亀裂-2
十分も待たせずに、ナガセは医療施設に運ばれてきた。
彼はストレッチャーに横たえられていて、身体中の穴と言う穴から、血を吹き出している。眼と耳からはドス黒い血を、口からは赤い唾液を、そして股間からは赤く染まった糞尿をこぼしている。この凄まじい有様を、今まで良くひた隠しに出来たものだ。私はその点においてのみ感心した。
ナガセの両脇を、サクラとアイリスが固めている。アイリスは血まみれになりながらも止血しようと躍起になり、サクラは彼の手を握りしめながら必死になって呼びかけていた。彼女らの周囲を、邪魔にならない様に遠慮しつつ、ピオニーやアカシアが取り巻いている。そして心配そうに、ストレッチャーを覗き込んでいた。
少し離れた場所では、プロテア、ローズ、パギ、そしてロータスの四人が、複雑な表情で後を追ってきていた。彼女らの様子はさながら、化け物の死を確かめに来ているようだった。
「ナガセ! ナガセ!? 返事をしてください!」
サクラが血の垂れる耳に、優しく語りかけている。だがナガセは呻くだけで、それに応えようとしなかった。するとついてきていたロータスが、小さくない声でぼやいた。
「あ~、あ~、言わんこっちゃない。調子コイてるから死んじゃった」
サクラが肩を跳ね上げて反応する。彼女はロータスに掴みかかると、壁に押し付けて怒鳴りつけた。
「口の利き方に気を付けろ……頭カチ割るわよこの野郎!」
いつもなら怒鳴り返すロータスだが、今回は違った。口元に余裕の嘲笑を貼り付けて、まじまじとサクラを見返したのだ。サクラの顔からさっと感情が消える。そして右手を振り上げて、ロータスを打とうとした。
ストレッチャーの上で、ナガセが身動ぎした。そしてまな板の上の魚の様に、身体をくねらせ始める。やがて彼はむせながら、血の塊を吐き出し始めた。
サクラは途端に顔を真っ青にして、ロータスを突き飛ばして離れる。そしてナガセの背中をさすり始めた。
「しっかりして……しっかりして……! 何がどうなっているの!? アイリス!」
アイリスがナガセの口に指を突っ込み、溜まったねちゃつく血をかき出した。それでもナガセの咳は止まらない。それどころか徐々にひどくなっていき、やがて呼吸が擦れ始めた。アイリスは金切り声を上げた。
「喉に血が詰まってる! カテーテルと呼吸器取って!」
アカシアが素早く動き、近くの棚を引っ掻き回しだす。しかしすぐに涙声を上げた。
「カテーテルって何? 呼吸器ってどれ?」
「ドケッ! 邪魔ダ!」
アイリスがヒステリックに叫んで、アカシアを突き飛ばす。そして細い管と手動ポンプを取り出すと、ナガセに取り掛かった。ナガセはカテーテルを咽喉に通され、ポンプで空気を送られる。すると次第に呼吸が整い出し、落ち着き始めた。
サクラが黙って見ていた私に気が付いた。彼女は表情を険しくして、肩を怒らせながら詰め寄って来た。
「見てないで手伝いなさいよアジリア!」
「だからここを確保した。お前こそ何とかしろ。その筒を使えば何とかなるそうじゃないか」
私は気のない返事をしつつ、ナガセが腰に吊る遺伝子補正プログラムを指した。奴に死なれたら私だって困る。この巨大な新家なんて、我々には手に余る。どう使っていいかすらも、わからないのだからな。
サクラはナガセに一言断ってから、その腰から鉄の筒を取り上げる。そしてアイリスと一緒になって、まじまじと見つめだした。
「何とかなるの……? それどう使うの……?」
見守るアカシアが不安そうに聞く。アイリスは雑音を封じるためか、無茶苦茶に喚いた。
「ビョーキナンダ何トカナルワキャネーダロコノ糞馬鹿野郎! 何トカシテコレツカウシカネーンダ! ダマッテロ!」
アカシアは涙目になりながらも、きつく口を閉じてそれ以上何も言わなかった。
さて私はと言うと、まじまじとサクラとアイリスの様子を窺っていた。正直私にもそれをどうやって使うのかがわからない。だが二人は知っているかもしれないし、何か思い出すかもしれない。
私は自分の他で、過去を知るものを頼る必要があるし、警戒する必要がある。何故なら過去は、奴と同じ危険性を秘めていると思えるからだ。私はその事にようやく考えついた。
だがサクラとアイリスは、筒を様々な方向から覗いたり、突いたり転がしたりするだけだ。そして非情な事に、筒には遺伝子補正プログラムとのラベルしか貼ってなかった。説明書なんてないのだ。
ナガセが身動ぎし、ストレッチャーから血液が零れた。二人は焦り、短慮になった。
「中に注射でも入っているのかしら……」
「慎重に割りましょう……誰かノコギリを持って来なさい!」
ピオニーがマリアと共に、わたわたと医療施設を出て行こうとする。すると部屋のドアが自動で閉まり、二人の行く手を遮る。間を置かず、スピーカーから音声が響いてきた。
『僭越ながら……それは止めになった方が宜しいかと思われます。どうしてマムたちはかような時に、私を頼られないのでしょうか』
サクラが能面のような顔で、じろりとカメラを睨み上げる。そして底冷えする声をかけた。
「アイアンワンド……壊されたいの……? C4はたっぷり残っているわよ……」
アイアンワンドは苦笑した。
『お好きになさってください。ですがそれは私の説明の後にお願いします。サーの病気について説明いたします』
その言葉に部屋中の彼女たちが、一斉に顔を上げた。
『サーの病気は、遺伝子に原因があると考えられます。よってその物品で遺伝子を補正すれば、助かる可能性が十分にあります』
聞き慣れぬ言葉に、その場にいるほぼ全員が、間の抜けた顔になった。ただ私とサクラだけが、何かを連想するように、自らの身体に視線を落とした。
「ドユコト?」
理解できないローズが聞き返す。するとアイアンワンドはかみ砕いて話した。
『簡単に言うと、サーの身体を構築する設計図が、滅茶苦茶になっています。そこで設計図を正しい図面を描き直すための、データが必要なのです。それがマム・サクラのお持ちになっている遺伝子補正プログラムです』
「じゃあこれがあれば助けられるのね!」
サクラが鉄の筒を掲げて見せる。アイアンワンドは『はい』と、簡潔に述べた。
「すぐに方法を教えてよ! 知ってるのよね!」
『もちろんです。ここのドームポリスの情報に――』
「やめて!」
誰かがアイアンワンドの声を遮った。皆が驚いて、一斉に声の主の方を向く。その視線が集まった先では、ローズが肩を震わせながら俯いていた。
私を含めて、皆が皆、目を丸くした。ローズは誰かの死を望むような人ではなかったからだ。
ローズは視線にさらされることで、一瞬怯んで言葉をなくす。だがすぐに震える声で続けた。
「……やめてよ……ナガセは……このまま……」
サクラは信じられない様に悲鳴を上げる。
「何を言ってるのよ! 一体何!? どうしてそんな事――」
「私もそれがいい。アクマは殺した方がいいよ」
パギがぼそりと呟く。
「私もクソガキに賛成かな? こいつアブネ~し」
ロータスもパギの尻馬に乗って続けた。サクラは狼狽しつつも、演説するように腕を振るい出した。
「どうしてそんな事言うのよ! ナガセは今まで私たちの為に戦ってくれたじゃない! 私たちをここまで導いてくれたじゃない! それに対する答えがこれなの!? どうなのよ! 答えなさい!」
サクラの声に、彼女たちが後ろめたそうに彼女から目を背ける。だがリリィは敵意の籠る眼を背けようとせず、堂々とサクラを――その後ろに庇われるナガセを睨み付けた。
「でも……この戦いが終わったら……私使い捨てられるかもしれない……私……何回も何回も海に沈められたんだよぉ! 今度は殺されるかもしれないんだよぉ!」
サクラは「ハッ」と息を切るようにして、リリィを嘲笑った。
「それはアンタの出来が悪いからでしょ……人のせいにしないで」
リリィが傷ついたように顔を引きつらせる。そして今まで見たことの無い、険しい顔つきになった。
場の空気がどんどん険悪になっていく。彼女たちは互いに警戒するように視線を交わし合いつつ、そろそろと自らの立ち位置を変え出した。
ナガセの近くには、サクラとアイリス、アカシアが集まる。それに対するようにしてロータス、ローズ、リリィが固まった。残りのプロテアやパンジーたちはその場から動かず、傍観を決め込んでいた。
少しでも分を良くしようと思ったのだろう。リリィが私に目を付けた。
「アジリア! 何で黙りこくってるんのよ! あなたナガセの事嫌いだったでしょ!」
「やかましい。ここを確保したのは私だ」
またもや全員が驚く。リリィは冗談だと思たのか、何度も私に聞き直して来た。だが私が無視をすると、地団太を踏んで叫びをあげた。
「裏切者ぉ!」
貴様に言われたくないぞ、裏切者の上に薄情者が。
サクラは私の告白に、ジト目を送って来る。だがすぐに見切りをつけて、スピーカーを見上げた。
「アイアンワンド。構う事はないわ。続けなさい」
「駄目だってぇ!」
リリィが軽いパニックに陥り、ホルスターから拳銃を抜いた。それを天井に構えて、スピーカーを撃ち抜こうとする。サクラはそれを止めようとして、腰に手を這わす。だがそれより早く銃声がした。
リリィの手の中から拳銃が弾け飛び、床の上を転がっていく。アカシアが素早い抜き撃ちで、リリィの拳銃を弾き飛ばしたのだ。
「邪魔するのは許さないんだからぁ!」
アカシアは硝煙の昇る銃口を、リリィたちに向けながら叫ぶ。
私は反射的に動いた。横からアカシアに飛び掛かり、構える拳銃の銃身を掴んだ。焼けるように熱いがそれどころではない。そのままハンマーに小指を挟み撃てないようにすると、関節を極めて床に投げ倒す。そして拳銃を叩き落とした。
「やめんか馬鹿共! 銃を使うな!」
だが所詮私が止められるのは一人だけだ。銃声に反応して、対峙するメンバー全員が銃を構えてしまったのだ。サクラとアイリスが、ローズに。ローズがサクラとアイリスに交互に。
私は絶望した。少なくとも我々は、互いに銃を向けるような事はしないと確信できたはずだ! ピコの命を費やして、それを学んだはずなのだ! それが何故だ!
彼女たちは、自らの軽率な行いに怯えている様子ではある。顔を青ざめさせて、奥歯を微かに鳴らしていた。だがその行いを止める事が出来ない様子でもある。譲る事が出来ないのは、本人が一番分かっているからだ。
今は互いに銃を向け合う事で、膠着状態に陥っている。だが私は止めるために、動くことはできない。今こいつらの引き金は、羽のように軽い。下手に動けばそれが刺激となって、指を動かすかもしれない。
「ふ……二人をとめてよプロテア」
傍観組へ避難していたパギが、立ち尽くすプロテアの袖を引く。だがプロテアは恐れに腕を戦慄かせながら、力なく首を振った。
「俺は……俺は……分かんねぇよ……もう誰も殴りたかねぇよ!」
刻々と時間が過ぎていく。痛々しい沈黙の中に、ナガセの荒い息遣いだけが聞こえる。
やがて――ローズが引き金から指を離した。そして銃を下げてハンマーをゆっくりと降ろすと、拳銃を床の上に投げ捨てた。
「はっきりイウワヨ! 私は怖い! ナガセが怖い! だって私たちを見ていないんだもの! 別の何かを見てて! それの虜になってて! そこに私たちを連れて行こうとするんだもの!」
ローズはぽろぽろと涙をこぼしながら、嗚咽混じりに語り始めた。
「今分かったよ! 私はこんな事できなかった! 仲間に銃を向けるなんて……ナガセを殺そうだなんて……私……だけど……そうしないと……私! でもこれがナガセの望んだこと! だけど……私は! 私はァ! 皆この戦いで、変わっちゃったよ! だってこんな怖い事当たり前になっちゃったんだもん!」
ローズは目の前に手をかざし、見えない汚れを見せるように、サクラたちへと突きつけた。
「血を流して戦うのがフツー!? 堪えて立ち向かうのがいいの!? 無理やり突き進んでどうするの!? 逃げたっていいじゃない! 辛いのに耐えたってそれがいいとは限らないんだから! ナガセが連れて行こうとするその先なんて! 私は見たくない! ナガセの当たり前は! 私の非常識なんだから!」
言い終えると彼女は、肩で息をしながらじっと床に転がる拳銃を見つめる。そして急に、ヘラリと笑った。
「私たち……どこか壊れちゃったんじゃ……ないのかな……ナガセみたいにさ……」
ローズはそのまま、心底可笑しそうにケラケラ笑い始めた。それはパギと戯れる時に見せる柔らかい笑みで、状況とのギャップの余りに見る者の背筋を凍えさせた。そのままローズは再びに悲しみ飲まれて、眼に手を当てて嗚咽を上げた。




