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古くは「傾城」あるいは「傾国」。今は「傾ファミリー」(その2)





 玄関のドアは、それまで細く遠慮がちに開かれただけだった。まるで、来客を歓迎しない中の雰囲気を感じ取ったかのようだ。しかし、ちょこちょこと近づくタマニャンが見えたらしく、外にいるはずの人物は、大きくドアを開け放つ。それと同時に足が伸ばされ、レストラン兼拠点、いや拠点兼レストランの中へと踏み出されていく。


 その全身が、ドアをくぐり抜けて店内に収まるや否や。


「ごめんニャさいニャ、お客さん。今日はうちのレストランは、ジェーニョファミリーの貸切になっているニャ。悪いけどまた今度にし――――ニャ?」


 来客とジェーニョ兄弟たちのいるテーブルとの間に立ちはだかったタマニャンの首根っこが、後ろから伸びてきた手につかまれた。


「ニャ? ボ、ボスさん? なんニャ?」


 つかんだのはジェーニョ兄弟の弟だ。彼はまったくの無言、まったくの無表情で、来客を追い返そうとしたタマニャンを片手で持ち上げる。続いて流れるような動作で、兄がテーブルから離れると、すぐ近くにあったトイレへと続くドアを開ける。弟と同じくまったくの無言、まったくの無表情のままだ。


 兄がドアを開けるや否や、弟はそちらを見もしないでタマニャンを放り投げた。


「なんでニャン!?」


 その叫びはもっともだが、二人は一顧だにしない。幸いトイレと店内の間に洗面所があったため、彼女がブラシ代わりにトイレ掃除をする羽目にはならなかった。洗面台に着地したタマニャンに反論のいとまを与えず、兄は素早くドアを閉める。


 ボスの突然の凶行に、他のネコたちはどうしていいのか分からず固まっている。いや、一匹をのぞいて。


「プニャ~、とってもおいしいニャ。澄み切った喉越しと豊潤なホップの香りが鼻孔をくすぐって爽やかな晩秋の平原を思わせる深い味わいと満足感を与える格別のビールニャ。この為に生きていると言っても過言じゃないニャ」


 ソムリエよろしく饒舌にビールの感想を述べたのは、一匹の焦げ茶色のデブネコだった。どうやら、おあずけになった乾杯の続きが待ちきれずに、みんなより先に一杯飲んでしまったらしい。大福のようにたるんだ三段腹を振るわせて、デブネコは長々とげっぷをしつつ空のグラスをテーブルの上に置く。


「ボスさん、もう一杯おかわりプリーズニャ。なみなみと注いでほし――――ニャ?」


 厚かましくもおかわりを要求したデブネコの首根っこが、伸びてきた手につかまれた。


「ニャ? ボ、ボスさん? なんニャ?」


 つかんだのはジェーニョ兄弟の弟だ。彼はまったくの無言、まったくの無表情で、七キロ以上はあるデブネコを片手で持ち上げる。


 続いて流れるような動作で、兄がすぐ近くに設置された外へと続く窓を開ける。弟と同じくまったくの無言、まったくの無表情のままだ。兄が窓を開けるや否や、弟はそちらを見もしないでデブネコを放り投げた。


「ひどいニャン!?」


 その叫びはもっともだが、二人は一顧だにしない。外のデブネコに反論のいとまを与えず、兄は素早く窓を閉める。


 二人はやはり無言で席に戻る。続いて、まったく同じタイミングで服の内ポケットから取り出したのは櫛だ。素早くジェーニョ兄弟は髪型を整えると、軽く服の埃をはたく。きちんと、テーブルに並んだ料理にかからないよう少し下がるのは忘れていない。最後にサングラスを取り出すと、二人は気取った仕草でそれをかける。


「いらっしゃいませ、レストラン・デルフィーノの支店へようこそ」

「歓迎するぜ、マドモワゼル」


 そろって一礼する二人の先にいるのは、例の来客だ。先程までの邪魔者を扱うかのような邪険さは影を潜め、今そこにあるのは純粋な歓迎と、隠しようもない下心だ。ぜひお近づきになりたい、ダンディーな自分たちを見て欲しい、という内容の。


 二人の歓迎と下心を向けられた人物は、気障ったらしい二人の仕草に眉一つ動かさなかった。常人ならばやや引くか、当惑するだろう。しかし、彼女は当惑はおろか何の感情も抱いていないようだ。まるで、歓迎されて当たり前、とでも思っているかのように。相当に図太いのか、自分に自信があるのか、あるいは驕慢なのか。


 だがそれも、彼女の容姿を見ればうなずけるだろう。そこに立っていたのは、一流のファッションモデルも霞むほどの、見事に均整の取れたプロポーションの女性だった。全体的に痩身で、特にサブリナパンツというやや裾の短いスラックスに覆われた脚は細くて長く、存分に脚線美を見せつけている。細いからと言って、決して貧相な体形ではない。


 むしろ、上半身のバストは豊かなだけでなく完璧なまでに形が整っていた。おまけにウエストは、服の上からでも分かるほどくびれている。どことなく毒針を隠し持ったハチを思わせる、美しいだけではなく攻撃的な形だ。その下の、腰からヒップにいたるラインも非の打ち所がない。およそ、男性が思い描く理想的な女性の肢体がそこにあった。


 長い髪が後ろに流れると、上品な香水の匂いが周囲に漂う。その下にある顔も、体形と同じく徹底的に磨き抜かれていた。化粧はしているが、華美にはなっていない。下地を活かして伸ばすよう考えているのがよく分かるメイクだ。やや吊り目なところも、彼女の勝ち気そうなところがよくあらわれている。赤いリップを塗った唇は、鮮やかで魅力的だ。


 年齢は、おおよそ二十代半ばほどだろう。成人した女性の落ち着きと優雅さと、まだ抜けきっていない少女の天真爛漫さが見事にかみ合った美貌の持ち主だ。これならば、お調子者のジェーニョ兄弟が祝宴をなげうって店内に招こうとするのもよく分かる。二人ならずとも、大部分の男性は喜んでそうするに違いない。……恐ろしいことに、ごく自然に。


「いいのかしら? 貸切じゃなかったの?」


 その口が開くと、はきはきとした耳障りのよい声が聞こえる。丁寧なようでいて、強い自負が感じられる声だ。


「イエス、貸切さ。それもたった今、な」

「ウィ。たった今、貸切になったんだ。君のためにね」


 歯の浮くような台詞をジェーニョ兄弟は言う。今からここは、彼女のためのレストランになったらしい。


「そう。なら、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」


 女性はさっさと追求を打ち切り、二人の方に歩みを進める。静まりかえった店内で、彼女の履いた靴のヒールが床板を打つ音だけが響く。すかさずジェーニョ兄弟の兄の方が、デブネコが座っていた場所の椅子を引く。続いて兄がグラスを取り替え、ついでとばかりにナイフとフォークも取り替える。


 女性は引かれた椅子の上に、悠然と腰を下ろした。給仕付きの食事など慣れている、と言わんばかりの落ち着いた物腰だ。


「おい、お前ら。適当にやってろ」

「そうそう。ただし、オレたちの邪魔はするなよ」


 投げやりな調子で、二人は子分たちに命令する。もう眼中にないレベルだ。そう言われて、ややぎこちなくネコたちは食事を開始する。


 普段は一匹一匹に愛情のこもった眼差しを注ぐ二人だが、今日は違う。もっとも、その愛情は子分たちを一匹のネコとして見ているからではなく、自分を飾り立てる所有物として見ているだけだが。ネコたちを無視し、兄は女性の右隣に座る。続いて弟が、テーブルの反対側から椅子やら皿やらを持ってきて、彼女の左隣に座る。


「ウェルカム。オレはアントニオ。ジェーニョ兄弟の弟だ」


 間髪入れずに弟が自己紹介すると、負けじと兄も続く。


「そして俺がマルコ。ジェーニョ兄弟の兄の方だ。よろしくな」


 兄の手がビールを注ぎ、弟の手がグラスを女性に差し出す。当然のように女性はそれを受け取り、口をつける。半分ほど飲んでから、そっとテーブルの上に置いた。


「――へえ。いいじゃない。おいしいわ」


 さっきのデブネコのように、あれこれと無駄に言葉を飾ることのない、素直な感想がその口から聞こえた。こうやって嬉しそうな顔をすると、それまでの蠱惑的な感じが抜け、むしろ少女のようなはつらつとした感じが表に出てくる。本当に、ころころと変化するつかみ所のない女性だ。


「君の口に合うようなら、なによりさ」

「さあ、次は料理も召し上がれ。全部俺たちの手作りだぜ」


 どこまでも甘ったるく、ジェーニョ兄弟は女性にサービスする。二人はぴったりと女性に密着してはいるが、それでもなれなれしく肩を抱いたりはしない。さすがに、最低限の礼儀はわきまえているようだ。そこまでスキンシップを取るのはセクハラだ。


「そうだ。もしよければ、君の名前を聞かせてくれないかい」

「きっと、その外見通り素敵な名前だろうけどね」


 しかし、きっちりと名前を聞くのは忘れていない。そもそも、最初に名乗ったのは女性に自己紹介を促すためだろう。ビールの感想で立ち消えになってしまったのだが。


「ええ。私だけ名乗らないんじゃ、不公平だものね」


 女性は嫌がる様子もなく応じる。しばらく考えてから、口を開く。


「……ハグロ。それだけでいいわ。本当はいろいろと長いけど、今はまあ、休暇中みたいなものだから」

「ハグロか……。予想通り、とてもチャーミングな名前だよ」

「君にぴったりだ。カプリ島の青の洞窟を思わせる響きじゃないか」


 どこがどうハグロと青の洞窟が結び付くのか理解しがたいが(日本人がハグロと聞いて思い描くのは羽黒山だ)、ハグロを褒めたたえる二人の口はよく回る。歯が浮くどころか全身が浮きそうなお世辞を浴びせられても、当のハグロは恥ずかしがる様子もなければ、かといって舞い上がる様子もない。言わば馬耳東風。右から左へと聞き流している。


 ――――しかし。得意の絶頂にこそ、破滅の種子はまかれる。二人が入れあげている彼女こそ、あの匂宮太夫がハクメンに語った、とんでもないじゃじゃ馬に育ってしまった孫娘なのである。その名は戌亥葛葉綾鼓太夫黄玉宮羽黒。正真正銘の「傾国」にして「魔性の女ファム・ファタール」。到底、ジェーニョ兄弟如きが扱いきれる女性ではなかったのだ。






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