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Crawler's  作者: 水川湖海
一年目
25/241

細心‐1

 俺は自室の机で頭を抱えていた。

 電灯のついた室内は、閉め切っているので暖かい。しかし湿気があって少し蒸した。だが気にはならない。それよりも重大な問題がいくつも頭を悩ませている。それは一向に解決せず、俺は無能な自分を呪う他なかった。

 机の上にはコピー用紙がばら撒かれている。そこには今まで立案した越冬計画が、記されていた。漁業に勤しみ、食料を確保する計画は却下だ。冬の到来とともに、魚もどこかに行ってしまった。きっと今頃暖かい海を泳いでいるのだろう。アメリカドームポリスの奪還計画も現実的ではない。物資をいくらピストン輸送したところで、戦線を維持できない。俺一人が奮闘したところで物量に押されて負ける。他の人類を探すのも最早妙案とは言えない。今となっては、砂漠のど真ん中でオアシスを探すような試みだ。そんな幻を追っていたら、ミイラになってしまう。

 俺は手元にあったコピー用紙を、左手で握りつぶした。手の平のかさぶたが裂けて、血が計画書に滲んだ。

 息抜きに、部屋の壁に貼った異形生命体の写真を眺める。ピックアップされているのはショウジョウとヤマンバだ。俺は彼らの性交を思い返しながら呻いた。

「不安定な個体がヤマンバになるのではなく、雌の個体がヤマンバなのか……? 雄がマシラとショウジョウ……その出来損ないの子供がジンチクとムカデ。これならジンチクらがヤマンバの体内にいた事に説明がつくが……」

 ドアが遠慮がちにノックされた。意識がそっちに行ってしまい、頭の中の考えが霧散してしまう。思案の邪魔だな。適当に返事をしてさっさと追い払おう。

「誰だ? どうした? 何の用だ?」

 俺は少し棘のある声で聴いた。

「ナ……ナガセ~……ご……ご飯ですよ~」

 ドアの向こう側から、ピオニーの泣きそうな声が聞こえて来た。しかしご飯だと? まだ食い足りないのか。

「さっき晩飯を食ったばかりだぞ」

「え? あ……あの~……もう朝なんですけど~……」

 ピオニーの言葉に、俺は閉め切った窓を開けた。蒸し暑い室内に、爽やかな潮風が吹き込んでくる。そしてきらめく海面の彼方から、昇りつつある太陽が見えた。また無駄な一日を過ごしてしまった。俺は拳でサッシを軽く殴った。

 俺は冷たい風が室内に満ちて、居心地が悪くならない内に窓を閉めた。

「そうか……俺の分はいい。貯蓄に回せ」

 俺はどっかりと椅子に座り直す。今更疲れが込み上げてくる。だが眠る訳にはいかない。

 俺は背もたれに身体を預けると、手の平で顔を覆った。ドアの向こうでは、相変わらず人の気配がする。ピオニーが居座っているようだった。

「まだ何かあるのか?」

「でもぉ~ナガセ……もう丸二日何も食べてませんけどぉ~」

 俺は首を傾げた。まだ内陸調査から一日しか経っていないはずだ。少し前に外へ出たが、まだ昼だった。それほど時間が経ったとは思えない。

「そうだったか?」

「そうですよぉ~……出て来てもぶつぶつ言うだけで~、人攻機に乗ってどっかいっちゃうしぃ~……ちゃんと寝てますかぁ~?」

 俺は慌てて時計の針を見た。今では役に立たない日にちの針が、二つ進んでいた。

 どうやら俺は、余程焦っているらしい。自分で時間の概念を忘れるほど、現実から逃れようとするほど、物事に熱中しているのだから。

「寝てる暇なんざ――」

 俺は言いかけて、ハッとした。そうだ。その手があった。

「かくなる上は……」

 俺は椅子を蹴って立ち上がると、ドアを開けて部屋から出た。

 正面にはピオニーが料理の乗ったトレイを手に、立ち尽くしていた。眼には涙を貯めて、口は泣きそうになるのを必死に堪えていた。ドアの右側では、サクラが膝を抱えて眠りこけている。左側ではアイリスが、救急箱を脇に蹲っていた。

 アイリスは俺が出てくると、おずおずと俺の左手を握ろうとした。治療するつもりなのだろう。だが俺はそれを振り払い、ピオニーを押し退けて、中央コントロールルームへと向かった。

 今すぐに準備をしなければ。背後でピオニーが号泣する声がする。だが構っている暇はない。俺が何とかしなければ、もうその声も、笑うことも泣くこともできなくなる。俺がしっかりしなければ、彼女たちは全てを失ってしまう。

 春が来れば余裕も生まれる。その時に謝ろう。今はとにかく彼女たちの身を守ることが最優先だ。

 俺は虚空に向かって呼びかけた。

「アイアンワンド。冬眠機能の確認」

『サー。イエッサー。冬眠機能確認――機能に問題はありません。長期冬眠。短期冬眠。共に使用可能です』

「一四人分の人間に対し、実行可能なプランは?」

『短期冬眠が実行可能です。人体の体温を下げ、活動レベルを強制的に低下させます。循環レベルを低く維持し、代謝を著しく下げることで、春までの越冬が可能です』

 俺はほっと胸を撫で下ろす。

「準備にかかれ。もう一度彼女たちを冬眠させる。それで冬を越す。全員に連絡。今すぐ食堂に集合だ」

『サー。イエッサー』

 俺は食堂に入ると、最奥部の食卓の短い辺に身を置いて、じっと女たちが集まるのを待った。

 アイアンワンドのアナウンスが流れて、一人、二人と食卓に集まって来る。そこには料理が乗ったままのトレイを持ち、嗚咽を上げるピオニーもいた。救急箱を抱えたままおろおろするアイリスも。そして赤く腫れた眼で俺を見つめるサクラもいた。

 俺は気にせずに、食卓をノックして皆の注目を集めた。早く終らせてしまおう。そうすれば万事が上手くいく。

「聞いてくれ。これから冬眠ポッドに入ってもらう。そうして冬を越すぞ」

 女たちが騒めいた。お互いに顔を見合わせ、俺に聞こえない声で何かを囁き合っている。しかし知った事ではない。どのみち冬眠せざるを得ないのだ。そうしなければ死んでしまうのだから。

「それって……あのガラスの容器に入るの?」

 サンが眉根を寄せながら、手で冬眠ポッドのシルエットを描いて見せた。

「ああそうだ。すぐにライフスキンに着替え――」

 アジリア、ロータス、ローズの三人が、俺に見切りをつけて、食堂から出て行こうとした。

「まだ話は終わっていないぞ。止まれ」

 俺はドスの効いた声で彼女たちを引き留めた。

 アジリアを除く二人は、渋々と言った様子で足を止める。だがアジリアが俺を無視して食堂を出ると、ロータスがその後に続いた。俺はアジリアを連れ戻そうと、肩を怒らせながら追いかけた。

「やだ」

 食堂を出る前に、そんなパンジーの声が耳朶を打った。俺は寡黙な彼女の発言に耳を疑いつつ、食堂入り口の壁に寄り掛かるパンジーを見た。パンジーは腕を組んで、侮蔑で目を針のように細めながら俺を睨み返した。

「何故だ」

「ナガセ。ピコ殺した。銃持たせた。それで満足しない。我儘。それはいい。だけど。私は。私。私の物。もう眠りたくない。私はやだ」

「俺は我儘を押し付けている訳ではないぞ。他に方法が無かったからそうするのだ。お前らには分からないかもしれないが、俺はやらねばならない事だけをやっている。それにだ。やらなきゃ死ぬんだぞ!」

 俺は大声を張り上げた。パンジーは驚きも怯みもせずに、侮蔑を顔全体に広げた。

「私。あれに。入る。前のこと。覚えていない。私。ようやく。自分らしく。なった」

 パンジーは壁から離れると、物怖じせずに俺に詰め寄り、胸に指を突きつけた。

「ナガセ。今度は。私たちを。奪う。つもりだ。私たち。ピコの事で。ナガセ。恨んだ。だから。記憶消すつもりだ」

 俺は突きつけられた指を払いのけた。

「人を侮辱するのもいい加減にしろよ。俺はピコを殺した責任から逃れるつもりはない。言いたい事があるなら言えばいい。それにだ。記憶が無くなった本当の理由は俺にもわからん。そのデータすら消えているんだ」

「じゃあ忘れちゃうかもしれないじゃん! 私一抜けた!」

 マリアが口早にそう言うと、俺の仕置きを恐れてか、駆け足で後ろを走り抜けていった。 俺が狼狽えて罰を下さないでいると、他の女たちも駆け足でその後姿を追っていく。

「違う。分からないのは理由で、技術的には問題はない。冬眠しても記憶は消えない」

 俺はその背中に話しかけるが、女たちは耳を貸さなかった。残ったのはアイリスとピオニーと、サクラ、プロテア、そしてローズだけだ。

 ローズは憐憫の篭った眼で俺を見つめて来た。

「私たちは、ナガセのおかげで生きていられるわ。それは分かる。そして感謝している。だけど……だけど……ナガセは……ナガセはいつも切羽詰まっていて、とにかく急いでいるの。私はそれが怖い。そしてナガセの考えていることが分からない。私はナガセが……私たちと違うと思っちゃっている。そんなナガセに……自分を任せることなんて……私も嫌よ」

「しかし死ぬよりマシだ! 死んで何になる! 死んだらそれまでだぞ!」

「そんなことしてまで生きて、何が楽しいの? そして楽しくないのに……生きる意味なんてあるの?」

 俺は言葉を詰まらせた。皮肉なことに、彼女たちは必死で生きようとしていた。自我を持ち、それを保つために、俺の横暴から必死で逃れようとしているのだ。しかしそれでは生きられないのだ。

 俺は何か上手い事を言おうとする。しかし言葉は思い浮かばない。人生を騙ることなんて俺にはできない。

「俺も嫌だ」

 プロテアの声が俺の背中を突いた。

「しかし――」

「どうしてもそうさせたいなら、力尽くですりゃいいじゃねぇか。ピコの時みたいにな。俺。今のナガセ嫌いだよ。何か化け物みたいだ」

 俺に悪あがきをさせず、プロテアはぴしゃりと言い放った。

 プロテアがローズと共に食堂を出ていく。ピオニーも俺の目の前にトレイを置いて、アイリスも救急箱を置いて出ていく。

 サクラだけが残った。彼女は気まずそうに伏せた視線を、左右にゆらゆら揺らしていた。だが意を決したように顔を上げると、俺を慰めるように歩み寄ってきた。

「あの……ナガセ……私たち成長しましたし……たくさんの事でナガセを手伝えると思います。他の方法では駄目でしょうか?」

 それが出来るのなら、俺はこんなに焦りはしない。俺はお前らを過大評価するわけにはいかない。そして無理を押し付けるようなことはしたくない。俺は虚しいため息をつき、寂しげな眼でサクラを見た。

「お前も反対か……」

 俺の言葉にサクラは酷く傷ついたような顔をする。そしてまるでオモチャの人形のように、首を激しく左右に振った。

「いえあの私は刃向うつもりは微塵もありません。ただ――」

「言い訳しなくてもいい。今度は無理強いはしない。アイアンワンド……冬眠は中止だ。人攻機の準備をしろ。狩りに出かける」

『サー。イエッサー』

「貯蓄のデータと消費率を、俺のライフスキンに送れ。後で相談もある」

『サー。イエッサー』

 俺はサクラの脇を通り抜けて、倉庫へと向かった。



 その言葉は、誰もいない食堂に、虚しく響いた。

「また機械と話してる……」

 サクラは両手を強く握りしめて俯いた。

「ただ――もう少し、信じて欲しいだけです……」

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