過去-1
あのクソッタレがアイアンワンドを掌握して、早や三日が経とうとしている。
私は弾薬箱を抱えて、居住区の廊下をのそのそと歩いていた。
「おい! こっちを手伝え!」
プロテアの大声が、廊下の向こうから響いて来る。怒りと言うよりは、切羽詰まった声色だ。仕方がない。彼女の指揮によって、仕事の成否が。仕事の成否によって、罰則の有無が決まるのだから。電撃レベル4の威力を知った彼女たちは、その猛威を心底恐れていた。
廊下は電撃による失禁によって、酷いアンモニア臭が立ち込めるようになってしまっている。夏の熱気に煽られて、廊下内はむせかえるような異臭が立ち込めていた。だが誰も掃除しようとはしない。そんな暇があれば仕事をしなければならないし、掃除なんて仕事ないからだ。
異形生命体から取り返した居住区は、今度は私たちのションベンで汚れる事になった訳だ。畜生め。
不意に近くのドアがスライドして、マリアとアカシアが飛び出してくる。彼女らは青い顔をしながら、プロテアの声がする方へと走って行こうとした。だが同じ部屋から二人の後を追って、サンが躍り出て来た。
「何やってんのよ! 持ち場を離れないで! こっちの仕事が時間内に終わらないじゃない!」
マリアとアカシアがその場で足を止める。だがプロテアからの、悲痛な催促が止むことも無かった。
「早く来てくれ! 誰でもいい!」
サンは舌打ち(サンの性格からするとあり得ない事だが、確かにした)すると、マリアに助けに行くように顎でしゃくる。そしてアカシアの腕を引っ掴んで、部屋へと戻っていた。
許可を得たマリアは、プロテアの元へと走っていく。そして廊下の向こうからやって来た、ピオニーとデージーとすれ違った。
ピオニーは右手から血を垂らしつつ、泣きべそをかいていた。どうやらまた指を切ったらしい。工具なぞ使った事もないのに、整備に駆り出されているから仕方がない。そう言った不慣れな仕事のせいで、彼女の両手は青痣と切り傷で荒んでいた。この調子じゃいつ手首を切り落とすか、分かったものじゃあない。
「ひ~ん……また怪我しましたぁ……」
ピオニーが泣くと、連れ添っていたデージーがいらいらしながら叫んだ。
「仕事増やすなよお前トロイんだからこの馬鹿馬鹿! もう早くしなくちゃいけないのにどうすんだよ!」
「でもぉ~私整備なんてやったことなくてぇ~」
ピオニーは理不尽そうに、唇を尖らせる。だがデージーは欠片も同情せずに、より声を荒げるだけだった。
「今までサボった罰だろ! 自業自得だ自業自得!」
その喧騒を聞きつけてか、サンの向かいの部屋から、ローズが顔を出す。彼女は表情を厳しくしながら、デージーの前に立ちはだかった。
「その言い方はないんじゃないの! ピオニーはいつもご飯を作ってくれていたのよ!」
デージーはローズをきつい目つきで睨み返す。
「黙れこの馬鹿! もともと言えばお前がナガセを殺そうとしたのがいけないんだぞ! 私に話しかけるな裏切者! 近寄るな! あっち行け! お前絶対恨んでやるからな!」
ローズはその暴言を聞いて、唇を強く噛みしめる。そして少し腰を折って、デージーに目線を合わせると、火花が散る程睨みあった。
「その言い方は何……あなただって見ているだけで何もしなかったでしょ! サクラやアイリス、アカシアに言われるんだったら別にいいわよ! アンタみたいな日和見野郎に言われるの、物凄く腹が立つんデスケド!」
「お前らが銃を振り回すからだろ!」
デージーの反論に、ローズは言葉を詰まらせる。だがデージーも偉そうに言えた義理ではないはずだがな。口だけなら何とでも言える。それにコトが終わった後ならなおさらだ。
デージーを待つピオニーは、険悪な雰囲気に居た堪れなさそうにしている。やがて彼女は遠慮がちに、二人に声をかけた。
「あの~……私がとろいのは事実ですしぃ……ご飯さんしか作らなかったのも事実ですしぃ……私が怒られるのは分かるんですけどぉ……どうしてお二人が喧嘩するんですかぁ……」
「知るか馬鹿黙れ!」
デージーは吠えて、ピオニーを進行先へと突き飛ばした。黙り込んでいたローズだったが、それを見てデージーの肩に掴みかかった。
「いい加減にしなさいよあなた!」
デージーとローズが取っ組み合いを始める。ローズは言わずもなが、デージーは格闘技の成績がすごぶる悪い。それに睡眠不足と最悪の環境が重なっているのだ。二人はまるで子供の駄々ような喧嘩を始めた。互いに掴んだ服を引っ張って、奇声を上げるだけだ。
しかし彼女らのあげる怒声と悲鳴は、崖っぷちの人間が上げる真に迫ったものだ。子供の精神にとっては、何より鋭いナイフだった。二人の決着がつくより早く、どこからともなくパギの泣き叫びが上がった。
デージーとローズはすぐに喧嘩を止めた。しかしデージーは争いをやめたものの、きつい目つきでローズを睨むのを止めなかった。しゃしゃり出たお前が悪いと言わんばかりだ。
一方ローズは気まずそうに俯いて、所在なさげな様子である。パギが泣いたのが、余程こたえたようだ。彼女はデージーの袖を引いて、近くの部屋に連れ込もうとした。
「向こうで決着を付けましょ。パギが可愛そうよ……」
してどうなる? どうせろくな決着はつかないし、お互い満足できない。確執が深まるだけだ。
私は廊下の真ん中で固まるピオニーたちを、冷たい目で見やった。
「やるならパギの前でやれ」
私の一言に、その場の全員が嫌悪感に表情を歪めた。今度は私が悪者か。楽しい事だ。
「出来ないなら耐えろ。パギは貴様らが暴れるまで耐えていた。どけ。邪魔だ」
私は廊下を塞ぐローズを、脇へと押しやった。そして彼女らの横を通り過ぎようとした。
デージーが私の腕を掴んで引き止める。そして怒気を孕んだ声で、囁きかけて来た。
「お前のせいでもあるんだぞ……お前がアイアンワンドをあの馬鹿にあげちゃったから……」
口だけの奴は始末が悪い。じゃあその弁舌で言って欲しい事があるぞ。
「ほ~う? じゃあ医務室のリリィに、どうして犠牲にならなかったと言って来い。面と向かってな。どけ」
今度はデージーが声を詰まらせる番だった。彼女は何も言う事が出来ず、ただ苛立ちのはけ口を探すよう、虚空に視線を彷徨わせた。そして私の腕を掴む手に、より力を込めてくる。
貴様に時間をかけてる余裕はないんだがな。私は心中で溜息をついた。
「なんだ? じゃあ二人でお見舞いに行くか? 私は早く元気になれと言うが……お前は何と言うんだ?」
「悪かったよ!」
デージーはそう叫ぶと、乱暴に私から手を離した。
分かっている。誰もリリィの死は望んじゃいない。だがこう辛い日が続いては、道徳も歪む。
状況は最悪である。
ロータスが権限を掌握して以降、悪政が続いている。機嫌を損ねると厳罰、仕事の出来が悪いと厳罰、厳罰の結果仕事が遅れても厳罰、負のスパイラルだ。奴自身はサブコントロールルームにある監督区画に陣取り、皆にその階への立ち入りを禁じている。
ちなみにロータスからは、3つの仕事が下された。食料の確保、ドームポリス内の開拓、そして外の探索である。しかし仕事の効率は悪く、ナガセがいた頃の十分の一も発揮できていない。それがロータスの不満に拍車をかけていた。
ナガセは几帳面な性格だ。何事も記録を取り、適性を考え、そして現場を確認していた。そのナガセがいなくなり、記録がないため情報が錯綜し、適性を考えないためミスが連発し、現場の監督がいないため指揮が執れていないのだ。効率がいいはずがない。
そこで私が指揮を執ろうとした。しかし残念なことに、彼女らは私の言葉に耳を貸さなかった。現状を招いた私を許せないのが半分、ナガセ程頼りにならないのが半分といたところだろう。あいつがいた頃はそこそこいう事を聞いてくれていたのだが――所詮は奴の権威のおこぼれを、着飾っていたにすぎないという事だ。一番のショックだ。
弾薬箱を抱えたまま、非常階段にでて下へ降りていく。光の取り込み窓から、外の景色がちらりと見えた。
この盆地の中に、草一つない荒野が広がっている。そこには異形生命体が群れて、赤い波となってひしめき合っていた。誘引先から全て戻り、またここを拠点に生活を始めたのだ。
ハン。ここを突破して食料を探しに行けか。ナガセですらやっとこさ、ここを出入りする事が出来たのだ。ロータスの指揮じゃ全員が死ぬだろうな。だが持ち込んだ食料は、全員奴の元に移動させられた。飢え死にしたくなかったら、何とかするしかない。
ぼぅっと荒野の異形生命体を眺めていると、轟音がして唐突に遠方で火柱が上がる。それは数匹のマシラを肉片に変えて、空へと打ち上げた。火柱は立て続けに荒野に立ち上がる。よくよく見るとそれは、このドームポリスから何かが発射されて巻き起こっているようだ。
「あの馬鹿……また武器で遊んでいるな……」
ロータスの日課の様なものだ。保管庫の武器を適当に見繕い、私たちにヘリポートに運ばせて試射しているのだ。ナガセが見たら勿体ないと、卒倒するだろうな。
次々に上がる火柱、空気を揺らす轟音、それに混じる異形生命体の悲鳴を聞き流す。そして私は5階の、非常階段の踊り場までやって来た。
そこではパンジーとプロテアが、壁に寄り掛かって休憩をしている途中だった。
二人は率先してドームポリス内の開拓を行ってくれている。幽閉した異形生命体を掃討し、部屋を一つずつ開放しているのだ。
おかげで二人のライフスキンは、マシラやヤマンバの血でドロドロに汚れている。そしてジンチクの返り血を軽く浴び、スキンが斑点上に破けていた。プロテアもパンジーも最初の頃は、血の気色悪さと異臭に顔をしかめていた。だが今ではすっかり慣れた様子で、顔色一つ変えていない。誰がどう見ても悪い変化だった。
「調子はどうだ?」
私が聞くと、プロテアは「上々だ」と皮肉を言った。
「ロータスも分かんねぇな。閉じ込めた奴らはほっときゃ餓死するのに。何か欲しいものがあるのかね?」
彼女はぼやきながら、拾いものの煙草を口に咥える。そしてサバイバルキットのマッチで火を点けて、紫煙を辺りに撒き散らした。
私も不安で口が寂しい。指で欲しいとジェスチャーを送ると、プロテアはクシャクシャになった煙草の箱を私に投げてよこした。一本咥えて、プロテアの煙草の火を借りる。
深く吸って……吐く……安物だな。屑煙草って奴だ。紫煙を吐く息は、自然と溜息になった。
一息ついてから。私はプロテアに乾いた笑いを向けた。
「私たちに怪我して欲しいのさ。よしんば死んでも、残ったのは自発的に事を起こせない連中だからな。アイアンワンドが無くても、好きに牛耳れると思っている。何より重火器を手にしたから、もう勝つのは難しい」
視線を横に反らして、プロテアの隣で項垂れるパンジーを見やる。彼女は血の香りとは違う、独特の臭気を放っている。その手には『ジン』とラベリングされた、瓶をしっかり握りしめていた。
アルコールだ。ナガセが祭日以外禁じていたものだが、今では誰でも溺れる事が出来る。
私の乾いた笑いは、すぐに苦笑いになってしまった。
「パンジー。この水を飲むのを止めろ。頭がボーッとして、隙が出来る。煙草にしておけ」
私はパンジーから、ジンを取り上げようとする。パンジーは顔を上げないまま、瓶を持つ手を私から遠ざけて抵抗した。
「これが。ないと。やってられない。他に。娯楽。あるか?」
「死ぬよかましだ」
私が吐き捨てるようにして言うと、パンジーが俯かせた顔を上げる。酔っぱらって顔色は真っ赤だ。そして前髪の隙間から見える眼は、とろんとして半開きになっていた。
「どうかな。このまま。死んだ方が。マシかも。しれない」
投げやりな一言に、場の空気が一気に重くなった。
荒野からは、相も変わらず轟音が響き続けてくる。惜しげもなくこう使うのだから、結構な備蓄があるに違いない。その武器がある限り、この支配は延々と続く。その事実は大きな重圧となり、私たちの心を押し潰そうとした。
私は貰った煙草を吸いきって、吸い殻を投げ捨てる。そしてパンジーに聞いた。
「サクラはどうしてる? 私が行くと……興奮させてしまう……から」
サクラはあれから、医療室の小部屋に監禁してある。理由は簡単。ロータスに戦いを挑まれたら困るからだ。ナガセを信奉するサクラは、彼の分身のようなものだ。統率をとれるが、反ロータスの指揮を執られたら全滅するしかない。そして彼女はナガセ無き今、その事しか考えていないのである。結果小部屋に監禁するしかなくなったのだ。
パンジーは恐怖でやや引きつった笑みを浮かべた。
「ホントに。頑固。殺すと。ナガセの。二言。しか言わない。それで。ビリビリ。されてる」
「そのままだと死ぬぞ。落ち着かせられないか?」
「大丈夫。いまじゃ。ロータスが。ビビッて。放置。してる」
私は怪訝げに眉根を寄せた。身動きの取れないサクラなんて、格好のいじめの対象である。ロータスなら電撃を加えつつ、言葉で嬲る事で虐めそうなものだが。
不安がる私を余所に、パンジーはグイッとジンをあおる。そして口角から垂れた飲み溢しを袖で拭った。
「電撃する度。しょげかえるどころか。激しくなる。そして。ナガセ。ナガセ。お前殺す。ナガセ。あれは怖い」
サクラの忠臣っぷりには頭が下がる。私は気付かぬうちに、口をいの字に広げて軽く引いていた。これが愛の力か。恐ろしいものを感じるな。案外ナガセが男と私たちをくっつけようとしているのは、戦闘力の向上にあるのかもしれない。いや。本当に。
まぁ放置されているのなら、電撃で衰弱死する危険はなくなったという事だ。私はほっと胸をなでおろした。
「無事なら……いいんだ……あの境遇を作ったのは……私だから……気が咎めてな……」
「お前は悪くねぇよ……悪いのは……仲間にあんな事を出来るクソッタレの方だ……くそったれ……くそったれ……」
プロテアはぼそりと呟く。そして語尾を蚊の鳴くように擦れさせながら、汚れを落とすように自らの拳を擦りだした。話しに聞いたが、サンを殴ったのは本当らしい。罪悪感に悩むぐらいなら、最初からするな。
沈黙が息を吹き返す。
プロテアは二本目の煙草を取り出し、ぷかぷかとふかし始める。パンジーはもう一度ジンをあおった後、しっかりとふたを閉めてうたたねを始めた。
私はもってきた弾薬ケースを床に置く。そして足でプロテアの方に押し出した。
「ホラ。弾の補充だ。12.6ミリと6.5ミリだ。間違いないか?」
「あいよ。後で確認しとくよ」
プロテアはそっぽを向いて、素っ気ない返事をする。だが意味ありげな視線をこちらに向けて、煙草の火で宙に円を描き始めた。
準備できたか。
プロテアもパンジーも、ロータスの命令で開拓をやっていた訳ではない。反撃の物資を得るために、進んで開拓してくれたのだ。もちろん作業は全てロータスに見られているし、武器の類は機器認証で封じられている。認証機器のない武器を探すなんて、まず不可能だろう。だからジョーカーを切るのだ。
私はごく自然に聞いた。
「あっ。そうだ。前に頼んだ空のケース。ちゃんと用意しておいてくれたか? あれがないと整理ができん」
「中に入ってすぐの所に、積んであるよ。今取ってきてやる」
プロテアは壁から離れて、踊り場から5階のフロアへと足を踏み入れる。そして入り口脇に積まれた弾薬ケースを、一つ手に取り引き返して来た。
受け取るとそれはズシリと重く、明らかに空ではない。だが外観だけではそうと分からないだろう。
プロテアはケースを渡す際、煙草の煙にむせて前かがみになる。そして私に顔を寄せて、ひそひそと囁いた。
「後どれだけ耐えればいい?」
「少なくて一週間。多くて十日だ。あとはあの化け物の体調次第だ」
私はわざとらしく、煙草の紫雲を払う仕草をする。そして踵を返して非常階段を上がっていった。
「派手に暴れてくれ」
「マム・イエスマム」
プロテアのおどけた返礼が背中にかかった。その声色からは緊張が抜け、安堵で満ち溢れていた。




