潜在‐3
その日の朝、私とパギは倉庫にいた。倉庫は寒気で満たされていて、ただ居るだけでも辛い。だがその極寒の中を、ナガセは食料を探しに行くのだ。私は布団に潜り込んで、惰眠を貪る気にはなれなかった。
私の吐く息が白く濁り、電灯で照らされる、倉庫の空気に溶けていく。電灯の光は倉庫を隅々まで照らしてはいるが、私が知る太陽の光より暗く感じる。その微妙な感覚が、私の心に不安という名の影を落としていた。
「サクラお姉ちゃん。さぶいよ」
私の腕の中で、パギが駄々を捏ねる。パギは寒さが厳しくなってから、私から離れないようになった。寝る時も、仕事の時も、ずっと一緒だった。きっと怖いのだろう。今日も私が見送りに起きると、重い瞼を擦りながらついてきた。
私は彼女を後ろから覆うように、抱いてあやした。
「その寒い中、ナガセはご飯を取ってきてくれるのよ。無事を祈って見送ってあげましょう」
「でもアレ強いからダイジョブだよ」
パギはあくびを噛み殺して言う。私はパギの頭を優しく叩いた。
「アレとか言わないの。ナガセかお兄ちゃんでしょ」
「化け物だよ。アジリアお姉ちゃん言ってるもん。ピコを殺したアクマだもん」
パギはそう言って、腕の中のピコのぬいぐるみを抱きしめた。
「アジリアぁぁぁ」
私は寒さの震えの中に、憤怒によるものを交えて唸った。あの女は本当に勝手だ。
私たちはナガセの力を借りて生きている。ナガセの考え方で生きている。それが正しいし、一番安全なのだ。ナガセは間違っていたと謝ったけど、それだって元を辿れば私たちが悪い。ナガセに無理をさせて、間違いを犯さざる得なくしたのだから。こんな悲劇を繰り返さないために、私たちはナガセのようにならないといけない。そうして初めて幸せになれるのだ。
だがあいつは、ナガセを否定している。それどころではない。ナガセを化け物と呼び、事もあろうか、マシラやジンチクなどの畜生と同じだと思っているのだ。
はっきり言ってしまえば、私はナガセにも苛ついている。ナガセがしっかり、アジリアを叱りつければいい事なのだ。だけどナガセは、アジリアを気に入っている。だから叱らない。ナガセがアジリアを、気に入っている理由は分からない。
自分で言うのも何だけど、私はよくやっている方だ。それ以外で私とアジリアを区別するのは、外観しかない。私はそっと自分の黒髪に触れた。
「金色の髪が好きなのかな……肌も黄色いより白い方が……」
駆動音が倉庫に響いた。私はハッと顔を上げる。
私がぶつぶつと愚痴をこぼしている内に、ナガセが人攻機の整備を済ませ、機体に搭乗したようだ。入り口に近い駐機所の格子が抜けて、五月雨が自力で立った。
五月雨は駐機所のハンガーにかけてあった、MA22を背中に担ぐ。そして私たちに背を向けて、入り口の垂れ幕を押し退け、外に踏み出そうとした。私は慌てて手を振った。
「お気をつけて!」
五月雨の動きが一瞬止まる。そして首の付け根にある、外部カメラが駆動して私を捉えた。
『お前らこそ用心しろ。こう雪が積もっていては、ジンチクの接近を見逃すかもしれんからな。サクラ。俺がいない間頼むぞ』
私はナガセの不安を払拭するため、満面の笑みを浮かべた。
「御心配なく。しっかりと留守を護ります」
そしてパギにも手を振るように、肩を叩いて急かした。パギはムスッとしてそっぽを向く。そして左の中指を立てて、ナガセに向けた。
私は全身に鳥肌を立てた。何となく、それがとてつもなく失礼なジェスチャーだと分かったからだ。
「コラ! 何てことするの! ていうか誰に教わったの!」
私はパギを振り返らせると、両肩を掴んで激しく揺さぶる。パギは悪びれる様子も無く、私から眼を反らした。
『俺にはいい。だが他の女たちにしたら、プロテアに尻を叩いてもらう。今度は止めんからな』
五月雨からナガセの声が響いて来る。私は五月雨に視線を戻す。しかしすでに五月雨は垂れ幕の向こうに消えていた。後には外から吹き込んだ雪が、出口付近の宙を虚しく舞うだけだった。
「お姉ちゃん。アクマでていったし、私たちも戻ろうよ」
パギは両手に息を吐いて、暖を取りながら私に言う。私は顔を引きつらせながら、パギの顔を覗き込んだ。
「どーしてあんなことするの! 駄目でしょ! ナガセは私たちを守ってくれているのよ!」
「ピコ殺す必要はなかった」
パギはピコのぬいぐるみを強く抱きしめる。ぬいぐるみはそれを繰り返したせいか、糸が所々ほつれ、綿が少しはみ出していた。
「あれにはちゃんと理由があるの。あなたが大きくなったら分かるわ」
「分かったら化け物になっちゃうじゃん」
「違うの。そんなこと言ってると、パギが化け物になっちゃうわよ」
私は諭そうとするが、パギはもう聞きたくないように、両手で耳を塞いで縮こまってしまった。
「お姉ちゃん。寒い」
私は溜息をついた。
「分かったわ。食堂に行って、お茶を飲みましょう」
私はパギを抱っこする。その身体は少し冷えている。私は自分の体温を分け与えるように、パギの身体を自分に密着させる。パギは嬉しそうに、私の首に手を回して、抱き付いてきた。
デージーたちが眠りについて、三日が経った。食料の消費率は減ったが、状況は好転しない。食料自体が取れなくなったし、消費が減った分人手も減ったからだ。結局何も変わっていないのだ。
「私……馬鹿だったな。ナガセの言う通りにしておけばよかったんだ」
ナガセは私たちを信頼していないから、冬眠しろと言ったのではない。出来ないから冬眠しろと言ったのだ。私は今更理解した。そして信じていなかったのも、私たちだという事もはっきりわかった。だから私たちはナガセに逆らったのだ。その結果がこの有様だ。
「今からでも遅くはないわ……どうにかして冬眠する方に、皆の意思を持って行かないと」
私も加担した過ちだ。私が元に戻さないと。
今冬眠していないのは八人。ナガセは全員を冬眠させるまで寝ないだろう。パギは私が冬眠するまで一緒にいるそうだ。プロテアとアイリス、ピオニーは、一人でも起きている限り、その人を手伝うため冬眠しないとはっきり言った。パンジーは良く分からない。話す機会が無いから。しかしアジリアといることが多い事から、彼女の影響を大いに受けていると考えるべきだろう。そのアジリアは意地でも冬眠しないことは分かっている。
となると、目下の所障害となっているのはアジリアだ。アジリアを冬眠させることが出来れば、パンジーも冬眠に同意してくれるかもしれない。
食堂のドアを開ける。中では、ピオニーとアイリス、そしてプロテアが、身体を丸めてお茶を啜っていた。問題の二人は丁度いない。今がチャンスだ。
ピオニーがすぐにお茶の入った、二人分のカップを運んでくる。私はそれを受け取りながら、アイリスに声をかけた。
「アイリス。決心したわ。やるわよ」
アイリスは寝不足でしょぼくれた眼を、一杯に見開く。
「やるって……アジリアを……?」
彼女は視線を左右に振って、注意深く室内を見渡した。秘密がばれて困る人物がいないか、気を配っているのだろう。そしてピオニーを指して「バカ一号」、プロテアを指して「バカ二号」と点呼を取ると、最後に私の腕の中のパギに注目した。パギは安らかな寝息を立てていた。
彼女は安全を確保すると、ヒッヒッと怪しい笑みを浮かべる。そして懐から植物の粉末を入れた、ビニルを取り出した。
寝不足でかなり精神的に参っているのだろう。理路整然としたいつものアイリスの姿はそこに無い。卑屈に背中を丸め、ビニルを親指と人差し指で挟んで揺らす様は、かなり気味が悪い。ピオニーとプロテアも、馬鹿にされた怒りを忘れて、その薄気味悪さに腰を引いていた。
「プランAですね。分かりました。今準備します」
ビニルの中身は毒キノコをすり潰したものだ。以前鼠を駆除するのに使った残りだ。
アイリスは袋の口を切ろうとする。慌てて私は言葉で制した。
「違う。前も言ったけど毒殺はナシ。ナガセのいう事は守るの。プランBでいくわよ」
「へ? そんなものはありませんけど」
「そりゃ今考えたからね」
私たちのやり取りを聞いて、プロテアが興味を持ったのか、机の上に身を乗り出した。
「なんだなんだ? 面白そうだな。俺にも一枚噛ませろよ。何するんだ?」
アイリスが露骨に嫌そうに口元を歪めた。
「あなたは何でも大事にするからダメです」
プロテアはアイリスの嫌そうな顔を気にかけず、彼女の隣の席に移った。そして馴れ馴れしく肩を組むと、パギにするように頬を指で突いた。
「そんなこと言うなよぉ~、鍋だって何でもかんでもごった煮にした方が美味いだろぉ~。俺も混ぜてみろって。意外な結果が出てくるかもしれないぜぇ~」
アイリスの頬が苛立ちに痙攣した。プロテアはきっと場を和ませるようとしたのだ。それは私には分かる。アイリスは皆が病気にならないか、気が気でないのだ。そのせいで寝不足になり、心に余裕が無いのかヒステリックに叫ぶことが多くなった。
だがアイリスは、子供のようにあしらわれるのが嫌いだった。だからこそ勉強をして、人一倍の知識を身に着け、皆の尊敬を集めようとしているのだ。唯一先程の行動が許されるのは、博識なナガセだけだった。
惨事を予想した私は、慌てて席を立ち、二人に割って入ろうとする。だが腕の中で眠るパギが、私の動きを止める。せめて視線だけでも歯止めをかけようと、私は必死の形相でアイリスを見つめた。
アイリスは私の視線に気づく。彼女は大きな深呼吸を繰り返し、幾分か余裕を取り戻した。そして頬を突くプロテアの指を押し退けた。
「あなた。ハーブティー好きですか」
プロテアはアイリスが世間話を振ってきたと思ったに違いない。嬉しそうに表情を緩めて、自分のカップに視線を落とした。
「俺はスープの方が好きだ。けどなァ、最後の栄養源だから、もうそんなに飲めねぇんだよなァ……食い物に関する話か!」
プロテアが色めき立ち、組む腕に力を込めた。アイリスの首が絞まりそうになる。彼女は辛うじて首と腕の隙間に、自分の腕を滑り込ませて難を逃れた。そのままアイリスは、うっとおしそうにプロテアの腕の内から逃げた。そして、ナガセが他人に物を教える時のように、腕を組んで仁王立ちになった。
「それは結構です。例え話がしやすいですから。私とサクラがハーブティーです。あなたとピオニーが肉汁です」
ピオニーが心外そうに、短い悲鳴を上げた。だがアイリスは彼女を鋭い睨みで黙らせて、プロテアに再び向き直る。
「この二つを混ぜるとどうなりますか?」
プロテアは顎に手を当てて思案した。そして答えに行き当たったのか、手の平を拳で打つ。理解が得られたと思ったアイリスは、ほっと胸を撫で下ろした。
「そういう事です」
だがプロテアはまたもや馴れ馴れしく、アイリスと肩を組んだ。
「お前寝不足で馬鹿になってんじゃねぇのか? 何言ってんのか全然分かんねぇ。いいから一枚噛ませろよ」
アイリスの茶髪が逆立った。
「バカヤロォォォ!」
彼女は絶叫すると、力づくでプロテアの腕を振りほどいた。そして顔を真っ赤にしながら、プロテアに指を突きつけると、大声で喚き散らし始めた。
「オマエ! オマエナー! ヒトガデリケートニイッテヤッテンジャネェカヨー! キヅケヨー!」
アイリスの素だ。こうなると普段隠している分、もう止めようがない。
プロテアは気まずそうに苦笑いを浮かべながら、アイリスを宥めようと両の手の平を向けた。
「なァにキレてんだよ。お前アノ日か?」
ピオニーも、よせばいいのに、プロテアの勢いに自分も乗っかり手を上げた。
「私分かりますよ~。ハ~ブさんと、お肉の汁は相性最悪なんですぅ。ですから混ざっちゃダメなんですぅ! これで私もハ~ブティ~ですよねぇ~!」
二人の言動は見事に火に油を注いだ。アイリスは髪を滅茶苦茶に振り乱しながら、地団太を踏んで、唾を辺りにまき散らした。
「ウルセェェェ! コノドチクショードモガー! サクラー! プランエーダー! コノマシラアノヨニブチコンデヤルー!」
私は溜息をつくと、彼女を落ち着ける唯一の言葉を吐いた。
「ナガセが見たらなんて言うかしら?」
アイリスの動きが、まるで凍り付いたかのようにピタリと止まった。そのまま氷の彫像のように、彼女は微動だにしなくなる。やがて理性が息を吹き返し、内省も済ませたのか、アイリスの顔が茹蛸のように赤くなっていった。
彼女は四肢を脱力させて、私たちから一番遠い廊下側の椅子に、重い足取りで向かう。そこに腰を下ろすと、両手で顔を覆って、黙り込んでしまった。
流石にこれ以上、アイリスにちょっかいをかける気にはなれなかったのだろう。プロテアは私の隣の席に座った。反対側にピオニーもおずおずと腰を据える。ピオニーは納得がいかないように、「ハ~ブさ~ん」と、小さく繰り返していた。
「ンで? 何をやらかすんだ? お前ら賢いから、何かいい事なんだろ?」
アイリスに気を使ってか、プロテアは囁くように私に聞いた。私は頷く。
「冬眠に関する事よ。これ以上は無駄な意地だわ。私もポッドに入るわ。だからあなたたちも一緒に冬眠して、ここで終わらせましょう」
プロテアは即座に首を振った。
「俺はアジリアが入るまで眠らねぇ。あいつが寝るまで、ナガセも寝ないだろうしな」
「ご飯は私の仕事ですからぁ~、一人でも食べる人がいる限りぃ~、私は眠りませぇん」
私は自分の認識が間違っていない事に喜んだ。やはりアジリアが問題なのだ。アジリアの意地が、冬眠の妨げになっているのだ。彼女がポッドに入れば、冬眠を拒む理由はなくなる。そうすればナガセがこの極寒の吹雪の中、危険を冒して食料を探しに行く必要もなくなる。
ナガセも冬眠できるのだ。
「だから。アジリアには眠ってもらうわ」
私はそう言うと、懐から別のビニルを取り出して、皆に見せた。




