到達ー4
どのくらいの時が過ぎただろうか。アロウズが二本目の煙草を取り出しながら言った。口に運んで、軽く紫煙を吐く。
「そういえばだ。応援に来た、箱舟の男どもはどうした?」
「全員殺したよ。首をもぎ取ってな」
「馬鹿め。その男たちに、クロウラーズの身元を保証できる、地位ある人間がいくつかいたんだ。ま。どういった計画だったか、いまさら知ってもどうしようもないか。おかげで箱舟に男がいなくなり、エクソダス計画は大きく後退した。箱舟はつがいを失くして漂流し、ユートピアでゼロとなった。ゼロ。皮肉の利いた、いい名だな。何もかもなくなった」
俺はアロウズの嫌味を聞き流して、妙な感慨に耽った。
ユートピアに着いてよりの謎が、こんな形で明らかになるとは。
ゼロの存在。なぜ彼女たちは死にかけていたのか。どうして男がいないのか。
告発者の避難所だった。つがいを失くして発展できなくなった。そして男は俺が殺してしまった。
俺は――本来なら汚染世界で箱舟に収容され、他の男たちと一緒にユートピアで目覚めるはずだったのか。そうして彼女たちの夫として生き、繁栄して人類と合流する計画だったのか。
あの事件で俺がやり遂げたため、運命が大きく狂ったのか。
「それがゼロ誕生の秘密か」
「そんなところだ」
アロウズは吸いかけの煙草を、指で弾いて捨てた。
「私が……なぜこんな話をしたかわかるか?」
「『あいつら』を……見捨てさせるためか?」
「そんな気はないだろう。お前はもう幻覚を見なくなり、私の意識は弱っていった。貴様がどうしたいかは……聞かなくても分かる」
「ほほー。では俺の罪悪感を煽り、記憶に巣食って生き残るためか? 話を聞いて理解したぞ。自業自得だボケナス。正当な手段を経ず、法に背いたお前らが悪い。あいにく同じ状況になったら、俺は繰り返すと思うぞ。俺を育て上げた……俺を止められなかった……お前らに責があるはずだ」
全てを知った今、そして全てが終わった後だからこそ、俺の行いが間違っていると言えるのだ。あの時点、場所では、仕方ないことだ。俺は人類の一員として、間違ったことはしていない。
俺をスケープゴートにしなければ……事情を打ち明けていれば……お前たちが自己保身に走らなければ……いくらでもやりようはあったはずだ。俺は確かにエクソダスを頓挫させたが、それはお前らが俺を蔑ろにした結果でもあるのだ。
「俺とクロウラーズがすれ違うきっかけを作ったのは、過ちの原因となったのは、間違いなくお前らの方だ。悪いがお前なんて、もうどうでもいい。くたばれ」
アロウズは唇を軽く食むと、難しそうな顔をした。
「それも。もう終わった話だ。どうでもいい。私は聞きたいのだ。貴様に『あいつら』を、最後まで見届ける覚悟があるのかを。途中で見捨てることなく、添い遂げる覚悟があるのかを。あいつらは人類とは合流できん。そう。『お前と違って』な」
こめかみに青筋が浮く。何を偉そうにほざいているんだ。
「いいか。俺はこの地に降り立って、一つの誓いを立てた。全ての行いを、彼女たちのためだけに実行するという誓いだ。今も、昔も、これからも、きっと変わらない。彼女たちは、絶対に幸せにしてみせる」
アロウズはここで柳眉を下げて、悲しげな表情になった。
「愚直だな……アホが。後だ。幸せはな。与える側と受け取る側で、違うものなのだ。それをすり合わせたところで、目指すものと、目指した先が一致するとは限らんのだ。だから人間はみな、振り返って幸せだったと気づくのだ。行き違った足跡を見て後悔するのだ。お前には現実が見えていない」
「人類との合流は現実的ではないと?」
「私はそう思う。AEUと交渉をしているのだろう?」
「俺の頭にいたわけだから、知っているだろう。当たり前のことを聞くな」
「アジリア曰く、バーサーカー使用はAEU首脳部の独断だ。各ドームポリスの長は何も知らん。知っていたら、『暴徒として鎮圧』できない長も出るだろうからな。だから交渉はギリギリまで粘れ。味方にするに越したことはない」
それはつまり――人類との合流を前提に、AEUとの交渉に知恵を貸してくれるって意味か? 口でそう言えばいいのに、死んでからも強情な女だ。
この女を頼るのは気が進まない。だが話を聞くだけならタダだ。むしろ俺の頭に勝手に住み着いていたのなら、家賃がわりにもっと情報を吐き出せってんだ。テメェの出した騒音で、えらい目にあったんだからな。
「お前も見たと思うが、AEUの交渉態度がおかしい。バーサーカーに嫌に固執している。心当たりはあるか?」
「あれは私も疑問に思っている。領土亡き国家の潜伏を恐れるにしては、バーサーカーの使用に躊躇いがない。領土亡き国家を恐れるなら、その特徴とも言えるバーサーカーも恐れて然るべきなのだ。感染の危険があるのだからな。無害なJ系統と言えど、あんな雑な扱いはできん」
「やはりそう思うか。あいつら、まるで花粉みたいにばら撒いてきやがった」
アロウズはここで、いやらしい笑みを広げた。
「貴様に好意的なのも理解できない。お前はハイランダー迎撃と226の鎮圧で、白人をかなり殺している。到底受け入れがたいはずだ」
「やかましいわ。テメェがやらせたんだろ。あいつら俺のことを、誉れ高き赤き竜と呼びやがった」
「欧州人にしては切れ味の悪いジョークだな。ン……オクシタニードームポリスは確か……貴様、トリス・アギオンは知っているか?」
「トリス・アギオン?」
神に最も近い存在と言われる熾天使が、天界で絶えず口にする詩のことだったか。この状況で話に出すのだから、宗教論議がしたいわけではあるまい。
俺は顎でしゃくって、アロウズに先を促した。
「ポリス管制システムの原型だ。技術実証機がアイアンワンドで、貴様ンとこにいる気色の悪いブリキ。実験機がトリプルシックス。フランソワーズがジャンクヤードのとこに送った奴だ。あいつはあれでユートピアに行く予定だった。そして試作機がトリス・アギオン。オクシタニードームポリスで試験運用が為されたと聞く」
「その試作機がどうした?」
「あれにはアイアンワンドと同じ、高性能な人工知能が搭載されている。つまるところ。素性の知れない化け物が、トリス・アギオンを通して人類に成りすますこともできるという事だ」
アイアンワンド並みの冗長性を持つ人工知能なら、交渉や説得もできるだろうし、冗談や嫌味も吐けるだろう。頑なに自らの身の証明を、立てようとしない事にも納得がいく。
今のところAEUとの接触は、人功機か通信機越しにしか行われていない。相手の正体を、一度たりともこの目で確認していない。化け物がその悪辣な正体にデジタルのフィルターをかけ、人類の振りをしていることは十分に考えられた。
問題は見分け方だが、幸い俺には経験があった。
アロウズが俺の考えを読み取ったのか、声に出して言ったのだった。
「ハワイ救出作戦で、貴様もやられたはずだ。『野球するなら、どのポジションがいい?』と」
人間はその質問に、守備のポジションや打順を答える。しかし人工知能はそれらに該当しない、極めて特殊な返答をするようプログラムされている。
「人工知能は全て同じ起源を持ち、同じ原則が組み込まれている。トリス・アギオンも、例外ではないと」
「そうだ。例外はない。試してみろ」
俺が浅く首肯すると、アロウズはやや眼つきを厳しくして言った。
「ああ。それとだ。敵は意外と近くにいるかもしれんぞ。アジリアには気をつけろ。あいつは……まだ何かを隠している。私が貴様を翻弄した様に、私はあいつに翻弄された。私は貴様が思うほど、貴様を責めてはいない。あの女は今からでも、殺してやりたいと思っているがな」
突拍子もない話だが、アロウズの勘はよく当たる。それに俺なんかよりアロウズの方が、アジリアと付き合いが長いはずだ。詳しく聞いた方がいい。
「何を隠していると言うんだ」
「知らん。エクソダス計画において、あいつの振る舞いはあんまり賢くなかった。博士号を持っているにしてはな。ECOやAEUの告発も、国連の人体実験も、『遺伝子補正プログラムを盗んだ上で、人類から逃亡してまで』する事じゃあない。それはアホのすることだ」
アロウズの手の内で、ろくに吸わない煙草が、灰となって崩れ落ちた。彼女は煩わしそうに、指先で吸い殻を弾き捨てた。
「第一あの女は一級特佐だ。完璧な安全が保障されている。『人類から逃げる必要なんて、どこにもない』んだ。賢ければ、セントラルに籠ってもいくらか対処できただろう。『逃げなければならん理由があった』のだ。クソ。思い出したら腹が立ってきた。貴様。私の代わりにあの不細工の腹を何発か殴っといてくれ」
「ドームポリスに領土亡き国家が侵入していることを……気づいていたのか……」
「可能性はある。それほどの理由がなければ、『逃げる理由にならない』からな。プロテアとサクラにカマをかけたが、私が知っている以上の話は聞けなかった。あいつらにも秘密にしているようだ。本当に隠し事があるとしたらな。後はお前の仕事だ」
「……忠告として……受けとっておこう」
アロウズは清冽なため息をつくと、くるりと踵を返して俺に背中を向けた。
「言いたいことはそれだけだ。もう会うこともないだろう」
アロウズはゆっくりと歩きはじめる。空と海の狭間にある、地平線を目指して。
「控えめな性格だからか。この世に未練がないせいか。私の定着率は低い。お前は昔ほど私を思い出さなくなり、バーサーカーも電気刺激を受けず弱体化している。私の意識が持つのは……ここいらが限界だな」
一歩進むごとにその姿は薄らぎ、空気に溶けていくのだった。
「待て」
その後姿を呼び止めると、彼女は足を止めた。
俺とお前の間には、決着をつけないといけない話があるはずだ。
「何で……子供のことを言わない……」
俺の声色は、緊張と恐怖で上ずった。




