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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目後半【AEU編】
239/241

残滓-4

 次に視界が広がった時、私は薄暗い廊下に佇んでいた。


 覚えている。覚えているよ。


 分岐点だから。最後に引き返せた場所だから。私の……原罪だから。


 ここは歓楽ドームポリス『デイドリーム』。そこで改造した、箱舟へと続く連絡通路だ。


 全身を包むのは、空気に溶ける蛍光灯の光、錆びた鉄の味のする空気、壁面に埋められたパイプが鳴動する音。その全てが途絶える廊下の終端に、ユウの姿があった。


 ユウは酔っていた。右手には安酒を持ち、周辺には空き瓶が散乱している。彼女はとろんとした目でこちらを見やると、へらへら笑いながら言った。


「コニー。ユートピアにあんたの居場所。ないよ」


「ど……どういうことだ」


 私はこの時、もういっぱいいっぱいだった。遺伝子補正プログラムの件、バーサーカーの件、バイオプラントの件、そしてミクロネシア連合の不穏な噂の件。ユートピア計画の全てが、私の心を蝕んでいた。だから馬鹿みたいに、愚直に聞き返すことしかできなかった。


「上がさ。アンタが逃げたと知って、代役を立てた。アリゾナドームポリスで情報部の人間が、コニー・プレスコットとして生きている。だからアンタが姿を現しても、偽物として処分できるわけよ」


「そう……それがどうかしたか」


「恐らくそれは、ユートピアでも変わらない。アンタは姿を見せたら最後、偽物として処刑されるだろうね」


 ユウはそう言うと、酒瓶を一気にあおった。


 繰り返すが。私はいっぱいいっぱいだった。我慢の限界だった。力任せに壁に拳を叩きつけると、唾をまき散らして吠えた。


「それ……今言って何になる。私を苦しめたいだけだろ! そうだろ!」


「そーだよ。バーカ。アンタを苦しめたいだけ」


 ユウは空になった酒瓶を投げ捨てる。ガラスが砕ける音に、私は反射的に身をすくめて目を閉じた。


 次に目を開いた時、ユウが目前に迫っていた。彼女は私に手を伸ばすと、首と腰に手を回して、柔らかい抱擁で包み込んだのだった。


「一緒に残ろっか。こっちの世界に。一緒に苦しんでやるよ」


 ユウの優しい言葉が、アルコール臭と共に届いた。


「え……な……なんで……どういうことだ……あの三級特佐はどうするんだ。せっかくリリスに話をつけたのに」


「私たち親友じゃん。アンタのおかげで、ここまでこれたンだ。ご褒美ってやつが、あって然るべきでしょーよ。いーの。いーの。どーせ向こう様は、ハワイで助けた態度の悪いインテリなんて、覚えていないでしょーよ」


 ユウは身体を離すと、満面の笑みを浮かべたのだった。


「なぁに。エクソダスの方は、リリスが万事うまくやるでしょーよ」


 痛い。ユウの優しさが、心を引き裂いている。


 そんな私の心境を知らぬまま、ユウは淀みなく言葉をつづけた。


「私はこんなキッタネェ世界より、アンタの方が大事だから」


 正直、引き返した方がいいのかも。エクソダスが成功したところで、ユートピアが成就しなければ、死を先延ばしにしたに過ぎない。私の計画した抵抗なんて、海に石を投げるのと同じなのだ。


「アンタのいない世界なんて。ユートピアじゃないしぃ」


 頭がおかしくなりそうだ。解決することのない問題が、胸の中でぐるぐると渦巻いて、深い闇を形成する。それはそっくりそのまま、明るい展望の見えない未来となって、私の意識を鬱へと沈めていった。


「ジャンクヤードのボケがお酒たくさんくれたからさー。二人で世界最後の日を、酔って過ごしましょーよ」


 ユウはケラケラ笑うと、床に散らばった瓶の中から、封の切られていないものを拾い上げた。指輪を使って器用に栓を抜くと、未練を立つように一気にあおったのだった。


 絶望の未来に、一筋の光が差した。


 眩しい。出会った時からずっと。


 私がここまで頑張れたのは、あなたのおかげなんだ。


 あなたがいないと。私は私じゃないんだ。あなたさえいれば、そこがユートピアなんだ。


 例え――世界が歪でも。


 ユウと行きたい。

 ユウと生きたい。

 ユウと活きたい。

 ユウといきたい。


 私はユウから酒を取り上げると、床に中身をぶちまけた。


 ここで止まるわけにはいかない。


 例え虚構でも、我々には希望が必要なのだ。


 後は……ユートピアで考えればいい。私たちしかいないのであれば、そこで滅べばいいのだ。


「もうここまで来たのだ。後戻りはできん。エクソダスを決行する」


 ユウを優しく廊下に寝かせて、箱舟へと続く扉を開け放った。


 私を出迎えたのは、柱型の巨大なマザーコンピューターだった。


 収められている人工知能は、名をアイアンワンドと言う。ユートピア計画の一柱、ポリス管理システムの試作品だ。我々はこの鋼鉄の旗手の導きの元、箱舟に揺られて、ユートピアへと行くのだ。


 最後の調整をしないと。


 気づくと、私とマザーコンピューターを取り巻いて、三十余人の同胞が集まっていた。


 私は皆の視線を一身に集めながら、演説をぶっていた。


「遺伝子補正プログラムはマザーコンピューターに封印する。外部の人間に狙われるかもしれないし、誰かが持ち出すかもしれない。争いの火種だ。それでいいな」


『異議なし』『異議なし』『異議なし』


 皆の同意を得て、次の問題を取り上げる。


「私は冬眠する際、電磁バリアをほんの少し弱めようと考えている。逆行性健忘を患い、記憶を少し抹消するためだ。我々には国連の出身もいれば、非市民の出身、そして領土亡き国家の出身もいる。しかしその過去は必要か? 悪しき歴史、違う文化、それらの穢れた記憶などいるか? 不要だと思う。幸い全員が英語話者で、言語による障害はない。我々はユートピアで、新たな歴史を作り、文化を育み、素晴らしき記憶を積み上げるべきだ」


『……異議なし』『異議……なし』『異議あり』『……異議なし』


 多少議論が紛糾したが、なんとか賛成を取り付けた。


「最後に。箱舟には特定の七人しか男がいない。彼らにはファイナルカウントダウン終了まで、外で防衛任務に就いてもらうことになっている。万一の不幸に備えて……精液を冷凍保存させてもらうのだが――我々は古い思想や信条で、受精する相手を選んではならないと考える。命を賭して防衛を行う特定の七人の子孫に、ユートピアを見せる義務があるからだ。精液は個人を特定できないようにしたい。それでいいか」


『異議なし』『異議なし』『異議なし』


 こっちの問題はすんなりカタがついた。


 終わった。後はファイナルカウントダウンまで生き残り、眠りにつくだけだ。


 私がほっと胸を撫でおろした時だった。


「それで終わり? この偽善者め」


 突然だった。胸ぐらを掴み上げられ、力任せに引き寄せられる。鼻先には、知らない女の顔があったのだった。


「言わないのね。何度やり直しても」


「な……え……貴様は誰だッ! ユウはどこだ!」


 女は私の問いに応えず、心底軽蔑した様子で鼻を鳴らした。


「嫌いよ。ああ。見ているだけで腹が立つわ。あなたは知っていた。ユートピアに、人類なんて存在しないことを。なのに誰にも打ち明けず、問題をユートピアに持ち越した」


「違う! まだ可能性はあった! リリスが私が改造した遺伝子補正プログラムを、ラストガーディアンズに配布! そこからさらに人体実験用のドームポリスに広めれば――」


「未来でアロウズが死ぬところを見たのに、あなたは計画を強行したのよ。ああ。アロウズから伝言。死ね。裏切者――だってさ。あなたが死んで、アロウズが生きれば、もっと単純だったのに。アンダーソン君が怨嗟する気持ちも分かるわ」


「私は――私だって――やれることはやったぞ!」


「結果を出してから喚きなさいよ。出来の悪い政治屋みたいよ。あなたがやったことは、あの主任と変わらない。あいつは人種を焼いた。AEUは思想を焼いた。そしてあなたは、歴史文化を焼いた。独り善がりな、自己満足のためにね」


「違う。違う。違う」


「好きに言いなさいな。そこで独りでね」


 女は私から手を離すと、虚空へと溶けていった。


「何度でも繰り返しなさい。あなたはどこにも辿り着けない」


 そんな捨て台詞を残して――。


 私が女に言い返そうと、消えゆく身体に手を伸ばした瞬間――世界が反転し、私は身体をバネにして、ベットから上半身を起こしていたのだった。


「おー。起きたかー。お前すんげえうなされていたけどよー。どんな明晰夢見たんだー」


 フランキーの声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。


 全部。

 全部、思い出した。

 

 ああ。だからナガセがムカついたのか。私からユウをとったから。

 ああ。だからユウに当たり散らしていたのか。私よりナガセを選んだから。

 ああ。だから外の世界に出たくなかったのか。どうなっているか知っていたから。


 神様。神様。神様。


 祈っても、現実が変わるものか。必死の願いは虚しく散って、非情な現実が迫ってくる。


「うわああああああっっっ!!!」


 絶望から逃れる手段は、狂ったように喚くしか残されていなかった。


「大丈夫かー。お前どんな明晰夢見たんだよ。サクラの奴、お前が馴れ馴れしく駄弁ってくる夢を見たらしいんだけどさ。ひょっとしてその逆パターンでも見たか? それともアイリスみたいに、ナガセと結婚する夢でも見たのか?」


 手を遮二無二振り回して、悪夢を振り払おうとする。腕から針が抜ける感触がして、脇で点滴台が倒れた。


「ああ! あああああー!」


「マジに大丈夫かよ。こりゃただごとじゃねぇな」


 横から太い腕が伸びて、私の身体を押さえつけた。すぐにデバイスの操作音がして、フランキーが誰かと会話を始めた。


「ナガセ! ちょっと来てくれ! アジリアが目覚めたんだが、様子がおかしい! いきなり暴れはじめた! ただごとじゃない! ほぼ狂乱状態だ!」


 アジリア? 違う。私はアジリアではない。それは罪から逃げた、卑怯者が作った隠れ蓑だ。


 私はコニー・プレスコット。


 その事実から、もはや逃れることができない。


 でもこの現実を、もはやどうすることもできない。


 全ては終わってしまったのだ。


「うわあああああっっっ!」


 私は遺伝子補正プログラム開発責任者。コニー・プレスコットだ。

クロウラーズの感染後健康診断。


 人選については、AEUが第一陣感染者の診断書を確認中は手を出してこないと判断したため、この機に中核メンバーであるアジリアとサクラ、医者であるアイリスを処理することとなった。


アイリス

 病状は安定して異常なし。ナガセと結婚する明晰夢を見た。ナガセの発音が全て赤ん坊の声だったとのこと。


ロータス

 病状は安定して異常なし。牛と散歩する明晰夢を見た。その時ぶっ放していた拳銃の発砲音が、赤ん坊の声だったとのこと。


サクラ

 病状は不安定で、高熱が発生。ナガセと同程度の重症だったが、検査結果はバーサーカー陰性であった。明晰夢にてアジリアと遭遇。サクラによると『あなたは私の愛した《あの人》の子孫』と発言した模様。アジリアはサクラに非常に好意的で馴れ馴れしく、幼馴染のように振舞った。その理由については、『あなたは私と同じ名前だから、運命を感じている。姉妹だと思っている』と答えた。ひとしきり話し終えると、頭の中に留まりたいと発言。本人はこれを拒否。アジリアはなおも食い下がり、未来の事象について教えると発言。本人はなおも拒否した。アジリアは力になりたいと駄々をこねるも、サクラが拒否し続けると泣きながら消失した。

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― 新着の感想 ―
うおおおお更新きた!!!今回も最高に面白かったです!
なるほど!これでユートピアの惨状が大分わかりやすくなりました! 整理のために長めの感想を残します。 アメリカ(主任?) … 遺伝子補正プログラムにGENOSIDEを仕込んだ。内容は「白人以外を異形生…
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