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ネコ+麻雀=マーニャン?





 目の前に並んでいる牌一つ一つが、コタローの目と耳とヒゲに訴えかけている。『ボクを捨てないでね♪』と。きれいなアメリカンショートヘアのコタローは、その大きな目をいっぱいに見開いて手元の牌を見つめていた。


「早くするニャ」


 既に後一歩で上がりだと宣言した、真っ正面にいるでっぷり太った黒猫が、にやにや笑いつつこちらを見つめている。


「ニャ……」


 コタローは震える手を伸ばし、肉球で「ネズミ」の牌に触れる。いやいや、これはいかん。既に二つ手元にあるし、「ネコ」と合わせて「窮鼠」のセットになる。せっかくのいい役なのだから、手元に置いておきたい。ならばやっぱりこちら「ニボシ」だろうか。でも、さっきこれと同じ絵柄の牌を捨てたらまたニボシが出た。


 何だか、今の自分はニボシが来やすい状態のようだ。証拠にヒゲもぴくぴく震えて、このニボシが勝負をひっくり返す牌になると告げている気がする。じゃあ、ここはあえてネコか。それとも大事に取っておいた「スズメ」か。どうしよう。どうするべきか。コタローは、肉球にじっとりと汗が浮かび上がっているのを感じ取って身を震わせる。


 住宅地の一角にある駐車場。既に日もとっぷりと暮れ、街灯の光もこの隅っこには届かない。けれども、夜行性のネコたちにとってはその暗闇も、ゲームをする支障にはならなかった。白いワゴン車の影に隠れるようにして、麻雀卓を思わせるボードがアスファルトの地面の上に置かれ、その四方をあぐらをかいたネコたちが囲んでいる。


 胴元らしきデブの黒猫。その両脇に白猫と三毛猫。そしてアメリカンショートヘアのコタロー。いずれも自分の目の前に牌を並べ、今まさにゲームの真っ最中だった。ただし麻雀ではない。麻雀とよく似た、それよりもずっと簡単なボードゲームだ。さしずめ麻雀ならぬマーニャンか。


 ついに、コタローは決断した。スズメだ。こうなったらスズメを捨ててやる。これできっと次はネズミが来るに違いない。


「ニャッ!」


 気合いも充分に、コタローは手元のスズメが描かれた牌を肉球でつかむと、振りかぶるようにして捨てた。それと同時に、待ってましたとばかりに黒猫が口を開く。


「そのスズメもらったニャ」


 その太い腕が伸びると、コタローの捨てたスズメの牌をつかむや否や自分の牌に加え、次いでそれらを一度に倒す。


「スズメ、ネズミ、トカゲ。『よりどりみどり』で上がりニャ」


 セットの役が宣言され、黒猫の勝利が決まったその瞬間に、コタローは二本足で立ち上がって叫んだ。


「そんなのってないニャアアアアアアッ!」

「何が『そんなのってない』ニャ!?」


 唐突なコタローの暴言に、今まさに勝利を得た黒猫は耳をピンと立てて大声を上げる。だからといって、コタローのように立ち上がることはない。声だけは大きいが、小柄でぬくぬくと飼い猫生活を満喫しているコタロー如きが、〈街角組合〉で縄張り争いに明け暮れるネコに迫力でかなうはずがない。


「兄ちゃんはイカサマなんてしてないニャ」

「そうニャ。何か文句があるかニャ? ニャあン?」


 たちまち両側にいた黒猫の取り巻きが、口を揃えて黒猫の肩を持つ。二匹の言っていることは本当だ。このゲームにイカサマはまったくない。純粋に、コタローの腕が未熟なのと、黒猫の運の良さが相互に反応して、この勝利が導き出されただけである。


「な、ない……ニャ…………」


 三対一の口喧嘩にかなうはずもなく、しおしおとコタローは肩を落として再び座り込む。


「じゃあ、お前のドングリはオレのものニャ」


 黒猫はコタローの脇に置かれていた皿に手を伸ばす。そこには点棒やチップ代わりのドングリが盛られていた。


「ニャァァ……」


 呆然とコタローは、自分の財産が奪われていくのを見ていた。


 突然、黒猫の手が止まる。


「ん? 何だかドングリが足りないニャ?」


 なんと、コタローの背負い込んだ負債は、手持ちのドングリを全部費やしても払いきれないようだ。


「あ、なら、今買うニャ…………」


 コタローは体を捻って振り返ると、地面に置かれていた紫色のがま口を口にくわえて、脚の間にぽとりと落とす。


 しかし、コタローががま口を開いた瞬間、その背中の毛が威嚇するヤマアラシのようにぶわっと逆立った。がま口の中は、完膚無きまでに空っぽだったのだ。いつの間にか、最後の一銭まで使い込んでいたようだ。


「ん~、もしかしてもしかして」

「もしかして、オケラニャ?」


 両脇からがま口をのぞき込んだ二匹のネコが、それぞれはやし立てるようにして状況をあおり立てる。


「素寒貧ニャ? すっからかんニャア?」

「ニャ……ご、ごめんニャ」


 黒猫の言葉に、なすすべもなくコタローはうつむいた。何とも居心地の悪い空気が、駐車場の隅に立ちこめる……のも数秒間だけだった。


 けろっとした顔で、コタローは頭を上げるとこんな暴言をのたまった。


「ツケにして欲しいニャン? ニャンニャン?」

「無理に決まってるニャア!」


 自分よりも二回りは小さなコタローのふてぶてしい言葉に、黒猫は耳を角のように鋭く立てて怒鳴った。


「そんなこと絶対に許さないニャ!」

「この期に及んで何を言っているニャ!」

「そもそもお前、今月はツケを溜めすぎニャ!」

「この上まだツケを溜めようなんて不届き者ニャ!」


 左右のネコたちも口々にコタローをなじる。一見すると賭場に迷い込んだ若造が骨の髄までしゃぶられているようだが、これは純粋にコタローが悪い。身の丈に合わないゲームをして、しかもツケを踏み倒そうとしているだけだ。


「ちょっと今回は運が悪かっただけニャ! 次は必ず取り返すニャ! チャンスニャ! チャンスがもう一回欲しいニャ! 一発逆転ニャッ!」

「ふっざけるニャ! そんな減らず口をたたく暇があったら、まずは今回の負けた分と今月のツケ、ちゃんと払うニャ!」


 コタローの現実を直視していないアホな言葉に、黒猫は耳だけでなく尻尾の毛も立てる。


「そうニャ。勝負したかったらまずはツケからニャ」

「払うニャ。明朗会計ニャ」

「ニャ……ニャ……」


 三方から浴びせられる言葉の機銃掃射に、ついにコタローは屈した。バタン、と擬音が付きそうな勢いでその場に顔面から突っ伏すと、両手を前方に突き出し万歳をしているような、土下座をしているような格好を取る。


「ごめんニャ! 許して欲しいニャ! この通りニャ!」


 その外見は、少しだけある昆虫に似ている。コオロギやバッタの仲間で、普段は地中に潜っているケラという昆虫だ。その両腕を広げた姿は、ばくちで身ぐるみ剥がれた人間に似ていることから、ばくちに負けることを「オケラになる」とも言う。どうやらコタローはネコからケラに退化したらしい。


 さすがに可哀想になったのか、黒猫と両脇の二匹は黙る。


「だからニャ……だからニャ……」


 その隙を、コタローは見逃さなかった。ここを先途とばかりコタローは顔を上げると、精一杯のかわいい笑顔を浮かべてこうのたまった。


「今回の勝負はチャラにして欲しいニャン? ニャンニャン?」

「絶っっっっ対に駄目だニャアアア!」


 懲りない、まったくもって懲りないコタローの態度に、ついに黒猫の堪忍袋の緒が切れた。


「ニャアアアッ!?」


 凄まじい怒号に、コタローは仰向けにひっくり返ると、ぴくぴくと手足を振るわせる。その新聞紙ではたかれたゴキブリのような仕草を見下しつつ、むくり、と黒猫が立ち上がった。


「サッカーするニャ」

「するニャ」

「ボール遊びニャ」


 続いて残りの二匹も立ち上がった。それまでの様子とは打って変わって、黒猫はむしろ静かになっていた。だからこそ、物言わぬ迫力が伝わってきてコタローは尻尾を振るわせる。サッカー? 突然サッカーとはどういう意味だろうか。忙しげに周囲を見回すコタローの前に立ちはだかると、黒猫はぎゅっとその両耳をつかむ。


「だからニャ……」


 同時に、素早く二匹のネコがコタローの両脇に回り込むと、その両腕をつかむ。


「ボールはお前ニャ」


 サッカー。その言葉の意味を一瞬で理解したが故に、コタローは叫んだ。


「ニャー! ニャー! 嫌ニャ! 嫌ニャー!」

「お前をボールにして遊ぶニャ」

「いっぱいストレス解消するニャ」

「さっさと丸くなるニャ」


 サッカーはサッカーでも、ネコのサッカーである。プレイヤーがネコならば、そのボールもまたネコだ。これからコタローは無理矢理丸まった体勢を取らされ、三匹のネコによってよってたかって袋叩きにされる運命にある。まあ、厳密には袋叩きならぬ「袋蹴り」なのだが。ゴールもラインもなければ、ファールもハットトリックもないサッカーだ。


 黒猫たちが心ゆくまでサッカーを堪能した頃には、コタローはすっかり目を回してニャンとも言えない状態になっているに違いない。


「助けてニャー! 旦那ニャーん! ヘルプニャー! かわいいコタローがピンチニャー!」


 多少哀れではあるが、身から出た錆である。それなのに、未だに意地汚くコタローはここにいない自分の飼い主に助けを求める。


 当然のことながら、コタローの悲鳴は彼の飼い主には届かない。今頃彼の飼い主である老文筆家の主人は、改築したばかりの一軒家で就寝中だ。しかし、コタローの叫びはどうやら天に届いたらしい。


「うるせえぞ! さっきから!」


 突然、駐車場に人間らしき大声が響き渡る。あまりにもコタローの鳴き声がうるさくて、ついに苦情が出たようだ。


「兄貴、ネコが喧嘩しているんだよ、多分」


 続いて、最初の怒鳴り声とまったく同じ声質の声が、駐車場の入り口付近から聞こえる。声の主が多重人格者でなければ、恐らくは双子だ。


「だからってうるさすぎるぞ! こんなところで騒ぐな!」


 なおも最初の声の主は怒りが収まらないらしく、苛立たしげな靴音がこちらに向かって近づいてくる。


「ニャ!? 人間さんニャ!」


 コタローの両耳から手を離して、黒猫が周囲を見回す。いくらかんかんに怒っていても、声の主が怒髪天を衝く状態であることは理解できたようだ。


「ええい、とりあえず逃げるニャ!」

「ちょっと騒ぎすぎたニャ。撤退ニャ!」


 三匹のネコは大あわてでボードや牌やドングリをかき集めると、車の下に潜り込んでいった。


 足音も立てずに、三匹のネコの気配は遠ざかっていく。後にぽつんと取り残されたコタローの全身を、懐中電灯らしき光が照らし出した。


「なんだ、一匹しかいないぞ」

「逃げちゃったんだよ、兄貴の怒鳴り声が怖くて」


 その光を浴びせているのは、双子の青年だった。しかしどうもあちこちがおかしい。少なくともここ、鬼灯町の住人には思えない。


 まずそもそも、二人は日本人ではなかった。鼻の高い典型的な西洋人の顔。その目の部分を覆うのは、夜だというのにサングラスだ。長い髪は栗色がかった金色。がっしりした長身を高級そうなスーツに包み、派手に胸元を開いている。両手にも胸元にも金のチェーンをちらつかせているが、それよりも体毛が非常に濃くて目立つ。胸毛がシャツのようだ。


「ニャー。助けてくれてありがとうニャ。嬉しいニャン」


 ちょっと外見が怖いけれども、危うくアメリカンショートヘア柄のサッカーボールになるところを助けてもらったのだ。コタローは感謝の気持ちでいっぱいになると、ニャーニャー甘えた声で鳴きながら二人の足に体をすり寄せた。尻尾をすねにくるりと巻き付けて、サービス精神も発揮する。


「よしよし、いい子だいい子」


 と言いながら、青年の片方はコタローの頭を撫でる。コタローの鼻に、外国産と思われるきついコロンの匂いがした。それにも構わず、コタローは目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。サッカーボールにならなくて本当によかった。それというのもこの二人のおかげだ。


「……という演技はこれまでだ」


 突然、もう片方の青年がそう言って、軽々とコタローの体を抱き上げた。


「ニャ?」


 何が何だか分からず、突然の浮遊感に尻尾を左右に振るコタローに、さっきまで彼を撫でていた青年の方がぐっと顔を近づけた。


「なんだったら、俺たちがお前のツケ、払ってやろうかい」


 にやりと笑った青年の口元。その犬歯の鋭さになぜかコタローは見覚えがあった。飼い主に抱き上げられて、洗面所の鏡で自分の顔を見たことがある。ニャーと鳴いたその口からのぞく、自分の犬歯。その形が重なった気がした。


「ニャ……ニャ……? 人間さん、ボクたちのことが分かるニャ?」


 けれども、口をついて出た問いは間抜けなものだった。


「はっはっは、俺が人間に見えるか? 見えるだろうなあ」

「残念。オレたちはお前の同類だよ」


 自分の犬歯と青年のそれとの類似をとても認められず、コタローはあくまでも青年たちを人間として扱おうとした。ネコたちの言葉が分かる人間として。しかし、当の二人はその扱いを鼻で笑い飛ばした。認めざるを得ない。この二人は……。


「ネコさん……ニャ?」


 ネコ。それもただのネコではない。〈化外けがい〉。それもただの化外ではない。ネコの化外でありながら、人間の姿形を摸倣するほどの力を持つ親分クラスの存在だ。


「そうさ。さっきまでのやり取りは全部この耳に入っていたぜ。コタローちゃん」


 にやにや笑いつつ、青年はコタローの頬を平手でリズミカルに叩く。


「ニャア……面目ないニャ」


 自分の恥ずかしいやり取りを一から十まで聞かれていたと知り、コタローは耳を伏せてうつむく。


「そう嘆くなって。兄貴は、お前のツケを代わりに払ってやろうって言っているんだぜ」


 コタローを抱き上げていた青年が、そう耳元で囁く。


「ニャッ? 本当ニャ? ありがたいニャ!」


 現金なコタローは、ツケを代わりに払ってもらえると聞いて、電気ショックを受けたかのようにして耳と尻尾を立てる。ツケが消えてなくなるならば、サッカーボールにされそうになった場面を見られたことなどどうでもいい。これでまたいっぱいゲームができると、マタタビの芳香が立ち込める甘美な空想にコタローは浸っていた。


「ああ、もちろん、無料でってわけじゃあないぜ」

「ニャア?」


 しかし、そんな都合のよすぎる空想は即座に打ち砕かれる。当然のように、青年たちは条件を提示しようとしてきた。いったいどんな条件で、ツケを代わりに払ってもらえるのだろうか。何だか急に怖くなってきて、コタローは青年の手の中でじたばたともがく。


「こらこら暴れるな。なにも、その尻尾や耳を担保にしろって言ってるわけじゃないさ」


 もがくコタローを苦労して押さえながら、青年は言う。


「ビクつかなくてもいいぜ。簡単なことさ」


 眼前の青年の、「簡単」という言葉にようやくコタローは暴れるのを止めて、そちらを見る。青年は一度口を閉じると、前屈みだった体勢を元に戻し、まっすぐに立つ。


 そして、やおら青年は右手を差し出した。まるでコタローが人間であるかのように。同意のしるしとして握手を求めるかのようにして。


「〈ジェーニョファミリー〉、入らないか? 歓迎するぜ?」


 それが、鬼灯町のネコたちのパワーバランスを崩すことになる、ジェーニョファミリーの始まりだった。ここから、ジェーニョ兄弟の侵攻は始まることとなる。






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