到達ー3
「アテンション!」
アロウズが声を張り上げて命令した。
昔なら愚直に従い、気をつけをしたかもしれない。
もしくは嘲笑って、襲いかかったかもしれない。
今の俺は冷静ではなかったが、感情的でもなかった。
ただ震える声で、ぼそりと呟いた。
「何故ここにいる」
アロウズはそんな俺を見て、感心したように目を丸めたのだった。
「ほほー。成長したな。私なしでは生きられなかった、あの頃とは違う。過去に固執するのをやめたのか」
「質問に答えろ」
アロウズは肩をすくめた。
「知るか。気づいたらこうなっていた。そして。今それは重要か?」
「当たり前だ。誰が何のために、どのような目的で、俺にバーサーカーを感染させたのか。しかもよりによって、お前なんか入れやがったのかを、はっきりさせねばならない」
アロウズは鼻を鳴らして笑った。
「もう一度言う。知るか。私は貴様に殺された。その後どうなったか知りようがない。私が意識として成長した頃には、貴様はお山の大将を気取って楽しそうに殺しまくっていたぞ」
そんなに昔から……この女と同居していたのか。確かに……その頃から幻覚に悩まされていたのだが。
アロウズがどの系統のバーサーカーに類するか判断できないが、こいつの記憶は死後で途切れ、俺が部隊長に選任された後に再開したようだ。俺は一度軍をやめて帰郷したから……バーサーカーを入れられたのは再入隊時の可能性が高い。くそ……そういやAEUで入隊前の健康診断を受けたよな。あの時か?
「おい。上官の前でぼんやりするな。集中しろ」
アロウズのぼやきで、思考の海から意識を引きずり上げられる。このクソアマ。死んでからも、邪魔をしやがって。沸々と胸の内に沸いたのは、かつての殺意ではなく、激しい嫌悪感だった。
「いつまでも上官ヅラするな。お前はもう俺の何でもない」
「ほう。その割には随分と長い間、私に縋っていたようだがな。殺すたびに、惑うたびに、そして自らを憐れむために、正当化の理由として、まるでダッチワイフの様に何度も使ってくれたじゃあないか? ン? お上品ぶるなクソめ」
「好きに言え。俺は贖罪するつもりだし、そのために前に進む。もう過去に怯えて負けたりしないし、『あいつら』に恥じない振る舞いをするつもりだ。不破! 話は終わった! こいつを消してくれ!」
大声で怒鳴りつけるが、静寂に声が吸い込まれるだけで、世界には何の反応もなかった。不破が俺の命令を聞きたくないのか、アロウズが抵抗しているのか。いずれにしろ、不快な状況は依然続いた。
アロウズは多分、期待していた。俺が感情に支配され、襲い掛かってくることを期待していた。俺が成長せず、変わらず自らの虜になっていることを期待していたのだ。
だからだと思う。俺が眉をしかめるだけで、手を出してこないと知ると、目に見えて落胆したのだった。
「『あいつら』……ねぇ。あいつらはそんな上品な連中ではないぞ」
「ほう。お前があいつらの、何を知っているというんだ。何も知らないくせに、穢れた口で舐めた事をほざくな」
アロウズは虚しい息を吐いた。
「私はコニー・プレスコット――つまりアジリアの依頼で、遺伝子補正プログラムを強奪した。貴様が余計なことをしなければ、お前を犯人に仕立て上げて帰投する予定だった」
「は? いきなり何の話だ?」
アロウズは淡々を続けた。
「裏切り者は始末したと告げ、お前は箱舟へと運ばれる手はずだった。一足先にあの腐った世界を逃れ、ユートピアに行く予定だったのさ。張り切りやがって。お前が箱舟の関係者を、ほとんど殺してしまった」
待てよ。コニーが……アジリアが遺伝子補正プログラムの強奪を依頼した? そして……俺が収容されるはずの、箱舟の関係者をほとんど殺しただと? 遺伝子補正プログラム奪還の話をしているのか?
アロウズがクロウラーズの過去を知っていて、その因縁がユートピアまで続くとなると、導き出せる結論は一つだけだった。
「……ゼロの話か」
アロウズは浅く首肯すると、珍しく――いや、俺が知る限り、初めて視線を伏せた。
「結論から言うと。国際連合は遺伝子補正プログラムを使用した、人体実験を計画していた。対象は非市民用のドームポリスや、ポールシフト爆弾起爆まで展開を続ける『ラストガーディアンズ』用のシェルターだ。様々な遺伝病の研究や、組み換えによる形態発現実験、領土亡き国家から回収した資料を用いた、人体改造などが計画されていた」
「な……に……?」
戦時のタガの外れた倫理で、戦後の混乱期で有耶無耶になるよう、世紀の大実験を試みた訳か。少し前なら疑念を抱いたであろうが、正規市民に牙を剥くECOとAEUの謀略を知った後だと、驚きはあったもののすんなりと受け入れることができた。
アロウズは続けた。
「アジリアはそれを知り、遺伝子補正プログラムの不正入手を計画した。箱舟でコピーし、非市民用のドームポリスに配布しようと考えたのだ。馬鹿な女だ。あんな奴らのために、エリートの立場を捨てたのだからな。だが私には好都合だった。当時の私は、『ラストガーディアンズ』。モルモットの一匹だったからな……」
アロウズは懐から、煙草を取り出した。彼女が愛飲した、俺が死ぬほど嫌いな安物だった。口に咥えて、指先の電撃端子で火を点ける。青い世界に、一本の紫煙が流れていった。
「遺伝子補正プログラムは厳重に管理され、開発者であるアジリアにすら手が出せない代物だった。故に狙うなら輸送中だが、輸送任務の大役を任されるのは、『英雄』と呼ばれる程の手練れの兵士。おまけに輸送経路はトップシークレット。軍属のアジリアでは手が出せない。襲うより……英雄になる方が楽だった」
「てめぇ……じゃあ……俺を使い潰して……手柄を横取りしたのも……」
アロウズは口の端を吊って笑った。
「アジリアが一級特佐の権限を用いて、第666独立遊撃部隊を編制した。戦局が大きく動きそうな地に赴いて、大きな一発を狙ったのさ。まぁ危険に身を晒すのは五人目だけ。創設メンバーである私とあの三人は、後方で戦果が上がるのを待つだけだ。我々はユートピア行きのチケットを予約してたのでな」
「てめ……この……クソが……」
「スケープゴート。フフ。色んな奴を、潰してきたなァ。あっさり騙される上品な奴もいれば、疑り深くて殺すまで粘る奴もいた。そうやって我々は着々と戦果を挙げていった。最後の一人が貴様で……あの日まで生き延びた」
「マリカ・セレン護送任務……ハイランダー迎撃作戦……226避難所暴徒鎮圧……全部……全部……テメェらが……押し付けやがったのか……」
「それだけならよかったんだがな。どういう因果か貴様はマイケル・ジャンクヤードと懇意になり、最終的に立場は逆転した」
アロウズが煙草を指に挟む。その口元は、喜劇を楽しんでよりつり上がった。
「お前に無茶をさせるどころか、末期はジャンクヤードお気に入りのソルジャーになった。無理が出来なくなって困ったが、どうにか間に合ったのだ。私は人類で十二人しかいない英雄の、最後の一人に選ばれた」
アロウズの指の中で、煙草が灰になって崩れ落ちた。
「英雄に選ばれたが、アジリアの作る改善したプログラムが必要だった。私の配属は変わらず、『ラストガーディアンズ』だったからな。お前もそうだったろう?」
「ああ。ポールシフト爆弾起爆のギリギリまで、遺伝子補正プログラムの輸送をやらされた」
「英雄に私のような奇形や、貴様のようなイエローはいらんという訳だ。計画通りに進めばよかったんだが。アジリアは馬鹿な真似をした。私が持って行ってやる手筈だったのに、無理をしてマスタープログラムを盗もうとした。AEUなんざほっとけばよかったものを。あいつは身柄を拘束される前に箱舟へと逃げた」
このクソアマ。いけしゃあしゃあと答えやがって。
「知っているのか……バーサーカーウイルスについて……」
「得体の知れんやつとは組めんからな。共倒れはごめんだ。フランキー……まぁプロテアだな。あいつをつついたたらあっさりゲロった。私としては、他の人間が暴徒になろうが奴隷になろうがどうでもよかった。しかしこのままではモルモットにされる。身を引く段階ではないと判断し、計画を続行した。そうして私が殺される、あの日になった」
嫌な記憶を思い出して、俺は舌打ちをした。
「俺たちは量産用のコピーを受領し、目的地へと運ぶ任を与えられた。なぜ生かしておいた。聞く限り俺はスケープゴート。ジャンクヤードの目も届かない。殺せばよかっただろう」
アロウズはここで、腹を抱えてケラケラ笑った。普段の仏頂面からは想像もできないほど、無邪気にケラケラと笑ったのだった。
「箱舟にはお前のファンがいてだな。生かして連れていく約束になっていた。私はそんな面倒は嫌だから、精液を送ってやったんだがな。本人を連れてこなければ取引はなしとまで言われた。ああするしかなかったんだ。サクラに感謝するんだな」
気のせいだろうか。「嘘つき」と、不破の声が聞こえたような気がした。
「だがだ。貴様はキレた。そうして追ってきた」
アロウズはそんな幻聴をかき消すためか、自らが殺害された話を冷静にできないのか、ここで早口になってまくしたてた。
「道中の遺棄されたドームポリスにて、我々は交戦した。まずダンがやられて、その次がリーだった。お前の高笑いが遠くから聞こえたよ。それからリタがやられて、アジリアが応援を送ると言った。到着より早くお前が来て、そこで終わった」
アロウズは肩をすくめた。
「少し話が逸れたな。そういう訳だ。あいつらはお前が思っているほど、奇麗な身の上じゃない。アジリアが貴様の運命をドブに落とした張本人だし、フランキーはその手助けをしていた。サクラなんかもドータヌキをかっぱらって失踪するほどイカれた女だ」
アロウズはどこか楽しそうに、過去をぶちまけていく。
「他もいろいろだ。ローズ、サン、デージーは領土亡き国家だし、ピオニーも青亀を強奪している。マリアも――おっと。死んだ人間の悪口はやめておくか。あいつらは人類に、帰る場所なんてないんだよ」
アロウズが話の余韻に身を浸しはじめる。
俺が話を受け入れるまで、じっとりとした沈黙が場を支配したのだった。




