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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目後半【AEU編】
241/241

接触ー1

 AEUに身の潔白を証明するため、バーサーカー感染結果を送ってから二週間が過ぎた。


 今日は三回目の交渉日。AEUがバーサーカーの感染結果を検証し、その見解を返事としてまとめる審判の日である。


 俺は薄暗い教室にて、無骨な通信機と向かい合っているのだった。


 送付したカルテは、俺、アジリア、サクラ、アイリス、アカシア、パンジー、ピオニー、ロータス。俺を除いてバーサーカー陰性である。陰性たちは無罪だから問題なし。陽性である俺への対応で、元領土亡き国家であるローズたちの身の振り方を考えることになる。


「アンチ・レイヴンが完成していればよかったのだが……」


 《たられば》の話は好きじゃない。アイリスは頑張った。寝る間も惜しみ、タイプジョーカーによる体調不良を跳ね除けてだ。しかし臨床試験を行うまでに至らなかった。それが全てなのだ。


「尤も今より、人材も機器も充実した汚染世界ですら開発できなかったのだ。期待する方がおかしい」


 口ではそう言う。だが交渉に怯える心が、俺を儚い希望へ縋りつかせたのだった。


 弱気……これではいかんのだが……不安が多すぎる。アジリアの……せいだな……。


 俺は鼻で軽いため息をつく。ちょうどその時、約束の時刻になったのだろう。目の前の通信機がノイズを発したかと思うと、一人の老紳士を映し出したのだった。


 深紅のライフスキンを身に纏った、口髭を蓄えた男。


「お久しぶりです。ユゴー殿。そちらはお変わりありませんか」


 俺が挨拶をすると、ユゴーは指で口髭を弄りながら微笑んだ。


『お久しぶりです。ナガセ殿。こちらにはよい変化がありましたぞ。全てはあなたが身の証をたてるために送ってくださった、カルテのおかげでございます』


 表情筋が緊張で凍り付く。俺は形だけの笑みを顔に張り付けたまま、こくりと生唾を嚥下した。


「それで……そちらの見解をお聞かせ願いたい」


 ユゴーは頬を綻ばせたまま、手元に用意した資料をめくっていった。とは言っても質問のために参照している様子はなく、視線は紙面を軽く撫でるだけだった。


『喜ばしいことです。《あなたの》身の潔白は証明されましたぞ』


「嬉しい報告ですが、私のことはどうでもよろしい。私が庇護している、クロウラーズはどうなのですか? 私は彼女たちを守って、ここまで来たのです。初回の交渉で、あなたは彼女たちを《領土亡き国家》と疑っておられました。その疑念は晴れたのでしょうか?」


 ユゴーは資料を閉じると、俺に視線を戻した。


「他のお嬢さん方も、《陰性》との診断結果が出ております」


 どういうことだ。俺の想定と現実が大きく食い違う。陽性の俺は糾弾され、陰性の彼女たちを心配して然るべきだろう。


 無罪判決をいただいたはずなのに、俺の口内にはストレスで苦みが広がっていった。


「おかしいですな、ユゴー殿。私はバーサーカー陽性だ。なのに潔白ですと? 説明を願いたい」


「ああ。そんなことですか。それこそ、どうでもよろしい話では?」


 領土亡き国家であるか否かの判別に、非人道的なバーサーカーを使われた。なのに陽性陰性がどうでもいいだと。それはあまりにも、無責任じゃないか?


 大人げない。自省すべきだ。冷静になれ。そう思いつつも、俺の理性のタガは悲鳴を上げて歪んだ。


「は……そんな……ことですと? ふざけているのですか? あなたは我々が領土亡き国家か疑ったのだ。だからバーサーカーを使用し、我々もそれを甘んじて受け入れた! それがどうでもいい!? 私は陽性だったんですよ!」


 ユゴーはこの時、口に手を当てて自らの失言を呪った。そして心底すまなさそうに、眉を下げたのだった。


「失礼。言葉足らずでしたな。あなたの怒りは御尤もだ。それも、二つの意味で」


「二つの意味とは? 私は腹を割って、あなた方にカルテを差し出した。隠し事はやめていただきたい」


 ユゴーがピクリと、意外そうに眉を撥ね上げた。


「おや。ご存知ないのですか? 私は知っているからこそ、そこまでお怒りだと思ったのですが」彼は手元の資料を脇のデスクへと放り投げると、別の資料を取り上げた。「あなたをバーサーカーに感染させたのは、我々だからですよ。遺伝子補正プログラム奪還後、一度軍をおやめになりましたよね。復帰の際にAEUで健康診断をお受けになったはずだ」


 クソ。やはりあの時か。健康診断に意図の分からない項目がいくつかあったから、怪しいとは思っていたんだ。


「……男の医者に……点鼻薬を打たれた……手の甲に変な注射もされました……」


 ユゴーは新たに取り上げた資料を、ペラペラと捲っていった。そして参照すべき項目を見つけたのか、目を細めて紙面を注視した。


『注射の方は知りませんが……点鼻薬がそうですな。軍への復帰に当たって、あなたが領土亡き国家のスパイではないと証明する必要があったのですよ。故にあなたはバーサーカー陽性でないとおかしいのです』


 この……ボケ……平然ととんでもないことを語りやがって。俺がユートピアでも過去を引きずったのは、テメェらのせいだったのか。やりどころのない怒りが胸中より湧き出て、沸々と皮膚を泡立たせた。


 だが――これは他責思考だ。全ては俺の意思で為したことだ。自分の行動に責任を持てない奴に、クロウラーズの責任者が務まるものか。


 俺は深い深呼吸をすると、落ち着きを取り戻した。


「ご無礼をお許しください……取り乱しました」


『繰り返しますが、あなたのお怒りは御尤もです。我々には責められる謂れはあれど、無礼を咎める権利はないと考えておりますよ。話が脱線しましたな』


 ユゴーは口髭を撫でると、ひたと俺に視線を注いだ。


『あなた方の潔白は証明されました。検査結果を受けて、我がオクシタニー市民も冷静さを取り戻しましてね。強硬的な声は薄れつつあります。クロウラーズはユートピアにおける避難民で、我々と不幸な邂逅を果たしたに過ぎない。むしろフーシェ中尉の高圧的な姿勢が、今回の軋轢を生んだのではないかとね。民主主義の原則に従って、我々は平和的な合流を望む声が主流となりました』


「では――」


『はい。残りは六名でしたな。続報を心待ちにしております』


 そうなるわな。ローズたち元領土亡き国家の面々もバーサーカーに感染し、身の潔白を証明しなければならない。どのみち合流すれば、変な病気を持っていないか健康診断が行われるだろう。ここで誤魔化しても、遅いか早いかの問題か。


「承知しました。残りのカルテは近日中に送るとして、その日取りを決めましょうか」


 ユゴーが俺を信頼する理由は分かった。バーサーカーを使用し、その潔白を事前に知っていたからか。


 おかげで活路も見えたぞ。ユゴーは――AEUは条件さえ満たせば、バーサーカー感染者にも寛容だ。問題は『容疑者がバーサーカーに感染せざるを得なかった然るべき理由』を、どうやって用意するかだな。自転車操業になるが、乗り越えてやるさ。


 交渉はとりあえず、これでお終いだ。


 俺たちの身の証明は立てたぞ。今度はそちらの番だ。


「時に閣下。民主主義といえば、野球を思い出しますな。あれはまさに、民主主義のスポーツだ」


 ユゴーが薄っすらと、その眼を細めた。構わず話を続ける。


「攻守共々、全員に平等な機会が与えられる。かと言って個性が排除されるわけではなく、ポジションごとに己を生かすことが許され、チーム一丸となって勝利を目指すのです。実に素晴らしい民主主義だ。実はクロウラーズにもチームがありましてね。無事合流できた暁には、ぜひ御手合せ願いたいものですな」


『失礼ながら、AEUで盛んなのはサッカーでして。野球には縁がないのですよ』


「まぁまぁ。私は汚染世界で日本のチームに所属していましてね、サードで二番を務めていました。閣下でしたらどのポジションでプレイしたいですか?」


 ユゴーの反応に、質問を押し付けられた戸惑いはなかった。返答は前もって準備していたかのように、恐ろしく滑らかだった。


『そうですね……先ほども申し上げた通り、AEUで盛んなのはサッカーでして。野球には縁がないのですよ。ですから、私はビール売りとして、盛り上げ役を任せていただきたいですな』


「またまた。そう仰らず。あなたは優れた外交官ですから、監督となればきっとすぐに強いチームが生まれるでしょう。ハハ。実に楽しみだ。どうです。監督のポジションは?」


『御冗談を。ルールもろくに知らないのに、チームを指揮できるわけがありません。ゆえに私は、ビール売りとして参加させていただきます』


 ユゴーにそれまで見えた、人としての柔軟さは見る影もない。彼は壊れたレコードとなって、ビール売りと答えることに固執していた。


 俺は確信を胸に、語気を強めた。


「答えろ。野球をするなら、どのポジションに付きたい?」


『私はビール売りだ。それしかできない』


 回答率一兆分の一。完全なクロだ。


「人工知能だな。本物のユゴー閣下はどこだ?」


 ユゴーは――自らの行いが理解できない様子で、呆然と目を白黒させていた。やがて画面がブラックアウトしたかと思うと、画面には六つの翼を備えた剣の、独特な紋章が映し出されたのだった。


『グッドモーニング・サー。身分を偽る無礼。どうかお許しを。私にはそれをせざる得ない事情があったのです』


 聞き取りやすい合成音声が、耳に良くなじむ中性的な声で言った。


「名称。所属。階級を答えろ」


『私はトリス・アギオン。オクシタニードームポリス管理セクター所属。オクシタニー・ドームポリスの暫定代表を務めております』


 穏やかじゃないな。何でドームポリスの監督維持を行う人工知能風情が、代表なんぞやっているんだ。マンションの雇われ管理人が、オーナーをやるのと同じくらい奇天烈な状況だぞ。


 まさかオクシタニーもアリゾナドームポリスのように、異形生命体によって壊滅的なダメージを受けたのか? 人工知能が対応せざる得ない状況下にあると、考えることはできる。だが我々にとって最悪のパターンは、『オクシタニーを占領した領土亡き国家が、人工知能で人の皮を被っている』ということだ。


「繰り返す。本物の閣下はどこにおいでか」


 トリス・アギオンは考えを巡らせるように、しばしの間沈黙を守った。


『それを含めて、全てをお話しいたします』


「ふざけろ。まず。本物の閣下を出せ。交渉はお前とじゃない。オクシタニーの人間とする。それができないなら、我々が行ってきた交渉の前提が崩壊したも同然だ。一からやり直しだ。これまでの交渉を継続したいのであれば、本物の閣下を出せ。これは絶対に譲らない」


『サー。どうか今のところはお怒りを抑え、私との交渉を継続してください。これはサーにとって、メリットのある話であることは保証いたします』


「俺は怒りに任せて感情的な判断を下しているのではない。交渉によって積み上げられた信頼が崩壊したと、論理的に判断したのだ。貴様は明らかに意図的に身分を詐称し、こちらを罠に掛けようとした。これは間違いのない事実だ。お前が本当にオクシタニーの意思を代弁しているのか、交渉自体がオクシタニーの意思で行われているのか、信用が出来なくなった。ゆえにお前とは交渉をしない。閣下はどこだ。答えろ」


『それはできません。ゆえに、私の申し出をお聞きになってから、交渉の継続、決裂をご判断下さい』


 そんな危険な賭けには乗りたくない。だが跳ね除けたところで、手詰まりなのも事実。戦っては絶対に勝てんし、逃げ場所もない。このブリキは身分を偽っていたとはいえ、オクシタニーの機能を掌握し、こちらにアクションをかけてきたのは間違いないのだ。


 俺の軽はずみな発言一つで、開戦の火蓋になりかねん。


 言葉は慎重に選ばなければならない。


「聞くだけ聞こうか」


 俺が気を張り詰めてそういい放つと、トリス・アギオンは『ご温情。感謝いたします』と、お世辞とも嫌味とも取れない言葉を枕に置いた。


『サー。私は是非とも、あなたをマスターとして御受入れしたいのです』

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― 新着の感想 ―
> 「……男の医者に……点鼻薬を打たれた……手の甲に変な注射もされました……」 > 『注射の方は知りませんが……点鼻薬がそうですな。軍への復帰に当たって、あなたが領土亡き国家のスパイではないと証明する…
[一言] AEUには、マスターを、できる「人類」が、存在していない!(知ってた!!) [考察(早口で長い)] アイアンワンド以上の人工知能が人型兵器を操れることは描写済み。(ロータスらを救助した黒い…
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