進軍-5
機動戦闘車がルートに合わせて西にハンドルを切り、崖に身を躍らせた。指揮車もそれに続く。二両のキャリアはキャリア隊として、崖の表面を削り岩を撒き散らしながら下っていく。やがて崖底の盆地に到達し、車体を大きく跳ねさせた。
「陣形変更! 斜列隊形を組め! 我々の目的は突破だ! 前方の敵に集中しろ! それ以外はチャーリーに任せるんだ! 突撃!」
機動戦闘車は命令を受けて、指揮車の左前方に位置した。俺たちはこれから異形生命体の群れの中を、南東から弧を描いて、北東へと抜ける。そのためにアルファが露払いを行い、その撃ち漏らしをシエラが始末する。
早速数十匹のマシラが、隊列の側面から襲い掛かって来る。即座に崖上に留まるチャーリーから、火力支援が降り注いだ。MA22による20ミリ弾の雨が、マシラたちに降り注ぐ。崩れ落ちるマシラの脇を、隊列は駆け抜けていった。
次に隊列の頭を抑える形で、別のマシラの群れが立ち塞がった。それはまるで、赤い肉の波だった。先行する機動戦闘車が、機関掃射でマシラを薙ぎ払う。あるマシラは構わず突進を続け、あるマシラは崩れ落ちて後続の足蹴にされた。肉の波は勢いを失うことなく、キャリアを押し潰さんと迫って来る。
「ルート変更右へ! すれ違いざまに攻機手榴弾投下!」
俺が叫ぶと同時に、機動戦闘車が右にハンドルを切る。指揮車はそのさらに右側にぴったりと付け、隊列は肉の波に背面を向けた。同時にマリアが荷台から、攻機手榴弾を一つ投げ落とす。それはマシラに飲みこまれて消えた。しかしいつまでたっても、なんの反応が無い。俺は鳥肌を立てた。
さては信管を抜き忘れたな!
「馬鹿がッ! アイリスッ! 遠隔起爆しろッ! 起爆対象を間違えるんじゃないぞ!」
『了解! パギちょっとどいて!』
一拍おいて、爆発音が響く。そして肉の波の後方で、鉄片と共に数匹のマシラが打ち上がった。起爆は出来たようだが、タイミングを逸脱しすぎだ。出鼻を挫き、先頭に立つ集団を混乱させなければ意味が無い。爆発によって肉の波に空いた穴は、群れの統率をさほど乱すこともできず、瞬く間に後続のマシラで埋めつくされてしまった。
『ナガセッ! ごめんなさい! ごめんなさい!』
マリアから悲鳴の様な通信が入る。待て貴様。通信機は運転席にあるはずだぞ。ンな所で何をしている!? 眼の前の死より俺が怖いのか!? 俺は堪らず怒鳴り返した。
「持ち場を離れるな! 煙幕弾を二発投下しろ! いったん分断する――」
そこで、急に心臓を鷲掴みにされたように、俺の時間が止まった。
肺へと空気が吸えない。肺から空気が吐けない。そもそも呼吸はどうしたか。俺の頭が真っ白になる。唐突な頭痛が頭蓋を焼く。目の前がちかちかする!
俺は身体をくの字に折り、激しく吐血した。ぼとぼとと吐いた血が、キャリアの純白のボディを滑っていく。どす黒い血を吐き切ると、身体はようやく呼吸を思い出す。俺は荒い息を付きながら、天を仰いだ。
興奮しすぎた――ようだ――身体の傷んだところが――激情にすら耐えれなくなっているのだ。俺は前もって準備した空圧注射器を取り出し、中の薬剤を注入した。中身は向精神薬。つまり『気休め』だ。
「おっ? どうした」
そんな言葉が耳朶を打った。声のした方を向くと、ロータスのにやけた顔が、サイドミラーに映っていた。そこには心配の情など欠片もない。飢えたハイエナが手負いの獣を品定めする、下卑た優越感で満ちていた。彼女は指でサイドミラーを、コツコツと弾いた。
「流れ弾にでもやられたのぉ? フフンざまあないわね……死にたくないでしょう? それにアンタが私たちを率いてるんだから、死んだら大変よねぇ……ダイジョーブ……ちゃあんとアジリアじゃなくて、アイリスに連絡入れるからぁ」
ロータスの手が車内に引っ込む。シェルターに無線を入れるつもりだ。今統率を乱す訳にはいかん! 絶対に! ここで士気が乱れたら、ロータスが逃げ出したら! アルファが全滅する!
まだくたばってたまるか! 俺は強い。生贄を食らい、人であることを止めたのだ。今さら何を恐れる事があるのか。死が俺を裁くまで俺は無敵なのだ。
俺は史上最強の獣、レッド・ドラゴンなのだ!
腹の底から、どす黒い何かが湧き上って来る。それは瞬く間に俺の良心と良識を食い散らかし、空になった心に我が物顔で居座った。
俺はモーゼルを抜くと、サイドミラーを撃ち壊した。割れるサイドミラーに、一瞬だけ引きつったロータスの顔が映った。
「殺すぞ淫売ィ! 誰がそんなこと命令した!」
自分でも信じられない暴言が口をつく。
「でもアンタ――」
俺の豹変にロータスが軽く狼狽える。だが俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。『イエス』か『はい』だけだ。
「言葉も分からねぇのか! 今すぐド頭カチ割ってぶっ殺してやる!」
威嚇するように運転席の天板を、銃把で叩きまくる。それから中に銃口を捻じ込んでやった。
「ちょ! 分かった分かった作戦ゾッコー作戦ゾッコー! マジにとんないでよこの馬鹿!」
ロータスが無線機を放り投げたのか、社内で物が転がる音がする。そして指揮車は機動戦闘車が展開した煙幕を盾にとり、肉の波の前を通過していった。
現状は良くも悪くもない。突撃したキャリアの部隊は、斜形陣を組んで群れの中を奔走している。マップを見ると、予定である盆地の中央地点まで侵入できていない。だがあと三分の二と言う所まで切り込んでいた。
北方の群れは依然活発だ。チャーリーが作り上げた死体の山に噛り付き、残りが壁のようになってキャリアの行く手を遮って来る。南側は少し沈静化している。投下した煙幕弾で上手く撹拌できているのだ。マシラは煙の中で踊るか、手短な死体に食らい付いていた。
そしてアメリカドームの西から異変を嗅ぎ付けて、続々と異形生命体が押し寄せて来る。この西側の群れを、もっと引きつけてから転進する。
「シエラからチャーリーへ! 攻機手榴弾用意! 着弾点の攻撃効果範囲を、半径百メートル取れ!」
マップに攻機手榴弾の攻撃点を、今度は一点書きこんだ。場所はアメリカドームポリスのやや東の地点で、キャリア隊が走っている目と鼻の先だ。そこを攻撃することで、北方から押し寄せて来るマシラの出鼻を挫きつつ分断する。そして南方から攻め上がるマシラを、引き留める死体の山を作るのだ。
「アルファに告ぐ。一旦車内に退避! これよりチャーリーより火力支援を受ける!」
俺の命令に従い、機動戦闘車の銃座からプロテアが降りた。そして荷台の銃座に陣取り、銃撃を再開する。俺自身も銃座から身を引き、キャリアへと引っ込むことにした。その際俺は、飲料用の水を身体にかけて、雑に血を洗い流した。
キャリアではパギが、早口言葉を習得するように、アジリアに情報を送りまくっている。ショウジョウの位置、マシラの動向、そしてジンチクがどうしているかなどだ。それに加えて先行する機動戦闘車から、ひっきりなしに火力支援の要請が来るのだ。軽いパニックに陥る一歩手前だった。
その隣ではアイリスが、淡々と戦況を管理していた。俺は彼女の隣に腰かけた。
「状況は?」
「アルファ並びにシエラは健在。弾薬消費も予定の範囲内です。ですがチャーリーの弾薬消費が著しく、予定よりも使い込んでいます。このままだと逃走時まで持つかどうか……プロテアに火力支援を遠慮させますか?」
「いい。それよりチャーリーに、弾薬を上手く使うよう注意しろ。ショウジョウはどうした?」
「キャリア突入時、チャーリーが狙撃に成功。確認できる十六の個体の内、五体が絶命、四匹は倒れ伏し感知不能となりました。七匹は有効射程範囲外で手出しをしていません」
「狙いは?」
「温度分布がマシラと異なり、内臓分布は把握できませんでした。脚はマシラに囲まれて狙えず。そこで確実な背骨を射抜いたそうです」
「そうか。パギと代われ。次の攻機手榴弾による火力支援の後、転進する」
俺はそう言って、ディスプレイに集中した。状況展開図によれば、キャリアはドームポリスの真東に近づきつつある。その少し上に、チャーリーがこれから投下する、攻機手榴弾の殺傷範囲が緑円で表示されていた。
周囲の異形生命体も、徐々にキャリアを目指して集結しつつある。このキャリアを台風の目に、取り囲むように渦巻いているのだ。上手くいっている証拠だ。
崖の上のチャーリーチームも北上を終えている。今では北東のキャリア隊脱出予定地に位置し、そこで支援を行っているようだ。転進後、アルファとシエラはこのチャーリーと合流し、ポイントCまで走る事になる。
手首を強く掴まれた。突然の事に、俺は驚いて脇を振り向いた。そこにはアイリスの泣きそうな顔があった。
「血の……臭いがしますけど……」
俺は鼻で笑った。
「化け物の血は臭くてかなわんな」
「接近されていません。怪我をしましたね」
「化け物がな。アイアンワンドが間違えたんだろう。これだからポンコツは困る」
俺はそう言って、アイアンワンドが格納されている床を、踵でノックした。
「その瓶。中身は何ですか?」
アイリスは俺の肘に取りつけられている、空の空圧注射を指した。
「ハイになるお薬だ。俺だけの特権だ。やらんぞ」
「ナガセ……一体――」
アイリスが俺に詰め寄ろうとする。俺は無言で彼女の頬を引っ叩いた。そして胸倉を掴むと、今にも食い殺さんばかりに牙を剥いた。
「遠足に来てるんじゃないんだぞ。うだうだ言ってないで持ち場につけ」
アイリスの顔から表情が消えた。彼女はぶたれたことが信じられない様に、頬に手を当てて震えている。これ以上こいつと『俺』にかまけている時間がない。俺は彼女の胸倉を掴んだまま、パギの席まで引っ張っていった。
その時パギが一際高い声を出した。
「攻機手榴弾! 発射したよ!」
俺は動きを止めて、ちらとディスプレイを見やった。攻機手榴弾の殺傷範囲内には、結構な数の異形生命体が赤い濃淡で表示されていた。
爆音がシェルターを貫通して、鼓膜を打った。次の瞬間キャリアが激しく揺れ、砂塵交じりの烈風が吹き付ける。シェルターは風のヤスリにかけられて、甲高い鉄の悲鳴を上げた。
それが止むと、急に辺りは静まり返り、呑気なエンジン音だけが低く響く。ディスプレイの状況展開図には、あれほど真っ赤だった殺傷範囲内から色が消えていた。
「パギ。ご苦労だった」
俺はパギの首根っこを摘まむと、コンソールの前から離れさせる。そしてアイリスを代わりに座らせて、シェルターを後にした。銃座に昇り、攻機手榴弾の成果を確認する。
圧巻だ。
目の前には相変わらず、マシラの赤い波が広がっていた。しかしそれらは今や、鉄片と爆圧に切り裂かれ、地面に這いつくばって伸びている。ほとんどが絶命しているのが、迸る血量と、散乱した肉片が物語っていた。そんな地獄の光景が、半径百メートルの円内に広がっているのだ。
しかし死体の山の中で、蠢く生き物の影があった。ジンチクだ。体長一メートルと小柄なジンチクは、計らずともマシラを盾にとり、手榴弾の攻撃から逃れることが出来たのだろう。だが問題ない。連中は脇目もふらず、出来立ての死体にかぶりついている。よしんば追いかけてきた所で、マシラより鈍い連中が追いつけるわけがない。
「転進! これよりポイントCへと向かうぞ! これから先は、シエラが先行する! アルファは後に続け!」
先行する機動戦闘車が大きく右折。アメリカドームポリスと死体の山に、完全に背を向けた。指揮車はそれを追い越して、キャリア隊の先頭に立ち、縦列隊形をとった。
後はこいつらを引き連れて逃げるだけだ。誘引は簡単だ。先ほど作り上げた死体の山に、異形生命体が集中する。そこからあぶれた異形生命体が俺たちを追う。それを撃退すれば死体になる。それをまた異形生命体が食らう。このサイクルを繰り返すだけでいい。追いつかれそうになったら煙幕を焚く。ややMA22の弾数が心もとないが、キャリアだけでも対処可能だろう。
『ナガセェ! 後ろ後ろォ!』
唐突にデバイスから悲鳴が上がった。リリィだ。大方追って来る異形生命体に、ビビっているのだろう。俺は何気なく、背後を振り返った。そして凍り付いた。
チャーリーに撃ち倒されたショウジョウが、大地に手をついて、ゆっくりと立ち上がっていたのだ。しかもその個体は壊れた人形のように、上半身をぶらぶらとさせていない。背筋をピンと伸ばし、勇ましく屹立したのだ。アジリアが背骨を壊して倒したというのにだ。
俺は言葉を失う。まさか魔法やファンタジーじゃないんだ。如何にしぶとい奴らと言えど、背骨を砕かれては、立つことはできない。生命力の問題ではない。構造的に無理なのだ。一体何が――
そのショウジョウに目を凝らす。奴の身体はMA22の砲撃を受け、まだらに黒点が穿たれていた。頭部は吹き飛び、軽く噴血を上げている。そして胸部にはひときわ大きな穴があった。ここから背骨を破壊したのだろう。だが胸部の穴からは、ミミズの様な何かがはみ出している。
あれは何だ? 内臓ではない。連中の内臓は黒か白だ。だがあれは気色の悪い赤茶けた色をしている。血の色にしては鮮やかさに欠ける。泥の色にしては光沢が鈍い。あれは――
俺の脳裏に、とある異形生命体が浮かび上がる。
ムカデか……? ムカデだ! ムカデが損傷個所に潜り込んでいるのだ!
何て事だ。おそらくムカデはショウジョウの体内で、破壊された機能を代替しているか、修復しているに違いない。
ムカデは碌な力も無く、動きも鈍く、異形生命体の中で酷く脆い個体だ。だから俺は歯牙にもかけなかった。だがそんな特性があったのだ。
俺が呆気に取られている内に、撃ち倒されたショウジョウがまた一匹、一匹と立ち上がり始める。またキャリアが突破した方角からは、まるで鎧のようにムカデを纏ったマシラが飛び出して来た。これも機関銃で、脚や内臓を吹き飛ばした個体だった。
予想外だ。これでは異形生命体の流れが速くなる。上手くさばききれるか。
俺が考えていると、急に空が暗くなった。何事かと見上げると、丸い何かが宙に浮いている。俺の視線は自ずと、立ち上がったショウジョウたちに向いていた。
連中は投擲後のポーズをとりつつ、次のジンチクを掴んだところだった。




