激走‐3
俺は保管庫へとカットラスを乗り入れ、周囲を注意深く観察した。
保管庫内には、同田貫が安置されていた。他にもダガァやカットラスなどの躯体がちらほらうかがえる。それらは格子式の駐機所ではなく、ベッド式の駐機所で安置されていた。ベッドは多段式で、一つのスペースに四つのベッドが重ねられ、三列、五幅で並べられている。
計六十躯だ。
「流石はアメリカ様か……」
ベッドの半数以上は空になっていた。人攻機は外部の駆動許可を得ずに動いたのか、無理やり動かした証拠にベッドの枠がたわんでいた。上にあるベッドを引き倒し、下にあるベッドを押し潰していた。
俺はカットラスを歩ませて、駐機所から離れた。そして隣にあるコンテナを通り過ぎる。そこには恐らくミサイルや爆弾、人攻機のオプションが保管されている。さらに奥にはロッカーや、歩兵用の装備、キャリアが並べられていた。
俺は足を止めた。そしてアサルトライフルを片手に躯体から降りると、ロッカーへと歩み寄った。
そこにはロッカーに背を預けて、項垂れる死体があった。
「死後数ヶ月は立っているな……」
死体はまるで腐ったバナナの様に、半端にしおれた身体をライフスキンで包んでいた。一部の肉が腐って崩れ落ち、異臭の原因となっている。死体の周りには、身体から漏れた体液の染みができており、乾いて端がめくれ上がっていた。彼の手には拳銃が握られている。寄り掛かるロッカーには血の花が咲き、中央には弾痕が残っていた。
俺はそっと死体のチョーカーに手を伸ばし、チョーカーと交信して情報を得ようとする。俺のチョーカーには、汚染世界における三級特佐の身分がある。ユートピア計画に参加した兵士の特別な階級だ。一般人のチョーカーはもちろん、佐官以下なら応答してくれる。
しかし死体のチョーカーは交信した瞬間、黄色い明滅を繰り返して沈黙した。これはプロトコルが違うため、情報を消去した証だった。
『ナガセも! ナガセも!』
狼狽える俺の耳に、幼稚なサクラのはしゃぐ声が、フラッシュバックした。
「しまった……! そう言えば外していた」
傷を隠す事に集中して、すっかり忘れていた。俺のチョーカーの登録データは消去済みだ。
俺は深く息を吐きながら、緊張で乾き始めた唇を、親指で拭った。これでは情報を得ることが出来ない。
「孤立したな……」
俺は何か手が無いか、保管庫を見渡した。近くに歩兵用装備があると思しき、ロッカーが並んでいる。俺はロッカーの並ぶ列に、小走りで向かった。
そこには人間の死体の山があった。床にうつ伏せになるもの、ロッカーに寄りかかるもの、蹲るもの。死体はほとんどが白骨化しており、床には血をぶちまけた赤い染みが広がっていた。その隙間を埋めるように骨片と空薬莢が散乱し、中央にはまるで祭壇の様にキャンプキットが展開されている。そこには肉を焼き、骨の髄を啜った痕跡があった。
俺は背後の死体を振り返った。
「ここから離れた場所に、死体が一つ――か。たてこもっていたようだな。この調子だと保管庫の外にはうじゃうじゃいるな」
とにかく保管庫内は安全のようだ。俺はいくらか落ち着きを取り戻した。そして死体に混じって落ちている銃器を拾い上げた。とても古い九ミリ拳銃で、認証機器が付属しているとは思えない。銃把が小さく、弾倉が引き金の前にある。確かモーゼルだったか? 俺の親父が愛用していたな。持ちやすく、重心が前方にあるため狙いを定めやすいそうだ。
他にも古めかしいレバーアクション式のショットガンが一丁、地面に放り出されていた。
どうやら近くに古い銃器をまとめたロッカーがあるらしい。俺は列の隅にある、壊れたロッカーに近寄った。ロッカーのカギは叩き壊されて、血の付いた指で何度も引っ掻いた跡が残っていた。
中には骨董品と思しき、旧世代の武器が収められている。いわゆる認証機器のない武器だ。こういう代物は暴動を嫌う政府により、士官以外の携行が禁じられていた。
「使えそうなものは……クソ……ほとんど錆びてやがる」
俺は改めて、拾った銃器を見直した。モーゼルは綺麗なものだったが、ショットガンは血で銃身が錆び、木のストックが湿気で歪んでいた。俺は舌打ちすると、もっとマシなものが無いか、ロッカーの中を漁った。
結局ロッカーの中に、まともな銃は一丁も無かった。どれもが傷み、歪み、汚れていた。しかし同じ種類の銃をばらして、健全なパーツを寄せ集めることで、レバーアクションショットガンを一丁調達できた。弾は二〇ゲージの散弾しかなかった。だがある方法でスラグ化することは出来る。
俺は実包の下部にある、プラスチック梱包と金属製のヘッドの間に、斜めの切れ込みをいくつか入れた。こうすると弾は実包ごと発射される。それをショットガンに装填し、あるロッカーのカギめがけて引き金を絞った。俺は弾が内部を傷つけないように、ロッカーを斜めから、下めがけて撃った。
銃声と共にロッカーに大穴が空き、貫通した弾が地面を擦る音がした。それは散弾による小さな穴の群れではなく、実包と同じ大きさの一つの穴だった。
俺はロッカーを開けて、中に保管されていた認証機器付きのアサルトライフルを取り出した。引き金を引こうとするが、ロックがかかっていた。認証を求められるに違いない。
武器は持ち込んだアサルトライフルと九ミリ拳銃。そして古いショットガンだけだ。モーゼルはおまけ程度に考えておこう。
次にキャリアのある場所に行った。ドームポリスの内部を、人攻機で走るのは難しい。そもそも出入り口を通過できない。新しい足が必要だ。認証の問題はないだろう。通常乗り物には火器管制以外には認証をつけない。いちいち認証を求めていては、まともに運用できないからだ。
そこにはドームポリスで見たキャリアや、電気駆動の単車、運搬用の自律式多脚機などがある。俺はその中で、丸まっている黒い卵の様な塊を、カットラスの元に引きずっていった。黒い卵の下部にはローラーがついていて、さほどの労力を必要とせず運搬できた。
カットラスのバッテリーからプラグを伸ばし、卵から飛び出た端子につなげる。そして端子の下にあるスイッチを押した。
卵から足が飛び出て二脚で立ち上がる。そして殻が翼となって広げられた。卵は頭のないダチョウの模型となり、俺の前で二、三度足踏んでバランスを取った。首には手綱が植えつけられ、背中からは鐙が生えていた。
多目的歩行機、MUR(Multiple Ugly Runner)‐29。通称オストリッチだ。
汚染世界でバイクの代わりに斥候に使われた乗り物だ。最高時速八〇キロ。滑空による飛行の他に、翼をフロート化しての航行も可能だった。翼の下のハードポイントに機関銃を装備すれば、騎兵としての運用もできる。俺も何度かこいつを駆って、敵の基地に侵攻したことがある。これならば縦横無尽に、ドームポリスを駆けることが出来るだろう。
俺はオストリッチの充電が終わるまでの間、回収した弾丸を選り分ける作業に入った。
俺は錆弾を脇に投げながら思案に暮れた。
一階には倉庫があり、その上にこの保管庫がある。同じ階に昇降階段かエレベーター、そして居住区があるだろう。同じスペースにバイオプラントと冬眠施設を詰めるには、スペースが無い。問題は上にあるのが冬眠施設か、バイオプラントか分からない事だ。それに脱出口の在りかも分からない。
「もしドームポリスの連中が緊急脱出口を使って逃げていれば、遅れた者の死体が跡として残っているはずだ。救援信号を出しながら、死体のある方に走るか……」
残念だがカットラスはここに置いていく他ない。今エレベーターから降りれば袋の鼠だ。
充電完了を知らせるために、目の前でオストリッチが羽ばたいた。俺はカットラスの肩から垂れ下がる保護シートを外して、俺とオストリッチにマントのように羽織らせた。そしてカットラスの推進剤をオストリッチに移し、翼下のハードポイントにアサルトライフルを取り付ける。
俺はオストリッチに跨ると、右手にショットガンを持って、ゆっくりと倉庫の端にある出入り口に向かった。
そっと、ドアに耳を当ててみた。向こう側から風鳴りの音に混じって、化け物の呻き声が響いていた。
俺は深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着けた。覚悟が決まると、開閉ボタンをショットガンの先端で押した。こういったドアは、開けるのに認証がいるが、出るのには必要ない。
ドアが横にスライドし、生臭い風と共に、人間の骨片が保管庫に転がり込んだ。締め出された連中の残りカスだろう。俺はドアがちゃんと閉まるように、骨をオストリッチの脚で、保管庫の外に蹴り出した。
背後でドアが閉まる音がすると、風の流れが俺を撫でた。俺は鐙をアクセルのように踏んで、汚れの酷い方へとオストリッチを疾駆させた。
「ちぃ……」
廊下の床は、ジンチクが糞のついた尻を引きずって走り回ったのか、酷く汚れていた。悪臭が鼻をつき、吸った空気はいがらっぽくてむせそうだ。廊下のあちこちには骨の欠片が転がっていて、一部には血の跡が目立った。そこで食われたのだろう。
廊下は延々と真っ直ぐに続いていたが、右に曲がる廊下が見えた。廊下の壁には案内表示が直接ペイントされているが、汚れのせいでよく見えない。
俺はスピードを落として汚れを拭おうとする。だが廊下の曲がり角から、ジンチクが二匹飛び出してきた。俺は一匹にショットガンを向けて、引き金を絞った。残りの一匹は踏み越えることで逃れた。結局俺は案内を見るのを諦め、汚れの始まる場所へ直進を続けた。
オストリッチの胸元で、防護シートが煙を噴き上げる。返り血がかかったのだ。
「もってくれよ……」
俺は懇願しながら、よりスピードを上げる。そして踏み越えたジンチクを振り払った。
前方にジンチクの群れを確認。三匹が交互に飛び跳ねながら、こちらに向かって来る。俺は手綱を操作した。
オストリッチが翼を広げ、翼下のアサルトライフルが火を吹いた。先頭のジンチクが蜂の巣になって倒れる。しかし致命傷ではない。左手で拳銃を抜いて乱射する。ようやく先頭の一匹が仰向けにひっくり返って息絶えた。
死体を乗り越えて、後続のジンチクが俺に飛び掛かる。すかさずショットガンで迎撃し、同時にマントをマタドールのように目の前で翻した。ジンチクの呻き声と共に、マントが白煙を上げて、斑の穴を空けた。マントを突っ切るようにして、恐らく三匹目が飛びついて来る。装弾の暇はない。俺はジンチクが突っ込んで、盛り上がった部分を素手でつかむと、泳ぐようにかき分けた。
マントに包まったまま、ジンチクは背後に転がっていく。
俺の手の平から煙が上がり、鈍痛が走る。ちらりと視線をやると、ライフスキンを溶かし皮膚が崩れ、赤い肉が剥き出しになっていた。俺は舌打ちをしつつ、オストリッチのマントを剥いで、自分に羽織った。
再び右折路が現れる。その右折路から、血を引きずった跡が始まっていた。俺はオストリッチを曲がらせた。
大広間に出た。そこは団欒室を兼ねているらしく、天井には光の取り組み口があり、全体が明るく照らされている。入って右手にはカウンターがあり、肉が叩きつけられた跡が、赤い染みとして残っていた。カウンターは所々が溶かされたり、異常な力で叩き壊されていた。左手には大型のエレベーターが三つあった。中央のエレベーターは物資のやり取りを想定してか、人間が百人は入れそうだった。今は血と排泄物の染みが、エレベーターの天井から壁を伝い、広間まで延びていた。ボックスの隅には何かのカスが山となっている。両脇にある小さなエレベーターには、開閉した気配はなかった。ドアにアーティストを殺したくなるような、血の絵が描かれている以外目立つところはない。
そして広間の中央には、そいつが蹲っていた。それは真っ先に目に入ったが、俺はそれを認めたくなかった。眼を反らし、カウンターやエレベーターを見てしまうほど、醜悪なものがそこにいた。
水でふやけたピザに、足を生やしたような生物だ。全高は三メートル。幅は六メートルほど。その生物は対角線上に四本の人間の足を持ち、脂肪でたるんだ身体を支えていた。身体のいたるところには潰れた眼窩と、汁を吹く割れ目がある。眼窩は瞠目するように、眼玉を肉の隙間から押し出し俺を見つめる。そして割れ目からは、呼吸するような風を吹き付けつつ、糞と尿らしき液と、肉の欠片を吐き出した。身体の上には、ぼさぼさの毛が、無茶苦茶に生えている。それは奴が身震いをする度に根元から抜けて、室内の絨毯と化していた。
山姥。脳裏にそのような単語が想起された。
ヤマンバは俺の方に一歩、踏み出して来た。酷くのろく、重々しい一歩だ。こいつの骨格がどうなっているのかは分からない。しかしヤマンバは自重に耐え切れないのか、動く度に筋肉と骨が軋む音を立てた。
俺はショットガンで、ヤマンバの足を撃った。ヤマンバはすぐにバランスを崩し、地面に崩れ落ちる。そして自らの髪の絨毯に埋もれ、もがくだけになった。殺すにはショットシェルが一ダースあっても足りないだろう。俺はそのまま放置することにした。
他に異形生命体は見当たらない。俺は悠々と中央エレベーターの中に入り、そこから上を見た。
エレベーターの天板はなくなっており、暗闇を湛えている。暗くて奥がどうなっているのか分からない。だが空気に溶けた光のおかげで、ボックスの四隅をシャフトに固定しているローラーが見えた。
エレベーターシャフトの上から、風が吹き付けているようだ。湿った空気が全身を包む。それは微かに薬品の匂いがした。
俺は視線を落としていき、ボックスの縁を見る。ペンキを零したような染みが壁に、上から下へ、そして広間へと続いている。俺は染みの下に、何かが書かれていることに気付いた。水筒の水をマントにかけて、染みを拭う。染みが溶けて、『SAFEKEEPING AREA』の文字が見えた。保管庫の事だ。
「このドームポリスの全体図だ……希望が出て来たな」
俺はオストリッチから降りると、水筒の水を使い切って、全ての染みを拭い落した。