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Crawler's  作者: 水川湖海
三年目後半【AEU編】
229/241

到達ー2

 どこまでも広がる蒼い空。


 果てしなくざわめく碧い海。


 二つの青は交わることなく延々と続き、幻想的な水平線を生み出していた。


 そんな青の世界に、俺は佇んでいた。


 正確には。青の世界に浮かぶ、巨大な船の上にだ。


 奇妙な船だった。目測全長二百メートルはあり、船体に目立った突起物はない。恐らく潜航機能を有しているのだろう。本体は円筒形をしており、左右には滑走路であろう平らなウィングが取り付けられていた。まるで――鳥のような特徴的な船体だった。


 俺はいるのは本体中央で、身体を挟むようにSLBMの発射口が整列しているのだった。


「これは……」


 知識で知っている。


 世にも珍しき潜水空母。これを保有していたのは、人類史上たった一つの組織だけだ。


 領土亡き国家の開闢にして、グレートウォー開戦と同時に崩壊したテログループ。


 旧日本帝國(オールドインペリアル)


 俺の向かいに、女が立っていた。


 黒い戦闘服を身に纏い、ぼんやりと虚空を眺めている。フルフェイスのヘルメットを冠っているので、その顔は窺い知れなかった。


 戦闘服の様式が、ライフスキンに酷似しているな。確かライフスキンのベースになったのは、旧世界の諜報員が使用していた強化服だったな。潜水空母が存在した時代を考えると、女が着込んでいるのはそれかもしれない。


 女はこちらに気づいて視線を留めると、ちょっと驚いた素振りを見せた。


「あら。珍しいわね。この時間にとぶなんて」


 何だ……この女。


 全身の産毛が逆立つほどの、凄まじい怖気が背筋を走る。


「誰だ……貴様は……何者だッ」


 生まれて初めてだ。対面しただけで、死を直感するほど恐怖を感じたのは。


「誰だとはご挨拶ね。あなたが私に感染したんでしょう? 人を蘇らせておいて、その言い草はないんじゃないかしら?」


「何のことだ……お前なんて……知らんぞ……何だお前……ッ」


 やばい。やばい。やばい。叶うことなら、背中を見せて逃げ出したい。


 女の一挙手一投足が、俺を絶命しうる力を持っているように思える。


 それほどの威圧感を、この女から感じた。


 俺は女としばらく、緊張の中を睨み合った。


 やがて――


「悪い子……」


 女が興味を失くした様に、視線を外した。


 俺はようやく呪縛から解放され、一息つくことができたのだった。


「ま。いいわ。あなたのニューロネットワーク。あの人に似ているから。礼儀正しくしてあげる」


 女は居住まいを正すと、自らの胸に手のひらを当てた。


「私は不破優。Who Are Youのもじりね。これは偽名。そしてレディ・ジョーカー。こっちはコードネーム。本名はデク0194。そのまま検体番号。好きな方で呼ぶといいわ」


 くそったれめが……こんな得体の知れない怪物を、相手しなければならんのか。


 J系統はとある乳児から採取した脳回路だと、アイリスは言っていた。どういう理屈かわからないが、その乳児が成長した状態で顕現しているらしい。おまけにこいつ、明らかに人生を生きた経験を持っている。そうでなければ名なんて名乗れない。


 明晰夢を見ると聞いてはいたが、まさかJ系統の人格が語りかけてくるとは思わなかった。事前に通達がなかったことを考えると、極めて珍しい現象が起こっていると踏んだ方がいい。


 俺は警戒を解かぬまま、じっと女を見据えた。


 正体は分からないが、こいつには逆らわない方がいい。敬意も払った方がいい。


 こいつは俺たちと同じ人間ではある。しかし俺たちと同じ『側』に立っているだけで、俺たちと同じ存在じゃない。もっと異質で……支配的な……何かだ。


 俺は姿勢を正すと、落ち着いた口調ではっきりと言った。


「先ほどの失礼を謝罪する。『不破優』殿。俺は永瀬恭一郎。国際連合所属の三級特佐だ」


「いい子ね……さっきの態度、水に流してあげるわ」


 女は浅く頷くと、顎に手を当ててかぶりを振った。


「しかし特佐? 珍しい階級ね。それにナガセ? ここに来られる人間で、そんな名前の人はいないはずだけど……あなたどこの世界からきたの?」


「悪いが……言っている意味が分からない……」


「そう。私を認識したから、ひょっとしたらと思ったのだけれどね。しかしナガセ……ハテ。どこかで……ナガセ……ナガセ……ああ。ひょっとして。あなたディックのお兄さんね」


 わけのわからないことをペラペラと。ユゴー以上に、気味の悪い女だ。


「俺は一人っ子だが……」


「それについては、エントロピウムと合わせて後で話すわ。今は何故あなたがここにいるかについて。あんまし私とおしゃべりすると、脳の方が耐えられないからね」


 不破は自らのこめかみに指を当てると、ツンツンと何度か突いて見せた。


「まず。私に感染すると、適性によって明晰夢が変わるのよ。大抵の常人は私が赤ちゃんだった頃。ほんの一握り、才能を秘めている人間なら、私が小学生の頃にとぶの。ああ。勘違いしないでね。この才能ってやつ、私が留まりやすい。つまり『洗脳しやすい』って意味だから」


「ぞっとしない話だな」


「まぁね。そして僅かな一つまみ。『洗脳しやすい』人で、『洗脳できない』人間。それが高校生の私に出会うって寸法だけど――ここは2012年。私が24歳、死ぬ直前になるわね。どれにも該当しない、イレギュラー。その人間が、私に会うことになる」


「そうやって、被験者の感染適性を調べていたのか?」


 不破はケラケラと、あどけなく笑った。


「ボク、イヤラシイものの考え方をするわね。副作用。私の存在はあくまで副作用よ。あなたが特別なだけで、他の人間はろくに私を認識できないのよ。気づいた人間なんて、この世界ではアンダーソン君くらいかしら」


 不破はひとしきり笑い終えると、じっと俺を見つめた。


「別に私はいいんだけどさ。あんまり長居するとパーになっちゃうわよ? 黙って聞くことを覚えなさい」


「もっともな言葉だ。失礼した」


「んー。あなたって、本当にあの人に似ているわね。肩入れしたくなってきたわ。それでイレギュラーの条件だけど、とっても簡単。先客がいるとね、私はなかなか安定できず、死の間際まで成長するってわけ」


 黙って聞けと言われたが、俺は聞き返さずにはいられなかった。


「は? 先客? バーサーカーのことか?」


 不破は俺の脳に感染して、その心情が手に取るように分かるのだろうか。間抜けな横やりを咎めることなく、むしろ感情と行動がすり合うのを楽しむように、俺の反応を観察しているのだった。


「あなたさ。幻覚や、幻聴、そして突発的な情緒障害に悩んだことはない?」


 どくん。心臓が跳ねる。


 旧世界より続く、俺の幻覚症状のことを言っているのか?


 迷うたびに復活を遂げ、窮地に陥るたび悪罵を吐く、俺の幻覚のことを言っているのか?


 あれは俺のトラウマに起因する、精神的な症状のはずだ。


「な……に……を……」


 俺が恐れに後ずさると、不破はその分詰めよってきた。


「交代するわ。ずっとあなたを待っていたのよ」


 不破はもう一歩踏み出す。すると彼女の体が怪しく蠢き、徐々に変貌を始めたのだった。


 不破が三歩進む間に、フルフェイスのヘルメットが頭部に潜り込み、入れ替わりに白い毛髪がはらはらと流れ落ちた。


「ようやく辿り着いたな」


 不破の声色が変わった。凛として、緊張感のある、高圧的な口調だった。


 不破がさらに三歩進むと、戦闘服から飾り布が飛び出した。衣装は揺れてはためき形を整え、慣れ親しんだライフスキンへと変わったのだった。


「何度でも繰り返すがいい。私は待ち続ける。お前が辿り着くまで」


 そして最後の三歩。不破が目の前で足を止める頃には、汚染世界の軍人の姿へとなり替わっていた。


「お前が来るのを……ずっと待っていたぞ」


 彼女は白い見た目に反し、黒を夫のように愛した。白髪、黒い飾り布、白い肌、黒いライフスキンが織りなす、神秘的なストライプ。アルビノの特徴である赤い目が、じっとこちらを注視する。


「久方ぶりだな、キョウイチロ―」


 不思議と、怒りは湧いてこなかった。


 心の中にわだかまりとして残っていた過去が、そっくりそのままスポンと抜けて、目の前にとりだされたみたいだ。ある種の爽快感すら伴う奇妙な感情が、胸をやるせない気持ちでいっぱいにし、四肢から力を奪っていったのだった。


 もう一度息の根止めようとも、殺したことを弁明しようとも思わなかった。


「アロウズ・キンバリー……」


 ただ。阿呆の様に、彼女の名を呟くことしかできなかった。

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― 新着の感想 ―
相変わらずおもろい。 情報が開示されつつあるが、記憶が薄れつつあるし全然頭の中が整理されてないから読み返した方がいいかもしれん。 エントロピウム(エントロピニウム?)は名前にヒントがあるのかもしれん…
先客…エントロピウムのことか?…これはアジリア(コニー)に打ち込まれたと描写されていて、ナガセを吸い寄せることからするとナガセにも類似品が打ち込まれてる。 ナガセについては、アロウズ達に騙し討ち食らっ…
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