邂逅‐3
「かえってきたよ!」
俺がドームポリスの入り口につくと、入り口の上にある見張り台から声が聞こえた。見上げると、赤い髪の女が俺のことを訝しげに見つめている。
「だけどへんなのもいるよ! なんかちがうやつがいる!」
俺を変なのとは、失礼な奴だ。すぐに背中で、黒髪の女が喚く。
「わたしだよ! だいじょうぶだよ! あけてよ!」
だが赤髪は、黒髪を問い詰める。
「そのへんなのはなに!? わたしたちとちがうよ! そいつばけものかもしれないよ!」
「ちがうよ! これはばけものじゃないよ。だってばけものをころしたんだよ!」
「うそだ! あのばけものをころせるはずがないよ! なんでうそをつくの!?」
「うそなんかついてないよ! ほんとにころしたよ! どか~んっておおきなおとしたでしょ! あれはこれがやったんだよ!」
黒髪が俺の髪の毛を引っ張りながら、興奮して見せる。だが赤髪は頑なに首を振った。
「じゃあ、いまどか~んってやってよ! そしたらしんじてあげるから」
俺は溜息をついた。よくよくドームポリスを見てみると、壁面には強烈な力で殴られた痕跡があった。それに入り口にはご丁寧に、乾いた血がこびり付いている。俺は眉を顰めながら足元を注意深く調べた。すると骨らしき白い物が、そこかしこに散らばっていた。
多数の為に小数を殺す。一応は賢いようである。
「ねぇ! どか~んてやってよ! このままじゃなかにはいれないよ!」
俺の髪の毛がまたもや引っ張られた。黒髪が急かすように俺の頭を揺さぶる。俺は髪の毛から手を離させると、黒髪を背中から降ろした。
「髪の毛を引っ張るのを止めろ。それは失礼だ」
「しつれーってなに?」
「後で叩きこんでやる」
俺は溜息をつきながら、入り口の隣にあるコンソールパネルを開いた。そしてこの『賢い猿』が、どのように入り口の扉を閉めているか確認した。
俺は鼻で笑った。キーロックも何も施していない。扉はただ閉めてあるだけだ。これを開けるのは簡単だ。住人のライフスキンのタグを読ませて、スイッチを押すだけでいい。
黒髪の女を呼び寄せて、その手の平をコンソールに押し付けさせる。短い電子音がした後、重厚なドームポリスの扉は、ゆっくりと上に持ち上げられて開いていった。
「えっ!? なんであくの!? だめ! だめだよ! とびらさんしまって! わたしあけてもいいっていってないよ!」
見張り台から赤髪の慌てた声がする。俺はそれを無視してドームポリスの中に入って行った。
すぐに中の扉を管理するコンソールを操作して扉を閉める。もちろんキーロックを設定しておいた。締め出されたら困る。
ドームポリス内は埃がたまっていて、軽くむせた。吐き気を催す悪臭が蔓延しており、酷く湿気っている。天井には蜘蛛の巣が張ってあり、床を鼠が走り回っている。ゴミがそこかしこに放り出されていて、ネズミや虫の死骸に混じって、人間の排泄物も放置されていた。
ドームポリスには換気装置や太陽発電装置があるはずだが機能していない。どうやらまともに施設を運営する知能すらないらしい。
入ってすぐに道は大きく二つに分かれていて、奥の方に内部へと通じる廊下がある。ドームポリスの構造はオーソドックスなマルチラップ式らしい。マルチラップ式は球体の中に球体を配置する多重構造だ。ダメージコントロールのしやすい、後期型の冬眠施設である。という事は、ここはユートピア計画末期に造られたという事だ。
入り口脇の見張り台へと続く階段から誰かが下りて来る。赤髪の女だ。彼女は俺を見ると全身を震わせ、目に涙を貯める。
「う……う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
やがて後退りを始めると、一目散にドームポリス内に逃げていった。
「ちょっと! これはべつにあぶなくないってば!」
黒髪がその後を追っていく。俺は黒髪の後ろに続いた。
廊下の途中で、横たわっている青い髪の女を見つけた。彼女は壁に寄り掛かるようにして座り込んでおり、自らの出した汚物にまみれていた。俺は屈みこんで彼女の様態を見る。
まだ息があり、弱々しい呼吸を繰り返している。だが動く気力すらないのか、俺にされるがままだ。彼女の眼は充血しており、肌は青ざめている。眼は虚空を見つめており、身体にこびりついた便には血が多量に含まれている。
「典型的な栄養失調と、不衛生による感染症だな。身体を洗って薬を飲めばまだ助かるな」
俺はその女の脇を見る。似たような症状の女が数人転がっている。彼女たちは一様に虚ろな目で空を眺めていた。
「弱ったから捨てられたか……どこも人間のやることは変わらんな……」
「あ~! だめだよ! それにちかよったら!」
黒髪が俺の方に走り寄って来る。そして捨てられた女達から俺を引き離そうとした。
「これはもうだめなんだよ。よわってどうしようもないの。それにだめだめはうつるからはなれないとだめだよ!」
「まだ助かる。水と食料はあるか?」
呑気に会話を続ける俺に、黒髪は苛立ったように掴んだ俺の腕をぶんぶん振り回した。
「ないからとりにいってるんだよぉ~。いいからはなれて!」
「参ったな……」
森に行けば食料や水があるようだが、化け物に襲われることになる。俺が腕を組んで悩んでいると、黒髪はあっけにとられたように言った。
「ねぇ。あのきょじんうごかせるんでしょ? だったらばけものこわくないでしょ?」
「あれはもう動かん」
俺は素っ気なく言った。だが黒髪は俺を別の通路の方へと引っ張った。
「あれとおなじきょじん、ここにあるよ」
「何!?」
俺は黒髪を追い立てるようにして案内させた。彼女はドームポリスの外縁にあるブロックへと俺を連れて行った。
そこは巨大な倉庫だった。ひときわ強固に造られており、倉庫内を支える支柱や、壁に埋め込まれた鉄骨が目についた。内側の壁にはコンテナがずらりと収納され、それぞれにラベルが貼ってあった。一番広い外側の壁にもコンテナが収納されており、それに挟まれるようにしてシャッターがあった。外に繋がっているのだろう。付近には整備用のスペースがある。
倉庫内には鉄格子のような人攻機の駐機スペースもある。その鉄格子内には、尻を床に着けた正座の姿勢を取る人攻機が鎮座していた。この姿勢は長期の駐機に耐え、かつ安定する駐機方法だった。
俺は中の人攻機を見て、ごくりと生唾を飲んだ。
写真で何度か見た事のある躯体だ。装甲が無く骨格が剥き出しになっており、異様にほっそりとしたフォルムをしている。骨格は装甲を支えるためのムーバブルフレームが取り巻いていて、まるで骨組みのドレスを着せられたかのようだった。身体のそこかしこには外部接続端子が露出しており、そこには異物が入り込まないように、しっかりプラキャップがはめてある。
「Y-01……同田貫。ユートピア計画用の躯体だ……という事は、ここは未来の世界なのか……?」
同田貫とは環境再生後の世界での活動を想定して作られた人攻機である。環境再生後は工業力と生産力が著しく低下することが予想されたため、人攻機を労働用に使用する計画が進められていた。そのため手っ取り早く備蓄のある現行機のパーツと、互換性の高い躯体の開発が進められたのだ。それが同田貫である。ちなみに俺の駆っていた『叢雲』はそのプロトタイプだ。
俺は一つの鉄格子の中に入り、同田貫の一つに駆け登った。そしてコクピットのコンソールパネルにとりつくと、カバーを引っ剥がした。そしてコントロールパネル内部に烙印されているはずのシリアルナンバーを探した。
すぐに俺は舌打ちする。
「くそ。シリアルが焼き潰されている。製造元が分からん。何故だ……何故隠す必要がある!?」
俺は黒髪を振り返った。
「おい。装甲はあるのか?」
「そ~こ~? ん? そ~こ。うん。だからここにものがあるよ」
会話が難しいと思ったのは初めてだ。俺は黒髪に分かるように表現を変えた。
「あ~……この巨人のお洋服だ」
「こっちにあるよ」
黒髪はコンテナの方に歩き、俺を手招きする。俺はコンテナの方に走っていった。
黒髪はコンテナの脇にある人間用の通路に俺を招き入れる。中は薄暗いが、人が入ったことを感知したのか、自動的に赤い非常灯がついた。コンテナ内はウォークインクローゼットのようになっている。人間用の通路が両脇にあり、中央にはまるで衣装のように人攻機の装甲が吊り下げられていた。
俺はその装甲を見て呻いた。
「ミクロネシア連合の躯体。『五月雨』の装甲だ……こっちにはアメリカの『カットラス』。おいおい……AEU(アフリカ・ヨーロッパ連合)の『レイピア』まであるぞ……マジか!? カッツバルゲルだ! それにロシアの『シャスク』! どういう事だ!」
同田貫が創られるまで、国際連合の使用する躯体には互換性がなかった。故に各国は互いに躯体を融通することが無かった。それなのにここには平然と、世界中の標準機の装甲が並べてある。同田貫は最低コストで各国が使える、環境再生後の機体を設計したに過ぎないのだ。
それに新品に近い領土亡き国家の装甲があるのも解せない。
言葉を失う俺を余所に、黒髪ははしゃいで俺の腕を揺すってきた。
「ね~。これのうごかしかたおしえてよ。ばけものをぶっころしてやるんだ! ね~、ね~ってば」
俺は自分を落ち着かせるために、頭を抱えて深いため息をついた。そしてジト目で黒髪の身体をじろじろ遠慮なく拝ませてもらう。まるで鳥ガラのような身体だ。俺はもう一度でかいため息をついた。
「そんなもやしみたいな身体じゃ無理だ。タンブラーに入れられた氷みたいに、ぐしゃぐしゃになってお陀仏になるだけだぞ」
黒髪は頬をぷくーと膨らませて、不機嫌そうに唸って見せる。
「ときどきいみわからないこというよね」
「教えなきゃな……」
俺は頭を掻くと、コンテナから出た。ひとまず飯と水だ。人攻機があれば取りに行けるだろう。同田貫を駆った事はないが、そのプロトタイプである叢雲には乗りなれている。きっとその経験は無駄にならないはずだ。
「これだよ! これがはいってきたよ!」
出てきた所をうるさく怒鳴りつけられる。俺はやれやれと首を振って、声のした方を向いた。
見覚えのある赤髪が、金髪の女を連れて倉庫に入り込んでくる。その後ろには比較的元気そうな女どもがぞろぞろ続いてきた。だが顔色から察するに、こいつらも感染症を患っているようだ。倒れたら廊下に捨てられる。それが怖くて必死に健康を装っているのだろう。
「おまえなんだ!? なにしにきた? ばけものになにをいわれた!?」
金色の髪の女が俺を怒鳴りつける。そして手に握る杖を棍棒のように振り回して威嚇してきた。
「俺は化け物じゃあない。ここで一番偉い人を連れて来てくれるか? 話がしたい」
「ここではわたしいちばん。いちばんつよい。だからいちばん」
「他に人はいないのか?」
「ひととは、わたしたちのこと。おまえひとじゃない。ばけもの。いますぐここからでていけ!」
金髪は声を張り上げて唸り声を上げる。金髪の後ろの女たちも、手に木っ端の欠片などを握って、俺を睨み付けて来る。俺の傍らにいる黒髪は、剣呑な雰囲気におろおろとし始めた。
だが俺はそんなことそっちのけで、ひどく落胆していた。
結論。
ここには人はいないようだ。いるのは人の形をした何かだ。人に満たない何かだ。
一体このドームポリスは何のために作られたのだろう。どうして女しかいない? どうして精神が退行している? どうして敵対勢力の装備品が集められている? 答えの出ない問いが、頭をぐるぐると掻き乱していく。
だが、今すべきことはそんな事ではない。俺は女どもが来た廊下を指した。
「何故廊下に弱った仲間を放り出してる?」
「あれはもうだめだ。よわいからうごかない。それによわいのうつる。だからあそこにおいた。ばけものでないならなんだ? どこからきた?」
「彼女たちはまだ助かる。身体を洗ってベッドに寝かせてやれ。俺が食料と水を取って来る」
「そんなことしたらよわいのがうつる! それよりこたえろ! おまえはなんだ!?」
話は通じそうにない。身体は大人でもオツムは道理の通用しない子供だから仕方ないか。
時間を食っている暇はない。俺は駐機スペースの一つに近寄り、格子脇のコンソールを操作した。
鉄格子内の同田貫をリフトアップ。同田貫を固定する鉄柱が、躯体の両脇を支えて上に持ち上げる。同時に折りたたまれた足を丁寧に伸ばして、駐機姿勢から直立に立たせる。
女たちは騒めいた。そして金髪の女は怒り狂った。
「かってにさわるなぁぁぁぁ!」
金髪が俺に杖で殴りかかってくる。
俺は溜息をつくと、殴りかかる金髪の脚を払った。金髪は前のめりになって地面に転んだ。
コンディションチェック――オールグリーン。状態はすこぶる良い。内装確認。工場から出荷されたばかりのような標準状態だ。レーダーに音響装置、カメラ一式揃っている。これならいじらなくてもいいだろう。コンソールが装備品の選択を要求してくる。俺は使い慣れた日本製――五月雨の装甲を選択した。
「おい。そこは危ないからこっちにこい」
俺は黒髪を手招きして、コンテナ付近から俺の傍に呼び寄せた。
コンテナの左にあるシャッターが上へ持ち上がり、中から黒いシャフトが伸びてくる。そして俺の操作する駐機スペースの真横で止まり連結した。次にコンテナから選択した装備のパッケージが、シャフトを伝って運ばれてくる。
そこで金髪が立ち上がった。床に転がっている杖を握り直すと、再び俺に殴り掛かってきた。俺は振り出された金髪の腕を掴むと、そのまま腕を抱え込み背負い投げた。金髪を地面に叩き付け、杖を遠くへと蹴り飛ばす。
金髪は背中から地面に叩き付けられて、息に詰まったようだ。乱れた呼吸を繰り返し、悶絶している。だが俺はその様子を冷めた目で見つめると、襟首を引っ掴んでコンテナへと引っ張っていった。
「猿は檻に入れんとな」
こいつ顔立ちからすると西洋人だな。イギリス人かアメリカ人だろう。さっきの赤髪も西洋人のようだし、本当に様々な人種が集められているようだ。
俺はコンテナの近くにおかれているダストボックスの口を開けた。プラスチック製のボックスで、整備作業などでできた木っ端などをまとめる箱だ。中に何も入ってないことを確認すると、問答無用で金髪を放り込み鍵を閉めた。ダストボックスはキャスターがついているので、横倒しにしておいた。
「おい。こいつを出したらお前らもまとめて檻に入れるぞ。分かったか」
俺は何が起こったのか分からず、ぽかんとしている女たちに言った。女たちはまだ唖然と口を開けている。俺は流石にいらいらして怒鳴った。
「分かったか!?」
鞭で打たれた馬のように、女たちは顔を跳ね上げた。
『わかった!』
よし。これでひとまず落ち着いた。俺はコンソールに戻り、同田貫に五月雨の装甲を着けはじめる。同田貫のムーバブルフレームは、パッケージに合わせて形を変化させていく。まず全身を黒いCNCM(カーボンナノチューブ筋肉)パッケージが着せられていった。同田貫は黒い肉襦袢を身にまとい、少し頼もしく変わった。次に四肢と胴体にそれぞれ装甲が装着され、背部にはバッテリーユニットが装着される。そして電子機器が接続されて、機体各部の確認ランプが緑色に光った。
準備完了。これで同田貫は『五月雨』になった。躯体スペックは本来の八十パーセントに低下するが、一番大事なのは乗り手の技量だ。
俺は倉庫の外周側にあるシャッターへ行き、そのコントロールパネルを操作した。そして覗き穴を開いて外の様子を確認する。もう日は沈んでいる。今日は下手に動かない方がいいだろう。まずは廊下の女たちを助けることにしよう。
俺は女たちを振り返った。彼女たちは興味津々でリフトアップした五月雨の足元に集まっていた。
「おい。病人を助けるのを手伝ってくれ」
俺の呼びかけに、女たちはびくりと肩を震わせて首を振った。
「やだよ! よわいのうつる! そしたらわたしもああなるもん!」
「そうだ! いやだ!」
同時に倉庫の隅のダストボックスから罵声も聞こえてくる。
『ここからだせ! ぶっころしてやる! おまえらなんとかしろ!』
女たちが俺を見る目に、次第に敵意がつのってきた。そして一か所に寄り集まりながらも、じりじりとダストボックスに近づいていく。頼りになるリーダーを解放して反撃を試みるつもりなのだろう。
ただ一人、黒髪がおずおずと手を上げた。
「ねぇ……よわいのなおるの? ほんとになおるの?」
途端に女たちが非難の声を上げた。
「なにいってるの!? なんでばけものをしんじるの!?」
だが黒髪は弱弱しいが、それでもはっきりと言った。
「でも、これどか~んってっやって、ばけものころしたんだよ。すごいんだよ! ひょっとしたら、よわいのもどか~んてやってくれるかもしれないよ!」
「そんなのむりだよ! よわいのみえないのに――」
黒髪と女たちが言い争いを始める。今俺が何を言っても無駄だ。それより信頼関係を築かないといけない。まず俺がやって証明するしかないだろう。のろのろと重い足取りで、『五月雨』の元に戻る。女たちは黒髪を残して、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
俺はリフトアップした五月雨を再び降着姿勢に戻す。そしてコンソールの電源を落とした。
倉庫から出て、病気の女たちが放り出されている廊下へと向かう。俺の背後からは、頼りない足音が一人分ついてきた。
俺は女の一人を抱き上げた。女は俺に気付いて、俺の眼を覗き込んできた。抱き上げた女はアジア系らしい。褐色の肌に黒い瞳をしている。そしてその黒い瞳は深い闇を湛えていて、俺を飲み込もうと渦巻いていた。
この女たちは冬眠していたはずだ。なら冬眠ポッドがあるはずだ。冬眠には繊細なメディカルコントロールが欠かせない。それを応用すれば、医療用ポッドとして使えるだろう。
「あ……あの……あたし……」
黒髪がおずおずと話しかけて来る。
「起きた時どこにいた?」
俺は振り返らずに聞いた。黒髪は戸惑ったが、すぐに頷いた。
「あ……え……こっちだよ!」
俺は走る黒髪の後を追った。
女はひときわ強固な、中心部に近いブロックに俺を案内した。そこは円周状の部屋で、女たちも寄り付かないのか、埃が積もっているだけで比較的綺麗だった。外縁には冬眠用のポッドがずらりと並べられている。ポッドは寝椅子のように人が横たわるものだ。大半は解放されていて、ガラスの蓋が開けられ横にされていた。閉鎖されているものは、片手で数えるほどしかない。そして中に薄緑色の液体と干からびた人間を蓄えて、立った状態で壁に埋め込まれていた。
その総数は約三十。
俺はひとまず抱えている女の襟元を確認した。#12とある。同じ刻印がされたポッドを探す。ポッドが番号順に並んでいると推察して、奥へと足を進める。そして目的のポッドを見つけると、女を横たえさせた。そして中央の柱に組み込まれているコンピューターを起動する。
モニタは淡い光を放って情報を映し出すが、すぐに暗くなった。そして警告音を発した。
「くそ……もう電気がほとんどないな。ポッドの治療システムを使いたいが……水が無い……まぁいい。まずは――」
このコンピューターは冬眠を管理している。ならばマザーコンピューターのはずだ。ここからこのドームポリス全てを制御できるはずだ。
俺はコンピューターから離れて、廊下の女を全てこの部屋に運ぶことにした。
いちいち引き返すのが面倒なので、両肩に女を抱えて運ぶ。黒髪も最初は戸惑っていたが、俺を真似て一人の女を引きずって運んでくれた。
全ての女を運び終えて、俺はその人数を数えた。廊下にいたのは四人。どれも異なる人種だ。
「身体を拭いてやってくれ」
俺は黒髪に捨てられた女たちが握っていた毛布を投げた。まぁこれにしても、最後の良心のつもりで渡したんだろう。黒髪は最初嫌そうに首を振った。だが、病気の女の虚ろな目で見られていることに気付くと、軽くえづきながらも身体を拭き始めた。
俺は軽くコンピューターを操作し、何か情報が無いか探す。すると、人工知能がコンピューターを管理していた。
「人工知能が管理だと? 本当に何なんだここは……一体何のための施設だ……」
俺はマザーコンピューターの人工知能を呼び出した。恐ろしい事に、人工知能はアクセスパスを必要とせず、呼ばれるがまま応答した。
「人工知能名は……権威の象徴? 酷い冗談だ」
画面に人工知能名が表示されて、質問待機状態に入った。
『グッドモーニング・サー』
俺は緊張に震える声で、質問をした。
「任務を表示」
マザーコンピューターは、しばしの沈黙の後答えた。
『遂行中の命令なし。現在休止状態。ご命令をどうぞ』
「過去遂行した命令を表示」
『任務・施設の人間をユートピアへ連れて行く。以上』
「バカな!」
俺はコンソールを叩いた。
「過去の所属・役割を表示しろ」
『アイアンワンドは孤立している。アイアンワンドは命令を待っている。以上』
「お前は何者だ?」
『アイアンワンドはアイアンワンドである。以上』
「誰が創った?」
『質問の意味不明。回答不能』
「データベースの表示」
『ヒット。ドームポリス関する情報。施設説明。物資説明。運用法説明』
「違う! お前に関するデータベースの表示を」
『該当ナシ』
ふつうマザーコンピューターには、所属とその位置階級が登録されているはずだ。だがこのコンピューターはまっさらだ。何処にも所属していないし、何の役割をも担っていない。
ただあるだけだ。マザーコンピューターは、環境再生後の世界に人類を送り込むという任務を終えて、休止状態に入っていた。
俺は衝撃に呻いた。何の目的も、何の理由も持たず、ドームポリスが存在することがあるのか? 仮にあるとしたら、それは国家から完全に独立している! 国家の庇護を受けたドームポリスが独立しているなどあり得ない! あり得るとしたら、一体どういった目的と意味を持つというのだ!
「お前は誰のものだ」
『サー。私を使う者が、私の支配者です。サー。今現在、私はあなたのものです』
俺は項垂れて、最後の質問をした。
「ドームポリスの地図を表示」
『ヒット――ドームポリス内部を表示』
俺は表示されたデータを、ライフスキンのメモリにダウンロードした。そしてライフスキンの胸部の布を捲り上げた。ここは有機ELディスプレイになっていて、先程ダウンロードした地図を表示する。
「ね~……もうまっくろだよ~ほかのぬのなぁい?」
俺が作業を終えると同時に、黒髪が糞尿と垢で真っ黒に染まった布を俺に見せてきた。俺は予備の毛布を彼女に渡した。
「医療室が分かった。今取って来る。これで残りも綺麗にしてやってくれ」
「あ~い」
黒髪は先程より慣れた手つきで、女たちの身体を拭き始めた。もうすっかり、異臭に鼻が慣れたようだった。
医療室へ行く途中。女たちが捨てられていた廊下を通りかかった。そこでは新しく女が一人捨てられている。金髪に連れられていた茶髪の女だ。彼女にも感染症の症状が見て取れた。
「わたしよわくないよ……わたしよわくないよ……」
茶髪はうわごとのように繰り返し、ぶるぶると震えていた。彼女は俺に気付くと、身体を引きずって逃げようとする。俺は茶髪の元にゆっくり歩み寄っていった。
「は……はァ! ひっ……ひっ……」
女は軽い悲鳴を上げながら、這って必死に逃げようとする。俺は彼女の肩に優しく触れると、抱き上げた。
「ころさないで! ころさないで!」
茶髪はなけなしの力を振り絞って、そう泣き喚いた。俺はその頭をそっと撫でた。
「大丈夫だ。すぐに元気になる」
茶髪はしばらく不安そうに震え、俺の瞳を覗き込んでいた。俺は黙って見つめ返した。やがて彼女の全身から力が抜けた。気絶したようだ。
俺は彼女を抱えたまま医務室へと向かおうとする。
「あの……わたしも……てつだうよ」
声のした方を振り向くと、倉庫から黒い長髪の女が出てきた。彼女は赤髪の女の肩を支えている。さっき見張りにいた奴だ。赤髪は全身から汗を吹き出して、腹を押さえて呻いている。
「だからこのこもたすけて。おねがいよ! てつだうからたすけて!」
「ついて来い」
俺はそれだけを言って、再び医務室へと歩いた。
医務室は酷い有様だった。かつては整頓されていただろう棚は倒されて、中身が床に散乱している。そこら中に破いた包みや、空の容器、そして錠剤が散らばっている。その錠剤を食べたせいか、ネズミも何匹か仰向けにひっくり返っている。死骸は食い散らされていて、そこら中に血がまき散らされていた。室内は異臭と汚臭で満ちている。それはところ構わずぶちまけられた、下痢と下呂のせいだった。
「何か分かってて飲んだのか?」
俺はゴミの中からオキシドールの空瓶を拾い上げながら黒長髪に聞いた。
「おなかすいたからてきとうにのんだ。げんきになるときもあるけど、ほとんどおなかいたくなって、よわくなった。だからここはほっといた」
「これは薬だ。弱くなった時飲むものだ。元気な時に飲むと弱くなる」
俺は黒長髪の目の前で瓶を振って見せた後、ゴミの中に放り捨てた。
「じゃあのませよう! すぐのませようよ!」
黒長髪は赤髪を壁に寄り掛からせると、床に散らばる錠剤をかき集め始めた。俺はすぐにそれを止めさせた。
「弱いのに合わせた薬がいる。何でもいいわけじゃない。それにちゃんと保存されているものじゃないと駄目だ。下手すりゃそれがトドメになるぞ」
「どれ! どれがいいの!?」
「じゃあ、包みが破れていないものを全部集めてくれるか?」
「うん!」
そこで排泄音がした。赤髪が地面にへたり込み、苦しそうに呻いている。ライフスキンから茶色い水があふれ、悪臭がきつくなった。
「お前ら……いつもどこでトイレをしている?」
黒の長髪に聞くと、彼女はきょとんとした。
「といれってなに」
「おなかがいたくなったら……その……でるだろ……飯食った後も……どこで出してる?」
「でるとこでだすよ」
俺は頭を抱え込んだ。感染症が蔓延するわけだ。衛生管理も糞もない。俺は黒い長髪のライフスキンと、自分のものを接続し、マップをインストールした。そして黒い長髪の胸元にある、ディスプレイを捲り上げて地図を表示させた。
「わぁ! なにこれスゴイ! これなに!? これなに!? はじめてみた!」
「ここの地図だ。この矢印が示す場所に連れて行って、出すものを出させろ。お前もこれからそうするんだ」
俺は便所までのガイドラインを引くと、黒長髪の背中を押した。俺は引き続き部屋内の捜索をした。
「糞忌々しい害獣みたいに食い散らかしやがって。少しつまんでは別のを開け、少しつまんでは別のを開け……半分がパァだ」
十数分後、俺は抗生物質と包帯、必要な薬をあらかた集め終えた。それを手短なバスケットに放り込んで部屋を後にする。途中便所から戻った黒長髪たちと合流し、冬眠ポッドのある部屋に戻った。
部屋では黒髪が全員分の身体を拭き終えたところだった。彼女が持つ毛布は、汚物で真っ黒になっていた。
「ふいたよぉ」
「ありがとう」
俺は黒髪の頭を撫でてやる。そして持ってきた薬をそこにいる全員に飲ませた。
「よわいのやっつけた?」
黒髪と黒長髪が顔を寄せて俺に聞いてくる。
「今やれることはやった」
本来なら水拭きしたいし、殺虫剤を噴霧したい。だが水が無い。明日取りに行こう。今は他にできることをやろう。
「こいつらがうなされたら励ましてやってくれ。名前を呼んだり、手を握ったり――そう言えばお前ら名前は?」
「なまえ~? ねぇあるの? わたしなにももってないよ」
黒髪が黒長髪を振り返る。黒長髪は首を振った。
「わたしももってないよ。なまえってなに?」
俺はかぶりを振った。
「俺は永瀬だ。永瀬恭一郎。永瀬と呼べ。これが名前だ。お前らにも後で名前をやる」
「わかったナガセ!」
二人は頷いた。