嗜虐-3
俺はダクト内を移動する。そして九階監督区画前にある、エントランスの通風孔で時を待つことにした。ここはドームポリス攻略時に、アジリアたちが通過した場所である。円形のエントランスは分厚い鉄の壁で二つに隔てられており、通風孔側にはエレベーターが、壁の向こうにはサブコントロールのある監督区画へと繋がっている。
ロータスはここに食料を運ばせている。奴がいるのは監督区画か、そこに通づる場所だろう。
俺はデリンジャーのグリップを指で弄りながら、ダクトの闇と同化して、変化が起きるのをじっと待った。
一時間ほど経過しただろうか。
『異常事態発生。異常事態発生。九階第三セクターの機関部にて異常発生。至急点検されたし』
ドームポリス内に、アイアンワンドのアナウンスが流れる。すぐに駆け足の音がして、俺の眼下をアカシアとパンジーが走り抜けていった。アカシアは何も知らないようで、苛立ちで拗ねた顔つきをしながら、一心不乱に目的地を目指している。その後ろを詰めるパンジーは、不安そうな面持ちで、頭上の通風孔に視線を送っていた。俺の姿を探しているのだろう。
次に、アイリスのアナウンスが流れた。
『ロータス? 監禁しているサクラとアジリアの容体がおかしいです。二人を一時的に薬品室に移します。よろしいでしょうか?』
人の生死がかかっているにしては、妙に落ち着いた口調である。ヒステリックな彼女なら喚いてもよさそうなものだがな。恐らくパンジーは、アイリスには教えたのだろう。
『あん? あ~……でもそいつら糞生意気だしねぇ……』
『死んだらどうしようもないですよ。お願いします。早く判断を』
アイリスがせっつく。ロータスが不機嫌そうに、鼻を鳴らす音がした。
『仕方ないわねぇ。別にいいわよ。ちゃちゃっとやって元気にして。あとでお仕置きの一発食らっても、平気なまでに回復させといてよ~』
無音の一時が訪れ――すぐにロータスが不審点に気付いて、慌ててアナウンスを流した。
『ちょと待て。何で治療室じゃなくて薬品保管室なのよ。行くなら治療室でしょ~間違えないでよね~……ネェ……どうして薬品保管室にいるのかしら? アイアンワンドでアンタが何処にいるのかはお見通しなのよ。今すぐそこを出ないと、きっついビリビリお見舞いするわよ』
ロータスの声が、怒りを孕んで低いものになる。しかしそれは、すぐ驚きに上ずった。
『えっ? あっ? ちょっと~? デージー、サン。何で仕事場から離れて機関部にいるのぉ? 異常が発生したのは九階よ。そこは七階。全然違うッつーの。すぐ持ち場に戻れオイ! ピオニーお前もだよ! 勝手に動いてんじゃねぇノータリンブス!』
アナウンスの声に混じり、わたわたとコンソールを叩く音がする。全員が一斉に想定外の行動をとったため、情報の把握に躍起になっている様である。そんな事をしている間にも、彼女らは無事避難を進めている事だろう。
『おいローズクソガキ連れてどこに行くつもりだ! なに口答えしてんのよ……サボり? って……皆どうして勝手に動いて集まってるのかなぁ? あん……良くないこと考えてるみたいね。レベル5イっちゃうわよ~。まぁたションベン垂らしてひくひくするハメになるけどいいの? 大人しく出てきたらレベル3で許してあげる』
「えっ……いやぁぁぁぁぁ!」
九階の廊下から、アカシアと思しき絶叫が響いて来る。しかしすぐに呻き声に変わり、プロテアが勇ましく啖呵を切る声に変わった。
「おう! おめえのやり方に俺たちはうんざりしてんだ! やれるものならやってみろ! もうお前の言う事は聞かないからな!」
ロータスは嗜虐心をそそられたように、くすくすと笑った。
『意固地になるのは駄目よ~ダメダメ。アンタは勇ましくて、潔癖で、強いって分かってるわぁ。私じゃかないっこない。ウン。それは分かってるわぁ。だから代わりにパギちゃんにメってするわぁ~……』
この脅しを耳にして、プロテアの声が裏返った。
「なっ! パギは関係ないだろこのジンチク野郎! 俺にこい! 俺にこいよ! テメェパギには手を出すんじゃねぇ! やめろよ! 俺が遊んでやるァ!」
『遊んでくれるの? 嬉しいわぁ。良い悲鳴聞かせてねぇ。アイアンワンド。パギは暴徒よ。レベル4。やっておしまい!』
「この腐れ外道がぁぁぁ!」
そろそろ頃合いかな。俺は通風孔の金網を蹴り落とす。そしてダクトから出て、エントランスに降り立つと、近くの監視カメラを睨み上げた。
「随分と景気が良さそうだな」
突然の俺の登場に、場はしんと静まり返る。やがて取り乱したロータスの悲鳴が、スピーカーからこだました。
『のわぁッ!? っとォ! ナナナナ……ナガセェ!? てッテメェ! 死んだはずだろいいい一体何でぇ!』
まるで鳩が豆鉄砲を食らったような反応だ。俺は笑いを堪えつつ、諸手を広げで健在をアピールして見せた。
「御覧の通りだ。だがそんな事はどうでもいい。俺がいない間、随分と好き勝手やってくれたようだな……」
ロータスがごくりと生唾を飲む音がする。同時に緊張で息が上がる気配も。かなりショックを受けているようだ。
俺は正直戦いたい。だが大義名分が失われつつある。アロウズは俺を縛り、置いてきぼりにした。はっきりと敵対した。だから一切の予断なく、戦闘に突入出来たのだ。今回もそうでなければなるまい。
「一回しか言わん。武器を捨てて投降しろ。それならお叱りだけで済ませてやる」
スピーカーから、声にならない呻きを漏らす。どうしようか迷っているようだ。だが彼女は唐突に、ふっと笑い声を漏らした。それは次第に大きくなり、意地の悪い哄笑となって、ドームポリス中を揺るがした。
『もうお前の天下は終わったんだよ。今じゃ私がアイアンワンドを握ってるし、武器だってたくさんある。もうお前じゃ勝てないんだ。逆に聞いてやるよ。這いつくばって私の靴を舐めるなら、生かしておいてあげるわん』
俺は満面の笑みを浮かべた。
「それはNOという事でいいんだな?」
『お前もNOという事でいいんだな? アイアンワンド。こいつは不審者だ! レベル5殺せェ!』
『マム・イエスマム』
俺は腰に手を当てて、身体に電流が走るのを大人しく待った。しかしいつまで待っても電撃は襲ってこない。
『エラー。命令を執行できません。コンディション確認。異常ナシ。エラー。ヒューマンエラーの可能性大。至急点検を実行して下さい――』
『……は?』
アイアンワンドの報告に、ロータスが間抜けな声を出した。俺は説明するのも面倒臭くて、ぽりと頭を掻いた。
「電撃の仕組みについて知っているか? ドームポリス内のアンテナはな、電波の他にもマイクロ波を送れるんだ。そのエネルギーをライフスキンで電力に変換し、電撃を与えている」
そして俺はチョーカーの嵌っていない首を、爪で軽く引っ掻いて見せた。
「受信機であるチョーカーが無ければ意味がないんだよ。それにどうせやるなら、マイクロ波でそのまま焼き殺す方を選んだ方が賢いぞ。全身の血を沸騰させてボン。楽に殺せる」
ロータスは余裕の俺に当惑しつつ、アイアンワンドに聞いた。
『そんなことできるの? アイアンワンド』
『マム。イエスマム。マイクロ波をウェーブ状に放射し、対象を焼き殺すことは可能です』
『じゃあこいつを焼き殺せ!』
『エラー。命令を執行できません。コンディション確認。異常ナシ。エラー。ヒューマンエラーの可能性大。至急点検を実行して下さい――』
『なにしやがったテメェ!』
ロータスが怒りに吠え猛る。
俺は別に大したことをしていない。エントランスの送電線を切って、コンディションパネルに異常ナシの信号を送るよう、細工をしただけだ。もちろん細工する時にエラー報告が出るが、あんなに故障と修理の毎日じゃ、どれが人為的なエラーなのかわからないだろう。お前は管理者失格だ。
俺はもう一度腰に手を当てて、出来るだけ穏やかな口調で言った。
「俺はすごぶる機嫌が悪い。ここらへんでやめて置け」
ロータスが黙り込む。怒りに身体を戦慄かせているのか、コンソールを爪が引っ掻くキリキリという音が、微かに聞こえてきた。しかしロータスは大きく息を吐いて、落ち着きを取り戻す。そして脅すように、低い唸り声を上げた。
『ナガセ……お前あいつらが大事なんだろ』
「あいつら……?」
『そうさ女たちさ! 訓練の時苦しそうだったもんなぁ! いいのか! お前が生意気コクとあいつらがひどい目に合うのよ! 電撃ビリビリってねぇ! もしチョーカーを外させたんなら後悔しな! お前のせいだ! 電撃を使えなくしたお前が悪いんだからな! まいくろ何とかで焼き殺してやる!』
俺は鼻で笑った。
「やれるものならやってみろ」
『上等だボケ! アイアンワンド。まずは反抗的なクソッタレ共だ! サクラとアジリアをまいくろ何とかで焼き殺せ!』
『マム。効果範囲内に対象者がいません』
『何なんだチクショーがこのクソッタレェェェ!』
アイアンワンドの即答に、ロータスがキレたようだ。彼女はガンガンとコンソールを殴りつけ、息の続く限り悪罵を連ねた。それは機械が幾つか壊れ、声にダミがかかるまで続く。やがて気が済んだのか、彼女は荒い呼吸をつくだけになった。
「あのなぁ……機関部や薬品保管室に、アンテナがあるわきゃないだろ。引火したらどうするんだ? だから立て籠もられないよう鍵を閉めたり、入室許可を出したりして厳重に管理するんだ。お山の大将さんよ……」
これではっきりした。ロータスは危険だ。そして彼女らを殺そうともした。ぐちゃぐちゃにしても、誰も文句言うまい。
「まぁ……もうどうでもいいな……貴様は俺たちのたった一つのタブーを犯した……有罪」
俺はカメラ越しにこちらを見ているであろう彼女に、殺意で尖る視線を送った。
「……今からそちらへ行くぞ。アロウズ」
ロータスが一瞬、怯んで息を飲む。だがそれはすぐに、強気に息巻く野蛮な声にとって変わった。
『上等だァこのイ○ポ野郎! 来てみろよ! ミンチにしてアタシのションベン引っ掛けてやる! それでハンバーグこねてあいつらに食わせてやるわ!』
ゲーム開始だ。
俺はずかずかと、エントランスと監督区画を区切る鉄壁に歩み寄った。壁の中央は通路になっており、左右には窓口が構えられカウンターとなっている。右側の窓口は強化ガラスで封がされているが、もう左側はキャリアのアーマーで雑に塞がれていた。恐らくアジリアがデトコードで開けた穴を、ロータスが塞がせたのだろう。
雑な補修なだけあって、軽く力を込めただけでアーマーは剥がれ落ちる。俺は露わになった窓口の穴を潜って、監督区画へと足を踏み入れた。
「さてと……ここから先のアンテナは生きてるしな……」
またダクトを移動する羽目になりそうだ。俺はぐるりと頭を巡らせて、通風孔を探した。
カウンターの中はまるで事務所の様だ。窓口前には事務机がキッチリと置かれ、その背後にファイルキャビネットが整然と並んでいる。だがここには通風孔が無いらしい。代わりにエアシュート(空気の力で専用の筒を送る装置)が設置されているようだ。
仕方なく用心して、向かいのカウンターへと移動する。こちらにはきちんと、天井に通風孔が設置されている。俺は事務所机を踏み台にし、通風孔のカバーを外そうとした。
その時、俺の足が何を踏んで、軽く滑った。視線を落とすと、足が小さな紙片を踏みつけている。
拾ってみると、それは手紙の様だ。俺の足跡のついた表面には、「一万年後の私へ」と、可愛い文字でつづってあった。
俺は無言でその手紙を、懐の中に捻じ込んだ。




