激走‐4
俺はライフスキンのカメラを使って何枚も地図の写真を撮りつつ、自分も確認した。
「やはりな。一階は倉庫、二階が保管庫、その両方を突き抜けて居住区がある。三階は……冬眠施設と、研究区画。その上がバイオプラントか」
俺は全体図の隣にある、各階の個別地図も写真に収めた。
「非常通路が冬眠施設の脇を通っているな。まぁ当然と言えば当然だが……冬眠施設でまだ眠っている連中を確認し、中央コントロールでアナウンスを流せば――」
上から吹き付ける風が止んだ。俺はふと見上げる。頭上からは水滴が垂れて、俺の頬を滑った。それは頬を線上に焼き、白煙を上げながら切り傷の様な跡を残した。同時に低い唸り声が振りかかって来る。
俺は即座に手綱を引いて、ボックスから飛び出た。エレベーターシャフト内に、上から何かが擦れつつ落ちて来る。シャフトが啜りあげるような、空気と水が混ざり合う音を立てた。
俺はオストリッチに跨り、シャフトから距離を取りつつ振り返った。
ボックス内では、ちょうど降ってきたヤマンバが、腹を地面に叩き付けたところだった。骨の折れる音と、内臓が破裂するような水の音がする。ヤマンバはシャフトに身体を削られて、体皮を血まみれにしていた。そして俺が綺麗にした地図にケツを擦りつけて、また赤く塗りつぶしてしまった。
「血の染みはこの跡か……」
この新しいヤマンバは比較的元気だった。ぐずる赤ん坊のように、忙しなく四肢をばたつかせて、俺に襲い掛かって来る。俺は冷静にショットガンを連射し、ヤマンバの足を一つ潰した。ヤマンバは腹から床に倒れる。それでもこの個体は大地を蹴って、床を滑るようにして俺に近づこうとする。
「くそ……ジンチクより厄介だな」
俺はオストリッチの手綱を操り、非常口への廊下に向けた。そこで先に部屋にいたヤマンバの異変に気付いた。
ヤマンバはその生命活動を終えようとしていた。四肢は動かなくなり、床の上にだらしない身体をへばらせた。代わりに体内が怪しく蠢き、何かが這い出ようとしている。
俺は元気な個体に臭い吐息を吹き付けられながら、取りつかれたようにその経過を見守っていた。
各所の割れ目が徐々に膨らんでいく。そして見慣れた肉の袋がひり出された。ジンチクだ。同時に身体を突き破って、連結した人間の胴体をうねらせる生物が姿を現す。ムカデである。彼らはヤマンバの肉膜から、続々と這い出ると、その残骸を貪り始めた。
俺は見切りをつけて、再び廊下を疾駆し始めた。
「成程。比較的安定した個体がマシラ。不安定になるとヤマンバになるのか。そしてヤマンバの構成要素がジンチクとムカデということか。母体が上にいるな!」
俺は行く手を遮るジンチクの群れを踏み越えて、非常階段へと向かった。
非常階段はドームポリスの西側の面にあった。階段へのドアは開け放たれていて、風の煽りを受けて、キィと寂しく鳴っている。俺はそこに入ると、脇目も振らず階段を駆け上った。オストリッチの足は階段の幅より遥かに大きい。しかし足の裏が柔軟に変形し、階段の形に合わせた。
非常階段は廻り階段で、最外殻とライフラインの狭間にある。俺が駆けると緑の非常灯が点灯し、その行き先を照らした。
上階で非常灯の光に照らされる何かがいる。闇に浮かぶシルエットは、ジンチクより大きく、細長い体をしていた。恐らくムカデだ。
「ケツがじゃまだな。一発ブチ込んでやる」
俺はショットガンに装填した弾丸を排莢し、チューブに下方に切れ込みを入れた弾を込めた。そしてムカデのいる階段の下に来ると、そこで走りながら撃ちまくった。
弾が実包ごと発射され、階段を貫通してムカデを射抜く。俺が同じ階まで駆け上がる頃には、ムカデはぐらりと傾いていた。俺はオストリッチを跳び上がらせると、その脚でムカデの身体を脇に蹴り飛ばした。ムカデは階段と外殻の隙間から下に落ちていった。
外殻が鉄壁からガラスに変わり、差し込む斜陽が俺を照らした。そろそろ日暮れらしい。
俺は三階の踊り場に到達する。冬眠施設に続く、両開きの扉は開け放たれており、オストリッチはその中に入った。
先は廊下になっており、両側には研究室らしいスライド式のドアがいくつも並んでいる。その先には巨大な鉄の球体が、ドームポリスの中央に安置されていた。冬眠施設だ。女たちのものより二回りも三回り以上も大きく、数千人は収容できそうだ。その大きさの余り、球の中央しか見えず、その上下は階層に阻まれて窺えなかった。
俺は開けっぱなしのドアを抜けて、冬眠施設に侵入した。中は円周上に区画が区切られ、内縁と外縁にそれぞれ冬眠ポッドが備えられている。見える範囲ではポッドは解放されているか、破壊されているかのどちらかだ。人の気配は全くしない。
俺は中央のコントロール室手前まで来ると、オストリッチを失速させた。オストリッチは中央の大部屋の手前で静止し、そこから溢れた粘液を踏みしめた。
中央区画には、マザーコンピューターがあるはずだった。しかしコンピューターは、冬眠施設の天蓋からぶら下がる肉の塊に押し潰されていた。肉の塊は四階のバイオプラントから、床を突き破り、冬眠施設を押し潰して垂れ下がっているらしい。肉塊は上に行くほど太くなり、大部屋の屋根をほぼ埋め尽くしている。大きさの余り、本体がどうなっているのか知れなかった。
肉塊はいわばヤマンバの完全体という表現が相応しい。ところどころに縮れ毛が生え、その隙間に割れ目が走っている。そこから汁を吹いて、部屋中を粘液まみれにしていた。肉塊は日焼けしておらず、他の異形生命体の様に赤茶けていない。異様に白いのだ。それが全身に走る血管の青筋や、赤い肉の節を浮き彫りにして、醜悪さを倍増させた。
肉塊の周囲には、人型の異形生命体が三匹いた。全高七メートル。奴らはマシラの様に上半身だけ屈強な、アンバランスな体つきをしていなかった。完全な人型だ。マシラの様に強靭な上半身で肉塊に抱き付き、それを支える力強い下半身を、肉塊に叩き付けていた。まるで性行為をしているようだ。
俺は鳥肌を立てながらも、残った散弾の下方に、ナイフで切れ込みを入れた。
切っ先がプラスチックと金属を引っ掻く、甲高い音がする。人型のうち一匹が、腰の動きを止めて、俺を振り返った。
巨大な単眼が、俺をじっと見つめた。その周りにある、たくさんの小粒なような眼を細める。そして剥き出しになった歯茎を歪ませて、にやりと笑った。
ここまでだ。俺はそう直感した。
切れ込みを入れた散弾をチューブに装填する。
人型はゆっくりと肉塊から離れる。肉塊の割れ目から、巨大な肉棒が引き抜かれ、だらりと股間に垂れ下った。
「去勢だ。畜生め」
俺は人型の股間めがけてショットガンを撃った。陰部が弾けて、肉片が飛び散る。だが人型は笑みを崩さぬまま、俺に手を伸ばして来た。
俺はオストリッチを反転させて、来た道を引き返した。背後から重々しい足音が追って来る。それは始め、ゆったりとした足取りだったが、次第に猛進する激走に変わっていった。
俺は冬眠施設を飛び出た。少し遅れて、金属が歪む音と、骨の軋む音が背後からした。人型が入り口を押し広げて、冬眠施設から出ようとしているらしい。すぐに金属の悲鳴がして、激走の音が再開した。
俺は廊下を抜ける。そして非常階段の踊り場の上を見た。外殻が鉄壁からガラスに変わっているところだ。ガラスの上部はソーラーパネルの付け根になっており、その付近は薄い鉄枠が張られた通風孔がある。
俺はそこに装填してあるすべての散弾を叩きこんだ。鉄枠が歪み、はずれ、オストリッチが抜けられるほどの隙間が出来る。俺はオストリッチを跳び上がらせると、ロケットを吹かして通風孔に突入させた。
俺が最後の弾丸となって、通風孔をこじ開ける。そしてドームポリスの外に出た。
斜陽の中、オストリッチは翼を広げて滑空体勢に入る。俺はロケットを適度に吹かして姿勢を安定させると、大空を滑るように飛んだ。そして大きく弧を描くようにしてドームポリスの周りを旋回した。
俺が飛び出した踊り場では、人型がガラスに身体を打ち付けたところだった。奴は怯まずに、ガラスを突き破ろうと、拳を叩きつけていた。
俺はライフスキンの胸元を捲り、情報を確認する。救援信号に応答する者はナシ。恐らく、生存者はもういない。俺の気分は黄昏より速く闇に沈んだ。
俺は改めてドームポリスを見た。ドームポリスが、まるで人類の終末を暗示するかのように、黄昏の中に沈んでいく。麓では異形生命体が、地獄の業火の様に蠢いていた。防波堤はすっかり平らげられて、無くなっている。代わりに遠出していた異形生命体が戻って来たのか、数が増えていた。その中には例の人型が、数匹含まれており、連中は一様に滑空する俺を眺めていた。
「マシラより厄介な個体だな……ショウジョウとでも名付けるか。屈強な体をしているようだが、それだけではないな。生殖可能な――」
ドームポリスのシャッター前にいるショウジョウの一匹が、足元ジンチクを無造作に掴んだ。
「冗談……だよな……」
俺は引きつった声を上げた。ショウジョウは大きく腕を振りかぶると、俺めがけてジンチクを投げて来た。俺は手綱を繰り、オストリッチを降下させる。俺の上をジンチクが通過していった。
「道具を使えるのか……!」
俺は呻いて、投擲をしたショウジョウを睨み返した。そいつは二匹目のジンチクを掴み、俺に狙いを定めた所だった。他のショウジョウもそれに倣い、近場のジンチクをその手に掴む。
滑空では回避機動はできない。このままでは狙い撃ちだ。
俺はオストリッチを急降下させた。まるで花火のように、次々にジンチクが俺めがけて打ち上げられた。俺は襲い来るジンチクを躱し、地上すれすれまで滑り落ちた。そしてロケットを逆噴射させて、スピードを少し落とすと、大地へと駆けおりた。
そのまま草原を疾駆して、海岸へと逃げる。
ショウジョウの投擲は止まない。行く手を遮るように、空からジンチクが降り注いでくる。少数は落下の衝撃でそのまま潰れて死んだ。しかし大多数は潰れた四肢を、身体を裏返して生やしたもので代替し、俺に追い縋って来る。
俺は九ミリ拳銃を抜いて、這い寄るジンチクを撃った。数匹が悲鳴を上げて怯むが、絶命に至らない。一匹も殺せぬうちに、弾が切れて虚しい空撃ちの音がした。俺は飛びかかって来たジンチクの顔面に、拳銃を投げつけてやった。
俺は残ったモーゼルを抜き、安全装置を解除した。セレクタが余計に動いたような気がしたが、気にしていられない。オストリッチの足に噛り付こうとするジンチクに向けて、引き金を絞った。
銃が大きく跳ね上がった。引き金を絞る間、弾が吐き出され続ける。射線を維持できずに大きくぶれた。それでもジンチクは蜂の巣になり、地面に這いつくばって死んだ。
「マシンピストルだったのか……」
俺は瞠目してモーゼルを見直した。意外なもので命拾いしたな。
オストリッチの速度がどんどん上がっていく。そしてジンチクを引き離し始める。やがて俺を追う這いずる音が消え、オストリッチが風を切る音だけになった。
俺は黄昏から逃げるように、夕日を背に走り続けた。
海岸が見えた。俺は崖に上り、海に飛び降りて、海上を滑空した。オストリッチはしばらく海面すれすれを飛んだ。数分後に失速し、海面に翼を浮かべて航行を開始する。
海の水は冷たく、浸る足が縮み上がりそうだった。それ以上に吹き付ける潮風が、氷のつぶてを叩きつけられるように冷たかった。俺はシートで体を覆い、身体を丸めて手に息を吹きかけた。息は白く濁り、空に溶けていった。
俺は身体にまとったシートが、少しずつ白く染まっていくのに気付いた。シートを擦ると、手に氷の削り節の様なものが溜まった。
「これが雪か……」
雪は俺の手の中で溶けていき、滴となって海に落ちていった。タイムリミットだ。
俺はとうとう追い詰められた。
頼みの綱の人類は異形生命体に虐殺され、バイオプラントも訳の分からない肉塊に浸食されている。直せるかどうかも分からない。そもそも俺一人では奪回できないだろう。数が多いのに対し、俺の持ち込める武器が少なすぎる。保管庫の武器は使えない。ミサイルを撃とうにも外に出せない。
他の人類を探すか? まだ内陸探査初日だ。だが近くに人類がいれば、何かあの群れに行動を起こしているはずだ。つまりは――
俺は海面を思いっきりショットガンで殴りつけた。
「くそ! くそ! くそぉぉぉぉ!」
みっともないと知りつつも、喚かずにはいられなかった。手を滑らせてショットガンが海に落ちる。それで我に返る。どうしようもない現実を自覚する。俺は海底深くに沈んでいくショットガンを見送りながら、オストリッチの首に縋り付いた。
日が沈み、俺は暗闇へと一人取り残された。
そこからはどうしたかあまり覚えていない。気が付くと、俺は強烈な明かりに照らされた。
視線を上げると見慣れた塀があり、その上でサーチライトが俺を闇から引き揚げている。サーチライトの脇では、緊張に息を飲む女たちの横顔が浮かび上がっている。彼女たちは銃を構えて、アジリアの号令を待っていた。
俺はドームポリスと森の間にある草原まで来ていた。どうやら無事帰還することが出来たらしい。
「ナガセだ。撃ちたい奴は撃て」
アジリアの声がして、一つの影が塀の内側に降りて見えなくなる。
「あんたを撃つわよ。アジリア。ナガセ! おかえりなさい! お疲れ様です!」
そのすぐ隣の影が塀の下に降りた影に罵声を浴びせた後、すぐにこちらの方へ手を振ってきた。サクラらしい。
「帰ってきた! 帰ってきたよぉぉぉぉ!」
デージーの悲鳴の様な声が、夜空にこだまする。すると塀の上の人影が、続々と塀の外に飛び降りて、俺の方に走ってきた。影はサーチライトに照らされて、見慣れた女たちとなり、俺の周りを取り囲んだ。
「ばかやろぉぉぉぉ!」プロテアが思いっきり俺の背中を叩いてきた。俺は彼女の涙声を初めて聞いた。「夕方には帰るって言ったじゃねぇかよ! もう真夜中だぞ! お前! お前なァ!」
俺は返事をする気力も無く、ただプロテアの背中をそっと撫でてやった。
「大丈夫ですか!? 怪我は!?」
サクラが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。俺は浅く首肯をすると、改めてドームポリスの周囲を見渡してみた。異形生命体の死体がいくつか野ざらしにされて、月光に照らされていた。
「被害は? サクラ」
「ありません。六.五ミリを三百発、十二.六を六百発ほど消費し、マシラ四匹、ムカデ九匹、ジンチク一二匹を仕留めました」
「良く生き残ってくれたな。今死体を片付ける」
俺はそれだけを言うと、オストリッチを走らせて、一人先にドームポリスに戻った。倉庫前でオストリッチから飛び降り、尻尾を引きながらその下にあるボタンを押す。オストリッチは大きく伸びをするように羽を広げた後、その場で蹲り卵の形に戻った。
少し遅れて女たちが追いついて来る。彼女たちは困惑した様子で、おずおずと俺に話しかけてきた。
「ナガセ……カットラスはどうしたの? 酷い目に会ったの?」
サンが俺の左手を引いて、振り向かせる。そして手の平のねちゃつく感触に違和感を持ったのだろう。ゆっくりと手を離して、手に何がついたのかじっと見つめた。彼女は絶叫した。
「ナガセ……手が……血まみれだよ! 顔も真っ赤! アイリス!」
これぐらいの血で喚くな。それより俺にはやらねばならない事があるんだ。邪魔をするな。俺は彼女たちに背を向けて、速足で人攻機の元に向かう。
「いや。俺は大丈夫だ。それより早く死体を片付けないと……」
アイリスが俺の身体に抱き付いて、身体を使って無理やり止めようとする。だが彼女は小さな悲鳴を上げて、ドームポリスの床に尻餅をついた。
「冷たッ! ちょっと……ちょっとナガセ! 早く体を温めないと駄目です!」
邪魔をするなッ! もう時間が無いんだ!
俺は駐機所の鉄枠を、血の滲む左手で思いっきり殴りつけた。
「いい! ほっとけ! それどころじゃない!」
俺の怒声に、女たちが凍り付いた。皆一斉に黙り込み、後退って俺から距離を取る。鉄枠に粘る血がゆっくりと伝っていった。俺はそれをじっと見ながら、己の野蛮な振る舞いを、ただただ恥じるしかなかった。
「すまない……今のは癇癪だった……悪いが……今はほっといてくれ」
俺の言葉に、女たちがお互いの顔を見合わせる。そして困惑した顔を、畏怖と懐疑に歪ませる。俺はその表情で見られることに耐えられなかった。
「疲れただろ……寝た方がいい」
俺は鉄枠に寄り掛かると、無傷の右手で彼女たちを追い払った。彼女たちは何度も俺の方を振り返りながら、倉庫を出ていった。
俺は倉庫に誰もいなくなったことを確認すると、五月雨の搭乗口を開き、中に入ろうとする。
「大方仲間同士で殺し合っていたか?」
背後でアジリアの声がした。振り向くと、倉庫二階の張り出た廊下に、彼女の姿があった。彼女は両腕を組みながら、廊下の柵に腹を預けて、俺を見下ろしていた。
「帰れ。そこで好きなだけ殺すがいいさ」
アジリアはそれだけ言うと、大きな欠伸をして、部屋の方へと歩いていった。




