ユートピア開拓精神 その4
アタシは逃げつつふと思った。
ん?
ちょと待てよ。ここでアタシだけ逃げたら、アタシのせいにされるんじゃないの!? 嫌でも警戒されるし、監視が厳しくなる。つーか被害妄想の激しいあのマ○コ共の事だ。アタシが殺したって勘違いされる! 疑われないように工作する暇なんかねぇぞ!? そしたらナガセの帰りを待つ間もなく私刑だ!
ヤだぞ! 殺し方も知らないクソ共に、感情任せにズタズタにされるのは! 文字通り地獄じゃねーか!
アタシは舌打ちと共に方向転換し、急いで岩場に戻った。現場では尻餅をついたアカシアが、這い寄るマシラに銃撃をくわえている。マシラの頭部は銃弾で潰され、少しずつ変形していき、アケビの様に中央にくぼんで割れた。だが怯むことなく、左腕で大地を掴み、着実にアカシアに迫っていた。
やがて猟銃の弾が切れて、虚しい空撃ちの音が響く。アカシアは頼りの銃を失い、半狂乱になって喚き出した。
「ナガセッ! ナガセ助けてぇ!」
あいつなら北の大地でピクニックの最中だよ! アタシはへたり込むアカシアに屈みこむと、猟銃を捨てさせる。そして脇の下に手を差し込んで、無理やり森へ引きずった。だがマシラの方がやや早い。マシラの振り上げた腕が、アカシアを捕えようとその足に振り下ろされる。
こりゃ駄目だ。アカシアは死んだな。さっさとこの肉捨てて逃げよう。
アタシの腕からアカシアを抱える力が抜けていく。
再び銃声がした。
アタシの気が引き締まり、アカシアをしっかりと抱え直す。それと同時に、マシラの振り上げられた腕がはじける。マシラの腕は大きくぶれて、アカシアの足をかすめて地面に叩き付けられた。
誰だ!? アジリアだったら背後から銃声がするはず。だけど銃声と、マシラの腕がブッ飛んだ方向を考えると、狙撃者は山にいるようだ。反射的にそちらへ視線をやると、山の峰に飛び込む影が、ちらりと見えた。
顔と服装はしっかり見えなかったが、黒い服を着ている事だけは分かる。黒と言ったら、思い浮かぶのはあいつだけだ。
「いるじゃねーかチ○ポ野郎……クソ……そういう事かよ……」
探索に行く振りをして、アタシらが仲良くやれるか見張っているのか。暇な奴だ。人を探しに行くのは嘘、危険が無いのか調べるのも嘘。全部アタシらを自立させるためのお膳立てか。
馬鹿にされて物凄い腹立つ。だけど安心感がどっと心から湧き出てきた。あの化け物がいるなら負けっこねぇ! だがあいつは、自分で立つ事すらできないボケを見殺しにする。仲間を見捨てる奴を制裁する。アタシもやる事やらねぇと。
抱えたアカシアを背中におぶり、森の中に遁走する。そしてアカシアが首から下げる、ホイッスルを奪いとった。だが口に咥えたところでアタシは息を止めた。
「合図の笛! 吹き方なんだっけ!?」
アジリアが笛くれねぇから忘れちまった。アカシアがアタシの背中に抱き付きながら、ヒステリックに叫ぶ。
「そっ! それぐらい覚えなよ! 会議でさんざん言ってたじゃん!」
「お前が吹けよクソ奴隷!」
面倒になって、ホイッスルをアカシアの顔に押し付ける。そして自分は逃げる事に集中した。倒木を越えて、枝葉をかき分け、まずはアジリアのいる広場に向かう。すぐ後ろを、草木を軋ませて、マシラが追い縋る気配がした。
背中ではアカシアが笛を吹き鳴らす。だがそれはどう聞いても、合図の鳴らし方じゃない。ナガセが訓練の時、良くする音頭の取り方だ。
「お前馬鹿だろ三三七拍子ヤメロ! パニクってんじゃねぇよボケナス! アタシ死ぬかもしれないんだぞふざけてる場合か!」
「あ……あああ……ナガセ……ナガセが……」
「あいつならいるから安心しろ! つーかてめェも自分で助かる努力しろや!」
アタシたちは何とか広場まで戻る。そこではアジリアが煙幕手榴弾を片手に、アタシを待ち構えていた。相当おかんむりの様だ。戻るなりアタシの胸倉を掴み、がなり立ててくる。
「何をしている!?」
「OKOK! 銃声したからビビッてんのよね!? でもそれはアタシのせいじゃないし、今はそれどころじゃないから! マシラに追いかけられてんのよ!」
アジリアがマシラと聞いて息を飲む。間を置かず森から広場へと、片腕で下半身のひしゃげたマシラが飛び出してきた。そいつは着地に失敗し、地面に倒れ込んでごろりと転がる。だがすぐに片手で立ち上がると、潰れた頭を巡らせて、血の滴る眼球をアタシたちに向けた。
アジリアがホイッスルを咥えて、短く二回、長く一回吹き鳴らした。そして煙幕手榴弾を足元に放り、アタシの肩を引いた。ついて来いと言う意味だろう。
アタシたちとマシラを、煙幕の壁が隔てる。マシラは煙に突っ込んで、見えない相手と戦う様に、しゃにむに暴れだす。その隙にアタシたちは、キャリアへと逃げ帰った。
背中におぶるアカシアが、恐怖で擦れた呼吸を繰り返し、咥えた笛を「ぽひゅる、ぽひゅる」と鳴らしている。人が死ぬ気で頑張ってるのに何してんだお前。
「おいボケ! 笛鳴らすのやめろ! 音でばれる!」
怒鳴ると、笛の音が途切れ、足元の木立に何かが落ちる音がした。笛を捨てたのだろう。代わりに彼女は両手足に力を込めて、アタシの身体にしがみ付いてきた。
「くっつくんじゃねェ! アタシにそっちの気はねーッつーの!」
あーもームカつく。帰ったらぶん殴ってやる。
森から飛び出して、キャリアの前に戻ってくる。現場ではキャリアが、森から少し離れた場所に位置を移している。そして銃座にプロテア、助手席にマリアが位置し、一斉射撃の準備を整えていた。
「散れ!」
アジリアが号令を下して、キャリアの射撃を邪魔しないよう、散らばるように指示する。アジリアがキャリアの左側に向かったので、アタシはキャリアの右側に走った。程なくして、森からマシラが躍り出てくる。
ぴーっと、ホイッスルが長く吹き鳴らされた。その残響は、機関掃射の轟音に飲み込まれて聞こえなくなった。
*
数分後、アタシたちはマシラの死体の前に佇んでいた。
ナガセの教授通り、足を潰して動けなくしてから、心臓のありそうなところを滅多撃ちだ。かわいそーに、マシラは胸元をぱっくりと割られた。そこから心臓を砕かれ、血を垂れ流し、ぐったりと地面に伸びていた。
アジリアは警戒をプロテアたちに任せて、アタシに詰め寄った。
「何をした」
どうやらアタシがアカシアを、そそのかしたと思っているらしい。失礼なヤローだ。
「ナガセなら知ってたわよぉん……ちゃんと気を配れよ。それともアカシアなら変な真似しないと思ってたってかぁ? 無責任だなオイ」
アタシは意味ありげな笑みを浮かべて、アジリアを見つめ返す。彼女は閉口し、戸惑う様に蹲るアカシアに視線を移した。
「銃声がしたな……動物を狩ったのか?」
アカシアがハッと顔を上げる。そして戦功を誇るようにばんざいをした。
「うん! すごいでしょ! これで食料が――」
平手打ちの乾いた音が、周囲にこだました。アジリアがアカシアの頬を叩いたのだ。アタシの知る限りアジリアが、サクラとナガセ以外を殴るのは初めてだった。
「勝手な真似をするな!」
アジリアの大声に、不思議と怒りは籠っていない。ただ微かに震え、緊張に引きつっていた。
アカシアは褒められると思っていたらしい。訳が分からないように、打たれた頬に手を当てている。やがて目を細めてアジリアを睨み返した。
「でも……その……皆のご飯……それに狩りに行くから猟銃を持ったんでしょ!」
「勝手にしろとは言っていない! おかげでお前は死にかけた! そこのアホがいなかったら死んでたぞ!」
おい。アホ呼ばわりは止めろ。てめーのせいでもあるんだぞ。
「でも……でもナガセなら守ってくれるもん! ナガセならこんな事にならなかったもん! だから……だから……」
アカシアが子供の様な駄々をこねだす。普段なら口答えもせず、勝手な行動もしないような奴だ。ナガセの不在でタガが外れたに違いない。それで自分を一人前と錯覚しているか、早く一人前になりたいと息巻いているのか。くっせぇガキだ。
「それは貴様が奴の言う事をよく聞くからだろう! 安全が欲しければ私の言う事も聞け! 今は私が奴の代わりだ! 奴自身そう指示した! 慎め!」
アジリアは今度、大声に怒気を込め、アカシアを黙らせた。そして返答を迫るように、じっと目線をアカシアに合わせ、顔を覗き込んだ。アカシアは納得できないように、何度か首を横に振る。しかしアジリアが圧力を弱めずにいると、小声で「ごめんなさい」と呟いた。
アジリアは謝罪を聞いて、やれやれと言った様子で腰に手を当てる。それからアカシアが鹿を殺したであろう場所に身体を向けた。
「殺してしまったんだ。食わせてもらおう……マリア。アカシアと代われ。死体を運ぶぞ」
こうして第一回目の探索は、何とも言えない終わり方をした。
*
その日の夜、アタシはドームポリスのダクト内で、夕食を貪っていた。
探索のおかげで、今日の夕食は豪勢だった。メニューは備蓄のビスケットに鹿肉のステーキ、山菜のサラダと肉のスープだ。今まで備蓄のビスケットと、干した肉が主だったからねぇ。アカシアのした事をアジリアは咎めている。だがピオニーをはじめとする他の女たちは大喜びだった。
この調子で探索を続ければ、アタシたちの生活もどんどん豊かになっていきそうだ。だけどあんまし嬉しくない。アタシの境遇も、状況も変わらないからだ。相変わらずアタシは監視されているし、皆から憎まれている。そしてアタシとあいつらの格差はどんどん開いていって、一転攻勢のチャンスは失くなっていくわけだ。アタシは食べかけの鹿肉に、鬱憤を晴らすようフォークを叩きつけた。
「あの……その……いるんでしょ……そこに……」
いきなり真下の廊下から声をかけられた。驚いて飛び跳ねる。そしてダクト壁に頭を打ち付けて、激しくのたうち回った。
「あ……まってどこか行かないで……お話ししたいだけだから……」
ダクトでのたうつのを、移動している物音と勘違いされたらしい。声は慌てて引き留めてくる。驚いたなんて、口が裂けても言えねぇ。しかもクソちびのアカシア相手になんてよぉ。アタシは痛みを堪えながら、通風孔からそっと外を覗き込んだ。
廊下にはアカシアが佇んで、じっと通風孔のアタシを見上げている。その顔色に敵意はなく、いつものあどけなさが宿っていた。彼女はアタシと目が合うと、気恥ずかしそうに視線を伏せる。そしてぼそぼそと話しだした。
「あ……ありがとう……うん……あれから僕が悪いって……ナガセいないから、今まで以上頑張らならきゃって思っちゃったんだ……それでね……うん……迷惑かけたね」
わざわざ言い訳しに来たのか。こちとらお前の話を聞くほど暇じゃねぇんだ。すっかり興味を失くして、ダクトの中に引っ込んだ。だけどアカシアの声は続いた。
「あの……その……ごめんね。酷い事言って」
お? アタシにも謝った? ちゃーんす! このまま押し切って、アカシアに罪悪感を捻じ込もう。アタシは夕食の乗ったトレイを、通風孔の脇に押しのけて、ダクトから飛び出した。そしてアカシアの目の前に降りると、一気にまくし立てた。
「そうだよ! お前はアタシを傷つけた! 銃なんか向けやがってさァ! 怖かったのよぉ! つーかあんなこと許される事じゃないからな! 本当だったらお前もナガセにボコられるべきなのよ! ていうか間違いなくボコられるわ! でもさァアタシは優しいからアンタを許すチャンスをあげる。そうすりゃあいつに黙っていて――」
アカシアはアタシの話を全く聞いていなかった。ただあどけない表情のまま、「しょうがない人だなァ」と無言で語っている。そして最初から決めていたことをするように、淀みない動きで懐から首飾りを取り出し、そっとアタシの首にかけた。
「これ……お詫びのポプリ……僕はもう許したよ。また仲良くしようね」
首飾りは何のことはない。小さな布の袋に、紐を括っただけのゴミだ。アタシの好きな金でも銀でも宝石でもない。クソちびの拙い手製のゴミクズだった。
だけどアカシアは満足して、アタシに背を向けて何処かへ行ってしまう。残された私は呆然として、その場に立ち尽くしていた。
ンなあっさり? 確かに良い得点稼ぎになったけど、もう少しいい思いしてから許すものでしょフツー。特にアカシアなんかはずっとネチネチ根に持ちそうなものだと思っていたけどね。ラッキーだと諸手を上げて喜びたいが、アタシはやすやすとその言葉を信じる事が出来ない。何度も殺しかけたんだ。それを許せるはずがない。さてはアタシを嵌めるつもりなのか?
考えていると、今度は入れ替わるように、アジリアがやって来た。彼女はアタシの肩に手を置いて、気軽に声をかけてきた。
「ロータス。明日からも頼むぞ。嫌なら嫌でいい」
「嫌なら嫌でもいいって……どういう事よん……」
さっきのアカシアの件が頭の中にいて、アタシはまだうまくものを考えらない。そこにまた妙な言い回しで話しかけるのをやめろ。
アジリアは口元に軽い笑みを浮かべると、アタシの隣を通り過ぎる。その際彼女は、小声で囁いていった。
「私とお前の間で、過去問題はなかった――という事だ。ありがとう。私のせいで死なせるところだった」
こんな簡単に許されるものなのか。おかしいだろ。だってアタシはまだ許せねぇから。
アタシをボコボコにしたナガセも、弱いクセに監視してくる女どもも、そしてアタシの今の境遇もだ! 何もかも許せねぇ。許せるはずがねぇ!
そう思うとだんだん腹が立ってきた。怒りがこみあげてきて、血液が沸騰したように体が熱くなる。そして何かをぶち壊したいって気持ちが膨れ上がった。
丁度いい。首にはあのクソ奴隷がくれた、ゴミクズがぶら下がっている。アタシは首からポプリをもぎ取ると、思いっきり床に叩き付けた。
「なァに上から目線でくっちゃべってんだ、コ汚ェおマンマン共がよ」
少しスカッとした。でもまだ足りない。
「こんなゴミ押し付けやがってお詫びだァ!? 泣いて土下座しろってんだバァカ!」
ポプリを鬱積した暗い感情に見立て、思いっきり踏みまくる。ポプリの包みが破れ、中から種や、花弁がこぼれてくる。ほらゴミだ! 腹の足しにもならねぇ! 何の威力もねぇ! ただのゴミ! ゴミ! 気持ちいい! これだよこれ! こうしないと心のもやもやが晴れない。お前らだってそうだろ! こうしないと許せないだろ! だからアタシは何時かお前らをブチ殺す。そして死んだら許してやるよぉ!
こぼれた種を踏み砕き、花弁を踏みにじる。
その時、それらが持つ香りが舞い上がり、アタシの鼻孔をくすぐった。
ゴ――ミ――。
良く嗅ぐ香りだった。アカシアが振りまく、柔らかい香り。これは嫌いじゃない。香りは胸に抜けて、そこにあるイライラを和らげてくれる。火薬のにおいの次くらいに好き。
だけど初めての感覚が、心を支配している。何でだろう。急に壊すのが空しくなった。それどころか、やってしまったという後悔が沸々と。分からない。どうしてこんな事を思っているのか。アカシアは嫌いだ。弱いうえに偉そうなんだよ。じゃあなんで? 何をそんなにこのゴミを思っているんだ? アタシはどうして?
ふと脳裏に、暗い箱の隙間から差し込まれた、食料の記憶がよぎった。
誰かにもらうのは、酷く珍しい出来事のような気がする。それを手に取って、ここに居るのは間違いない。いや、だけどよ。そうなんだけどよ。違うんだよ。アタシはサ……何と言うか……。
もう考えるのもめんどくせぇ。
「クソが……」
*
翌朝。アタシはダクトの中で、目を覚ました。気だるげに身動ぎすると、胸の上からポプリの袋が滑り落ちる。
けっ。あれから直したが、ブッサイクな出来だ。縫い目が滅茶苦茶で、時々中身がこぼれるし、パギの裁縫みたいに歪な形をしている。しょうがねぇだろ。苦手なんだからさ。しかも踏みつけたせいで、草木の穏やかの香りに混じって、泥と油の匂いが染みついていた。
まぁいいさ。それがアタシさ。アタシの匂いなのさ。
アタシは仰向けになって、ポプリを宙に垂らすと、ぼぅっと眺めた。今日も外に探索の仕事がある。そのうちアジリアが、やかましく怒鳴り込んで来るだろう。
そうして刻々と時間が過ぎて行くが、いっこうに迎えに来る気配はない。どうやら昨日言ったことは、本心のようである。いやなら嫌でいいか。なら今日はここで寝ていよう。
ごろりとダクト内を転がる。何か虚しい。そして言いようの知れない悪寒が背中を撫でる。
この孤独感が、ナガセに味合わされた物によく似ているのだ。誰もアタシを必要としない、誰もアタシを構わない、誰もアタシを想わない。死がすぐそこにあるように思えてしまう。
アタシはいても立ってもいられなくなる。何か孤立するのが怖い。アタシは躍起になって、あいつらと一緒にいられる理由を考えだした。
そうだ。仕事から外して、アタシをのけ者にして、何かよからぬこと考えるつもりだろ。騙されるもんか。
ずるりと這うように、ダクトを出る。そしてゆっくり、でもしっかり、今日の仕事の待つ保管庫へ足を向けた。
ああ。腹が立つ。誰かをぶん殴りたい。
アタシは首飾りの紐を引いて、ポプリを鼻先にやる。
スンと匂いを嗅ぐ。
幾分か気は晴れた。
*
探索の日々が続く。
穀物、野菜をあらかた回収し、アイアンワンドに品種改良をさせている。良く分からない植物も採取したが、それはプロテアとピオニーが可食性テストを行っていた。
狩りも着々と進んでいく。目的の動物を罠にかけ、ドームポリスへと連れ帰った。たまに変な動物も罠にかかった。犬や鹿、ジンチクなんかだ。食料に余裕がない時以外、動物は逃がし、異形生命体は問答無用でぶっ殺した。
アホとボケにこき使われて疲れる。それに銃を撃てないからつまらない。だけど日に日に贅沢になる食事は嬉しかった。
あくる日、アタシはテラスの放牧場で飼い葉を運んでいた。そこにアカシアが牛を一匹引いて近づいてくる。見ればその牛、昨日捕まえた奴である。
茶色い体にのっぺりとした身体。口から唾液をこぼしつつ、くちゃくちゃと音を立てて草を咀嚼している。ぶっちゃけ汚らしい。とっとと殺して肉にしたい。
アタシは顔を歪めた。
「おい汚いもの見せんなよ。胸糞が悪くなるだろ」
アカシアは動かない。それどころか、その汚らしい生き物を、アタシの前へと押し出す。
「この子は食べないんだ。おっぱいを搾って、それを飲む用。だからみんなで可愛がるんだよ」
「へー。そう。プロテアかローズ、ピオニーのデカパイにむしゃぶりつきゃあ事足りるんじゃねーの無駄な事しやがって。それがどうしたんだよ」
「名前。付けさせてあげる」
は? 何でアタシが。馬鹿じゃねぇの?
アタシは取り合う気すら失くして、嘲笑と共に顔を背けた。
「雄だったらケツマ○コ。雌だったらマ○コな。それで上等だろ」
こちとら忙しーんだ。アジリアは飼い葉を運べっていうし、プロテアは倉庫の片付けを手伝えとほざきよる。う~んアタシってば人気者。やっぱアタシがいないと、このグループは機能しないのねぇ。
アカシアがアタシの腕を引いて、振り返らせた。そしてナガセにするように、親し気に、顔の前で手を合わせて拝んできた。
「お願い……ネ? ロータスのおかげで捕まえられたんだからさ。名付け親になってよ。うんと大事にするから」
そう言われて、アタシは真剣になった。つまりこの牛の捕獲を、アタシの手柄にしてくれるわけだ。こいつの名を呼ぶたびに、アタシの功績が思い起こされるって訳よ。そういう事なら話は別。アタシがサイコーにイカした名前をくれてやるわよ。
飼い葉を放り出して、頭を捻る。こいつ毛がボーボーだし陰毛とか……デカパイってアホかアタシは……じゃあノロマ……えぇ……いいのが浮かんでこない。
ちらとアカシアを見ると、彼女は期待を込めた眼差しで、アタシの様子を窺っている。これで碌な名前でなかったら、きっと馬鹿にされるんだろうな。アタシは焦って冷や汗を浮かべた。
何か? 何かないのか? アタシの名誉を守り、かつ皆に受け入れられるような名前は。
その時、首から下げた包みの、泥と花の香りを嗅いだ。
「ポプリ……」
口にしてから、思わず口を手で押さえる。こんなの、アタシがアカシアからもらったゴミを、大事にしてるって勘違いされる。それに名前としても、アタシよりアカシアの方が想起されちゃうじゃない! 取り消そうとするが、それよりもアカシアの顔に、笑顔が咲くのが速かった。
「ポプリだね! みんなに知らせてくるよ!」
アカシアは牛を引いて、テラスの隅にある牛舎へと走っていく。アタシは声にならない呻きを漏らしながら、その後姿に手を伸ばした。だけど、ふと『それでもいいか』と思った。
アタシは自嘲すると、伸ばした手をだらしなく下げた。
「ま……しゃあねぇか。そんな手柄譲ってやるよクソちび」
アホなことに頭使って疲れたわ。アタシは先程放り出した飼い葉の上に、倒れるように寝そべった。
テラスの上へと、更に天高く伸びる、ヘイヴンの外壁を見上げる。地面と直角に切り立つ外壁は、まるで磨いたようにピカピカで、眩く太陽光を反射している。だが外壁には窓や太陽光パネル、アンテナなどが取り付けられていて、それが多少の陰影を作り上げていた。
アンテナの影の中に、黒い装束を纏う人影が張り付いているのを見つけた。
思わず身体を起こし、目を凝らす。間違いない。誰かいる。かといって異形生命体はあんな芸当できないし、他の女どもにそんな度胸はない。とすれば考えられるのは、あいつだけだ。
出かけるのは嘘で、遠くからアタシたちを監視しているらしい。
そうまでアタシたちを自立させたいか。そうしてお前はどうするんだよ?
お前は一人で寂しくないのか?
アタシはね――
その答えを思い浮かべる前に、影は忽然と消えてしまった。




