亀裂-1
アメリカドームポリス奪還作戦の開始から、一日が経過した。
ナガセは私たちのドームポリスに残して来た、ローズとピオニーを連れて昼頃に戻って来た。
盆地は誘引先から引き返した異形生命体で溢れていたが、ナガセらの帰還は驚くほどすんなりと終った。奴がアメリカドームポリスの保管庫から持ち出した巨大な鉄の筒(MLRSと言うらしいが)を使ったのである。
キャリアに搭載された筒から、巨大な槍のような物が次々に飛び出していく。それは空中でいくつもの小さい矢に枝分かれして、地面に一斉に降りそそいだ。着弾した矢の一つ一つから、巨大な火柱が立ち上がる。そして瞬く間に盆地の異形生命体を焼き払ってしまった。
そこへたてこもる我々の支援が加われば、血路を開くのは容易だ。キャリアは焼けた肉の合間を縫って、倉庫の中に滑り込んだ。
キャリアは最奥の管制室の前で停まる。するとまるで逃げるように、中からローズが飛び出て来た。彼女は僅かに表情に恐怖を滲ませて、私の肩を掴んできた。
「アジリア! 他の娘は!? どこ!? 皆ダイジョブなの!?」
心配性な彼女らしい。だが決して大げさではないだろう。仕事を終えた後、壁に向かってぶつぶつと呟いている奴が何人かいたからな。
「疲れているが……まだ大丈夫だ。だがパギが昨日ロータスにやられた。私では慰められん。見てやってくれ。パギが明るくなれば、他の連中も元気を取り戻す」
ローズは険しい顔になり、エレベーターへと走る。そしてボタンを連打して、保管庫へと上がっていった。
次いでナガセが迎え組を引き連れて、キャリアから降りて来た。奴は鈍い足取りで、私の前まで来た。
「アジリア。問題は?」
その顔色は悪い。我々が一時の休憩をはさんで生気を取り戻したのに対し、ナガセはまるで腐る前の肉のような土気色をしていた。
「貴様の顔にあると思うが?」
ナガセは不機嫌そうに鼻を鳴らす。そして質問に答えず、各チームリーダーを集めて指示を出し始めた。
「アルファチーム。保管庫と倉庫の掃除を始めてくれ。ブラボーチーム。昨日出しておいた武器を、稼働状態にするんだ。シエラチームはもってきた食料を保管庫に運べ。そしてチャーリーチームは敵残存兵力の掃討を開始しろ。全部はしなくていい。生活スペースとバイオプラントだけ綺麗にして、残りには餓死してもらう。必ず地図を確認し、アイアンワンドとの連携を怠るなよ。閉鎖した隔壁を開ける時は、制圧射撃が可能にしてからにするんだ」
ナガセの指示を受けて、リーダーたちがチームメイトを集めに四方へ散って行く。
かくいう私もエレベーターの壁に寄り掛かり、寝息を立てるサンとデージーを起こしに行った。
人が散ると、一人分の足音がナガセの元へ引き返すのが聞こえる。そして引きつったアイリスの声色が僅かに響いた。
「ナガセ……お具合は……追加の栄養剤を……」
ナガセがからからと、口先だけで笑う。
「確かに疲れた。だから少し休むよ」
「そばに――ここを制圧できたから、治療を――」
「まだまだ大丈夫だ。死ぬほどじゃあない。頼むから一人にしてくれ。ホラ。リーダーがサボるな。皆が安全になって、医療区画を解放で来たら、ちゃんと治療を受ける」
ナガセがアイリスを押し退けたのだろう。アイリスが倒れまいと、足踏む音がする。それから未練がましく、その場でうろついていたが、やがて彼女の足音はキャリアの方へと消えていった。
素人に毛の生えた程度のアイリスでもわかるのだからな。よっぽどなのだろう。
そろそろくたばるのか。
私は短い嘆息をついた。強情な奴だ。ここまで来たら、医療施設の奪還を優先すればいいものを。
奴が死んだらどうするか。我々はどこに行くべきか。何を為すべきか。
私は頭の中で、純白のキャンバスに未来を描こうとした。だが私には、未来を描くための絵の具も筆も持っていない。それどころか何を描くべきかすら分かっていない。
これ以上ない屈辱だ。しかしまだ死なれたら困る。もう少し我々の役に立ってから、死んでもらうしかない。
「先に待っててくれ」
私は武装を整えるサンとデージーを、そっとエレベーターの方に押しやった。それから周囲を見渡して、一度ドームポリスに帰ったパンジーの姿を探す。彼女はエレベーター脇の備品入れから、消火器を取り出しているところだった。どうやらプロテアの指揮の元、倉庫に溜まったジンチクの血を、消火器で中和するようである。仕事が始まる前に、頼んだものを受け取っておかねば。
「パンジー? 取ってきてくれたか?」
私が呼んで聞くと、パンジーは辺りを気にして頭をぐるりと巡らせる。それからライフスキンの胸元の布を捲り上げ、そこから小さな鉄の筒を取り出した。
私がアイアンワンドから発掘した、遺伝子補正プログラムである。私が筒を受け取ろうとすると、彼女はさっと品物を遠ざけて、代わりに私に顔を寄せて来た。
「パイプベッドの中の物。それと同じもの。ナガセ持ってたぞ」
そう言えば模擬戦の時に部屋を荒らしたが、こんな物があったかもしれない。無駄骨を折ったようだな。だがまだ医療施設を綺麗にする仕事がある。
「それをどうするんだ? 何に使うんだ?」
先を急ごうとする私に、パンジーが重ねて聞いて来る。そう言えばお前はこれが、何か分からないんだったな。ラベルも剥がしたし、知る術もないか。私はパンジーからプログラムを取り上げつつ、声を潜めていった。
「あいつに必要な薬だ。奴が持ってるなら、詳しくは奴に聞け。私はそれが使えるようにしてくる」
「ん? ナガセから頼まれたのか?」
「独断だ。邪魔されたくないから言うなよ」
「巻き込まれなければ。余計な口はきかない」
パンジーはそう言って、消火器を抱え直す。そして大声で呼ぶプロテアの元に向かっていった。
私も装備を整えて、エレベーターへと乗り入った。ボックス内ではサンとデージーが、機関銃を搭載したオストリッチを引いて待機している。私は彼女らに遅れた詫びを一つ入れると、医療施設のある8階のボタンをプッシュした。
がたりとボックスが揺れて、上昇していく。その時サンが小さな悲鳴を上げた。
「アジリア。そこナガセがしなくてもいいって言ったところだよ。言われた事しか私やりたくないよ。怒られるもん。それに大変なことになるかもしれないよ」
「そうだよそうだよ! 早く最上階いってパパってやって終りにしよう! ナガセの言うとーりやっときゃ問題ないんだからさ!」
私は苦虫を噛み潰したように、唇を捻じ曲げた。お前らすっかり依存してしまったな。
「黙って手伝え……私だって嫌なんだ……」
文字盤が8を示し、ボックスが止まる。私は右手を上げて、サンとデージーにオストリッチに乗り、警戒するように指示を出す。やがてエレベーターのドアが左右に開いていき、8階のエントランスを露わにした。
相変わらずここも酷いな。クソと血の匂いが鼻につく。そして土をこぼしたかのように、あちこちに汚物が散らばっている。
「掃討戦を開始する。各員続け」
そうして私は、8階のエントランスへと足踏みいれていった。
アイアンワンドが戒厳令を敷いてくれたため、各ブロックを繋げる廊下にはシャッターが下り、ブロック内の部屋は全てが施錠されている。道中多くの部屋のドアの前を通ったが、化け物の唸り声と、荒い息遣いがドア越しに聞こえて来た。部屋は牢屋と化して、多くの異形生命体を閉じ込めているようだった。
廊下には運よく部屋に、幽閉されるのを免れた異形生命体もいた。だがオストリッチの機関掃射で簡単に無力化する事が出来た。我々は無人の野を行くように、着々と掃討を進めていった。
やがて赤十字の書かれたドアに辿り着いた。この部屋も例に漏れず、戒厳令によって封鎖されている。私は天を仰ぐと、見ていると踏んで呼びかけた。
「おい。聞いているだろ。アイアンワンド。開けろ」
『マム。イエス・マム。どうかサーを、宜しくお願いいたします』
即座に返事がして、圧縮空気が抜ける音と共に、ドアが自動でスライドした。
やり取りを見守っていたサンとデージーが、訝し気な視線を私に投げかけて来た。
「ナガセが……どうしたの……?」
サンが聞いて来るが、とても答える気にはなれん。私はハンドサインで追従を指示しつつ、慎重にドアを通り抜けた。
入ってすぐにあるのは、待合室らしい。ソファーがずらりと並べられ、その正面には巨大なモニタが置かれてある。待合室からは四方に廊下が伸び、それぞれの通路に案内板が掲げてある。どうやら悪い所ごとに、診る場所が違うらしい。
あいつは全部が悪いから――どこだ? 足ぶんでいると、空から声が降りかかる。
『メディカルチェックルームへどうぞ。救急救命棟、緊急治療室にございます』
その調子で、我々の事も気遣ってくれるとありがたいのだがな。このブリキ野郎。心で悪態をつきつつ、言われた場所まで歩を進める。すると少し広めの部屋に出た。室内には何もなく、がらんとしている。だが壁際に寄せて、メディカルポッドが並べられていた。これに違いあるまい。
私はメディカルポッドのガラスカバーを、手の平で何度か叩く。そしてサンとデージーを振り返った。
「ルート確保。ここでの用事は済んだ。さぁバイオプラントの掃討に入るぞ」
二人は私が何をしているか分からずに、眼をぱちくりさせる。だがナガセに躾けられているので、私に不平を言う事も、行動の真意を問い質すことも無かった。兵士らしく黙ってうなずき、来た道を引き返し始めた。
その時、頭上のスピーカーが、甲高いノイズを走らせた。耳障りな音の後、サクラの舌の回らない声が続いた。
『ナガセが倒れたわ! アイリス!? どこにいるの!? 聞いているのなら早く! 早く来て! 彼を診て!』
そうなる事が想像のついていた私は、そのまま仁王立ちを続けている。だがサンとデージーは、まるで子供のような悲鳴を上げた。それは悲しさと言うよりも、驚愕によるものが大きいようだ。ナガセが倒れるところなぞ、想像もできなかったのだろう。
サクラの声は金切り声に変わりつつ、なおも続いた。
『血が……血が止まらないの! 早くして!』
私は短いため息をつく。そしてデバイスを取り出すと、サクラに通信を送った。
「こちらアジリア。医療施設を確保した。こっちに運んで来い」




