邂逅‐5
俺は草原を森に向かって駆ける。土を抉り、スクラップと化した叢雲の脇を通り、食い散らかされた化け物の死体を踏みにじって。
俺はドームポリスに通信を飛ばした。
「アイアンワンド。シャッターを閉めろ」
すぐにアイアンワンドが応答する。
『サー。シャッターを閉めると、電力がほぼ底をつきます。太陽光パネルによる充電を考慮すると、次の開閉に必要な電力が溜まるまで、二時間はかかると予想されます』
「構わん。やれ」
『サー。イエッサー』
通信が切れる。と同時に、俺の膝の上の黒髪が、軽い悲鳴を上げた。
「ナガセ! とめて! ゆれる。ゆれゆれ! なんかきもちわるいしこわいよ!」
歩行中の人攻機は揺れる。走行中はことさら揺れる。下手糞なバーテンダーのカクテルの手捌きのように、不規則で乱暴に揺れる。
もちろんアブソーバーを弄れば環境は劇的に改善することはできる。しかし人攻機はリムジンではない。乗り心地と引き換えに、反応速度と姿勢制御時間を犠牲にすることはできない。
「悪いが我慢してくれ」
俺は顎で黒髪の頭を叩く。彼女は「う~」と短く唸ると、それっきり文句を言わなくなった。
森が目の前に迫る。大きな森で、人攻機の倍ほどの大きさを誇る木々が、鬱蒼と生い茂っている。森の向こうには山がそびえており、大地の懐の広さを見せつけていた。
さらに森と草原の境目には若木が芽吹いていて、まだ拡大しつつある。俺は感心して口笛を吹いた。
「それで狩場は」
「もりのいりぐちのきにね~、さんかくのしるしつけてあるの。そこからはいって~」
「そこから先は」
「ばけものにおいかけられて、みちができてるの。それにじめんにいしをおとして、わかるようにしてあるんだ」
「木は大体どこらへんだ?」
「もっとみぎ~」
俺は躯体を曲がらせて、森の縁を並走させた。やがて幹に、大きな三角の傷を持つ木を見つける。俺はそこから森にはいった。
辺りが緑に覆われ、世界が緑に染まっていく。森の木々は五月雨が遥か見上げるところに葉を茂らせていた。それが陽光を遮り、森の中はうっすらと闇を孕んでいた。
「視界が悪い……あの化け物に不意打ちされるかもしれんな」
俺は躯体の上腕部に取りつけた、サブアームの拳銃を装備した。
「あれ~。せなかのおっきいのにしないの~?」
「取り回しが悪い。相手に向けて撃たなければ意味がないんだ」
俺は説明しつつ、床に散らばる石ころの後を追って、森の奥に進んでいく。森を疾駆する躯体が、旋風を巻き起こす。木々の葉が揺れ、ざわめきが起こり、枝で羽を休めていた鳥が飛び立っていく。
視界が開けた。
そこは森の中に、ぽっかりとできた小さな広場だった。中央に湖があり、それを取り巻くようにして、赤い果実を持つ樹が茂っている。周囲には俺の背の丈程の植物が生えていて、そこにも小ぶりな黄色い果実が実っていた。
「ここか?」
「そ~」
今の所、化け物の気配はない。さっさと仕事にかかろう。
俺は湖の縁に行き、機体に片膝をつかせる降着姿勢を取った。クッションが萎んでいき、身体に自由が戻って来る。そして搭乗口を開けると、黒髪を先に下ろした。
「先に食い物を取れるだけ取ってくれ。巨人のケツに取っ手があるだろ。そこを引くと、中が物入れになっている。そこに突っ込めるだけ突っ込め」
「え!? ナガセこないの?」
黒髪はちょっと心配そうに俺を見上げた。そして地面に降りず、そのまま宙ぶらりになっている。
「大丈夫だ。独りで逃げたりしない。信じられるか?」
「ん……ひとりはいや。こわい。こわいよ」
黒髪は少し口ごもり、視線を反らして呻いた。俺は困って腕を組んだ。無論黒髪を囮にするつもりはない。見捨てるつもりもない。ただ、化け物がいつ来てもいいように、人攻機で待機していたい。ここは三百六十度森で囲まれている。いつどこからあの猿が駆けて来るのか分からないのだ。
だが、黒髪に独りで行けと言い聞かせた所で、その作業はきっと酷く鈍いものになるだろう。焦りで手元が疎かになり、不安で俺の方を何度も振り返るだろう。
「分かった。俺も行く。少し待ってくれ」
まずは水だ。俺は背負ったタンクのホースを、湖に垂らした。そしてコンプレッサーを起動し、吸い上げ始める。次に、俺は躯体足裏の集音スパイクを出し、異常な音源を察知したら警報を鳴らすように設定した。あのバカでかい猿の足音だ。きっと先手を打てるだろう。
俺は黒髪と共に躯体から降りた。そこで黒髪の表情は、花が咲いたように明るくなり、無邪気に湖の周りを走り始めた。
「おい。本来の目的を忘れるなよ。それにあまり騒ぐな」
俺は用意したバスケットを黒髪に投げた。
「あ~い」
黒髪は湖の周りにある赤い果実の収集を始めた。彼女は人攻機の傍を離れようとしない。やはり怖いのだろう。俺はそこを黒髪に任せ、黄色い小ぶりな果実をもぐことにした。
黄色の果実はレモンによく似ていて、菱形をしている。スンと匂いを嗅いでみると、鼻の奥にハッカのような爽やかな香りが抜けていった。
「見た事のない果実だ……レモンに似ているが……」
ユートピア計画では、一度大地をマグマに沈め、再び環境を創り上げる。その時『人間にとって過酷すぎる環境』が偶発的に生まれないように、大地が出来上がると同時に様々な植物の種が投下された。理論上、壊滅以前の地球に似た環境が創られるはずだったが、やはり多少の誤差が生じたらしい。独自の進化や、環境に合わせて変異したのだろう。
「ナガセ! たべて! たべて! これおいしいよ!」
黒髪が赤い果実を俺に差し出した。それは形はリンゴに似ている。だが手に取ってみると、リンゴのように固くなく、トマトとよく似た感触をしていた。
俺は赤い果実を黒髪に投げ返すと、五月雨の方を指した。
「俺はいい。全部巨人に積むんだ……ああ、お前もできるだけ食うな。後で吐くぞ」
黒髪は非難の声を上げて、なおも果実を押し付けてきた。だが手で追い払うと、すごすごと巨人の元に戻っていった。
俺も手持ちのバスケットが一杯になったので、一度五月雨に戻る。それを何度か繰り返すうちに、湖の果実はほとんどなくなってしまった。
「元から量がある訳ではなかったしな……まぁ機動要塞のバイオプラントも、時間が経てば次の実を実らせたし、気にする事でもないか……」
未だに化け物が湖に訪れる気配はない。俺は他にめぼしいものは無いか、広場に目を凝らした。そこで、木々の根元に生えている山菜を見つけた。それはぜんまいによく似て、先端が渦を巻いていた。
「お? 美味そうだな……ふふ。汚染世界では高級品だったからな……む? キノコまである」
俺はぜんまいの隣で芽吹いていた、地味な色をした、かさの小さいキノコに手を伸ばした。
「だめぇ!」
黒髪が俺の腕に飛びつき、それを止めた。
「それはだめだよ! よわいのもってるから! まえにたべたこ、ちをどば~っとはいてしんじゃったよ!」
俺はごくりと生唾を飲んだ。迂闊だった。ここは国家によって管理された移動要塞ではないのだ。国家の検閲を経た、安全なものがある訳ではない。それに先程気付いたように、この地球の植物は、独自の進化を遂げている。今までの知識と経験が通用しないのだ。
「このキノコで間違いないか?」
「うん! あぶないの、みんなでおぼえるから……」
「わかった。じゃあ、俺も覚えたいから、これは別に持って帰るぞ」
俺は浮かない顔をする黒髪を余所に、キノコを胸元のライフスキンの皮で包み込んだ。
「それとここの水は大丈夫なのか? 飲んだ後お腹が痛くなったりしなかったのか」
「うん。ここのみずをのむと、おちつくよ!」
そうだな。この世界のデーターベースも作らなければな。俺は山菜を摘みながら、今後のことをおぼろげに考え始める。
まずは全員を健康にしなければなるまい。その上で十分な食料と水を確保し、それから――それから――どうする?
俺は頭の中が真っ白になった。
俺はどうするべきなのか? ここにいていい存在なのか? そもそも何で俺はここにいるのか? 彼女たちは何だ? ここにいるべき存在なのか? そもそも何で彼女たちはあそこにいたのか?
ひょっとしたら、俺はとんでもない事をしているのかもしれない――
自然と俺の手は止まり、地面から顔を出す草の根元を、意味も無く見つめていた。不意に背中に誰かが触る。俺は驚いて振り向くと、黒髪が怯えた表情で俺を覗き込んでいた。
「ナガセ? かおこわいよ? どうしたの? ばけものいるの?」
「いや、なんでも――」
けたたましい、ブザーの音が響いた。俺の頭から余計な考えがすっ飛ぶ。即座に黒髪を抱え上げ、五月雨まで走った。
股間の搭乗口に飛び込み、猫を摘み上げるように黒髪をコクピットに引きずり込む。手に持っていた山菜を全て黒髪に押し付けて膝の上に座らせる。俺はスロットルをアイドルからミリタリーに入れた。クッションが膨らみ、二人の身体を包み始める。俺は身体が徐々に圧迫されるのを感じながらモニターを見た。まず敵だ。
集音スパイクによると――囲まれているだと! 音源は全てで一六つ。それが広場をぐるりと取り囲み、包囲網を狭めて来る。
「なぜこんなに接近されるまで気づかなかった!」
俺は背負った八八式に装備を変えながら怒鳴った。マスターアームオン。トリガーに指をかける。
「わたしにいわれても……」
膝の上で黒髪が涙声を出す。俺は彼女の頭を顎で押さえながら、じっとセンサーに目を凝らした。音源は一定の速度で接近している。それでいてセンサーが感知できなかったという事は、敵は巨大な猿ではない。ムカデでもない。地面を這うような静かな移動法を持つ、もっと小さな何かだ。
俺は顎で黒髪の頭を叩いた。
「お前に怒っている訳ではない。いいか。これから派手に暴れるぞ。下手に身体に力を入れるな。身体を痛めるだけだからな」
黒髪が頷いて、身体の力を抜いた。だが緊張しているのか、つばを飲み込む音がし、ライフスキンから汗がにじんできた。
俺はタンクのホースを巻き上げた。タンクはほぼ満タンだ。後はここを去るだけだ――が。
「動けん……乱れなく輪を狭めてきている……敵の姿を拝んでからだな……」
やがて、俺の耳にも何かが木の葉を揺らして近づいてくる音が聞こえ始めた。枝葉が揺れるのも目に見え始める。
成程。敵は小さい。丁度、俺の背の丈程の草木が揺れている。だが得体の知れない恐怖が俺の胃を突き上げて来る。
そして、草の根をかき分けて、それが広場に入ってきた。
肉の袋。
一目見た感想がそれだ。それは達磨のような身体に、不揃いな人間の手足を出鱈目に生やしていた。身体の中央はぱっくりと裂けて、そこが大きな口となっている。口にはいびつな形をした歯が、まるでノコギリの刃のように並んでおり、それが呼吸をするたびにキシキシと鳴った。口の周りには目がついている。眼は蜘蛛のように複数あり、そのどれもが俺のことをじっと見つめていた。
それは不揃いな脚で地面を蹴り、五月雨へと這い寄ってきた。
「くたばれ人外め!」
俺は吠えると、トリガーを引き絞った。肉の袋が跳ね上がり、瞬く間にミンチになる。するとそれに呼応するかのように、四方八方から肉の袋が飛び出し、恐るべき速さで這い寄ってきた。その動きは蛇よりも早く、そして犬よりも静かだった。
俺は来た道を戻る。その方向から肉袋が二匹飛びかかって来た。まるで蚤のように肉袋は跳ねて、躯体に取りつこうとする。
俺も負けじと躯体を跳躍させる。そして一匹を足蹴にして踏み潰した。まるで地面に叩き付けられたトマトのように、大地に血の池が広がる。もう一匹はその大きな口で、左腕に食らいついてきた。
「それしきで、カーボンファイバー製の装甲が――」
アラートが鳴った。見ると躯体左腕の装甲に異常発生を知らせている。俺は目を剥くと、近場の木に思いっきり左腕を叩きつけた。肉袋が木と腕に押し潰されて、高い悲鳴を上げて剥がれ落ちる。同時に、装甲の一部がべろりとめくれ上がった。
「何だ!」
俺は走りながら、左腕をモニタの前にかかげた。左腕には、肉袋の唾液らしきものがベッタリと付着していた。それは装甲を歪ませて内部に浸食し、白い煙を噴き上げていた。
酸? ではないな。分からんがこのままでは骨格をやられる。
俺は舌打ちと共に、左腕装甲をパージした。五月雨の装甲が地面に転がり、まるで紙のように萎びていった。それだけでは止まらない。今度は肉袋を踏みつぶした右足からアラート。超音波センサーが破損している。こっちは放置するしかない。
俺はバックカメラで背後の様子を確認する。地面を這って六匹。木の枝を飛び跳ねて十匹、追ってきている。
俺は今までの機動ログを呼び出した。そして、この森に入った時のログを呼び出し、そのルート通りに自走するようコンピューターに命じる。GPSと連動していないから、どうしても誤差が生じるが仕方ない。俺の方は背後に八八式を向けた。
枝の上を飛んでいた肉袋が、躯体へと飛びかかって来た。
落ち着け。自分に言い聞かせながらトリガーを絞る。一匹が空中で肉片になった。二匹目、下半身を拭き飛ばされ、地面に墜落する。三匹目は狙いを外してしまう。だから八八式の銃身で思いっきり横に殴りつけた。三匹目は森の中に消えた。
俺は森から飛び出した。草原を超えた先にドームポリスが見える。
「アイアンワンド!」
『サー。ご命令を』
「倉庫を開けろ! 二時間はたったぞ! いけるな!?」
『サー。倉庫を開くことは可能。閉じる分の電力が確保できません。閉鎖可能な電力の確保まであと十分』
「何故予定がずれた!?」
『サー。雲のせいです。もし完全な情報が欲しければ、衛星との連結を――』
「倉庫を開けろ!」
『サー。イエッサー』
ドームポリスの倉庫が開き始める。
バックカメラを確認。続々と森から肉袋が出て来る。だが広い所に出てしまえばこっちのものだ。俺は綺麗な陣形を組んで這い寄って来る肉袋に八八式を乱射した。地面が大きく抉れ、八匹くらいが肉の塊となって消し飛ぶ。肉袋は即座に陣形を建て直し、なおも追い縋って来る。
「恐怖はないのか……!」
弾が切れた八八式をバックパックに戻し拳銃を抜く。そして肉袋に向けて乱射した。単発だし、集弾率も低い。三匹しか潰せなかった。肉袋は残り二匹に減っていた。
ドームポリスがすぐ目の前に迫っている。倉庫の扉が開き、女たちが興味深げに飛び出して来た。だが俺の躯体とそれを追う肉袋を目にして、中に引っ込んだ。
俺もそれに続き、ドームポリス内に飛び込む。そして何か武器になるものを探した。
ちらと傷だらけになったダストボックスが目に入る。いかん。何を考えてるんだ俺は。他にあるものと言えば……何もない!
ええい。ままよ!
俺はドームポリスの外に飛び出して、右足で一匹を踏みつぶした。アラートと共に、躯体がぐらりと右側に傾いていく。右足の骨格まで溶かされてしまったらしい。
すかさず最後の一匹が胴体に食らいついてくる。胸元の装甲が歪み、まるでチョコレートをかじるかのように、肉袋が装甲を食いむしる。胸部装甲をパージ。人攻機の胸板が剥がれ落ち、肉袋は胸部装甲に覆われる形で地面に落ちていった。
俺は肘を地面に突き立てるようにして、傾いた躯体を胸部装甲の上に倒れさせた。肉袋は大地と肘に挟まれ、嫌な音を立てて潰れた。
肉袋の体液が染みてくる前に、俺は躯体を立たせた。森から出てくる影はナシ。ようやく一息つけそうだ。俺は躯体の限界値を再設定して、倉庫まで自走できるように調整を始める。作業しながら膝の上の黒髪の肩を叩いた。
「ありがとうな。良く頑張ってくれた。お前のおかげでみんな助かるぞ」
黒髪は全く反応しない。首でも痛めたか気を失ったか。俺は黒髪の顔をこちらに向けさせ、その表情を覗き込んだ。
「ぐるぐる~……ぐるぐる~も・う・だ・め……ぎ・ぼ・ぢ・わ・る・い」
黒髪は顔を真っ青にして、口の端から唾液を垂らしている。やがて全身を震わせて鳥肌を立てると、身体をくの字に折った。
「ヴォエ!」
彼女はヘルメット内に派手に嘔吐した。ヘルメットの口の部分には異物吸引装置がある。それが残りカス以外の汚物を吸入した。
俺は溜息をついて、その背中を撫でてやった。
『サー。電力の確保を完了。倉庫を閉鎖しますか?』
アイアンワンドから通信が入った。
「閉鎖は中止だ。次の命を待て」
俺はムスッと返事をした。