嗜虐-6
入り口のシャッターが吹き飛び、そこから爆風が炎を伴って入ってくる。炎はバリケードのパイプを焦がし、隙間に詰めた資料を灰にした。それでも爆風はバリケードでそれて、部屋の天井へと滑っていった。だがそこから漏れた熱風がバリケードの隙間を抜け、生き物のように俺の背中を舐めていく。
体中がひりひりして熱い。この痛みを日焼けと表現するのは生ぬるかった。まるで紙やすりで、全身を磨かれたような激痛だった。
資料室は爆風が駆け抜けた後、吹雪の様に紙片が飛び回っている。それらの紙片は焦げているものはあっても、燃えているものは一つとしてなかった。室内にハロンが充満しているおかげだろう。
俺は痛みを堪えて立ち上がり、太腿からメスを抜いて構える。そして棒のような足を引きずって、資料室入口へと向かった。
入り口付近は焼けて黒ずみ、周囲には灼熱と化した空気が充満している。起爆現場の床は大きく陥没しており、そこでは小さな焔が燻って、辺りを微かに照らしていた。
ウリエルの姿はない。逃げたようだが、かなり慌てているらしい。移動の痕跡が炭とひっかき傷の線となって、起爆現場から廊下へと伸びていた。
足跡はそう離れない場所で、ぷっつりと途絶えてしまう。代わりに天井の通風孔から、真っ黒に焦げたウリエルの下半身がぶら下がっていた。もそもそと動いている事から、中身は入っているらしい。どうやら配電盤のブレーカーを上げて、電力を復活させようとしているようだ。
俺とやり合うのが怖くなったか。
軽く鼻を鳴らして、やりたいようにさせてやることにした。
通風孔の中では、拙い手つきで機械を弄る、冷たい金属音が空しく響いている。やがてそれが落ち着くと、レバーを上げる音がした。
通風孔から白光が迸り、電撃が空を裂く音が響く。漏電の細工が機能したようだ。通風孔から垂れ下がるウリエルの下半身は、強烈な電撃を受けて小刻みに痙攣し、機体からパーツをぼろぼろとこぼした。更に関節からは火花を撒き散らし、火の粉を噴き上げた。
漏電を感知した安全装置が、すぐに配電盤の電流をカットする。そしてウリエルは俺の目の前に、線香花火の燃えカスの如くボトリと落ちた。
高圧的な威容を誇ったウリエルは、見るも無残な姿に成り果てていた。アルマジロのような丸い胸部装甲は爆圧で歪んでおり、骨格から装甲がずれて隙間から電気コードがはみ出している。そのコードには火が灯っており、プラスチックの焦げる嫌な臭いの元となっていた。
脚部は人工筋で膨れ、犬のような逆関節、腕部はクッションを有するむっくりとした形をしていた。しかしそれらは綺麗に吹き飛ばされ、外骨格だけが残るだけだ。
完全なスクラップだ。やれば破壊できるもんだな。だがまだ俺は勝っていない。
ウリエルの背中で小爆発が起き、背部装甲板が剥がれ落ちる。そして内部から、全身汗まみれになったロータスが這い出てきた。
「あっ……が……っ……なに……なん……なんだ……わけ……わかんねぇ……ふざけんなチ○ポ野郎……なんなんだよぉ……フザケンナ……フザケンナ……フザケンナ……」
やっこさん、震え声でベソをかいている。だが怪我はしていない様子だ。ならまだ戦えるはずだ。俺は彼女の背後からより、その髪の毛を掴んで無理やり立たせた。
「立て」
ロータスは甲高い悲鳴を上げて、髪の毛を掴む俺の腕を握りしめてくる。そして俺を振り返り、恐怖で引きつる媚びた笑みを見せた。
「ひ……あ……あは……あははははは……すごいわねあんた……やっつけちゃった……」
彼女はまるで、一緒に強敵を倒したかのように――まるで他人事のように、俺を称賛してきた。俺は白けた視線でそれに応える。
「戦え」
ロータスはぎくりと肩を強張らせた。そして何を思ったか、目の前で手を合わせて、俺を拝み始めた。
「参った。許して」
おいおい。降参した振りが俺に通用すると思っているのか。もう少し本気になって欲しいものだな。
俺はクスクスと忍び笑いを漏らす。するとロータスも、俺に合わせてへらへら笑い出した。ご機嫌とりのつもりか? だが俺が欲しいのは媚びではない。
俺は髪の毛を掴んだまま、腕を振りかぶって力いっぱいロータスの頬をぶった。掴んだ髪の毛が千切れ、ロータスは勢いよく廊下に倒れ込む。彼女は即座に立ち上がり、信じられないような眼で俺を睨んできた。
「手を挙げたじゃねぇかよ! 何すんだ痛ェなチクショー!」
何をほざいている? そんな暇があったらかかってこい。俺は手元に残ったロータスの髪の毛を、ぞんざいに投げ捨てた。
「戦え」
ロータスは訳が分からないように、眼を丸くする。
「は……いやだから……ごめんなさい。もう無理。降参。抵抗しない。これで分かった!? お叱り受けるわよ!」
それは俺の知った事ではない。ロータスに歩み寄って腕を振りかぶり、彼女の横っ面を思いっきり張った。
ロータスが吹っ飛び、廊下に尻餅をついて倒れる。今度は立つ余裕すらないようで、呆然と俺の事を見上げていた。やがてロータスの口の端から、つぅっと血の糸が垂れる。彼女はそれを手の甲で拭い、こびり付いた血を見ると喚き出した。
「無抵抗の人間を殴るのかテメェはァァァ! この腐れ外道めぇぇぇ!」
俺は意に介さず、指で彼女に立つよう示した。
「立て」
「テメェこれは暴力だぞコラァ! やっちゃいけない事だぞやめろって反省してるだろぉ!」
こいつ。俺の話を聞いていないな。俺はロータスの胸倉を掴んで立たせると、喚くロータスをぶって無理やり黙らせた。彼女は三度、廊下に倒れ込む。そして始めて見せる、心底怯えた眼を俺に向けた。
「戦え」
ロータスは場をとりなす為か、それともそうするしかなかったのか、ヘラリと笑った。それから遠巻きに俺の身体を指して、気遣うそぶりを見せた。
「お前マジでイカレてんな。自分の身体見ろよ見ろよ。ホラ、身体がボロボロじゃない。皮膚は焦げてるわ……ガラスできれてるわ……早く治療しないとまずいってコレ。アタシが何とかしてやるからよ……もう止めような? な?」
「戦え」
冷徹な俺の言葉に、ロータスの表情が丸めた紙のようにクシャクシャになる。そして俺に背中を見せて、その場から逃げ出そうとした。
「戦えェえ!」
絶叫し、逃げるロータスに飛び掛かる。俺は風になびく彼女の後ろ髪を引っ掴み、仰向けに地面へ引き倒した。
俺はロータスに馬乗りになると、胸倉を掴んで激しく揺すった。
「何故逃げる? 俺を殺せるんだろ。殺せ! 殺してくれ!」
ロータスはしゃにむに手を振り回して、俺を突き飛ばそうとした。
「もう無理だ! アタシの負けだ! 完敗だ! 認める! 認めるよ! アンタがここのリーダーだ!」
「たたかえええええ!」
俺は胸倉を掴む手を交差させ、ロータスの首を絞めあげた。ロータスの呼吸が擦れたものになり、口角から泡が滲み始める。彼女は息の続く内にと、早口で喋り出した。
「アイアンワンド! 私は降りる! アカウントを元あった場所に戻すよ! ナガセだ! ナガセが一番だ! ナガセに従え! だけどこの命令はアタシが生きている間だけ有効な! アタシが死んだらここの全てを暗号化しろ! な!? ナガセ! もう無意味だ! やめよう! やめようぜ! 困るだろお前も! 皆も! な!?」
ロータスはそう言って、懇願するように俺を見上げた。俺は首を締める力を緩め、彼女に顔を近づけた。
「抵抗はそれで終わりか?」
ロータスは俺の視線に応えられず、ふいと顔をそっぽに向ける。
「これくらいの抵抗は仕方ないでしょ……お前殺す気だろ……もう分かった……アタシはアンタより下だよ……馬鹿なことをしたよ……」
「ふ~ん……そうか……」
俺は左手でロータスの首を押さえ、右手で拳を振りかぶる。そして力いっぱい、彼女の顔面を殴った。
「殺されてぇのかッ! このアマッ!」
俺たちがしているのは殺しあいだ! 遊んでるんじゃないんだぞ! 俺は真剣に戦った。手足の欠損どころか、命を失うことを恐れず、貴様に挑戦したんだ! 貴様もそうじゃないのか!? 命ある限り殺そうと思ったんじゃないのか!? これでは茶番だ! 興ざめだ!
「いだぁぁぁあ! おま! グー! グーで殴ッ! 鼻が! お前!」
ロータスは痛みに呻き、顔面を押さえこんだ。その指の隙間からは、鼻から吹き出た血がぼとぼととこぼれていた。ロータスは涙目になって、必死に訴えかけてくる。
「フザケンナこのトンチキヤロー! お前が暴力はいけないって言ったんだろうこのキンタマ野郎が! 痛ェ! もう無理だって許してくれよ頼むよ!」
この期に及んでまだほざくか。聞く耳もたん。俺は固めた拳を、今度は彼女の腹に何発も打ち込んだ。
「黙れ! やかましい! 今! 俺が! 喋っているんだ! このポンチ野郎が!」
ロータスは呼吸難に陥り、咽喉に声を詰まらせる。彼女は耳障りな声の代わりに、からすの様な擦れた呼吸を繰り返した。俺は彼女が落ち着くのを待って、静かに聞いた。
「戦えるか?」
ロータスは弱く首を振った。
「お前なんだ……誰だよ……ナガセは死んだのか……分かったお前と取引するから……何すれば許してくれる……」
期待外れの答えだ。
「どうあっても……戦う気はないんだな?」
彼女は今度、激しく首を縦に振った。
「ごめんなさい……すいません……ちょっと調子コイただけなんだ……」
「一度だけ手を貸してやる」
俺はそう言うと、手持ちの工具入れから薬瓶を取り出した。それには薬品室から持ち出した、向精神薬と覚醒剤が充填されている。素早くロータスのライフスキンの、薬物注入口に取りつけた。
「やめろぉぉぉぉぉ!」
ロータスは得体の知れない薬を打たれる恐怖に、過敏に反応した。身をよじって激しく抵抗し、唾を撒き散らして威嚇の雄叫びを上げる。暴れたらうまく薬を打てないだろ。俺はロータスの頭を鷲掴みにすると、床に思い切りたたきつけた。そして彼女が悶絶する内に、薬物を注入した。
薬を打たれてしばらく、ロータスは自らを襲うであろう薬効に怯え、赤子のように震えていた。やがて彼女はいきなり、白目を剥いて痙攣し始める。そのまま震えは大きくなり、呼吸は興奮で荒くなっていった。そして黒目が元の位置に戻って来た時には、そこには虚ろな光が宿っていた。
俺は立ち上がり、ロータスを解放してやる。彼女もすぐに立ち上がり、突然自らの胸を揉みしだいた。
向精神剤が発情の方に働いたか――と勘繰ったが、杞憂だったようだ。彼女は狂った笑みを浮かべて、胸の谷間からグロックを取り出した。
「ころ! テメェ殺してやる! このヤロ! 死ねチ○ポ野郎が!」
それぐらいで俺を殺せるか。銃身を乱暴に掴んで、銃口がこちらに向かないよう捻り上げた。グロックはあっさりとロータスの手を離れる。だが彼女が引き金にかけた指は、トリガーガードに引っかかって、あらぬ方向に折れ曲がった。
ロータスがぼーっと折れた指を見つめる中、俺はグロックから弾倉を抜き、スライドの中の銃弾を排莢した。
「戦え」
弾倉内の銃弾を、指で弾き出しながら冷たく言う。ロータスは今度、尻辺りを探り出す。そして幅広のサバイバルナイフを取り出した。
「ぃひー! ぃひー! ニャイフがあるんだァ! ズタズタにしてやるぅ!」
彼女は右手にナイフ構え、順手に持って突き出してくる。俺は彼女がナイフを持つ手を器用に捕まえ、銃の時と同じように捻り上げた。だが二度も同じ攻撃をした罰だ。ナイフを落とした後も捻り続け、ロータスの腕をLの字に極めて背中を向けさせる。そしてそのまま力を弱めず、へし折ってから離してやった。
ロータスは悲鳴を上げなかった。ただ千鳥足で、廊下を数歩ふらつく。そして折れてぶらぶらする右肘から先を見て、へらへら笑った。
「戦え」
俺はロータスの背中ににじり寄る。彼女は俺の声に、びくりと肩を跳ねさせた。そして恐る恐る振り返り、俺と向かい合った。
俺と、奴の、視線が重なった。
その時、彼女の虚ろな目に、一瞬だけ光が宿った。彼女が何を感じたかは分からない。だがロータスは、この世の終わりを見たかのように表情を壊すと、俺に背を向けて遁走を始めた。
「ひひひ……ぃ……ドラゴンだ……赤いドラゴンがいるゥゥゥ! 何で生きてるんだよぉぉぉ!」
「戦えェ!」
俺はその背中を追いかけた。




