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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目後半【AEU編】
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到達ー6

 どこまでも広がる蒼い空。


 果てしなくざわめく碧い海。


 二つの青は交わることなく延々と続き、幻想的な水平線を生み出している。


 そんな青の世界に、俺は独り取り残された。


 正確には。青の世界に浮かぶ、巨大な船の上に――だ。


「いいものを見せてもらったわぁ。見返りに何が欲しい? ボーヤ」


 不破の声が、背後からかかった。


「見世物じゃない。俺もあんたには、敬意を払っている。からかうような言動は控えてもらおうか」


 俺は心にゆとりがなく、振り返らぬままぶっきらぼうに吐き捨てた。


「あら。ごめんなさいね。歳柄になく浮かれちゃって。じゃあこれは提案だけど、あなたが今どういう状況なのかを教えてあげようか。未来に飛ばされたのか、並行世界に飛ばされたのか。本来なら絶対に知りようのない、貴重な情報よ」


 まだこの不快な状況が続くのか。さっきから頭痛がして、胸がむかむかしている。アロウズとの対面も一因だろうが、現実世界で病状が悪化しているのが原因で違いあるまい。さほどこの世界での時間が残されていないようだ。


 聞かねばなるまい。俺がどういう状況なのか、今後の進路を定めるに不可欠なピースだからな。鈍痛で悲鳴を上げる頭をかきむしり、今一度集中力を呼び覚ました。


 クソがよ。物語の根幹を立て続けに暴露するなんて、小説だとかなりの減点対象だぞ。そういうのはストーリーを展開しながら、刺繡のように丁寧に織り交ぜて欲しいものだ。


 理解が――追いつかないだろうが。


 俺が振り返ると、不破は虚空に腰かけて、こちらに視線を注いでいるのだった。


「さァて問題です。バーサーカーウイルスの私は、電気信号の断片にすぎません。そして私は究極の冗長性を持ち、なんにでもなれる素質を秘めている。いわゆる『ホワイトノイズ極大』の状態。つまり外的要因で、多種多様な人格に目覚めるはずなのよ。それがタイプジョーカーなのよ」


 ホワイトノイズ極大を、難しい言葉を避けて説明するならば――物理的に再現可能なすべての周波数の重ね合わせの状態――といったところか。つまるところ、不破はその周波数から好きなものを、ニューロネットワークとして取り出すことができる。そうして自我を構築することで、『誰にでもなれる』という事を言いたいのだろう。まさにAIの基礎に相応しい脳回路だ。


 不破は指先で、ツンと自らの頭をつついた。


「しかし。私は必ず、私として再現される。何度繰り返そうと、特定の手順を踏んでバーサーカーウイルスにしない限り、私は私になる。さて。どうして私は私の自我を構築し、あまつさえ将来起きえる出来事を、記憶として再現できるのでしょうか」


 そんなの俺が知るわけがないだろ。ジト目で不破を睨むと、彼女はつまらなそうに嘆息をついた。


「あなた。無駄を楽しむことを覚えなさい。ローズにもそう指摘されたでしょう?」


「おい。それ以上無礼が過ぎると、例え殺される羽目になっても牙を剥くぞ」


「あの子カワイソ……そんな性格だから後悔するのよ。ヒント。これは生物学的な話ではないわ。物理学の話ね」


 物理学? 電気信号はいうなれば情報――エントロピーである。エントロピーは時間の流れと共に減少して、冗長性を失していく。簡単に言うと鉄が錆びるように、純度を失くして崩壊していくわけだ。人間における成長も同じである。成長すれば純度を失くし、考えは固くなるし、覚えられる事象も限られていく。冗長性とは、個性とは真逆の立場にあるのだ。


つまるところタイプジョーカーは、自然崩壊して不破になっていくという事である。それを物理学で言い表すとなると――物理的にそう定まっているという事だから――


「未来のとりうる形が……決まっている……から……?」


「あなた優秀ね。ピンポン正解。物理学で拡大解釈して? ヒント。コペンハーゲン解釈と多世界解釈のあいの子ね」


「エヴェレット解釈……」


「ピンポンピンポン。大正解」


 この歳になって、それも夢の中で物理のおさらいをするとはな。

物質の基礎的なあり方を論ずる量子力学において、粒子の存在を説明するために、かつて二つの理論が趨勢を競っていた。


 簡単な復習に留めるが――様々な物理現象は、粒子によって発生する。その粒子は物質と波の二面性を持っているわけで、その存在をどう『確証』するかで解釈が割れるのだ。


『観測することでその存在が確証づけられる』のが「コペンハーゲン解釈」。つまるところ観測しなければ、その物質の存在は確率で表すことになる理論だ。シュレディンガーの猫のように、二十パーセントは生きていて、八十パーセントは死んでいるという、説明の矛盾をはらんでいた。


 今の俺に当てはめると、俺は五十パーセントの確率で元の世界にいて、五十パーセントの確率で異世界に飛んでいると言うことになる。そして元の世界でも異世界でもいい。誰かが俺の存在を認識した瞬間、観測した世界に俺の存在が『確証』されるという訳だ。


 おかしな話だ。認識が物理を左右するなんて、到底信じがたい。


 そこで誕生したのが、その『物質が存在しうる場所に、同時に存在している』という「多世界解釈」だ。同じ次元に、同時に存在しているわけではない。異なる次元――ある世界では位置Aに、ある世界では位置Bに、『同じ時間軸に、異なる世界』で、同時に存在しているのである。こうした少しずつ要素の異なる並行世界が、無限に存在しているというのが多世界解釈である。


 俺に当てはめると、俺は世界Aから、世界Bに跳躍したという訳だな。まだこっちの方が理解しやすい。


 そしてだ。比較的新しい理論が、エヴェレット解釈である。


 世界は無数に存在するが、その存在は確率に依存する。そして実現するのは、確率の中から選ばれた、たった一つだけだという理論である。簡単に言ってしまえば、未来のとりうる形が、確率である程度決まっているという事だ。我々はその中から、一つの世界を選んでいるという訳だ。


 今の俺に当てはめると――時間跳躍して未来に来たという事になる。何故なら世界は一つしか存在せず、他に跳躍する並行世界は存在しえないからだ。


「つまり――俺は未来に飛んだという訳か……」


 俺が納得して、そう嘯いた時だった。


 不破はニヤリと、満面に嫌らしい笑みを浮かべた。


「半分アタリで、半分ハズレ。この世界は確かに未来だけど、あなたが元いた世界とは別の世界よ」


「は? どういうことだ……?」


「分かりやすく説明してあげる」


 不破はそう言うと、どこからともなく二つの物品を取り出した。右手には大きなメスシリンダーを、左手にはこれまた大きなケトルを持っている。不破はメスシリンダーを空中に立てると、俺を見返した。


「このメスシリンダーを宇宙としましょう。ケトルの水がエントロピー――つまり情報だけど、分かりやすく『質量』ととらえてもらって構わないわ。このメスシリンダーに蓄積された、縦軸が時間よ。ね? わかりやすいでしょう」


「お前……いい先生になれるぞ……」


「嬉しいこと言ってくれるじゃなァい? 急いで続けるわよ。現実ではあの女の子たちが、涙目になって絶叫しているからね。私そう言うの見ると、心が痛むタチだから……」


 不破がメスシリンダーに、なみなみと水を注いでいった。


「宇宙は情報を蓄積し、膨張し、そして成長していく。こうして世界が構築していくわけね」


 水はメスシリンダーに注がれ、蓄積してメモリをどんどん昇っていく。やがて容量の限界を迎え、シリンダーは全てを貯えることができず、縁から溢れ出したのだった。


 水はシリンダーをしとどに濡らしつつ、俺たちが立つ甲板に水溜まりを作ったのだった。


「水が溢れたわね。つまり宇宙が破綻したという事。これが宇宙の終焉よ。これから負の時間が始まり、事象は逆行を始める。つまりビックバンの対となる反応が起こり、宇宙は収縮して、新たなビックバンの準備を始めるの」


 不破が指をパチリと鳴らした。溢れた雫が、こぼれた水溜りが、そしてシリンダーに残った水分が、水流となってケトルへと戻っていった。不思議な光景だが、ここは言うなれば精神の世界。いまさら驚きはなかった。


「そうして、再び宇宙が始まる」


 不破が再びメスシリンダーに、ケトルで水を注ぎ始めた。


 待てよ。同じメスシリンダー(宇宙)に、同じ(質量)を注いで、同じメモリ(時間)が経過しているってことは――。


 不破が俺の思考を読み取ったのか、ビシリと指をつきつけてきた。


「ピンポン。正解。同じ宇宙、同じエントロピー、そして同じ時間軸を、世界は繰り返し使っているってわけ。全てが同じだから、世界は必ず同じ形態をとり、同じ事象が発生する。何度繰り返そうと、未来は同じ選択をするのよ」


 不破はシリンダーの半分まで水が満ちたところで、ケトルを傾けるのをやめた。

「このメスシリンダーの状態を、ファイナルカウントダウン最終日。あなたが跳躍した日と仮定しましょう」


 気が付くと、不破の左手からケトルが跡形もなく消え去っていた。彼女は自由になった指先で、メスシリンダーの縁を妖艶に撫でたのだった。


「あの日あなたは、ポールシフト爆弾と、機動要塞天風の展開する磁気フィールドに挟まれた。それがこの衝撃ね」


 彼女の指が、メスシリンダーを弾く。満たされた水が容器内で跳ねて、細かな飛沫が宙を舞う。そのうちの小さな水滴が一つ、シリンダーから飛び出してこぼれ落ちたのだった。


「飛沫が落ちたわね。これがあなたよ。さて問題です。あなたはどこに落ちたでしょうか?」


 どこに落ちたって……それは……お前……。


「一度水がこぼれた後の、新しい宇宙……」


「ピンポォォォン。正解」


 不破は用済みと言わんばかりに、メスシリンダーを手のひらでさらりと撫でた。彼女の手のひらで隠れた場所から、科学用品はまるで手品のように消失したのだった。


「さて。最初の問いに戻りましょう。なぜ私は電気信号の断片にすぎないのに、自我を構築し、あまつさえ将来起きえる出来事を、記憶として再現できるのでしょうか」


 お前、本当にいい先生になれるぞ。こんな正気では考えられない話を、簡単に説明したうえで、すんなりと俺に受け入れさせたのだからな。


「宇宙は際限なく、同じ事象を繰り返すことで成立しているから。それが宇宙規模の物理の法則だから。お前という存在は、必ずお前になるから」


「ピンポン……正解。この世は何度繰り返しても、必ず同じ結果へと到達する。私はミクロな物理法則と区別して、超マクロなその物理法則を、世界の王――ジェノサイド。CではなくS。GENOSIDE(人間を計る絶対尺度)と呼んでいる……」


 不破はここで、小さなため息をついた。彼女は今の今まで、明るい声で気さくに話していた。しかしその溜息は負の感情で酷く濁っており、抑えきれない憎悪と、隠しきれない恐怖で微かに震えていたのだった。

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この時空の出来事は決定論的なものだった…でしょうか。 ナガセが飛んだのは別世界線という事実がついに解説された。この点については以前感想でリクエストしたので御礼申し上げます。 ということは、前回の周回…
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