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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目 休暇
99/241

バイオプラント狂想曲 後編

 私は修理をパンジーとローズに任せて、しばらく休憩することにした。

 お代わりのシチューを口に詰め込みながら、半日の作業で疲弊した身体を休める。それでもパンジーとローズの事が気にかかった。私の目は不審な動きがないか、二人に釘付けになっていた。

「やっぱり気になる?」

 サンがスプーンを舌で舐めながら聞いてくる。何故当たり前な事を聞くのか。私はシチューの鶏肉を、スプーンの先端で突き刺した。

「不意打ちを食らって、それから拷問を受けて見なさい。あいつに味方する奴は、信用できなくなるわ」

「拷問したのはアジリアじゃなくてロータスでしょ?」

 無邪気な答えに、私の苛立ちは募る。鶏肉を繰り返し突き刺す。

「あいつは馬鹿じゃない。私が捕まったら、加虐される事ぐらい推測できたわ。そしてそうするだけの理由が、あいつにはある。ナガセを支持する私が目障りで仕方ないのよ」

 私は突き刺し過ぎて、ぼろぼろになった鶏肉をすくってぱくついた。美味しいはずの肉だが、酷く味気なかった。

 サンは皿にシチューが残っているにもかかわらず、考えに耽るようスプーンを舐め続けている。やがて視線をスプーンから私に移すと、おずおずと聞いてきた。

「でもあの時、サクラはキレちゃってたから、仕方ないかもしれない」

 私はジト目でサンを睨む。

「何よ。アンタもあの雌猫の味方なの?」

「私はサクラ派だけど、私怨には付き合えないよ」

「誰も付き合えとは言ってないわ。余計なお世話よ」

「でもあなたは、今はみんなの方針を決める立場にいる。泥船で海に出ないで」

 私は深い溜息を吐いて肩の力を抜いた。一気にシチューをかきこみ、袖で口元を拭う。そして空になった皿を脇に放り投げると、すっくと立ちあがった。

「わかったわ。それでも『私たち』と、『アジリアたちあいつら』の境界は必要よ。じゃないと全体が腐る」

 私は言い捨てる。助け合うのは良い事だ。だが私とアジリアでは、絶対に許されない。主張が違うのだから。成功する事が正しさの証明なら、その成功をおさめた思想は純粋でなければならない。異論は足並みを乱し、疑問の余地を産む。それはいつかきっと、平和にあだなすことになる。

 私はマシラと戦う時のように気を引き締め、パンジーとローズの元に向かった。二人とも作業の手を止め、図面を覗き込んでいる。行き詰ったか、仕事が終わったのだろう。ローズは私が来るのを見て、図面を手に駆け寄ってきた。

「あっ。サクラ。大体終わったわ。確認してくれるかしら?」

 あなたとは気安く話をしたくない。アジリアの味方だし、なによりナガセを殺そうとしたんだもの。私はローズを無視して、すれ違いざまにその手から図面を奪う。そしてパンジーに話しかけた。

 パンジーは私の振る舞いに面食らったようだ。暗幕のように垂らした前髪の向こうで、切れ目を丸くした。

「あの。私より。ローズが。しゃべる。上手い」

「私はあなたに聞いてるの。で? どうなった?」

「あの。私より――」

「早くして」

 私がバッサリ切り捨てると、パンジーはたどたどしく進捗を説明してくれる。その間ずっと、私の背中には誰かからの視線が突き刺さっていた。

 パンジーからの説明を聞き終えた後、私とサンでバルブの目視確認をする。問題なし。これでアジリアが邪魔する前のコンディションに戻ったはずだ。時刻は9時を回り、修理を始めてから6時間が経過していた。

 私たち四人は全員で管理施設に戻り、プログラムから水やりを指示する。

 だが、水は出なかった。

「でないね」

「シッ!」

 サンがぼそりと呟くと、パンジーが慌ててその口を手で塞いだ。

「こんな事言いたくないのだけれど……やっぱり配線に問題があるのじゃないかしら……」

 ローズが慎重に声を潜めて、私に言った。しかしそんなはずはない。ナガセのための仕事だ。これ以上ないくらい注意深く、丁寧な仕事をした。ミニチュアも作ったし、電圧の計算もした。

 なにがだめなの!? なにがだめなの!? なにがだめなの!?

 私の頭の中で、決定的な何かがキレた。

「こんなはずじゃないのにぃぃぃ! どうして!? どうしてなの!? 私の計算の何処の何が駄目だっていうんだテメェの言葉で言ってみろこの時代遅れの腐れ機械がぁぁぁ! テメェー工場からどういう教育受けて来てんのよ! テメェのライン監督者と工程員まとめて首すっ飛ばしてやるわ! オラァ!(思いっきりコンピュータを蹴飛ばす)お前どうせあれでしょ! スクラップジャンクのフランケンシュタインなんでしょ!」

 それから思いつくだけの悪罵を重ねて、コンピュータを蹴りまくる。コンピュータの筐体は少しずつへこんでいき、ディスプレイには砂嵐が巻き起こった。

「サクラが壊れたぁ!」

 サンが叫び声をあげる中、パンジーとローズが両サイドから私の腕を捕まえる。二人はそのまま後ろへと私を下がらせて、耳元でまくし立てた。

「サクラ! 壊れる! おちつけ!」

「そうよ! まだ追及していない原因があるでしょ! 手伝うワヨ! さぁ頑張りましょ!」

「あと残ったのは私の設計だけよおらァァァ!」

 私は抑えつける二人を振り払い、壁に両手をついて寄り掛かる。そして握り拳を何度か叩き付けた。しばらく続けると手が痛くなってきた。私は壁から離れて、肩を怒らせながら円形を描くように歩き回る。やがて気持ちが落ち着いて来ると、私は悄然と頭を垂れた。

「今のはやり過ぎたわ……ごめんね……ただちょっと……成功が欲しくて……」

 怪しい所は全部チェックした。残ったのは一つだけ。こうなったらもう認めるしかない。

「私が……間違っていたかもしれないわ……配線がだめかもしれない」

「あ。やっぱり?」

 と、サンが言う。私はぎろりと彼女を睨んだ。

「は?」

「ナニモイッテナイヨ」

 私はサンとパンジー、ローズに向き直り、まず深々と頭を下げた。

「皆には迷惑をかけたわ。ごめんなさい」

 そして管理施設から出ていくように、追い払う仕草をした。

「後は私の責任。配線の確認が済んだら伝えるから、仮にその時もやる気があったら、手を貸してちょうだい」

「サクラはどうするの?」

 サンが気にかけるように呟く。

「私もこれ以上は辛いわ。今日はふて寝する。片付けやっておくからもう寝なさいな」

 私がそういうと、サンはほっと胸を撫で下ろす。パンジーは「おつ。かれ」と私の肩を撫で、ローズは「また気軽に呼んでね」と声をかけてくれた。三人は自分の使った工具を片づけると、私に手を振ってバイオプラントから出ていった。

 私はその背中が見えなくなるまで見送った。それから腰に手を当てて、バイオプラントを見渡してみる。油まみれの布と、使った配線の残り、ピオニーがぶちまけたシチューのカスが散乱している。私は布をかき集めて、それで廃棄物を包み、シチューのカスを丁寧に拭きとった。そうこうしている内に、時刻は11時を過ぎてしまった。

 しまったなぁ。深夜になると節電のため、シャワーからお湯が出なくなる。今冷たい水なんて浴びたくないし、風邪をひいちゃう。明日朝一でシャワー浴びに行かないと。だけど睡眠時間が削られるのがなァ。

 それに。

 私は横目で、管理施設のコンピュータを見た。

 気になる。何が駄目なのかどうしても気になる。完全主義者の悲しいサガだ。

 何が私の完全を破壊したのか、気になって仕方ない。

 でも明日はピオニーのお料理会がある。アホの相手をするためにも体力は取っておきたい。本当は祝勝会を兼ねて、多少のオイタにも寛容になれるはずだったんだけど、どうしてこうなってしまったんだろう。完全に予定が狂ってしまった。

 明後日は合同訓練があるし、明々後日には釣果隊のための部隊編成をしなきゃ。あ、掃除してから出てきた物品のリストと、危険性のランク分けもしなきゃいけないし――ちょっと待って、一昨日のリリィの怪我の報告書まとめたっけ? 排管掃除中にロータスにケツぶっとばされて、頭から詰まったあの事件。つーかリリィから報告書あがってきてないんだけど。も~……今日あった時、催促しておけばよかった。

 頭で今後の予定を組み直す。そうしていると身体が無意識のうちに、今日敷いた配線の周りをぐるぐると歩きまわっていた。こうしてみると、配線にちょいちょい気になるところが目立つ。使ってないハブをちゃんと絶縁してあるかとか、接続する箇所は間違っていないか……とかだ。

 いつの間にか私は屈みこんで、配線の一つ一つを確認していた。

 まいっか。中途半端は気持ち悪いし、今日中に終わらせちゃえ。

 薄暗いバイオプラントの中、私は懐中電灯で手元を照らし、黙々と作業を続けた。

 そして時計の針が、翌2時を指した頃、全ての配線の再確認が終わった。私は途方に暮れる羽目になった。設計された配線はやっぱり正しかったのだ。

「あれぇ~……おっかしいなぁ。ちゃんと設計通り。これで動くはずなんだけど……待てよ!」

 私は閃いた。実際の消費電力はどうなっているのだろうか? ひょっとしたらどこかで漏電して、電力消費が跳ね上がっているのかもしれない。

 私は配線上の電子機器の一つ一つに、電流計を噛ませていくことにした。もし電圧が極端に下がっている場所があれば、そこで漏電が発生している。安定した電力が供給できないので、通電していても電力不足で機械が作動しないのだ。

 漏電は危険だわ。感電すると命の危険があるし、放置すると火事の原因になる。私は厚手のゴム手袋を装備して、気を引き締めるために両頬を張った。痺れる腕を奮い立たせ、疲れに乾いた眼を擦る。私は気力を振り絞って、蜘蛛の巣のように絡む配線に取り掛かった。

 深夜4時。

 私は給水装置の中から、極端に電圧の低いケーブルを見つけ出した。

「これよ! 消費電力が想定よりかなり高いわ。このケーブルが漏電してる! こいつのせいだわ!」

 原因の解明に、私の脳内にはスパークがほとばしった。私はブレーカーを落とし、問題のケーブルをもぎ取る。そして部屋の隅にあるガラクタの山から、使えそうなものがないか漁った。食肉プラントの残骸で代替ができそうだ。

 私は食肉プラントの電力ハブを引っ張り出し、がむしゃらに地面に叩き付けて解体する。ハブが壊れてネジが飛び散り、電子機器がこぼれ出る。私は中からケーブルを引っ張り出すと、それを手に給水装置に戻った。

 新しいケーブルで配線を完成させる。手が震えて、うまく接続口に差し込む事ができない。疲れがピークに来ているようだ。

 頑張れ私。もう少しで終わらせられる。震える指で摘まんだケーブルが、ハブにがっちりと接続された。

 私は管理施設に飛んでいくと、乱暴にブレーカーを上げる。そして水やり指示のボタンを狂ったように連打した。


 ぷしゃあああああ……。


 植物プラントの給水装置から、水がシャワー状に噴出した。

「ふぁああああああああああ!」

 思わず咽喉から、絶叫がほとばしった。

 やった。達成感と共に、足から力が抜けていく。私は自分を支えていられなくなり、コンピュータに寄りかかりながら、へなへなとその場に座り込んだ。

 時刻は朝5時を越えていた。

 どっと疲れと眠気が押し寄せてくる。もう私には、立ち上がる気力すら残っていなかった。みっともないけど、今日はここで寝てしまおう。私はへたり込む姿勢から身体を崩して、床に仰向けになった。冷たくて硬い床、体に染みついたオイルと汗の臭い、そして布団の代わりの冷たい空気。寝心地は最悪だ。それでもいい夢が見れそうだ。これでナガセに褒めてもらえる。フヒ。フヒヒヒヒヒ。

 首の力を抜くと、頭がごろんと横を向いた。

 床に転がっている、一本のケーブルが目に入る。ああ。例の間違ったケーブルだ。もぎ取った後、しばらく持ち歩いて、ここの床に投げ捨てたらしい。

 とんだ手間だったわ。まさか配線に使うパーツが間違っていたなんてね。きっとリリィかサンが組み間違えたのだ。それかパンジーかローズの妨害工作ね。次からは手伝わせる人員をもっと厳選しないと。ウフ。ウフフフフフ。

 でもおかしいじゃない。パーツを組み間違えたりしないように、必要な数きっかりしか用意しなかったのだ。つまりパーツを組み違えたのなら、その時点でパーツが足りなくなったことに気付くはずなのだ。そして不良品の類は提出段階で見つけ出すよう、アジリアに検査させた。

 という事は?

 私は霞む目を凝らして、じっと転がっているケーブルに注いだ。赤く塗装されたエナメルで被膜されていて、長さは1メートルほどである。ケーブルの両端は接続端子で終わっていて、そこには黒文字で型番が刻印されていた。外観も型番も、確かにアジリアに注文したケーブルと一緒だ。だが私の目は、型番の末尾に釘付けになった。

 私が頼んだのは、普通の抵抗値のケーブルだ。これには高抵抗値を示すマークが、末尾にしっかりと刻印されている。

 私は戦慄く腕をケーブルに伸ばし、むんずと掴んだ。

「パーツが……ちがう……こんな電気抵抗高めの電線使ったら……駄目に決まってるじゃない……電圧が下がって……電流が乱れて……馬鹿じゃないのぉぉぉぉ!?」

 こんなクソのせいで、半日も無駄にしたのか!? 私は思いっきりケーブルを放り投げる。ケーブルは管理施設の窓を突き破って、バイオプラントの床に転がった。割れたガラスが床に落ち、耳障りな音を立てる。私は腕で目元を覆い、決して泣くまいと歯を食いしばった。

 脳裏にアジリアの顔が思い浮かぶ。あの人を小馬鹿にした薄ら笑いで、私のことを見下している。

『そうだな。私には分からんもんな~……』

「アジリア……」

『どうせ馬鹿だからな~……』

「アジリア……」

『完璧な作業が一時間もまごまごしてる理由なんて』

「アジリアアアアアアアアアアアア! テメェのせいだろうがぁァァァァァ!」

「なんだ? 私がどうしたって?」

 管理施設の外から、あの雌猫の声がする。こんな夜中に、何故貴様がここにいるのかわからない。だが今何より大事なのは、怒りのはけ口がそこにいるという事だ。

 疲れ切って立つ気力すらなかった体に、心の底から沸き立つどす黒い何が、不思議な力を注入した。不思議な力は瞬く間に四肢に満ち、足は奮い立ち、腕に怒気がみなぎった。

 私は無敵だ。私は最強だ。あのアバズレぶっ殺してやる!

 管理施設から飛び出ると、あの雌猫がバイオプラントの入り口に立っているのが見えた。ライフスキン姿で肩に毛布を羽織っている。彼女は眠たげに眼を擦り、あくびを噛み殺していた。

 よかろう。永遠の眠りにつくがいい。私はアジリアに飛び掛かると、彼女が肩にかけている毛布を捩じり上げて、アジリアの首を絞めあげた。

「ウガーォ!」

「なにィ!? ちょ! 死ヌ……! やめろ馬鹿危ないだろ!」

 アジリアが私の首絞めから逃れようと、毛布の下の腕をもぞもぞさせる。私はすかさず足払いをかけて、アジリアを床に倒す。そして馬乗りになるとより強く毛布を絞めあげた。

「あンたよくもまがい物掴ませたわねぇ! おかげで半日約12時間がパーよ!」

「何何何!? 訳が分からんぐぇ! ちょっと首を締めるのを止めろ! 説明してくれ何が何だって!?」

「死ね!」

「ふざけるな訳が分からんまま殺されてたまるかああああああ!」

 アジリアが腰をばねのように跳ね上げて、馬乗りの私を僅かに浮かせた。すかさず背中に膝蹴りが入り、私の上半身はアジリアに覆い被さるように倒れる。彼女は私の襟首を掴むと、力任せに床に引き倒した。

 アジリアは馬乗りから逃れると、毛布を捨てて私から距離をとる。私もすぐに立ち上がり、遠巻きにこちらを睨むアジリアと相対した。

「何て性の悪い女かしら!? わざと間違ったパーツを用意して、私が四苦八苦するのを喜んでみているなんて!」

「はぁ? 私はお前の言った通りのパーツを集めたぞ! お前が勘違いしたんじゃないのか!」

「じゃああなたに渡した必要なパーツのリストだしなさいよ! それ見て判断しましょ! 間違ったら潔く腹を切って果てなさい!」

「そんな汚物とうの昔に捨てたわ! お前が出せ! お前が用意した物だろ!」

「へぇ証拠出せないのね! 有罪よ有罪! アイアンワンド! やっちゃいなさい!」

『命令の意味不明。復唱を願います』

「お前今度ウイルスをぶち込んでやる!」

『まぁ怖い。サーにチクらせて頂きます』

「うきー!」

 私は地団太を踏んで雄叫びを上げた。もう何度目かもわからない感情の発散だ。ひとしきり暴れまくると、荒い息をつきつつも落ち着きを取り戻す。そして顔を上げた時、真顔になっているアジリアと目があった。

 あいつはくいっと顎をしゃくれさせると、私の声を真似て呟いた。

「こんなはずじゃないのにぃ~」

 駄目だ。またキレた。

「このクソバカヤロー!」

 私はいきり立って、アジリアに襲い掛かった。


「やっぱり喧嘩してる。だからそっとしておいてって言ったのになァ……」

 私はバイオプラントからの騒音で目を覚まして、現場に立ち尽くしていた。

 目の前でアジリアとサクラが喧嘩してる。二人とも拳で殴り合うなとのナガセのお達しを守って、平手打ちでの応酬だ。しかし互いに胸倉を掴み、足払いをかけ、フェイントを織り交ぜるのだから、マシラ顔負けの肉弾戦を繰り広げていた。

「このアバズレ! 無能! 私に模擬戦で負けた癖にデカイツラすんじゃないわよ!」

「黙れ奴隷! ゴマすり! お前に負けた記憶はないぞ人の威を借る事しかできないクズめ!」

 私はふかぁ~い溜息をついて、にわかに起った頭痛にこめかみを押さえた。

「サン? 朝っぱらからやかましいぞ。何があったんだ?」

 呼ばれて背後を振り返る。プロテアだ。彼女はタンクトップにスパッツという姿で、首にかけたタオルで額の汗をぬぐっていた。どうやら朝のランニングの途中みたいだ。

 私はバイオプラントの中で、死闘を続ける二人を指さした。

「アジリアがさァ、ずっとサクラの修理を見守っててくれたんだけど、まぁたいらない口出ししたみたい。喧嘩してる」

「あいつらほんとに仲良いな……」

 プロテアは私に並んで、喧嘩の観戦を始める。

「そうだね」

 下手に止めたらとばっちりくうし、気が済むまでやらせたらいいだろう。

「うぉぉぉ! とにかくテメェのせいだ! テメェのせいで全てが上手くいかないのよ!」

「貴様に言われたくない! 貴様がナガセを支持するから、何時までたっても私らは自立できんのだ!」

 二人の戦いはますますヒートアップしていく。バイオプラントではその気迫が熱として充満し、遠くから眺める私にも熱風として届いた。私はいつの間にか身体を、じっとりと汗で濡らしていた。

 プロテアも同じらしい。運動をしていないのに、剥き出しの四肢から汗を噴き出している。彼女は胸に張り付くタンクトップを、引っ掛けた指で浮かしながらぼやいた。

「何か熱くねぇ?」

「ん? それは二人が喧嘩してるから――あえ?」

 私は新しく敷いた配線に、異変が起こっているのに気付いた。ちょうど給水装置の配線がある場所から、煙が上がっているのだ。そして発見から数秒も経たないうちに、小さな火の手が上がった。

「あ」

 火は最初、小さく揺らめくだけだった。だが瞬きを二度、三度繰り返す間に、見る見るうちに大きくなっていく。そして私の頭が寝起きで呆けている間に、周囲の配線とビニルハウスを飲み込んで、巨大な火柱となった。

『マム? バイオプラントで高熱が発生しております。修理中というのは事前の通達で承知しておりますが……少々レベルが高いようです。これも修理の範疇なのでしょうか? ご回答願います』

 猛火の勢いに怯える私とプロテアに代わって、アイアンワンドが声を上げた。

 アジリアとサクラは喧嘩を止めて、天井を焦がす火柱にようやく目をやる。そして二人で声を合わせて叫んだ。

『うぎゃあああああ!』

 サクラは頭を抱え込んで、焦りに意味も無く走り回る。

「あわわわわわ! 違う電圧で無理矢理動かしてたから熱が籠っちゃったんだわ!」

 少し遅れてプロテアが、備え付けの消火器の元に走る。アジリアは天を見上げて怒鳴った。

「アイアンワンド! すぐ消火しろ! 早く!」

『マム・イエスマム。しかし――』

 アイアンワンドの返答をサクラが遮る。

「ちょーっとまったぁ! ここの消火設備なに!? ハロン!? 消火剤!?」

『屋上に貯蓄した雨水です』

「最悪じゃねーか駄目よダメダメ! 水なんかぶっかけたら機械が駄目になるでしょ! 全部パーよパー!」

「一帯が焼けちまうよりマシだろ!」

 プロテアが叫んで、消火器で火消しを始める。だけど火が大きすぎて、焼け石に水だった。こうしちゃあいられない。私もバイオプラントに飛び込んで、消火器を手に火柱に走った。

「お前がやらないなら私がやる。アイアンワンド。構わん。やれ!」

 アジリアがアイアンワンドに命令する。だがアイアンワンドはどもった。

『その……マム。ドームポリス内活動はマム・サクラの管轄です。マム・サクラ。決断を願います』

 サクラは目を白黒させる。

「私ィ!? 私にバイオプラントを駄目にしろって!? ふざけんじゃないわよ!」

 火柱は着実に大きくなっている。火の粉を撒き散らし、ショート音を立てて、プラスチックの焼ける嫌な臭いが辺りに立ち込める。熱暴走が電線を伝わって拡大しているのか、全く関係のない所からも火の手が上がり始めた。このままじゃ収拾がつかなくなる!

「サクラ!」私は消火器を撒き散らしながら叫ぶ。

「サクラ!」プロテアがヤケクソになって、消火器を火柱に投げ込む。

「サクラ!」アジリアがサクラの胸倉を掴んで決断を迫る。

 サクラは今にも泣きそうに、顔をくしゃくしゃにした。そして大きく息を吸って、大声を張り上げた。




 数分後、私たちはバイオプラントで呆然としていた。

 バイオプラントは大穴が空いていたが、掃除が行き届き、植物プラントが整然と配置されていたのだ。それが今では黒い煙が立ち込め、中央の大穴を取り囲むようにどす黒い焦げ跡が残っている。植物プラントのあった場所には、焼け跡としてすすこけた残骸が残るだけだった。

 天井のスクリンプラーからは雨水が放出され、本当の雨のようにバイオプラントを水浸しにしていた。床には水溜まりが生まれ、流れをつくり、階下のメインコントロールルームへと落ちていた。そして管理施設のコンピュータはおろか、階下のメインコンピュータをも濡らして、電気が空を叩くショート音を立てさせていた。

 まるでここに隕石が落ちたみたいな有様だ。私はこれをナガセに見せるくらいだったら、ジンチクに生きたまま食われる方を選ぶだろう。

 そして燃え尽きた物がもう一つ。

 サクラがバイオプラントに座り込み、その惨状を眼に愕然としている。魂の籠らない眼に力が抜けて開いた口、その口角から唾液を垂らしている。無気力を通り越していて、まるで灰の人形だった。

 サクラの後ろではアジリアが、申し訳なさそうに股間の前で指をもじもじさせている。やがて彼女は意を決し、彼女の肩に手を置いて揺さぶった。

「おい……サクラ。さ……サクラ? サクラ! 大丈夫かおい!」

 プロテアがアジリアの襟首をつかんで、無理やり二人を引き剥がす。そして苦笑いを浮かべた。

「そっとしておいてやれよ……」

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