制圧-B1
時間は一時間さかのぼる――
「無理だけはするな」
ナガセはそう言うと、保管庫のドアを開けた。先頭に立つナガセはすぐに左折して、甲一号の撃破に向かう。私は右折して、サブコントロールへの道を駆けだした。
先陣を切るのが私ことアジリア。その後ろにオストリッチに乗るデージーが続き、アイアンワンドを運ぶ中衛を、サクラとパンジーが務めている。後衛にはオストリッチに乗ったサンと、徒歩のアカシアが就いた。
私が先頭に立ち、皆を率いて走っている。知らぬ間に緊張に身体が冷え、鳥肌が立つのを覚えた。私の采配一つで、人が生き死にするのだ。まるで鉛を食ったかのように、腹の底に重いものを感ぜざるを得ない。
私は気を張りつつも、没頭して視野狭窄に陥らないよう、器用に意識を保たなければならなかった。
私の隣ではデージーが、機関銃を構えつつオストリッチを並走させている。彼女は私の暗い顔色に気付いたのか、心配そうに囁いてきた。
「アジリア。大丈夫か?」
私は皮肉で歪んだ笑みを、浮かべるしかなかった。
「私は大丈夫だ。士気の下がる事を言うな」
「そ……そう? ならいいんだ」
デージーはどこか納得しきれないように、歯切れの悪い返事をする。そして助けを求めるように、背後にちらと視線をやった。その視線が求めているのは、後詰めのサクラではないだろう。遠く彼方に消えた、ナガセに間違いない。
どうやら私の指揮が不安な様である。仕方あるまい。模擬戦で負けたのだからな。だがあれから私はいじけていた訳ではない。それ以降の演習は立派に果たして見せた。ここでも務めを果たし、皆から認められたリーダーとなって見せる。
奴の腐った権威などいらん。私が新しく打ち立ててやる。
気をしっかりと持って、脚により力を込めて走った。
目的地のサブコントロールルームは、居住区9階の監督区画にある。我々は階段を一階おりる必要があった。そして厳重に封鎖された、セキュリティを抜けなければならない。
我々は何者の妨害を受けることなく、エレベーター乗り場の前まで辿り着いた。このエレベーターは下の居住区と、この階を繋げるもので、鉄扉で厳重に閉じられている。ナガセいわく、保管庫のあるこの階は軍人専用で、その下階は一般市民専用の為、特別管理が厳しいらしい。
私は鉄扉を叩いてみた。厚みがあるが――ええい。まだデトコードで切れるかどうかまでは分からん。私はパンジーに、C4で吹き飛ばすよう命令を下した。
部隊を近くの小部屋に退避させ、パンジーが仕掛けを終えて戻るのを待つ。やがて彼女が帰って来ると、ドアを閉めて全員を部屋の隅に伏せさせた。
「発破」私の声を合図に、パンジーが起爆装置を押した。
爆音と共に、部屋の外で空気が圧力となって、駆け巡る音がする。我々のいる部屋は、まるで砲撃の衝撃を受けたように揺れた。
爆発が収まると、私は皆を率いて外に出た。鉄扉は綺麗に吹き飛び、エレベーター乗り場の中に転がっている。発破場所の周辺は爆圧により、少し抉れてしまっていた。
「量が多すぎだぞ……」
私が苦言を漏らすと、パンジーは少し恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「密室。難しい」
エレベーター乗り場は、やや広めのスペースがとられており、エレベーターが三つ並んでいる。入り口付近には簡単な検問所があり、エレベーターを挟んだ向かいも同じ構造をしていた。
私は通路で部隊を待機させると、一人エレベーターに寄ってボタンを押してみた。中央のエレベーターが警告灯を点灯させて、動作を止める。だが両脇のエレベーターは駆動を続けた。
「デージー、サクラ、パンジー。掃射の準備。間違ってもパネルは撃つな……」
私が短く告げると、デージーを中心に三人がエレベーター前へと歩み出る。そしてエレベータードアに銃口を向けた。
エレベーターの文字盤の数字が、3からどんどん上昇していく。そして10を数えるとボックスの到着を知らせるベルが鳴り、ドアがスライドして開いた。
中には二匹のジンチクがたむろしていた。三人は私の命令を待たず掃射する。機関銃とアサルトライフルが轟音を上げて鉛玉を吐き出し、床には空薬莢が飛び散った。ジンチクは瞬く間に肉塊となり、ボックスの床に崩れ落ちた。
続いて奥のエレベーターでも、ボックスの到着ベルが鳴る。私は三人をそちらの警戒に当たらせ、自分はボックスを確認する事にした。
エレベーターボックスの壁には鉛の雨に射抜かれて、黒々とした弾痕が残っている。そして床には、ジンチクの血だまりができ上っていた。フェイルセーフ(安全装置。装置の一部が故障している場合、全体の機能を制限する)を外せば動かせるかもしれんが、出来れば使いたくはないな。
そんな事を考えていると、もう一つのボックスに向かわせた三人のうち、サクラが声を上げた。
「こっちのボックスは、何も入っていないわ。アイアンワンドを入れましょう」
サクラはそれを、パンジーに言ったのかもしれない。だが動いたのは後詰めのアカシアとサンで、彼女らは持ち場の通路から乗り場に入り、アイアンワンドを奥のエレベーターまで運んだ。
私はぎょっとした。こうも簡単に、陣形とは崩れるものなのか。異形生命体への制圧射撃が最も有効なのは、身動きの取れない通路内なのだ。この部屋で迎撃したら、乱戦になってしまう。
「サン! アカシア! 持ち場を離れるな! パンジー。アイアンワンドをボックスに入れてくれ」
私はすぐに叱咤を入れる。そしてサクラを手招きした。サクラは少し不機嫌そうに鼻を鳴らしつつ、私の方へ小走りでかけてきた。
「何?」
「私が指揮官だ。勝手に指示を出してもらっては困る」
言葉の意味を強調するように、自分の胸に当てた親指を付き当てる。するとサクラはつまらないプライドを笑うように、口の端を吊った。
「でも結局、このエレベーターに入れて運ぶのでしょう? 同じことでしょうに」
私は思わず、苦虫を噛み潰したような顔になった。あれだけ私にナガセの規律を徹底しようとしたお前が、指揮官以外が命を下してはいけない理由を知らないはずがない。どっちに従うべきか迷う様になったら、それでもう統率は乱れるのだ。
「同じことではないのは、お前が一番知っているはずだ。それに確認したよな? お前は作戦の立案。私はそれの採用と判断を行うと」
「ええ。したわ。だから入れるよう言ったのよ」
サクラはしれっとそんな事を言った。追及するのも腹が立つが、二度とこんな事があってはならない。私はサクラに顔を寄せた。
「さっきのはついうっかりだと言うのは分かっている。だが誤魔化すのは止めろ。私の言うことは聞かなくてもいい。だがナガセの言うことは聞くよな。あいつはその条件下でこの作戦を立てた。私はその作戦を元に動いている。分かるな」
サクラはナガセの名を耳にすると唐突に態度を改め、自省するように視線を伏せた。
「ごめんなさい。出過ぎた真似をしたわ」
「これから9階に降りる。頼んだぞ」
私はサクラから顔を離す。そしてデージーにこれから進む向かいの鉄扉で、待機するよう指示を出した。
パンジーが、エレベーターにアイアンワンドを入れて9階に送る。我々は元の陣形に戻り、入った場所とは反対側の鉄扉の鍵を開ける。そして非常階段へ急いだ。
「ねぇ。私たちも一緒に降りちゃ駄目なの?」
背後でサンの声が聞こえた。
「逃げ場がないのに、出待ちされたら危ないでしょ。それに奴らに攻撃されてエレベーターが止まったら、私たちお終いよ。だから荷物だけを先に送るのよ。今はアジリアに従いましょう」
「あの……その……アイアンワンド……壊れないかな」
アカシアは不安そうに呻く。
「だから梱包したのよ。駄弁る暇があったら警戒なさい」
サクラははっきり言って、それ以上サンとアカシアに喋らせなかった。
非常階段はナガセの持ち帰った地図の通り、ドームポリスの北側に位置していた。通路の終端を、両開きの鉄扉が塞いでいる。私はその鉄扉を開いて、そっと踊り場を覗き込んだ。
巨大な肉の塊が、そこに蹲っていた。ジンチクか? にしては大きいな。自らの頭ほどもある剛腕と、細く萎びた胴体をしている。
マシラだ! 僅か二メートルほどの小型のマシラが、踊り場で惰眠を貪っている!
そして間の悪い事に、奴はのそりと巨体を起こして、私へと振り返った。
マシラと目が合う。我々と同じ人間の目をしている。綺麗に縁取られた白目は充血し、走る血管の一つ一つまで克明に確認できる。そして真っ黒い瞳が、私の心を見透かすように見つめてくる。
迎撃――否――先頭は私――火力を発揮できない――突破?――無理だ――機動力が無い――どうする――どうする――どうする!?
私の頭は思考で爆発し、逆に真っ白となってしまった。私の隣でデージーも、思考放棄して立ちすくんでいる。後続はこの危機を知った様子はない。
マシラが口元を歪めて、興奮したように荒い息をつき始める。そこで私はようやく正気に戻った。
『いいか。どんな建物にも、階段の踊り場には防火戸がある。これは火災の際、延焼を防ぐために、区画を密閉する設備だ。ジンチク如きじゃまず破れんから、活用しろ』
脳裏にナガセの言葉が甦った。
私は丁度頭上にある、熱感知装置を撃った。警報が鳴り響き、目の前へギロチンのように、防火シャッターが降りた。それから一拍遅れて、シャッターはこちら側に小さくへこむ。マシラが殴りつけたのだろう。
銃声と鉄を殴りつける音に、後続はかなり驚いたようだ。小さな悲鳴を上げて、鉄扉から軽く距離をとった。その中でサクラが、一人私に歩み寄ってきた。
「どうしたの?」
「マシラが……踊り場を塞いでいる……だからシャッターで塞いだ」
私が答える間にも、マシラはシャッターの向こうで、我々に襲い掛からんと派手に暴れていた。
「くぐり戸は使えないの?」
サクラが焦りを滲ませながら言った。防火シャッターには人間が閉じ込められない様に、扉の一部を押し開けられるくぐり戸が設けてある。しかしそこを今まさに、マシラがガンガン叩いているのだ。開けられる状況にないし、ドア枠が軽く歪み始めている。開く事すら怪しくなっていた。それに――
「使えたところで、この向こうにいるマシラを撃つのは骨だ」
サクラは難しい顔をして、爪の先を軽く噛んだ。
「C4も無理ね。踊り場ごと吹き飛ばすかも」
「ここはもう無理だ。第二のルートを選ぶぞ。一つ隣の非常階段へ向かう」
私はそう宣言して、デージーに前進するよう指示する。そして非常階段と並走する通路を駆けだした。流石に二つの非常階段を、マシラが塞いでいる事はあるまい。
しかし目的地に辿り着く前に、私は足を止めた。通路の先では、ヤマンバがその巨体を詰まらせていたのだ。何がどうなって、こうなったかは分からない。そいつはパイプに詰まった肉の様に、通路全体を自らの身体で埋めていた。そしてのそのそと四肢を動かして、壁面に肉を擦りつけながら移動していた。
私は舌打ちをして判断を迷った。引き返すか、C4で吹き飛ばすか。しかし答えを出すより早く、ヤマンバが怪しく身じろぎをした。
体中の肉の割れ目から、奇妙な肉塊がひり出てくる。それは地面に落ちると身震いし、辺りに粘液を振り撒いた。
ジンチクである。
「デージィィィ!」
私はアサルトライフルの引き金を絞りつつ、喉が千切れんばかりに絶叫した。デージーは即座に火力支援を行い、ジンチクを肉片に変えていく。そして彼女は全てのジンチクを射殺すると、射線を床から持ち上げて、ヤマンバを狙い始めた。私はデージーの肩を叩いてこちらに注意を向けさせた。
「ヤマンバはほっておけ! 弾が勿体ない! サクラ! 先導しろ! 最初の踊り場まで撤退する!」
サクラは素早くサンを先頭として、元来た道を引き返し始めた。そして最初の踊り場まで戻った時、サンが悲鳴を上げた。
「マッ! マシラ!」
防火戸を破ったのか!? ここからでは状況を確認できない。私が足踏みしていると、機関掃射の音がし、マズルフラッシュがちらついた。私は中衛のパンジーを押し退けて、隊の先頭へと進み出た。
防火戸は破られていない。しかしくぐり戸が何かの拍子に空いたのだろう。その小さいスペースにマシラは身体を捻じ込ませ、綺麗に挟まっていたのだった。マシラは銃撃を受けながらも、くぐり戸に入れた右腕を、サンに向かってがむしゃらに振り回している。ぎりぎり手は届いていないが、少しずつ、少しずつ、奴はくぐり戸を抜け始めていた。
ここでは留まる事も出来ない。
「その小部屋に入れ!」
私は近くの小部屋にサクラたちを押し、後続にも中に入るよう促した。その時、防火戸で鉄が歪む音がした。見ると銃撃を受けて、くぐり戸の枠が割れてしまっている。マシラはくぐり戸の穴を、自らの肉で押し広げて中に入ってこようとした。
私はアサルトラフルを、マシラの頭部目がけて乱射する。奴の頭は潰れた果実の様にぐしゃぐしゃになったが、それでも動きを止めようとはしない。私は撃ちながら、手榴弾のピンを口で抜いた。
最後列のデージーが、小部屋に入る。私はマシラの足元に手榴弾を転がして、自分も小部屋に退避した。
ドアを閉めて数秒後、手榴弾が爆発する。断末魔は爆音の中に消えて、聞こえなかった。私は恐る恐るドアを開けて、防火戸を覗き込む。するとマシラの上半身は、通路中に散らばって消し飛んでいた。やっと死んだか。
私は一つ溜息を吐くと、胸に手を当てて心を落ち着けさせた。気を落ち着けろ。自信をしっかり持て。浮つくな。そう心で繰り返し、自分の為すべきことをしっかりと見据える。
余裕が戻ってくると、私はサクラを振り返った。
「サクラ。第三のルートを遠回りするべきか、それともこのドアを無理やりこじ開けるべきか、どっちが最善だと思う?」
「第三のルートは、第二のルートで行けなかった以上、遠回り過ぎるわ。マシラを殺したのでしょう? 第一のルートで続行すればいいと思うけど」
私は首を振った。
「ナガセが報告しなかった、マシラが紛れ込んでいたのが気になる。私たちが想定しているのは、ジンチク、ムカデ、ヤマンバだ。この先奴らがいたら私らでは勝てんぞ」
サクラは考えるように、やや視線を伏せた。だがすぐに顔を上げて、真っ直ぐに私の目を見返して来た。
「エレベーターをボックスで移動するんじゃなくて、シャフトから降りるのはどう? 斥候を放って、安全を確保してから全員が進出。数人ならシャフトでの身動きもしやすいでしょう」
サクラの提案に、部隊が騒めきだった。
「さっきエレベーターは、逃げ場がないって言ったばかりじゃんか!」「もう帰ろう。ナガセは言ってたよね。想定と少しでも違ったら逃げろって」「あとは。ナガセが。何とか。してくれる」「あの……その……勝手な事したら……ナガセ怒るんじゃないかな」
確かにその通りだ。だが私の見栄を抜きにしても、ここで踏ん張るべきだ。あいつはそう遠くない未来に死ぬのだ。その時、『ナガセが何とかしてくれる』は通用しないのだ。私――いや、我々はここで戦い、あいつから自立しないといけないのだ。
「いや。まだ出来る事は残っているし、撤退には早い。それにここで踏ん張らなければ、より危険な撤退戦をすることになるぞ」
部隊の面々は、難しそうな顔をして唇を噛んだ。今ここで戦うのと撤退するの、私の命に従うのとナガセの命に従うのと、その狭間で揺れているようだ。だが何より、斥候の任を振られるのを、怖がっているようだった。
「斥候には私が行くわ。それなら文句ないでしょう?」
サクラがその悩みを見抜いたように、鶴の一声を上げた。彼女はナガセに認められたいがために、躍起になっているようだ。それはそれで不安だ。ならどうすべきか。
「いや。私が行く。サクラが代わりに指揮を執れ。作戦は続行。一度エレベーターまで戻るぞ」
サクラは意外そうに眼を丸める。だがあれほど欲しがった指揮権を貰えるのだ。口を挟まなかった。他の皆も異論を挟まない。彼女らはまだ、誰かが引っ張ってくれないと、立てないのだ。




