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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目後半【AEU編】
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残滓-3

 私の戸惑いをよそに、意識は記憶の中を漂っていく。


 そこはセントラルの研究区画で、私とユウは肩を並べて歩いていた。


 私は『遺伝子補正プログラム開発チーム』の赤いプレートを胸に差し、一級特佐の腕章を身に着けている。ユウは『次世代人功機開発チーム』の白いプレートを差し、軍属を意味する腕章をつけていた。こういった些細な違いも、取っ払えてしまえたらいいのに。真剣にそう思っていた。


 所属と階級は違った。でも境遇は同じなのだ。強くて、部下で、化け物に物言えないフランキーとは違う。だから私たちは互いに求め合って、親友になったのだ。


「けっ。イエローがよ。堂々としやがって」


 廊下を行くと一人の黒人研究者が、すれ違いざまにそう吐き捨てた。


 大事な人が悪罵を浴びせられたのに、私は何も言えなかった。


 ユウは即座に目を剥くと、去りゆく挑発者を罵ったのだった。


「はっはぁ。そのイエローより馬鹿なモンキーはどこのどいつよ。惨めにならない? 消えろバーカ」


 ユウは強いなぁ。と、思った。私もこうなりたいとも。そしていずれはユウを守りたいとも。


 私はユウの不機嫌な横顔に、おずおずと声をかけたのだった。


「怖くないの……?」


「どうせイジイジしていたって、やられるときはやられるのよ。沈黙は肯定だしね。だったらやり返してやんなきゃ」


「私……友達なのに……黙ってた……ごめんね」


 忸怩たる思いで視線を伏せると、ユウはちょっと困った顔をして唇を尖らせた。それからユウは明らかに虚勢と分かる、高飛車な態度をとったのだった。


「別に。私もアンタを利用するつもりで近寄ったから。分かる? 白人とつるめば、あいつら少しは控えるの。アンタは魔よけのカカシってだけよ」


「うん……それでもいいよ。ユウを守れるなら……カカシでいいよ……」


 私は消え入りそうな声で答えた。頼りない口調だけど、それは嘘偽りない真実だった。ユウが私に生きる希望をくれたように、私もユウが生きる力になりたかった。


 ユウは少し面食らった様子で、私に視線を合わせようとしなかった。露骨に目をそらして、居心地が悪そうに正面を向いていた。


 やがて――ユウは悄然と肩を落として、今までひた隠しにしていた弱さを打ち明けてくれたのだった。


「ここ。クソなんだ。白人は大きな声で言わないけど、内心で他の人種を見下してる。餌でもやるように、権利を与えて悦に浸っている。黒人は与えられた権利を、他人を叩くために使っている。白人を憎んで、黄色人種を差別するために使っている。黄色人種は無視されているのをいいことに、文句も言わずに無責任なことばかり。今さえよければいい、アホの寄せ集めよ」


 ユウの声が震え始め、嗚咽を堪えて発音が怪しくなった。


「無茶苦茶だ。私は普通に生きたいだけなのに、差別が巻き込んでくる。差別しないと、差別されまくる。差別。差別。無茶苦茶だ。クソッ。クソッ。クソッ。私だって女なんだ。怖いんだ。辛いんだ。この差別の螺旋に、終わりがないのが恐ろしいんだ」


 ユウはそこで、現実を悪夢だといわんばかりに、額に手を当てて大きくかぶりを振った。そしてようやく私の方を向くと、涙で濡れそぼった目で見つめてきたのだった。


「さっき言った事。マジだから。アンタと一緒にいれば。多少マシになると思ってる。だからさ。あんまし私と一緒にいない方がいいよ。ふたつの人種分、差別されるから」


 ユウは大股になると、私を巻き込むまいと独りで先をずんずん進んでいった。


 去りゆく背中に手を伸ばす。そんなことをしても。届かないのに。


 私が一歩踏み出さなきゃ。進めないのに。


 よく覚えている。私が搾りだした、最初の勇気だ。


 小走りで友達の元に駆け寄ると、大股でその隣に並んで、虚しく揺れる相手の手を握りしめた。


 私は――セントラルに来て、久々に心から笑った。


「早くユートピアに行きたいね」


 ユウはしばらく呆然と目を丸くしていた。だがクスリと微笑むと、手を握り返してくれたのだった。


「そうだね。二人で行きたいね」


 視界が暗転し、私はいつの間にかパソコンの前で悪戦苦闘していた。高速でキーボードを叩きまくり、目視で遺伝子補正プログラムのコードをチェックしていく。


 絆創膏だらけの指先が、鋭い痛みで作業を妨害してくる。仕事のしすぎで、随分前から新皮が生えてくることが無くなった。それでも友情に突き動かされて、がむしゃらに仕事に打ち込んだ。


 人の形をしたサルどもが、どうなっても知ったことか。だけどユウも使うんだ。きっちりとチェックしないと。


 二人でユートピアに行くんだ。二人で到達して――二人だけの世界を創って――二人きりで生きるんだ。私たちのユートピアを作るんだ。


 額に浮いた汗を、手の甲で拭う。


 多分……好きなんだと思う。


 ライクじゃない。ラブの方だ。


 じゃなきゃユウが思い人の話をするたびに、こんなに胸が痛くなるはずないんだ。腹が立つはずないんだ。頭が……ボーっとするはずはないんだ。


 身の内から湧き出る憤怒に、キーボードの打鍵が危うくなっていく。私は人差し指をエンターキーに叩きつけると、一区切りをつけることにした。


 ちょっと休憩しよう。背もたれにぐったりと身体を預けて、消毒液の臭う空気を吸った。


「わかってる」


 私は上品な言い方をすると、同性愛者になるのだろう。世間一般で使われている、社会的通念で言い表せば性的倒錯者だ。そうだろう。人類が絶滅の危機に瀕しているのに、生産性のない恋愛感情に傾倒しているのだから。


 だからどうした。私の気持ちは本物だ。そしてあんな醜悪な剣を身に着けて、男になるつもりもない。この気持ちを、この身体に納めてこそ、私は私なんだ。他人にとやかく言われてたまるか。


 私たちが愛し合うには、ユートピアに行くしかない。


 休んでいる場合か。仕事をしなきゃ。身を起こして画面に喰いかかる。


 私の担当した基礎プログラムはほぼ完璧だ。気になるのは他のプログラム。サルどもが突然変異対策とか、冗長性確保とかで付け足した、拡張プログラムだ。私はノータッチで、おまけにサルがやった仕事である。確認しないといけない。


 チェックを始めて数日後のことだった。


「あ……れ……」


 その情報は、拡張遺伝子のノイズ領域のところどころに、紛れ込んでいた。分散して配置されているため目立たず、それ単体ではノイズにしか見えないので、見つけるのは困難だった。


 私が奇特にも全情報を確認した結果、繰り返し見つかったため、情報として認識できたのだ。


「これ……何だろう……」


 情報片を集めて構築していく。しかし謎は解明されるどころか、ますます深まるばかりだった。出来上がったのは、未知のウイルスだったのだ。


「三重螺旋構造……? 遺伝子修復なら普通のRNAで十分。転写で済むのに、こんな強固な構造を、隠すように埋め込むなんて……ユートピア環境での冗長性を確保するため? いや、それなら三重螺旋は変異しにくくて対応できない。そもそも発現確率を下げてまで、分散配置する意味がない」


 三重螺旋構造。その名の通りDNAの二重螺旋鎖に、一本足した構造である。強固で破損しにくいことが特徴にあげられ、用途としては遺伝子の不活性化や、突然変異の誘発がある。だけど――これ……どこかで見覚えが……。


 ハッとして、パソコンでとあるウイルスの情報を呼び出した。その存在は一握りの研究者しか知らず、一つまみの人間しか触れることのできない、禁忌のウイルス。私の直感は当たっていた。


「バーサーカーのRNAに似ている……タイプジョーカー? いや……J系統に無い部分が、自然な形で加わっている……じゃあ!」


 私は恐る恐る、タイプジョーカーと未知のウイルスを照合した。


「タイプジョーカーが、三重螺旋の一本鎖と合致する。こ……こっちが……原形だ……」


 ぽん――っと、優しく肩に、手を置かれた。


 生涯で一番の驚愕だった。心臓は早鐘を打つどころか、止まってしまったかのように静かになった。全身から血の気が引いていき、肺が引きつって空気と共に体温を絞り出していった。


「それはK1バーサーカー。《ジェノサイド》だ。Cではない。S。GENOSIDEだ」


 聞き慣れた声が耳朶を打つ。怯えながら背後を振り返ると、主任が無表情で立っていたのだった。


 私の額から、つーっと一本の汗が滴っていった。


「K1バーサーカー? つまり……セイワエンペラーの脳回路ですか?」


「表向きはな」


「表……向き……?」


 主任は鼻でため息をついた。


「セイワエンペラーは、タイプジョーカー開発前に死んでいるんだ。領土亡き国家で、唯一バーサーカーが存在しない。オールドインペリアルはセイワエンペラーを模した人工知能――今のAIの雛型だな――その傀儡を祭り上げ、生きながらえていたにすぎない。その人工知能が自滅を選択し、使われたのがジェノサイドだ」


 主任は私の反応を窺うように、首をかしげて見せた。


「こいつが難物でね。隠匿もかねてK1のコードが使われている」


「え? では……K1とは……何なのですか……自滅したって……そんなもの組み込んだって」


 主任は顔を近づけると。怪しく囁いた。緋唇を割る時、彼の口元で唾がにちゃりと鳴った。


「オールドインペリアルが使ったのと、入れてある情報が違うからな。領土亡き国家は自らに人体改造を施しているが、その手法については知っているかね」


「い……いえ……」


「ジェノサイドを使ったんだ。ずっと。ずっと。昔からね。そもそも生体改造という奴はサイボーグ化と違って、胚から手を加えないと成功しにくい。完成した生命に、後から手を加えるのだから当然だ」


 つまり……ジェノサイドは生命改造ウイルス。バーサーカーはジェノサイドから、脳改造の一本鎖を分離した代物ということになるのか。


 主任は説明を続ける。


「ジェノサイドは違う。改造というより、進化という表現が適しているな。遺伝子に寄生して、生命を拡張するのだ。だから成功率が高いし、失敗したところで死にはしない。テロリストにはもってこいの手段だ」


 私は話を理解するので精一杯だった。領土亡き国家が使っていた? 成功率が高い? 死にはしない? 全人類に使用する医療品にしては、やけに物騒な単語を使うじゃないか。


 酷く苦い生唾が、喉を滑っていく。


「何で……こんなものを……組み込んでいるんですか」


 主任はそこでようやく、相好を崩して笑ったのだった。


 私を無知な子供だと、笑ったのだった。


「言葉には気を付けた方がいい。こういうのは、口に出して言うモノじゃあないだろう?」


 私は気勢を取り戻すと、忘れかけた正義感を燃やして吠えた。


「あなたは人類を滅ぼすおつもりですか! セキュリティを呼びます!」


「好きにしたまえ。徒労だと思うがね。君はここを出ることはできないし、情報もここから漏れない」


 私は肩に置かれた主任の手を振り払い、感情任せに席を立った。


「上は知っているのですか!」


「知らなかったら、騒ぎになっているはずだろう」


「知って……え……では上の命令なのですか!?」


「学習したまえ。開発責任者とは思えぬ愚鈍さだな。こういうのは、口に出して言うモノじゃあない」


「じゃあそれはいい。こんなものを組み込んで、何をするつもりなんですか!」


 主任はそこで、気後れした様子で視線を伏せたのだった。その態度には、自らの行い対する罪悪感と、それが引き起こす悪夢に対する苦悩が、ありありと浮かんでいるのだった。


 やがて。主任は次のようなことを言った。


「人間はね……絶対に分かり合えないんだよ。この狭い、人類の叡智が集結するはずのセントラルで、君もさんざん見てきただろう。ここは地獄だ。人種が違うだけでここまで狂うんだ。そこに歴史文化が加わるともう水と油。さらに言葉まで違うんだ。分かり合えないんだよ。半端な活動家がその違いを見ようともせず、よく夢を語る。そんなものは……悪夢に過ぎない」


「何が……仰りたいのか……理解……できないのですが……」


 私の問いかけを無視して、主任は続けた。


「だからこそ国家があった。だからこそ国境をひいた。だからこそ国民が住んだ。全ては、同じ人種、同じ歴史、そして同じ言葉で統一するためだ。平和って奴はとんだ差別主義者でね、そういう場所にしか訪れないんだよ。だが私はこれを差別とは認めない。前提だ。人類が発展する上で、『必須条件』なんだ」


 主任が淡々と話し続ける姿は、迫力があった。感情はこもっていないが、妙な芯があって、揺るぎない信念で詰まるところがなかった。


「しかし悲しいかな……同じ人種、同じ歴史文化、そして同じ言葉で統一してもだ。領土亡き国家は生まれた。思想や解釈で、国は簡単に割れるのだ。K系統なんて、まさにその好例じゃないか。分かりやすい思想差別のレッテルさ。アレにこだわっているのは、真正の馬鹿だと思うよ。人類はまるで成長しない。同じことを繰り返すのさ」


「しゅ……主任……? 話が……見えないのですが……」


「思想は縛ることはできない。それだけは侵してはならない。バーサーカーは使えないんだよ。だからせめてもの選択だ」


 私はもう。こんな話を続けられるのは。心が耐えきれなかった。


「主任! だから! 何が! 仰りたいのですか!」


「君。ユートピアで、人類がまず何をすると思う? 戦争だよ。新たな国を建て、新たな国境をひき、新たな国民を守るために、戦争をおっぱじめる」


「そんなバカなことがあるものですか!」


「何をバカなことを言っているのだね。科学者なら現実を見たまえ。繰り返すがね。思想を縛ることはできない。それだけは侵してはならない。だからだ」


 主任は真正面から私を捉えて、澄んだ目をしながら言った。


「ユートピアに。国はいらないのだ」


「思想は縛らないなら、歴史文化、言語は無罪何でしょう……つまり……ジェノサイドの発現対象を……特定の人種に限定しているのですか」


「これ以上は言わないよ。そういうのは、口に出して、言うモノじゃあないんだ」


 主任はぽつりと呟くと、パソコンの電源を落とした。


 ブラックアウトする画面に連動して、私の視界は暗闇に包まれた。

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情報量が多い!YURI尊い!ジェノサイド!次は何が開示されるんだ!?
待ってました!
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