残滓ー1
教室にて、ローズとパギの弾んだ歌声がこだまする。
「奇麗な~♪ 流れ星が~♪ 三つ並んで~♪」
二人はテーブルに向かい合って座し、お遊戯を歌いながら細工に勤しんでいた。卓上にはライフスキンの飾り紐が三本――赤、青、緑の順に、川の字に並べられている。これを『流れ星』とは、良く言い表したものだ。
「赤星早く落ちてって~♪ 緑星負けじと追いかけた~♪ 青星慌てて寄り添って~♪ 流れ星仲良く並んだよ~♪」
ローズとパギの歌声に合わせて、飾り紐が三つ編みされていく。歌は長さを足すため幾度と繰り返され、やがて手ごろな形になったところで、結び目を作って終端にした。
「流れ星大変ぶつかった~♪ これで安心お星さま♪」
そうして二人の手元には、簡素なミサンガが出来上がったのだった。
パギは手製の装飾品に、目を輝かせながらはしゃいでいる。ローズはその姿を見守りながら、優しく微笑んでいるのだった。
俺は胸の温まる光景に、我を忘れて見入っていた。だがそれも束の間、突然二人は真顔になったかと思うと、ジト目で俺を睨んだのだった。
「さ。ナガセもやって」
俺の手元には、交らわぬまままっすぐ伸びた、三つの『流れ星』があったのだった。
俺は誓ったのだ。二度と繰り返さぬと。しかし領土亡き国家への嫌悪感は、拭えそうもない。
問題がはっきりしたのだ。対処するべきだ。
許すとかいう傲慢で寛容な態度では、いずれ感情が爆発する時がくる。傲慢とは、相手にないものを持っている驕りからくる。寛容とは、認めがたい存在を我慢することだ。今までの経験からして、俺は必ず『相手が自分と同じではないことに、我慢がならなくなる』だろう。
「もう少し見て学んでいちゃ駄目か?」
二人の睦まじい姿に見惚れていて、編み方なんて観察していない。
俺が苦し紛れにそう呟くと、ローズは頬杖をついてミサンガを摘まみ上げた。
「これ一つ編むのに、十回以上は繰り返し見たでしょう」
受容するんだ。そういうものだって。ありのままを愛するのだ。違う幸せを見ていても、同じ苦しみに心痛めると信じるんだ。それが慈愛だ。俺に残された課題だ。
もっと言葉を交わして。近づいて。触れ合って。知り合えば。きっと。いつかは。
俺は一つ咳を払うと、三つの流星を右手でつまんだ。
「奇麗な~♩ 流れ星が~♩ 三つ並んで~♩」
流れるだみ声に、パギが耳を塞いだ。
「ふざけてんのか?」
「大真面目だわい」
少しムッとして言い返し、流れ星を絡み合わせてお星さまに至ろうと試みる。しかし隻腕の俺には大変な作業だし、歌通りに事を運ぼうとすると、上手いこと三つ編みにならない。無様を見せてたまるかと、急ぎ試行錯誤を繰り返す。やがて流星は、絡まって結び目だらけになってしまった。
「ヘタクソ」
パギが『何でこんなこともできないのか』と言いたげに、やや引き気味で呟く。
俺のプライドは痛く傷つけられた。
「違ァう! 変な歌を歌うからいけないんだ! 三つ編みにすればいいんだろ!」
ほぼ結び目の珠と化した飾り紐を投げ捨て、新たな三本を目の前に並べる。俺は片手であっても、あっという間にミサンガを編み上げた。
完成品を指でつまんで、誇らしげに二人の前に掲げて見せる。
「ほら。出来たぞ」
何だお前ら。その反応は。パギは口をいの字に広げてドン引きしてるし、ローズは白けた目で俺を睨んでいるのだった。
「ナガセ、あのね。歌いながらやらないと意味がないじゃない。そういうお遊戯なんだから」
歌通りに作ったら、流れ星が喧嘩を始めやがったんだが?
「その歌作った奴、頭おかしいんじゃないか?」
俺が鼻を鳴らして、小馬鹿にしたようにつぶやく。すかさず顔面に、ローズが手にしたミサンガが投げつけられた。
お前が作ったのかよ。
顔をさすって軽率な発言を後悔していると、椅子がずれる音と共にパギの気配が近寄った。顔を上げるとパギが隣に並んで、机に新しい飾り紐を並べているのだった。
「お兄ちゃんさ、話聞いてなかったでしょ。私が手伝ってあげるからさ。ちゃんとやろうよ」
「頼む。次失敗したら、椅子を投げつけられそうだ」
ローズが俺の軽口を耳にすると、口の端を吊って挑発的な笑みを浮かべた。
「あらー。子供が見てる前で、椅子代わりにのしかかってやってもいいんデスケド」
「や……やめろ!」
俺たちが教室で騒いでいると、サンが廊下からひょっこりと顔を覗かせた。
「ナガセー。お茶の約束忘れちゃった~? いつもの時間過ぎてるんだけど~。忙しいのは分かってるからさ、無理なら事前に連絡頂戴よ」
「あっ……もうそんな時間か。すまん」
サンは俺を見た後、パギに視線をくれ、納得したように頷いた。
「パギと一緒か。いいよー。いいよー。そっち優先してあげてー」
そして最後にローズに視線を留めると、眼つきを厳しくして唇を尖らせた。俺が約束をすっぽかしたせいだろう。機嫌が良くないみたいだ。
「ローズさぁ。せっかくなんだから、ナガセとパギを二人っきりにしてあげな。代わりに私に付き合ってよ。ちょうど三人分のお茶を用意してるしさ」
おい。ローズ。なんだその余裕に満ちた笑みは。何でサンを挑発してやがる。
ローズは含み笑いを浮かべながら、視線を明後日に向けてそらとぼけるように言った。
「何でェ?」
「何だっていいじゃない。あなたには聞きたいこともあるしさ」
待て待て待て。俺のせいで喧嘩は困るぞ。パギを驚かせないように、その肩に手を置いてさすりつつ、やや大きめの声で割って入った。
「サン。話なら俺がする。遅れた分、埋め合わせはするから許してくれ。パギ。続きはまた今度でいいか?」
「いいよー。約束が優先だから」
サンは茫漠とした様子で、しばらく俺に視線を注いでいた。やがて唇を軽く噛み締めると、さっきよりも厳しい目つきでローズを睨んだのだった。
「やっぱなんか違う。ムカつくなぁ――ナガセはいいよ。今日はローズとお話ししたいから」
前半の言葉は小声だったため、上手く聞き取れなかった。ただ後半の言葉はサンにしては、感情的な声色だった。俺のいないところで、何かひと悶着があったのかもしれない。
クロウラーズ同士の争いには極力ノータッチでいたが、穏やかな雰囲気じゃない。悪しき前例になる可能性があるが、AEUと膠着状態にある今、内輪揉めしてる場合じゃないんだよ。
俺が立ちあがるより早く、ローズが椅子を引いて立ち上がった。
「ふ~ん」ローズは視線を交互に振って、俺とサンを交互に見やった後「ま。別にいいわよォ」と、ゆったりとした足取りで教室を後にしたのだった。
「いや。お前ら。俺が行くと――」
俺が届かぬ手をその後姿に伸ばすと、二人は険しい顔で振り返ったのだった。
『大丈夫だから。そこにいなさい。いいね』
言葉を失って黙り込む俺を置いて、二人は連れ立って出て行ってしまったのだった。
「サン。待ってよ。無視しないでよぅ」
遠ざかる足音を追いかけて、デージーが教室前を通り過ぎていった。
「怖かったね」
パギが俺の脇腹を、ツンツンとつつきながら言った。
AEUとの交渉は継続中である。
俺が回復してから三日後。焼失した森にて初めての接触が行われた。
直接の対面はナシ。指定された時間、指定された場所に、約束のブツを置くだけだ。
こちら側が提供したのは、第一陣の感染記録をまとめた資料である。
たっぷり一時間の猶予を置いて指定場所に戻ると、資料の入ったコンテナが別のコンテナに交換されていた。
あちら側が提供したのは、救援物資の入ったコンテナである。一応、礼儀として持ち帰ったが、手は付けていない。受け取るという事は、気を許すという事。許した分だけ、非常時の判断が鈍くなる。今は保留にした方が吉だろう。
そして今、我々は第二陣の感染準備をし、AEUは第一陣の結果を解析しているという訳だ。
教卓に腰かけながら、右手につけたミサンガをしげしげと眺めた。まぁ、ただ紐を編んだだけの代物だが、パギとの共作と言う事実が嬉しい。戦闘時以外は、こう言ったおしゃれをするのもいいかもしれないな。
アイアンワンドはそんな俺を見て、微笑まし気に佇んでいた。だが、急に顔色を暗くすると、声を潜めて言った。
「本当によろしかったのでしょうか。サーが陽性だと知らせてしまっても」
ミサンガから視線を外さぬまま答える。
「相手方の反応が見たい。奴らがどの程度、俺を特別視しているか気にもなるしな。それに領土亡き国家を警戒しているのであれば、俺がいいスケープゴートか、目くらましになる。うまくすれば、彼女たちを受け入れやすい土壌になるかもしれん」
「では、ベースボールテストを先延ばしにしたのはなぜですか? 相手がAIかもしれないと、サーが仰ったときは驚きました。しかしその可能性は十二分にあります。初期対応を誤ると、修整するのは大変です。先手を打つべきだったのではないでしょうか」
例の『野球をするなら、どのポジションがいい?』の質問のことだ。
「とれる対策が増えた。試すまで時間が欲しい」
俺はぼやいてミサンガから視線を外すと、真顔のアイアンワンドと顔を合わせた。
「次の通信では、テストを行う」
「対策とは、マム・アジリアをタイプジョーカーに感染させることですか?」
「アジリアはゼロのリーダーだった。何かを知っているなら、手遅れになる前に知らないといけない。タイプジョーカーは、記憶障害の回復の一助になる可能性がある」
俺はため息をつくと、尻を擦って椅子に座りなおした。
「もっと言えば、アジリアはクロウラーズのナンバー2だ。そんな重要なポジションの存在を、AEUに対しても俺に対しても、玉虫色にしておくわけにいかんからな。余裕のあるうちに、片付けてしまうべきだ――お前はいつぞやみたいに、反対しないんだな」
アイアンワンドはニコリと微笑むと、小首を傾げて見せた。
「今のサーが必要と仰るのであれば、それは必要なことでしょう。一介のブリキが口を挟むことではありませんゆえ。心中お察しいたします――とだけ申し上げておきます」
いらん気遣いだ。
「こっちも反対しないんだな」
俺はぽつりとこぼすと、足元の金庫を見下ろした。かつての仕事場から持ち出した、遺伝子補正プログラムを封印していたものだ。アイアンワンドの同意がなければ開かない設定だが、その口は大きく開かれて空っぽの中身を晒しているのだった。
アイアンワンドは目を薄っすらと細めて、慎重な口調で答えた。
「今のサーが必要とおっしゃれば、それは必要なことでしょうから。現在マザーコンピュータにて解析中です。暗号化はされていないので解読は捗っておりますが、今のところ問題ありません。この私ですら人間に補正できそうな代物ですわ」
「今解析中なのは……アジリアが用意した、ゼロの遺伝子補正プログラムだ。と……なるとだ」
俺はデスクの端に寄せた、真ん中で二つに割れた遺伝子補正プログラムを手元に置いた。
俺が輸送を委任された、国連の用意した遺伝子補正プログラムである。
もう何があったって、驚きはしない。
アジリアが国連から逃げねばならぬほどの理由があったのだ。一級特佐で、何一つ不自由のないはずの彼女がだ。それを裏付けるように、アリゾナドームポリスが壊滅し、オクシタニードームポリスも被害を受けた。もはや偶然では片づけられない所まできている。
つまるところだ。
「こっちに問題があるんだろうな……」
セントラルに領土亡き国家が入り込めるとは思えん。タイプジョーカーと言う、この上ないリトマス紙があるからなおさらだ。考えられるとしたら、裏切り者がいたか、重大なバグが有耶無耶になっていたか、もしくは何かが仕込まれていたか……。
「サー。残念ながら、そちらのデータのサルベージは不可能でした」
「ま。とりあえずは大丈夫だ。ゼロのプログラムだけでも、彼女たちの身を守る情報にはなる」
俺は背もたれに身体を預けて、天を仰いだ。
「とりあえずは――な」




