこうふるまうに違いないと勝手に決めつけているだけだ。


 しかし、ノリトのそういった複雑な感情は、生憎とあかねには何一つ伝わっていなかった。あかねはしばらく考えた様子だったが、やがて口を開く。


「……お父さんとお母さんに怒られたから」


 真っ正直な答えだ。ノリトの言葉に、「私らしいってなによ。ノリト君に私のなにが分かるの?」などという疑問は一切抱かなかったらしい。


 あかねが両親に怒られた。そう言われ、ノリトは彼女の父親と母親の顔を思い出してみた。疎遠ではないが、だからといってさして親しくもない二人だ。次いで二人の顔を、額に青筋を立てて激怒した表情に変えてみる。結果、その顔面はどちらも曖昧模糊としたものになってしまった。ノリトからすれば、あかねの両親が怒る顔を想像できない。


「いい薬になったんじゃないのか」


 あかねの言葉に対する、ノリトの第一声がこれである。案の定、あかねは不満そうな顔で彼の方を睨む。


「なにそれ。慰めてくれたっていいじゃない」


 無遠慮なその要望は、それだけノリトと親密な証だろう。


「見習いを甘やかすなって、大社から釘を刺されているんでね」


 ノリトは肩をすくめてみせる。


「いったい何をやらかしたんだよ。家を追い出されたんだったら……」

「……泊めてくれる?」


 勝手にあかねが続けた後半の部分を、ノリトは手を振って打ち消す。


「違う。一緒に頭を下げてやってもいい、って言おうとしたんだ」


 口調こそ辛辣だが、提案自体は優しい。ノリトとしても、あかねがこのまま落ち込んだままなのも寝覚めが悪いからだ。


 それにしても、人の家に勝手に上がり込もうとするあかねの根性に、ノリトはほとほと呆れる。まさに、家人に軒を貸してもらったら、母屋にまで侵攻を開始する野良猫のやり口そのものだ。目を離すと、いつの間にか布団の上で丸くなっている。ましてや、異性であるノリトに対してこれだ。あかねはまったく、そういったところに遠慮がないらしい。


「ありがと。そこまで怒られたわけじゃないから。でも、『お前の態度は守役見習いとしての自覚が足りなすぎだ』って言われちゃった」


 ノリトの言葉の棘など平然と踏み越え、あかねは彼の好意だけを抽出して受け取る。


「ああ……なるほどな」


 その一言で、ノリトもあかねが何で怒られたのかを理解する。結局それか。


「確かに、親分同士が喧嘩する程度ならまだしも、あのイタリアのクズどもがカゲフサに手を出したってのはまずかったな。ましてや、俺とあかねが見ている目の前で、だ」


 あかねの両親は、二日も前のことを今頃怒ったのだろうか。それとも、あかねの両親への報告が今日だったのか。はたまた、二日前に怒られたことをあかねが今頃反芻しているのか。


「そういうこと。でも、私が悪いんだから仕方ないんだけどね」

「殊勝なことを言う奴だな。明日は雪か?」

「からかわないでよ。それ、どういう意味?」

「さあな、好きなように解釈してろ」


 三つある可能性のどれが正解かを追求する気にもなれず、ノリトは適当に言葉を締めくくる。あかねの機嫌も、だんだんと治ってきたようだ。


「…………まあ、ご両親の機嫌がどうしても直らないようならこう言っておけ。『目付のヘビに何かあったら飛び出すように言っておいたけれど、肝心な時によそ見をしていてまるで役に立たなかった。ふざけるな金返せ』ってな」


 ついでとばかりに、ノリトはそう付け加える。要するに、非難の矛先を自分に向けるようにという提案だ。


「え? だ、駄目だよそんなの。ノリト君が悪者になっちゃうでしょ?」


 ノリトの提案に、あかねは目を丸くして反論する。そのような発想は、まったく思いつかなかったようだ。


「目付ってのは、初めっからそういう損な役回りなんだよ。気にするな。どうせ一週間もすれば、丸く収まる」


 ノリトは、やや自嘲気味にそう言う。ノリトはヘビの化外だが、常時人間の姿で生活している。彼のような化外は、大社の中では境界線上の住人、すなわちマージナル・マンとして扱われることが多い。ヘビにしてヘビに非ず、化外にして化外に非ず、といった具合だ。元よりヘビの性は孤独だが、大社という同族の組織においてもノリトは孤独である。


 化外の側に近づきすぎた人間が化外側に引きずり込まれるように、人間に近づきすぎた化外は人間側に迷い込んでいるのではないか。大社はノリトを目付として用いつつも、同時に疑っているような気がする。ただ、ハクメンだけは違う。あの大蛇の形をした生ける災厄は、ノリトの居場所に対する苦悩など無関心だ。あれはあれで完結している。


「駄目です! 守役として、目付に罪をなすりつけるような卑怯な真似はできません!」


 ノリトの秘めた悩みなどまったく意に介さず、あかねはさらに大声を張り上げてノリトの案を蹴る。


「分かった分かった。耳元で怒鳴るな。まったく、変なところで真面目なんだよな、お前は」


 そのあまりの騒々しさに、さっさとノリトは持論を撤回した。


「普通だよ、そんなの。女の子として、当たり前のこと」


 あかねはスレンダーな胸を張って、得意げな顔をする。つくづく、頭の中身が残念な守役見習いである。側にいると、こちらまでネコレベルにまで知能が低下しそうになる。だが、それでも。ノリトを悪者にしようとした案をあかねが迷わず拒否したことは、少しだけノリトの口元を笑みの形に変えた。


「……実際、俺が何とかすればよかったんだろうけどな」


 だからだろう。ノリトはもう少しだけ言葉を続ける。


「う~ん、そんなことないと私は思うけどな」


 しかし、あくまでもあかねはノリトに責任を転嫁しようとはしない。首を傾げつつ、あかねは慎重に言葉を選ぶような感じで、ゆっくりと口を開く。


「ノリト君が勝手にカゲフサさんをかばったりしたら、守役がカゲフサさんだけをえこひいきしているって言われちゃうんじゃないかな。私たちは公平じゃないといけないと思うんだ。だから、あれで仕方なかったんだよ、きっと」


 あかねはやや上目遣いで、ノリトの方をじっと見る。


 確かにそうとも言える。口さがない上に、悪知恵だけはよく回りそうなジェーニョ兄弟である。ノリトは、もし自分があの場面でカゲフサをかばったらどうなるか想像してみた。次の日からジェーニョ兄弟は、ノリトたちがカゲフサに買収されていると周囲のネコたちに触れ回るに違いない。そうやって、街角組合の信用を失墜させるつもりだ。


「あ~あ、もっとがんばらなきゃ駄目だなー」


 具体性の欠けた今年の抱負と共に、あかねは両手を挙げて大きく伸びをする。昼寝から目を覚ましたネコが、おもむろに体を伸ばすのにそっくりの動作だ。


「お前のがんばりなんてたかが知れてるだろ」

「分かってるけどさ。せめて気持ちだけ」


 つい、口を開くと憎まれ口になってしまうのがノリトの性だ。


「だから、せいぜい周りをこき使え。お前にはそっちの方がお似合いだ」


 だが、ついでとばかりに、ノリトはあかねに入れ知恵をする。


「ノリト君もこき使っていいの?」

「当然だろ。俺はそのためにいるんだ」


 軽口を叩きつつ、二人は揃って足を止める。商店街はいつの間にか終わり、二人は小さなお寺の前に立っていた。


 その山門の前で、あかねは二度拍手を打つ。


「――開き給え。――招き給え」


 そう小さく呟くと、あかねは一歩を踏み出して山門をくぐる。少し遅れてノリトも続く。一瞬だけ、ノリトの五感が混乱する。周囲の光景が飴のように歪み、ねじれ、そして元に戻ったとき、それは一変していた。お寺と山門は消え失せ、二人が立っているのは大きな屋敷の玄関だ。


 ノリトとあかねは抜ケ道と呼ばれる専用の通路を使い、現世と異界とを隔てる壁をすり抜けたのだ。周辺の町並みはおおよそ似通っているものの、どれも古風な和風建築に、不思議な幻想を加味したものとなっている。ここは異界。鬼灯町の裏側。そして、化外たちが悠々と闊歩する彼らの世界だ。


 あの拍手と、「――開き給え。――招き給え」という文言。それが、異界への通路である抜ケ道を開く鍵だ。もっとも、それは人間であるあかねに限る。そもそも現世に出てこられる化外たちは、こんな過程を経なくても抜ケ道を通ることが可能だ。人間には見えない抜ケ道が、ノリトたちにはおおよそ知覚できる。


「よし、行くぞ」


 あかねはいったん手に持っていた和菓子の紙袋を地面に置くと、軽く頬を両手で叩いて気合いを入れた。まるで、これから乾坤一擲の試合に臨むスポーツ選手のようだ。そうしてから前を見据え、大股で表門をくぐる。豪放な造りのその門には、「石上」と書かれた表札が下げられていた。ほかでもない、カゲフサの住まいである。






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