潜在‐4
私はプランBを、室内の全員に説明する。プロテアもピオニーも私の話を聞いて、複雑そうに表情を歪めた。だがプロテアは代案が出せない以上、それしかないと思ってくれたのだろう。
「俺ァ見張りの交代に行く。アジリアにはここに来て、茶でも啜るよう言っておく」
彼女はさっと席を立つと、椅子の背もたれにかけてあったマントを背に羽織った。そして彼女にしては静かに、食堂を出ていった。
ピオニーはというと、頭を抱えて子供のように唸っている。やがて顔を上げると、彼女は申し訳なさそうに、柳眉を下げた。
「私も手伝いたいですがぁ~、私は手伝いませぇん。皆さん私を信用して、ご飯さん食べますぅ~。そのご飯さんに怪しい薬は入れられませぇん」
ピオニーは席を立つ。そして私の膝の上で、眠っているパギを抱っこした。パギは軽くうなされたが、目覚める事はなかった。
「ですから私はパギちゃんと寝ていますぅ~」
彼女は食堂のドアの前まで歩いていくと、じっとドアの取っ手を見つめた。そして泣きそうになりながら私を振り返った。
「あ……あけられませぇ~ん」
今まで無言で俯いていたアイリスが立ち上がる。そしてドアを開けてあげると、ピオニーの背中を押して食堂から出ていった。私は後を追って、よたよたと廊下を歩く二人を見送った。
私も準備しないと。後ろ手に食堂のドアを閉め、自分のカップを掴むと、食堂の奥に向かった。そこは小部屋として区切られている。中には隣のキッチンには及ばないが、調理器具が置かれている。ピオニーはもっぱらここを盛り付けをしたり、料理を温め直すのに使っていた。
小部屋を入ってすぐ目の前には、流し台と一体化した箱型の電磁加熱器が置いてある。電磁加熱器には、それぞれ茶の入ったポットと、スープの入った鍋が置いてあった。
流し台の上には、一五人分のカップと皿が置いてあった。八つは綺麗に洗われ、湿気に表面が潤っていた。だが七つは使い手が冬眠したので、この寒さの中乾いていた。
私はアジリアのカップを取り出す。そして例のビニルを取り出すと、中に入っている粉末をカップの底に敷いた。アジリアの目の前でお茶を入れたら、溶ける前に気付かれる。だからアジリアが食堂に入ってくるまで、この場で待機だ。先にアジリアのカップにお茶を注ぎ、次に私のカップに注ぐ。それから食堂に持って行けば、その頃に粉末は溶けてくれるだろう。
丁度その時、食堂のドアがスライドする音がした。
私はにわかに荒ぶりだした心臓を、必死に理性で抑え込む。そしていつものように、気だるげに振り返った。
アジリアだ。彼女は白い息を吐きながら、羽織ったマントに顎を埋めている。忙しなく手で両腕を擦り、必死に体を温めようとしているようだった。顔に生気はなく青ざめている。だが瞳には強い芯が通い、真っ直ぐを見つめている。そして意欲に燃えて輝いていた。
生きる気合は十分なようだが、身体がついていけてないようだ。この調子だと死の直前まで意地を張り続けていそうだ。私はその時を待とうかとも思ったが、すぐにかぶりを振った。ナガセを待たせるわけにはいかない。
アジリアは食堂内を見渡し、人の姿を探していた。そしてキッチンでポットを手にする私を見つけると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。当然だろう。私だってマシラを見る目で、彼女に相対しているのだ。アジリアの愛想が良くなるはずもない。
アジリアは暖かいお茶を飲みたいのか、キッチンの小部屋を向いて佇んでいた。しかし私が中に居るうちは、入りたくないようだ。不機嫌そうな顔をより険しくして、私を急かして来た。
プロテアならこれを好機と、アジリアのカップに茶を注いで持っていくだろう。だが私とアジリアの仲は最悪だ。私たちが互いの為になるような事をしないのは、お互いが良く知っている。そのような真似をしたら、アジリアが不信感を抱くだろう。
私はアジリアのカップを、彼女に見える位置にずらした。
「あなたも飲む?」
まず牽制の一手だ。返事は簡単に想像がつく。
「いらん。余計な世話だ」
アジリアはぶっきらぼうに言った。私はムカついた。アジリアの物言いよりも、その所作がナガセに似ていることに腹を立てた。
アジリアはナガセを忌避する癖に、その所作と口調はナガセに近づいていく。私はナガセのまがい物が、まるでナガセのように私に接する事に、激しい嫌悪を覚えた。
怖いのだ。ナガセが彼女だけを特別に、教育しているのではないかと思うと怖くて仕方がない。そして私が望む場所にアジリアが立つことを想像すると、居ても立ってもいられなくなるのだ。
「そう言わずに。少し話せるかしら」
私は胸中に渦巻く雑念を吹き散らすように、カップにお茶を注ぎ込んだ。カップの中で粉末が、熱湯に渦を巻く。私が自分のカップにお茶を注ぎ終える頃には、アジリアのカップはいつもと変わらぬ、琥珀色の水面を見せていた。
私は自分とアジリアのカップを持って、堂々とアジリアの脇を通り、椅子に腰かける。そしてテーブルを挟んだ対面に、アジリアのカップを置いた。そして立ち尽くすアジリアに、座るよう視線で促した。
いつもの私だ。対するアジリアも、強硬な私の態度に眉根を寄せている。不審ではなく、厄介にだ。いつものアジリアだった。
アジリアは私の対面まで来ると、カップだけを手に取った。
「嫌味なら聞き飽きた」
そう吐き捨てて、食堂を出て行こうとする。アジリアがカップを口にするまで目は話せない。私は必死で言葉を紡いだ。
「言葉の意味分かる? 私は話せるかしらと言ったのよ。嫌味はこれで終わりよ。話を聞く気があるならね」
アジリアは入り口付近で立ち止まる。そして引き返してくると、私の対面の椅子に腰を下ろした。
「手短にな。私は生きるのに忙しい」
アジリアは口をへの字に曲げて、腕を組んだ。
何が生きるのに忙しいだ。ナガセの言う通りにすれば、それはいらない苦労になる。自分の駄々と好き勝手を、まるで必要な労働のように言うとは、本当にいけ好かない奴だ。
私は煮えくり返るハラワタを鎮めるため、カップに口をつけて中身を啜った。
「思えばこうして向かい合って話すのは、初めてかもしれないわね」
一息ついて、私はアジリアに言う。アジリアはつまらない雑談に、指でテーブルを叩き始めた。
「能書きはいい。さっさと本題に入れ」
テーブルの下に隠した左腕が、怒りに握り拳を作る。何でこんな奴が私より、ナガセの近くにいるのだろう。本当に理解が出来ない。
だがいい機会だ。アジリアはどうしてナガセに逆らうのか、ナガセはどうしてそれを許しているのか、ストレートに聞いてみることにしよう。
「どうしてナガセに反対するの? 駄々を捏ねているのかしら?」
アジリアは私の問いに、口の端を歪めて笑った。
「お前に話す義理があるか?」
「私は話せるかしら、と聞いたのよ。座ったからには、ある程度の義理を果たしてもらえる?」
アジリアはそこで目を丸くした。そして頷く。尤もだと思ったのだろう。彼女はテーブルに肘を付き、両手を重ね合わせると、その上に顎を乗せた。そして試すように、私の瞳をじっくりと覗き込んできた。私は取り乱す事も、眼を反らすことも無く、その視線に答える。私の眼には、きっと業火の様な嫉妬が宿っていた事だろう。
やがてアジリアはまた笑みを浮かべた。それは口の端を歪める挑発的な笑みではなく、ふと表情を緩めて内心が漏れたような笑みだった。私にはアジリアが、何が可笑しいのか分からなかった。
「あいつが化け物だからだ」
「化け物? どうして。ナガセは優しいわ。誰にだってね。そしてここにいる誰よりも博識で、それを肌の色や髪の色、性格などで区別せずに分け与えてくれるわ。ロータスのように、よっぽどのことが無ければね」
「誰にでも優しいか……それは奴に賛同するからだろう」
「いいえ。そうだったなら、あなたはここまで私を苛つかせていないわ」
「私が自由だとでも? 私はあいつのオモチャにすぎん」
私の答えに、アジリアは首を振った。そして説明する言葉を選ぶように、視線を伏せて思案に暮れた。しばらく、吹雪でドームポリスが揺れる音しかしなかった。
やがていい言葉が選べたのか、アジリアは立てた肘をまっすぐに伸ばし、テーブルの上に投げ出した。
「逆に聞くが、何故ピコを殺したあいつを許した」
「それはナガセと生きて分かったからよ。ナガセが喜んでピコを殺した訳じゃ無いって。ナガセは私たちが過ちを犯さないように、命の大切さを教えてくれたのよ。ナガセは命の大切さを知る、素晴らしい人よ。許すも何も、私は自分の過ちに気付いただけよ」
私は真剣に、そして心を込めて言った。ひょっとしたらアジリアがその事実を知らないから、抵抗しているかもと思ったのだ。
しかしアジリアはとても残念そうに、溜息をついた。そして悲しそうに笑った。
「違うな。それはお前らがナガセの考えを受け入れたからだ。ナガセの思想に同調したからだ。我々は弱く、そうせざるを得なかった。だがそれだけは避けるべきだった」
アジリアはそう言って、お茶を啜った。私の目論見は達成されたが、私はアジリアから目を離せないでいた。
何故ナガセの考えを受け入れたらいけないのか。どうしてナガセに同調してはいけないのか。
「どういう事かしら?」
私が促すと、アジリアはカップの中に視線を落とす。そして今まで聞いたことのないような、か細い声を出した。
「あいつはこことは違うとこから来た。何所かは知らんが、それは確かだ。そして重要なのは、何所から来たかではない。何処からか来たという事実だ。我々とは違う過去を持っているという事実だ」
アジリアは緊張しているのか、ちびりと口先で、何度もカップを啜る。
「あいつの過去は知らない。だがあいつは鼻歌を混じりに化け物と戦い、眉一つ動かさずピコを奪った。そのような過去を引きずっているにも拘らず、奴は奴のままであり続け、平然と生き続けている。きっとこれまでに、それ以上の何かを奪って来たのだろうな」
「それがさっきの話とどう関係あるの?」
「奴は過去の経験を元に私たちに教えている。私はそんな奴の汚れた過去などいらん。そんなものを教えられたら、私たちも奴と同じ化け物になる。いいか。はっきり言うぞ。あいつは態度を軟化させたが、それがどうした? あいつが自分の過去を教えるという行為は、変わらないじゃないか。そしてあいつがおぞましい過去を持っている事もな。あいつは私たちのコミュニティに侵入し、私たちを化け物にしようとしているんだ」
私はすっかりアジリアの主張に興味を失った。妄言だ。パギは悪罵を連ねるだけで可愛らしいものだが、アジリアは駄々を捏ねて醜態を晒しているだけだ。私は納得がいった。ナガセは聞かん坊のパギに甘いように、アジリアの妄言も大目に見ているのだろう。何故なら両方とも、理屈の効かない子供だからだ。
アジリアの瞼が下がり、眼が半開きになった。薬が効いてきたようだ。彼女は眠気を堪える為か、左の手を開いたり閉じたりし始める。
「私たちは、私たちの記憶で過去を築いていくべきだ。無垢から初めるが故に、過ちを犯し、悲劇に見舞われる時もあるだろう。だがそうするべきなのだ。あいつは「それ見た事か」と笑わせておけばいい。しかしそれでこそ、私たちは「私」足り得るのだ。真の意味で自由なのだ。生きるためとはいえ、根本的に思想、行動を束縛された今に、自由などあるものか」
アジリアが体を支えきれなくなり、テーブルの上に突っ伏した。顔面がテーブルに叩き付けられたが、その衝撃は彼女の眠気を覚ますことは出来なかった。カップが押し倒され、中身がテーブルに零れた。
「私は……さいごのとりでだ……あのばけものからわれわれをまもる……さいご……のりょうしんと……りょうしき……なのだ」
その言葉を最後に、彼女は安らかな寝息を立てて、動かなくなった。私は席を立つと、彼女を冷たく見下ろした。
「続きは夢で楽しみなさい」
これで問答無用でポッドに入れることが出来る。後はナガセに納得してもらうだけだ。どう説明しようかは考えていない。だがナガセは多少の嘘は看破するだろう。純粋な私たちの思いを分かって貰うしかない。
私は反吐の出る思いで、アジリアを背負った。そして中央コントロール室に運ぶことにした。