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Crawler's  作者: 水川湖海
二年目
50/241

進路-3

 俺は訓練の後始末を終えると、食堂に見張りを除く全員を集合させた。そしてデブリーフィングを行う。内容は普段の訓練後にするものと変わりない。結果を精査し、反省点を上げて、それを補う訓練を提示する。また目を見張る行動を褒めて、それを伸ばすようにアドバイスするだけだ。それは俺の執政を変えようとしたアジリアたちには、耐え難い屈辱となった事だろう。お前たちの決起は、俺にとっては日常の範疇に過ぎないと、暗に言ったようなものだからだ。

 俺は今できるだけの反省を済ませると、今日のデブリーフィングを終える事にした。本来なら訓練中の行動の意図や推測を聴き質し、判断基準と状況認識を洗う作業が残っている。だが今回はしない方がいいだろう。状況が特殊過ぎる。そしてアカシアたちが調子に乗ったり、アジリアたちが因縁を吹っかけても困る。釘を刺すことにした。

 俺は食卓をノックして、皆の注意を引いた。

「アカシアチームに訓示だ。勝者は一切語るな。勝ったらそれが全てだ。結果を受け入れて終れ。敗者に何も言うことを許さん。アジリアチームに訓示だ。敗者は多くを語るな。負けた理由は大いに反省しろ。だが勝者への言い訳は程々にしておけ。惨めになるだけだぞ。明日から通常の訓練を再開する。今日はゆっくり休め。以上」

『は~い!』

 元気良く返事をしたのは、アカシアチームの面々だった。プロテアはそれを見て、不貞腐れたように椅子の背もたれに腕を垂らしている。助ける為に立ったが、その相手が勝手に自立し、敗北だけが残ったのだ。納得いかないのは仕方がない。

「何か……いや……何してたんだろな……俺たち……訳分かんねぇ」

 プロテアは額に手を当てる。ローズも不満そうに、唇を尖らせていた。

「さぁね……ナガセの言う通り惨めだから、もう止めて欲しいんデスケド……ネェ……?」

 ローズは腕を組むと、隣に座るアジリアに流し目を送った。それに釣られて、プロテアもアジリアを凝視する。そこには少なからず、批判の色が窺える。それに気づいた食堂中の彼女たちも、一様にアジリアを睨み始めた。アカシアたち勝者は殺されそうになった怨嗟を、アイリスたち第三者は日常を乱された不快感を、それぞれ視線に込めていた。

 アジリアはそれらに対して、何も言い返そうとはしない。何を言っても無駄なことは、彼女も分かっている。ただ流石の彼女も、全身を刺し貫く視線と場を支配しつつある疎外感に、耐え切れなかったようだ。膝の上に手を乗せて、視線を俯かせていた。

 俺はもう一度机を叩いた。

「プロテア。ローズ。そんな目でアジリアを見るな。お前らが信じたんだぞ。自分の見る目を卑下するなら、他にも方法があるだろう?」

 プロテアとローズは恥じ入り、アジリアから視線をそらす。アイリスたちもそれに倣った。だがアカシアたちはなおも、アジリアを責めるのを止めなかった。

 俺はアカシアの名を呼んで、こちらを振り向かせた。

「お前らはもっと感謝するんだな。少なくとも足手まといが、『俺に』殺される心配はなくなった訳だ。明日からも『飯を食わせてやる』」

 アカシアたちは俺の言葉に、双眸をかっと見開く。彼女らは新しく入ってきた情報を、上手く処理できないでいるらしい。しばらくその顔のままでいた。やがて俺に真意を聴こうとしてか、各々がアクションを起こす。だが今の胸の内を、上手く表現することが出来ないようだ。口は空気を噛んで開閉するだけで、ジェスチャーを作ろうとした腕は胸の前でふらふらするだけだった。

 プロテアとローズはその様子を見て、俺に一杯食わされたとようやく分かったようだ。俺とアカシアたちの顔を交互に見やった後、俺に説明を求めるよう見つめて来た。当然それは無視した。

「約束は守れ」

 俺は食堂にいる全員を見渡して、指を突きつける。そして自室へと向かった。

 食堂から食卓を殴る音が聞こえて来た。かなりの力で殴りつけたらしく、鉄製の卓がひしゃげる音がした。プロテアが怒り任せにぶん殴ったのだろう。にわかに喧騒が巻き起こり、それが止むとすすり泣く声が聞こえた。これはローズだな。

 そうだ。そうなのだ。全部、俺のせいなのだ。

 自室に逃げ込む。そして寂しさを紛らわすため、仕事を始めた。するべき仕事はたくさんある。模擬戦のせいで乱れたシフトを正しつつ、無駄に使用したバッテリーの帳尻合わせだ。それと模擬戦の映像も、分析しなければならない。

 俺は没頭した。

 どれくらい時間が経っただろうか。ドアが弱々しくノックされた。俺は机から顔を上げて、ドアを見つめる。誰だかは見当がついている。拳銃を持たせているので、一応警戒しておくか。ホルスターの留め金を外し、モーゼルをいつでも抜けるようにする。

「どうぞ」

 ドアが遠慮がちにスライドする。そしてアジリアが入ってきた。彼女はすっかり消沈し、両の肩を落としている。顎を胸につけて、視線を地面に這わせていた。今日の敗北が、かなりきいているようだ。正義も、自信も、知恵も、全て俺に通用しなかったのだ。無理もないか。

 俺は彼女が、何か話すのを待っていた。だがアジリアはいつもと違い、置物のように黙して語らない。仕方なく俺から口を開いた。

「あの規模の訓練では、三十分が決着までの相場だ。その半分の時間で圧勝。さらに三分の一で完勝と言ったところか……『出来る者』ね……俺を笑い死にさせる気か?」

 アジリアは顔を上げて、疲れ切った表情を俺に見せた。

「勝者は一切語らないんじゃないのか……?」

「『俺は』まだ勝っていない……ここからだ」

 俺は手元の資料を脇に放る。そして机の上に膝を乗せて、手を組んだ。

「俺の勝ちだ、アジリア。約束を守れ」

 アジリアは再び俯く。そして震える声で聴いてきた。

「一体……何をした……どんな手を使った……?」

「何もしちゃいない。気になるなら改めてくれ。ほら。机の下に何も隠していないだろう?」

 俺はそう言って、机の下を手でさする。アジリアは俺の挑発に、怒る気力すらないようだ。ヘラリと軽く笑った。そして何を思ったか、彼女は床に膝を折って、俺に懇願し始めた。

「頼む。アカシアたちへの訓練を止めてくれ。彼女たちは、もう変わってしまった。だがこれ以上変えないでくれ。私ではお前に勝てない。そして私が足掻けば足掻くほど、状況は悪化する。だから頼む。代わりに私が何でもする。だから頼む」

 俺は表情には出さないが、面食らった。おおよそ彼女が取るとは思えない行動だった。一体何の真似だ? 新しく何かを仕掛けるつもりか。俺は様子を見るため、突き放すことにした。

「チップをかけて、サイを投げ、結果が出た。もう取り消しは出来んぞ。掛け金を払え」

「私の負けだ。私はお前より弱い。私はお前より劣っている。だからお前に全面的に従う。アカシアたちの分も働くし、それだけの技量を身に着ける。だから頼む」

 アジリアは駄々を捏ねだす。どうやら本気で言っているようだ。アジリアは彼女たちが、恐れる方向に変化させないため、己を捨てようとしているのだ。だがそんな事をしても、何の解決にもならない。それにアジリアの無様な姿に、次第に腹が立ってきた。

 お前は新しいリーダーになる。そのお前がそんなザマでどうする。お前だけが頼りなんだぞ。

 俺は椅子を蹴って立ち上がり、アジリアの目の前に迫った。

「約束を守らん奴の約束に、どれほどの価値がある? 掛け金を払え! 明日からも訓練は続ける! 覚悟しておくことだな!」

「負けたのは私だ! 私を――私を好きにしろ! チョーカーをずっとつける! 約束事をリストして、アイアンワンドに監視させればいい! だから――」

 俺はアジリアの頬を、思いっきり平手打ちした。アジリアは床に倒れ込む。そして打たれた頬に手を当てて蹲った。俺は「立て」と怒鳴りつつ、彼女の胸倉を掴んで乱暴に立たせた。

「寝ぼけてんのかテメェはよ。負けたのは貴様だが、賭けたのは全員だ。貴様の出した泥船に、全員が乗ったんだよ! 相手が俺で良かったな! マシラだったら皆殺しだぞ! 貴様は性根の腐った女だ。掛け金に自分の心臓ではなく、仲間の肉を使ったのだからな! その結果がこれだということを忘れるな!」

 アジリアの瞳から、涙が零れる。彼女は縋るように、腕を掴んできた。

「私が軽率だった。お前に逆らうことが間違っていた。お前は厳しいが、正しい事をしている。だがお前の崇高な思想に、誰もが付いて行ける訳ではないのだ。アカシアたちに、お前は気高すぎるのだ。だから――」

 ついに媚びを売りだしたぞ。心にもない事を言いやがって。お前は俺が間違っていると信じているからこそ、そうしてプライドを捨てて来たんだろうが。俺はアジリアの腕を振り払った。

「奴隷ごっこは一人でやれ。訓練を続けるし、進むのは止めない。それとお前に一つだけ教えてやる。お前の思想は根本的に間違っている」

 アジリアは俺を懐柔できず、追い詰められた。そして自らの使命すら否定され、寄る辺すら失くす。彼女は取り繕うのをやめて、感情を爆発させる。遠慮のない力で俺の肩に掴みかかり、激しく揺さぶってきた。

「それは違う……それは違うぞォ! 我々には生まれ持った天性がある! 得手不得手があり、それに合った在り方があるのだ! 殺しなんてものは! 誰もが手を染めるものではない! そんな凄まじい行為の責任は! 誰もが取れる訳ではないのだ! だから! だから! 少なくともそれを果たせる我々が、その責任を取ろうと言うのだ!」

 俺は鼻で笑った。こういう理論は聞き飽きた。

「それは違うなアジリア。自らの属する責任を果たせば、他の責任は果たさなくていいのか? 自らが属するところが上手くいけば、他は見捨ててもいいのか? そして責任と取れるものがいなければ、その責任は無視していいのか!? それは本当に良い事なのか? 適性があればローズとロータスに銃を持たせてもいいのか!? サンとデージーから銃を取り上げていいのか!?」

 俺はアジリアの手首を握りしめ、肩から離させた。

「生きる上で属する事はな、周囲に上手く機能していると証明して、良く見せるだけに過ぎない。それは属したものの価値観で全てを均一化して、歯車となって自分をすり減らすだけなんだよ! 良いものに属する事で、人間が幸福に生きれるわけないだろ!」

「ではどうすればいいのだ!」

 アジリアは泣き叫ぶ。マジに起きたまま寝てんのか!? 俺はさっきとは逆の頬を引っ叩いた。アジリアの上半身が大きく振れる。だが俺は掴んだ腕を頑として離さなさず、俺の顔の前に引き留めた。

「だからこそ『己』が良く在ろうとするんだ! 血反吐はいて、傷つきながらも、一歩一歩自分で進めるようにな! 悪いものを遠ざけて隠したってそれは消えないんだよ! 遠ざけてくれる人は何時までも居てくれないんだよ! 誰だって独りで戦わねばならない時があるんだよ! だから人はな、自分の眼で物事の良し悪しを学び、己の良心と良識を育み、それに従えるほど強靭にならねばならないんだよ! 分かるか!? それが人なんだ!」

 俺の腕の中で、アジリアがぐったりとする。どうやら駄々を捏ねる気力すら失くしたようだ。俺はアジリアから、突き飛ばすようにして手を離した。アジリアは立つこともままならず、床に倒れ伏す。そして肩を震わせて、嗚咽をあげはじめた。

「それが……人なんだ」

 俺は一息をついて、上がった息を整える。そして席に戻って仕事を再開した。依然アジリアは、床に寝そべったまま泣き続けている。俺は舌打ちをした。

「何時まで女々しく居座ってやがる。俺の部屋が陰気臭くなる前にとっとと失せろ」

 アジリアは目頭を押さえながら、ふらりと立ち上がった。そして部屋を出る直前、一度俺を振り返る。アジリアは固まった。

「お前……っ」

 俺はアジリアの目線に従い、何気なく鼻の下を拭った。指先に赤黒い血が付く。興奮して気付かなかったが、鼻血を噴いていたようだ。俺はそれを乱暴に、手の甲で拭った。そして卓上の錠剤を、いくつか飲み込んだ。

「紫外線で俺の遺伝子はズタボロだ。メディカルチェックによる修復を、半年以上していない。免疫不全だ。何を言ってるか分からんと思うが、簡単に言えば俺は近い内にくたばる」

 俺は手に持ったペンで、アジリアをひたと指した。

「その時はお前に殺される。俺は獣のように狂い猛り、お前たちに牙を剥く。それをお前が殺すんだ。そして彼女たちから守るんだ。そうすれば俺のアイアンワンド(権威)はお前に受け継がれるだろう。出来ればそれまでに、お前は俺を否定できるまで強くなれ」

 アジリアは答えに窮するように、打たれて赤くなった頬を歪ませた。今日は多くの事があり過ぎた。今まともな返事はおろか、反応すら期待するのは難しいだろう。俺は手の平で、追い払う仕草をした。

「さっさと失せろ」

 アジリアはふらつく足取りで、のろのろと部屋を出ていった。トン――と、部屋の壁が音を立てる。アジリアが廊下の壁に寄りかかったらしい。そのまま壁に身体を引きずって、音は遠ざかっていった。

 俺は深いため息をついて、ペンを机の上に放り出した。立ち直るには、時間がかかるだろう。だが残された時間は少ない。あまりこの件が尾を引くようなら、別の候補をサクラ以外から選出しなければなるまい。

『サー。私は今、サーが遺伝子異常を抱えている事を知りました。ご提案ですが、遺伝子補正プログラムを使用しては如何でしょうか? 生存確率が格段に上昇し、メディカルチェックも不要になりますわ』

 にわかにアイアンワンドが声を上げる。アジリアが終わったと思えば、次は貴様か。少しは休ませろ。

「必要な設備がない」

 俺は素っ気なく答える。だがアイアンワンドは珍しく食い下がった。

『マムたちは遺伝子を補正して、今現在存命中だと推測できますわ。故にこの施設には、遺伝子補正プログラムも、それに使用する機器も揃っていると断言できます。御命を無駄に捨てる事のなきように、お願い申し上げます』

 俺は部屋の棚に視線をやった。そこにはチタン製の、手に握れるほどの大きさの筒が、何本か飾られている。叢雲の残骸から回収した、遺伝子補正プログラムである。

 俺は運び役なので詳しい事は知らない。しかしその形状と端子の特徴から、メディカルポッドか、マザーコンピューターに接続して使うものだと推測はついた。だがどうしようもない。

「そっちではない。遺伝子を解読する装置が無いんだよ。ここに俺の遺伝子配列情報はない。ジーンスポッティング(遺伝子の目的の箇所に、マーカーをつける事)しなければ、そんなもん使えんのだ」

『アメリカドームポリスには、全ての設備が揃っている事でしょう。マムたちにその旨を伝え、奪還作戦を急げば――』

 それ以上は言うな。俺は跳び上がると、部屋の監視カメラを睨み上げた。そして指を突きつけて喚き散らす。

「お前は! 己が生き延びたいために! 彼女らに無理を強いれるか!? そうしてまで生き残って! 今までの全てを否定して! そこに何の意味がある! 俺は彼女らの死体を踏み越えるつもりはない! 彼女らが俺を踏み越えるんだ! だから彼女らを良くするんだよ!」

『ですが――』

「貴様の意見なんざ聞いていない! 仮に一人でも傷物にしてみろ! 彼女たちが生きるためならそれは致し方ない! だが俺が生き残るためにしたら、それは彼女らを道具として嬲ってるのと一緒なんだよ! 次に上に立つ奴は、俺と同じことを繰り返す! 上に立ち続けるためにな!」

 全てを言い終えた時には、俺の呼吸は乱れ動悸が激しくなっていた。喚いただけで、この有様だ。胸を掻き毟り、無理やり呼吸を落ち着かせようと努める。だがそれより早く、不快感が肺からせり上がってきた。脚から力が抜け、椅子にへたり込む。

 俺は口に手を当てて、そこに激しくせき込んだ。手の平に血の混じった唾がへばり付く。それを握りつぶすと、そのまま机に振り下ろした。

「お前が彼女らに余計な入れ知恵をしようものなら、その脳ミソにバックショットをぶち込んで、回路をズタズタに引き裂いてやる」

 アイアンワンドから返事がない。分かってもらえないみたいだ。俺は念を押した。

「覚えて置け……お前が俺を見ているように、俺もお前を見ている。不審点があればスクラップにして、叢雲の隣に並べてやる」

『サー……イエッサー……』

 しばらくの沈黙の後、アイアンワンドは初めて聞く答え方をした。

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― 新着の感想 ―
>悪いものを遠ざけて隠したってそれは消えない この一連のセリフはいい説教だなあと何度見ても思います 説教ってのはお叱りじゃなくて説明と教えなんだよなあ
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