到達ー1
教室に残った三人娘に、てきぱきと指示を伝えていく。
「サクラはaceLOLANが異常を察知したら、即座に訓練通りの避難計画を実行すること。山岳地帯に一時潜伏し、追っ手を撒いてからゼロへ合流する。他の注意点として、クロウラーズの動向に気を配るように。不安から今までと違った行動をとる者や、根も葉もない噂を口にする者が出るかもしれん」
サクラの目の色から、すっと温かみが消えていった。ああ。マシラと戦う際に、する眼つきだ。
良くないなァ。マリアの件があったとはいえ、仲間に向ける視線じゃない。容赦無用とはいえ、こういう態度は非常に良くない。普段なら釘をさすところだが、今では頼れる人物がいる。そいつに任せておこう。
「そういう小さな棘が、いざ動くときに痛み出すものだ。気をつけろ。以上」
サクラはしまった敬礼をすると、早速取り掛かるためか教室を出ていった。
「プロテアは避難計画の陣頭指揮を執ってもらうが、訓練と違うことがある。バーサーカー罹患者が身動きを取れず、搬送の必要があるかもしれないのだ。それを含めた訓練を続けろ」
プロテアは力強く頷き、自身のほどをアピールした。
「それとサクラは目的のために、ある程度の犠牲は致し方なしと考える。俺も同じ意見だが、程度と理由を、現実と環境に照らし合わせて調整しないとダメだ。お前の大事な仕事だ」
ヘイヴン奪還作戦、そしてバイオプラント占領作戦の時は、プロテアを信任して課すことができなかった仕事だ。今は違う。二つの作戦を乗り越えて、彼女は立派な指揮官になった。
「避難訓練と並行して、予備のルートの模索や、非常時の一時退避場所を確認しておけ。避難訓練の改良案をサクラに提出して、仕事がしやすいように調整しておくんだな。サクラは理に適っているなら受け入れるが、自分の絵図から逸れると意固地になる。そうなってからがお前の腕の見せ所だ。以上」
プロテアもしまった敬礼すると、顎に手を当てて黙考しながら、鈍い足取りで教室を出ていった。
最後に残ったのは一人。
「アジリア。AEUの交渉だが、こちら側の譲歩は不要だ。連中はバーサーカーによる判別に固執している。結果が出るまで、下手に動いては来ないと思う。だがそれがブラフである場合も考えて、気を抜かないようにな」
アジリアは俺をまっすぐに見据えて、浅く首肯した。
「交渉でツッコまれるようなことがあれば、第一次接触を引き合いに出せ。向こうは謝った。非を認めたという事だ。当事者であるお前なら、その事実を一番うまく使えるだろう。あとはサクラとプロテアの動向には気をつけろ。サクラは細かすぎるし、プロテアは少し抜けている。穴埋めをお前がするんだ。以上」
アジリアは簡素な敬礼をすると、ゆったりとした足取りで教室を出ようとした。
この女。まだ用事があること、何となく察してやがるな。
「アジリア」
その背中に呼びかけると、彼女は振り返って、「やっぱりか」と言いたげな表情を見せた。
俺はちょっと考えてから、普段なら絶対にしない、次のような説教をした。
「傲慢と。野心の。違いが判るか?」
要領を得ない問いかけに、からかわれていると感じたのだろう。アジリアは露骨に不機嫌になって、鼻を鳴らしたのだった。
「ナゾナゾをやりたくて呼び止めたのか? そういうのはパギ相手にやれ」
「続けるぞ。傲慢は相手への敬意をかく。自らの思い描くように物事が展開しないと、背いたものが破滅する様を嘲笑しながら見届ける。そうして泣き崩れる相手に、そら言わんこっちゃないと声をかけるのだ」
アジリアの機嫌がさらに悪くなり、彼女は腰に手を当てた。
「サクラのことをそんな風に言うな。あいつは私より良くやっている」
「傲慢でいる方が、はるかに楽だからな」
「おい。お前の今の態度。それこそが傲慢だろう」
苦笑する。こういう人を試すような問答は、される方は堪ったものではないが、する方は楽しいものだな。嫌な奴がやりたがるわけだ。
「俺のも野心だ。野心には相手への敬意がある。認めさせるために説得や強要を試みる。強要するとそれは傲慢になるが、お前はできうる限り説得を試みてきたはずだ」
「やっぱり傲慢じゃないか。お前に幾度強要されたことか」
「アホぬかせ。最終的に決めたのはお前らさ」
「あー。口では勝てん。今度ローズにお前を言い負かすコツでも聞くか」
「や……やめろ……」
アジリアは小首を傾げて、視線を上向かせた。過去に想いを馳せているのだろう。その顔色が未熟な自分を振り返ったのか、羞恥で紅くなった。その火照りはすぐに、無様に対する落胆で冷え、やがて無力感によって無表情へと変わっていったのだった。
「あまり買いかぶるな。それとも何か? 私にまた酷い失態を演じさせたいのか?」
違う。そうじゃない。次ならきっと、もっと、うまくできると確信したんだ。
言葉では言わない。期待になるから。それはきっと、毒になるから。
お前たちと同じ方向を見て、同じ速さで、同じ場所へと、俺が送り出せると思うから。
「傲慢は寛容さを得ると慈愛になる。野心は高貴さを得ると慈愛になる。慈愛は……俺を超えた指導者の証だ」
アジリアはあまりに抽象的な話の内容に、しびれを切らしているようだった。無理もない。俺は今まで具体的な指示しか出してこなかった。きっと言葉で遊ばれていると思っているのだろう。
「言ってる意味が……分からんのだが。つまりあれか。もっと上品になれってコトか?」
アジリアは口をいの字に広げると、頭をかきむしった。
「昔と違って、ちゃんと言う事を聞くようになっただろう! そしてこの状況で稚拙な企みをするほどアホじゃないぞ! 態度は変わらなくても、心は変わったのは分かるはずだ! 妙な勘繰りはやめてもらおうか!」
「そういう話じゃあない」
アジリアの顔が、更に苦渋に満ちていく。
「クロウラーズの受けが悪いのは……この性格のせいだって言いたいんだな。だからリーダーの座は譲れんと言いたいワケか。私だってどうにかしたいと思っているが……プライベートなことだ。お前とはこの話はしたくない」
そういう話でもない。
「お前の方が辿り着くのは早いはずだ。これで終わりだ。行っていいぞ」
アジリアが真意を掴み損ねて、じっと俺の顔を覗きこんでくる。
俺は乾いた笑みを浮かべて、ただただそれを受け続けた。
やがて――アジリアは口をへの字に曲げながら、教室を後にした。
*
その日。夕闇が世を支配する時刻。
通信機に備えられたバーサーカー点鼻薬を、俺とアカシア、パンジー、ピオニーが服用した。服用後は体調に変化なし。医務室にて経過を観察した。
同日夜。俺と他の三人は、強烈な頭痛と吐き気、そして熱に見舞われ、床に伏せることになった。病状は安定しており、命に危険はなかった。
発症から三日目。
俺は副作用である明晰夢を見たのであった。
これが全ての、終わりの始まりだった。




