暴君-6
あれから、三日が経った。模擬戦は十日後。後七日だ。
俺は自室の机で、のんびりと事務を行っていた。理由は無駄に動いて、妙な疑念を抱かせたくないからだ。それに仕込みたい事もある。訓練の日までは基本的に、自室に引きこもる事にした。今は俺が負けた時に備えて、限られたメンバーでの攻略法を練っている。だが少ない部隊で、実行可能な作戦は限られてくる。すぐに煮詰まり、手持無沙汰になってしまう。思えば訓練と指導以外で、他にする事が無いな。
せっかく出来た暇だ。今までに溜まった資料の整理と、作戦の粗でもほじくる事にしよう。俺はあくびを噛み殺しながら、資料棚から紙の束を取り出した。
「なに。する。気だ?」
俺の隣には、監視役のパンジーが座っている。彼女は監視対象が席を立ったのに、過敏に反応して急いで距離を詰めて来た。俺はそんな彼女に、紙の束を押し付ける。パンジーはわたわたとそれらを抱え込んだ。
「資料整理だ。お前もちょっと手伝ってくれ」
「残念。それ。無理。今は。監視。優先」
パンジーはムスッと唇を尖らせると、俺の机の上に、紙の束を丁寧に置いた。
遠慮がちに、ドアがノックされた。
「いいぞ」
俺が返事をすると、ドアがわずかにスライドして、アカシアが顔を覗かせた。彼女は俺とパンジーを交互に見て、部屋に入るのを少し躊躇う。やがてゆっくりと入室すると、後ろ手にドアを閉めた。
「どうした?」
アカシアは言葉選びに困るように、視線を宙に彷徨わせた。行く当てのない視線は、地面を這う。それから彼女は、俺に聞いてきた。
「模擬戦……するんだよね……? 私たちに訓練しなくていいの? 私、ダンビラなんて乗ったことないし、サンとデージーだってダガァに触ってもいないよ……それに連携も……もうあれから三日たつのに、何の連絡も無いんだけど……」
何を言うかと思えばと、俺は笑い飛ばして見せる。そして身構えるアカシアを余所に、ゆったりと椅子に座り直して資料をめくった。
「いや。そこまで嫌だったのなら、もう無理強いはしない。各自で好きにしてくれ」
アカシアは俺の言葉が解せないようだった。視線を俯かせたまま、胸の前で指を弄り始める。そして浮かない顔のまま、か細い声を出した。
「でも……ナガセ負けちゃうけど……いいの?」
俺もアカシアの言葉が、解せないという顔をしてやった。
「お前は馬鹿か? お前自身それを望んでいるから、こうなったんだろう? なぁに。模擬戦で負けようが勝とうが、俺にはどうでもいい事だ。アジリアたちを訓練できるんでな。それだけか?」
「う……うん。そ……そだよね……」
アカシアは少し傷ついた顔をしながらも、俺に頷き返した。しかし納得はしていないようで、何時までたっても部屋を出ず、その場でもじもじし続けている。俺の本心が分からなくて、不安なのだろう。俺はアカシアを無視して、書類仕事を続ける。それでもアカシアは居座り続けたので、俺は鬱陶しくなってペンで部屋の外を指した。
「用は済んだろ? プロテアと遊んで来い。一緒に歌う人を探しているぞ」
「あ……うん……そだね」
アカシアは俺に一礼すると、部屋から出ていった。パンジーはその後姿を見送ると、視線だけを俺にくれた。
「何。考えて。いる?」
「下らん事を聞くな」
俺は苦笑しながら、資料をめくる。パンジーはふぅっと軽く息を吐いて、姿勢を楽にした。
「言うけど。私の中では。今だに。ナガセが一番。だから。アジリアに。手を貸さなかった」
ほう。ローズが参戦したのはそれが理由か。パンジーはアジリアに与しているが、異なる考えで動いているようだ。しかしこのタイミングで、そんな話をする理由は一つしかない。
「へ~。そうか」
俺はその一言で、会話を終わらせる。パンジーは肩透かしを食らって、間抜けな顔になった。含みのある物言いに、食いつくと思っていたのだろう。そうやって俺の興味を引いて、腹の内を探ろうとしたのだろうが、そんな幼稚な手に引っかかるか。
俺はすらすらと仕事を進めていく。パンジーはコケにされたと分かると、幾分か気分を悪くしながらも、俺の監視を続けた。
時計の針が進み、監視交代の時間となる。時計の長針は定められた時を過ぎていくが、交代であるプロテアが来る気配はない。俺は大きく伸びをして、立ち上がった。
「遅刻とは珍しいな……迎えに行くか。俺も外の空気を吸いたい」
俺は机の上に資料を放り出すと、パンジーと共に部屋を出る。そしてプロテアを、手短な談話室から探すことにした。部屋から離れると、俺の部屋の方から数人分の足音が聞こえて来る。見張りのシフトと職務内容から、その正体はおのずと限られてくる。三日目にして、やっと行動を起こしたか。演習まで残り七日。勝率は低いな。
俺の耳元で、リタが囁いた。
『私より遅いじゃーん! ていうかシャブ使いなよぉ。一発だよ』
「黙れ」
俺の独り言に、パンジーがびくりとした。
「何も……言ってない……」
「自分に言ったんだ。気にするな」
俺はそうお茶を濁して、さっさとプロテアを探すことにした。ドームポリスの廊下から、何やら言いあう声がする。金切り声ではないので、喧嘩ではない。声のする方に進んでいくと、内容がハッキリしてくる。サクラとプロテアだ。サクラは何やら嘆願しており、プロテアはそれに辟易している様子だ。
俺が現場に着くと、サクラが必死でプロテアを説得しているところだった。
「だからよぉ……俺もナガセの事は好きだけど、それとこれは話が別だってぇ」
「そんな事言わずに考えを改めてよ! 分かっているでしょ。ナガセにも一理あるって!」
プロテアはサクラを振り切って、こちらに向かって来ようとする。しかしサクラはその袖を掴んで、その場に引き留めた。プロテアががっくりと肩を落として、大きなため息をつく。そして振り返ると、サクラを乱暴に振り払うような真似はせずに、やんわりと言って聞かせた。
「難しい事は俺には分かんねぇって……俺に分かるのはあれはやり過ぎだってことだよ。そろそろ交代の時間なんだよ。シバかれんの俺だぜ? だから勘弁な」
サクラの手から力が抜けて、プロテアの袖がするりと抜ける。プロテアはサクラに向かい、両手を合わせて詫びの仕草を入れる。そして進んだ先で俺と鉢あって、軽い悲鳴を上げた。
「プロテア。交代」
パンジーが遅刻を咎めるように、責めるような口調で言う。プロテアは頭を軽く下げつつも、親指で背後のサクラを指した。
「悪ィ悪ィ……けど俺は悪くねぇぞ。サクラに引き止められたんだよ」
サクラはしょぼくれて、悄然としている。彼女は唇を噛んで、泣きそうになりながら震えていた。だが俺の存在に気付くと、無理に明るく笑って見せた。
「ナガセ! 待っててください! この馬鹿げた模擬戦は潰して見せますから!」
俺は特に気にしてない様にして見せた。
「サクラ。余計な事をするな」
「それには承服しかねます。これはドームポリス全体の問題で、私にも関わりあることです。私は命を受けずとも、自らの意志で行動させてもらいます!」
サクラはそう言い切ると、ドームポリスの廊下を駆けて行った。
こっちは順調である。別に俺が密命を下した訳ではない。彼女自身の考えだ。いずれにしろ利用している事には違いないので、勝とうが負けようが彼女には何かしら礼をしないとな。
サクラを編成から外した理由は三つある。一つは喧伝工作である。サクラは賢いので、この模擬戦が公開処刑だとすぐわかる。やめさせようと奔走し、その理由を論理的に説くはずだ。これで敵側に迷いを生じさせることが出来る。二つ目はアジリアの攪乱だ。アジリアはサクラの動きに、目を光らせざる得なくなる。そして俺が引きこもっている以上、本命がサクラにあると勘繰り、俺から彼女に注意を移すだろう。
そして最後の理由だが、それは今頃アカシアたちが見ている事だろう。




