細心‐3
俺はまず倉庫の隣にある大部屋に向かった。通常そこは、警備員の詰め所として使われている。しかし女たちは、その部屋が外に近く、内部の通り道にあるため、談話室として使っていた。
談話室は電灯の光が漏れていて人の気配もする。俺は中に居る人間が、俺を見て逃げ出さないように、そっと中を覗き込んだ。
中にはローズとパギがいた。ローズは膝を畳んで座り込み、その上に布を広げて作業をしている。その脇でパギはうつ伏せに寝そべりながら、ローズの作業を見守っていた。
どうやらローズは針仕事をしているようだ。だが何を縫っているのかは良く分からない。丸っこい布の塊に、何度も針を突き刺している。
俺は意を決して、談話室に入って行った。
パギは俺に気付くと、さっと立ち上がって部屋から出ていった。去り際に小声で「ばか」と零していったことから、相当恨まれているようだ。俺は複雑な気持ちで、パギの後姿を見送った。
「パギ? もう少しでできるから落ち着いて待ってったら――」
ローズがくすくすと笑いながら、顔を上げる。そして俺の姿を視界に抑えると、軽い悲鳴を上げて飛び上がった。
「ヒェ! エ! エ? 狩りに出たはずじゃないの!」
彼女の手から、布の塊がこぼれ落ちる。それは俺の足元まで転がって来た。
「ローズ? 何を作っている?」
俺は腰を折ってそれを拾い上げた。長い胴体に、四本の足、細長い首をもった動物のぬいぐるみだ。ボタンを使って円らな瞳が取りつけられ、背中には紐を縫い付けて、模様が表現されている。頭には角があるが、裁縫の腕がいいのか重力でヘタレることなく、ピンと天を指していた。どうやら頭を取り付けている最中だったらしい。首の付け根が縫いかけで、そこからぼろきれが覗いていた。
まじまじとぬいぐるみを観察する俺に、ローズは両手を上下にぶんぶん振り回して、必死に言い訳を始めた。
「ちっ! 違ッ! ナガセ! これはぼろきれを使っているから! だから物資を勝手に使っている訳じゃ無いんデスケド!」
「上手いもんだな……ピコのぬいぐるみか……」
俺はローズにぬいぐるみを返してやった。ローズはきょとんとして、俺と手元のぬいぐるみを交互に見やる。そしていたたまれないように、俯いて黙り込んでしまった。
俺はちらと彼女の足元を見た。軍事用のソーイングセットが、よたよたになったシャツやタオルの上に放り出されている。シャツやタオルは破れたり汚れたりして、俺が廃棄物として捨てたはずのものだった。きっと焼却炉から使えるものを取ってきたのだろう。
シャツの奥には別のぬいぐるみが転がっている。俺は興味深くそれを持ち上げた。
「もう一つは出来たのか」
「あっあっアッー!」
ローズは奇声を上げると、俺に突っ込んでぬいぐるみを取り上げた。そしてぬいぐるみを抱きしめて隠す。騒がしい女だ。いつもはもっと落ち着いているだろう。
俺は苦笑いを浮かべながら、ローズの腕の隙間からこぼれるぬいぐるみの足を指した。
「それはライフスキンを着た人間だな。誰がモデルだ?」
ローズはもう隠しても意味がないと思ったのか、だらしなく腕を下げた。彼女の手の中では、むっつり顔のぬいぐるみが揺れている。ぼさぼさのザンバラ髪に、眉のつり上がった不機嫌そうな顔。そしてへの字に曲がった口をしている。改めて見てみると何とも愛想のないやつだ。
そこで俺は、恥ずかしさに頭に血が上るのを感じた。
「まさかこれ」
俺は声を上ずらせて呻く。ローズはこくりと頷いた。
「ナガセなんデスケド……ピコを殺す前……パギが欲しいって……」
俺はローズからぬいぐるみを受け取り、まじまじと見つめる。何というか、自分に子供がいたら、渡したくない代物である。ぬいぐるみはムスッとした顔で俺を睨み上げてくる。その表情からは、仄かな敵意と懐疑の念、そして壁を張るような硬さが伝わってきた。
「俺は……こんな顔しているか……」
「四六時中……クスッ」
ローズはいきなり緊張を解いて噴き出した。そして俺の顔を指さすと、口元を上品に押さえながら笑い出した。
「そんな情けない顔初めて見た――あっ、あー! 元に戻っちゃった。でも顔真っ赤」
「やかましい」
今度は俺がいたたまれなくなる番だった。どうにか場を取り繕うとするが、言葉が出ない。ローズはそんな俺を楽しむように、にこにこと笑いながらじっと見つめて来る。しばらく時間が経ったが、俺の居心地が悪くなる一方で、ローズは笑みを絶やさずにいた。
「随分落ち着いたじゃない。プロテアが慰めてやるって息巻いてたけど。なにしてもらったの?」
おもむろにローズが口を開く。俺は目を瞑って無視した。自分でもわかる。顔が火照って熱い。まだ拷問の方がマシだ。早くここを出る、うまい口実を考えなければ。
「私も同じことしてあげようか?」
「要らん世話だ! あ~くそ。大声出したのは謝る」
思わず大声が口を出る。だがローズは声をあげて笑い、腰砕けになった。
「別に今のはいいわよ。今のナガセ、全然怖くないから」
そしてまた笑みを絶やさぬまま俺を見つめて来た。
いかん。このままではオモチャにされる。俺はローズにぬいぐるみを返し、素早く背中を向けた。
「少し時間をくれ。山吹色の布があったはずだ。ピコと同じ色のな。他に何がいるのか?」
「えっ? あ? 別にそれでいいわよ。もったいないし」
「パギにやるなら、もっとマシな布を使え。他は?」
「わ……綿が欲しい……んデスケド……」
贅沢を言っていると思っているんだろう。ローズが遠慮がちに、小さい声で言った。
「分かった。ベッドを一つばらすか……どうせ使ってないのがたくさんある」
思えばタオルや服がたまに縫われていることがあったが、ローズがしてくれていたのか。今まで特に気にも留めなかったが、おかげで物資を長持ちさせることが出来ていた。今はとてもその気にはなれんが、後で礼を言わないとな。
俺は足早に談話室を出ると、備蓄をまとめてある部屋へ向かうことにした。
備蓄をまとめている部屋は、倉庫の反対側にある大部屋だ。俺は必要な道具を全て倉庫側に移したので、この区域は使用することが滅多になかった。そのため掃除もおざなりになっているのか、廊下には土くれや、水をこぼした後などの汚れが目立った。
「全く。そう広い施設でもないんだがな」
俺は目的の部屋の前まで来ると、溜息を吐く。そしてドアを開けようとして、手を止めた。かけたはずの南京錠が見当たらない。それどころか、ドアが僅かにスライドしており、その隙間から女の話し声が聞こえた。
「騒がしいな――また忍び込んだか」
女たちは一時期備蓄に手を出すのをやめたが、月日と共に考えが変わるのが人の常だ。しばらくすると、備蓄をちょろまかす奴が出始めた。連中もやはり女のようで、備蓄の中でも等分配できない珍しい服や、アクセサリなどを欲しがっていた。そして少数だが、酒や煙草を欲しがる奴もいた。まぁ数日もすれば我慢できなくなって、見せびらかすことで尻尾を出すのだが。
連中は大抵、俺が狩りに出ていく時間に侵入し、物を掠めていく。今回もそうに違いない。
俺は勢いよくドアを開けた。
「何をしている!」
ドアが枠にブチ当たる激しい音と、俺の大声に驚き、中に居る人間が飛び上がった。同時に俺も飛び上がらんばかりに驚いた。
室内はかつての面影が無いほど改造されていた。かつての大部屋には棚が設置され、そこには備蓄が所狭しと陳列されていた。埃っぽく、扉を開ける度に粉塵がライトに照らされ、冷えた空気が蔓延していた。
しかし今では棚はすべて撤去され、代わりに土を敷き詰めた鉄の箱が、所狭しと並べられている。プラントのようだ。その上にはまるで蛍光灯の様にチューブが吊るされていた。チューブの半分が光を発し、残りの半分が空いた穴から水を噴出していた。部屋は外と違って暖かく、少し蒸しているぐらいだった。
俺はこの施設に見覚えがあった。
「バイオプラント……?」
規模がはるかに小さく、ちゃちな造形だが、良く似ている。
そっと盛られた土に近づき、その上で芽吹く植物に手を伸ばした。植物は肉を挟むのによく使っている、レタスに似た丸い野菜だ。自生しているものに比べると、とても小さく色も悪い。だがいくら外で育てても枯れてしまったものが、ここで元気に育っている。辺りの土を見渡すと、他にもたくさんの植物が芽を出していた。
俺は信じられないように、部屋にいる女たちを見た。部屋にいたのはアカシアとマリアだ。彼女たちは、泥で汚れた白の作業服を緊張で握りしめながら、びくびくと俺の様子を窺っていた。
やがてアカシアが、鉄枠から水がこぼれるのに気付き、マリアの服の裾を引っぱった。
「あ……マリア。水止めなきゃ……」
途端に弾かれたように、マリアが掴まれた服の裾を振り払った。
「え! やめてよ! 共犯みたいじゃん! これアンタの単独犯行でしょ! 巻き込まないでよ!」
マリアの冷たい言葉に、アカシアが不安そうに内股をすり合わせ始める。
「えっ……マリア手伝ってくれるって……言ってくれたじゃない……」
マリアは目を剥くと、俺に縋りついてきた。
「お……おど……脅されたのよ! ナガセ! アカシアに、この前備蓄から靴を盗んだことばらすぞって!」
「私……そんなの初めて聞いたけど……」
自分からばらしていくのか。俺は苦笑しながら二人をなだめると、部屋中に首を巡らせた。
「随分思い切ったな……ここまでやらかすと怒る気も失せる……」
マリアが肘でアカシアの小腹を突いた。
「主犯。何かいう事あるでしょ」
「え……私主犯なの……? ナガセ……?」
アカシアが表情を凍り付かせながら、俺に伺いを立てる。はっきり言って気分屋のマリアにこんな根気のいる作業は無理だろう。それにマリアの作業着はそんなに汚れていない。比べてアカシアの作業着は泥まみれで、長い労働のせいで汗の染みが浮きヨレヨレになっていた。
アカシアが頑張ったのだろう。俺は頷いた。
途端、アカシアは目に涙を溢れさせながら喚きだした。
「主犯じゃないよぉぉぉぉぉぉ! やめてよぉぉぉぉぉぉ! そんなことになったらナガセに怒られちゃうでしょぉぉぉぉぉぉ!? ちゃんと許可取ったよぉぉぉぉぉ! ほらほらほらほら! サクラに作ってもらったんだよぉぉぉぉぉぉ!」
アカシアは懐から一枚の紙きれを取り出し、俺に見せて来た。どうやら申請書のようだ。だが悲しいかな。
「アッー!」
紙きれはアカシアの汗を多分に吸いふやけていた。そのまま作業をしていたものだからクシャクシャになり、書かれている文字は読めなくなっている。アカシアは嗚咽を漏らしながら、必死になって紙を伸ばそうとする。だが紙はあっさりと破け、彼女の手元には最早ゴミしか残っていなかった。
アカシアは瞳孔を開いて沈黙する。ゴミを乗せる両手が戦慄き、それは全身に伝播して、彼女はわんわんと泣き始めた。あまりの痛々しさに、俺の隣でマリアが引いていた。
「ナガセ……反省しているようだし……電撃一発で許してあげればいいんじゃないかな……」
「もとより罰するつもりはない」
サクラが書類を作ったのなら、俺が目を通し許可を下したのだろう。自分に全く覚えはないが、サクラが俺の許可を求めず勝手をすることはないし、アカシアが不正をすることも考えられない。ここ最近切羽詰まっていたので、忘れたに違いない。俺は顎に手を当てて、記憶を漁ると、ハタとある事が思い当たった。
「そう言えば、ドームポリスの中で植物を育てたいとかいうあれか?」
「それだよぉぉぉぉぉ! それそれぇぇぇぇっぇっぇぇ! 成果が出たから大部屋回してもらえたんだよぉぉっぉぉっぉぉ!」
余程俺が怖いらしい。冤罪を主張するように、アカシアが物凄い勢いで首を縦に振った。泣きながら喚くものだから、言葉の途中途中でつまり、息もつかないような喋り方になっている。大して運動もしてないのに、彼女の胸は激しく上下し、息も絶え絶えになり始めていた。
「すまん。とにかく何もしないから、これでも食って落ち着くんだ」
俺は弁当箱から海藻の干したものを取り出すと、ぐずるアカシアに渡した。アカシアは気を静めるように、海藻に激しくむしゃぶりつく。マリアにも一つ与えて、俺も肉の干し物を口に放り込んだ。
俺はアカシアが落ち着くまでの間、ゆったりと室内を見渡した。床には俺が採集し、可食テストをパスした食物が栽培されている。その上に水と光を供給するチューブがある。その元を辿っていくと、チューブは二つに分かれ、片方が蛇口に。もう片方がドームポリスの光ファイバーに繋がっていた。俺は蛇口をひねって水を止めると、光ファイバーに接続されたチューブを見た。チューブは配電盤の中に潜り込み、新しく設置された配線に接続されていた。
「これはどこに繋がっている?」
「屋上のソーラーパネルだよぉぉ……そこに光の取り込み口をつくってぇぇ……太陽の光を取り込んでいるんだよぉぉ……電気の光じゃぁぁ……元気にならないからぁぁ」
全く驚くことに欠かないな。配線を敷いただと。とてもアカシアに出来るとは思えない。それに配線をよく見ると、適切な部品を使ってキッチリ固定してあるし、他の配線に傷一つつけていない。手慣れていると言うか、熟練していると言うか、とにかく正確な仕事だ。俺はサクラの顔を思い浮かべたが、彼女はここまで思い切りが良くない。他の誰かだ。
「お前がやったのか?」
俺が聞くと、アカシアは震えながら首を振った。
「違うけど言わないよぉぉ……」
「お前とは大違いだな」
俺はマリアの肩を軽く叩く。
「旦那。こいつシメちゃおうよ」
マリアは罰が悪そうに唇を尖らせる。アカシアはびくりと顔を跳ね上げた。
「別に怒らん。俺が嘘をついたことがあるか? そいつにも怒らないから頼む」
アカシアは目を瞬かせて上目づかいで俺を見る。彼女は過去を思い返すように、ちらりと左上を見たが、すぐに俺を見直して口を開いた。
「リリィだよぉぉ……身体が小さいし手先が器用でぇぇ……どこにでも入って作業できるのぉぉ……この前も水漏れ直してたぁぁ……銃も組み立てるの上手だしぃぃ……私いつも掃除をしてもらってるぅぅ……」
意外だな。だが確かに手先は器用だった。暇があれば、アサルトライフルを組み立てているようだし、機械が好きなのかもしれない。後で顔を見に行こう。
ひとまず俺はアカシアの額を、優しく指で弾いた。
「掃除は自分でしろ。自分の命がかかっているんだからな」
アカシアは「あうう」と呻いて、額を押さえて蹲った。
「だが良く芽吹いたな。外でどれだけ手を尽くしても駄目だったのに。どうやったんだ?」
俺の問いに、マリアが胸を張る。
「あれね、多分潮風のせいで枯れたんだよ。海の水を植物にやると枯れちゃうからサ。私たちだって海水を飲むと吐いちゃうでしょ。だから部屋の中で育ててみたら、大当たりってね」
そして高々に哄笑を上げる。アカシアは納得がいかないように、額を押さえたままマリアを潤んだ眼で見た。
「それに気付いたの、私なんだけどな……」
「細かい事気にしちゃ駄目」
「細かいかなぁ……」
アカシアはぶつぶつ言いながらマリアから離れると、プラントに生えた雑草をむしり始めた。マリアもそれに倣う。俺も手伝おうと、アカシアの隣に並ぶ。しかしここに来た本当の目的を思い出し、途中で手を留めた。備蓄はどこだ? 確かサクラが目的の物を探すのが大変だから、種類ごとに分けて保管する許可が欲しいとか言っていた。許可を出したっきり成果を聞いていない。サクラは報告を怠ったりしない。ということは俺が確認を怠ったのだ。思い当たるフシはいくらでもある。
「なあ。備蓄はどこに移したか知らないか?」
「えっ? ナガセが管理してるんでしょ? 私知らないよ」
マリアが雑草と野菜の芽を、一緒くたに引き抜きながら俺を振り返る。すぐにアカシアが小さな悲鳴を上げて、雑草の中から野菜の芽を抜き出すと、丁寧に土に埋め直した。
「移転先を失念してな。おい。手伝うならもっと気を使ってやれ」
マリアはアカシアに笑いかけながら、言葉だけの謝罪をする。そして今度はいくらか慎重に雑草をつまんだ。
「サクラに聞いたら? やったのサクラだし」
「それもそうだな……」
俺は頷くと、大部屋を後にした。
「あ~それと。廊下にこぼした土くれ、掃除はしておいてくれ」
俺は去り際にそれだけはきちんと伝えておいた。
「だってさ。主犯」
「あうう~」
アカシアの悲鳴が耳に残った。