沈黙-5
俺は一人教室で、AEUが送ってきた通信機と向き合っていた。
がらんとした室内に、室内灯の光が嫌に目に眩い。俺はかつて受けた尋問を思い出し、緊張も相まって心音がやや暴れ気味になったのだった。
交渉はクロウラーズの全員賛成で、俺に一任された。会話内容は録音し、後程公開して情報を共有する約束となっている。
時計が時を刻む反響が、不愉快なほど大きく聞こえる。針の音は死刑執行人の靴音と重なり、俺を哀れな囚人の気持ちにさせたのだった。
約束の時間、通信機のディスプレイが灯った。写しだされたのは、口髭を蓄えた老齢の白人男性。質素な執務室にてデスクをつく、デミトリ・ユゴー外交担当官だった。
『約束の一週間が経ちましたな。ナガセ殿』
「はい。今日はお互いに満足のいく決断が下せればと考えております。ユゴー殿」
ユゴーはちらと、俺の左右に視線を配った。
『今日は御一人ですか? あの可愛いお嬢さん方はいずこに? まさか病に伏せったのではありますまいな。もしそうなら、追加で医薬品を援助させていただく準備がありますぞ』
そら来た。外交官なら、クロウラーズを画面に出したのは、感情面に訴えたいからだと分かるはずだ。ファーストインプレッションを終えた後では、ただの進行の邪魔にしかならないのは承知だろう。さらに病を心配していることから、バーサーカーの感染を気にしていることは明らかだった。
愚直。隠そうともしない愚直さ。気味が悪い。霧の身体を持った化け物に、抱き着かれているような。そんな不快感が身体にまとわりつく。
俺は生唾を一つ飲み込み、とりあえず返答を先のばすことにした。
「信任を受け、交渉を任されました。そう言った理由で今日は一人です。そちらは何か変わりはありましたかな?」
俺だって針の筵に座るような、交渉を続けたくない。ユゴーの様に愚直にやって、とっとと終わらせたいさ。だが俺の双肩には、十四人の命(とついでに、あの気色悪いブリキ野郎の存在)がかかっている。怠惰は罪だ。
ユゴーは問いの答えを得られず、露骨に不機嫌そうに鼻を鳴らした。老人の鋭い視線が、再び左右に振られる。その瞳には強い警戒の念と、俺に対する配慮が微かに滲んでいた。
相変わらず、俺が元領土亡き国家に騙され、共に過ごしていると考えているようだ。
ユゴーは一息をついて、緊張した口調で言った。
『こちらの変化ですか。実はあまりよろしくない報告があります。オクシタニー議会が早期決着を望んでおりまして、こちらから軍の派遣をすべきだとの意見が主流になりつつあります』
詭弁だ。次の選挙における人気取りになりそうな案件だが、一歩間違えば大失点となる複雑な問題である。強硬な手段は控えたいはず――むしろAEUが圧倒的に有利な立場にあるので、時間をかけて臨みたいはずだ。
ユゴーは続ける。
『そちらにはそちらの事情があるのでしょうが、民衆が選んだ代表が言っておるのです。私としても野蛮な真似は控えたいのですが、全体の幸福を追求せざるを得ません。民主主義の辛い所ですな。あまり悠長な交渉をしていられないのが現状です』
バーサーカーの一手押しは、議会の決定という事か。ならば俺は議会がこのような決定を下した、背景を探るべきだろう。そうすれば付け入る隙を見出すことができるし、クロウラーズの安全確保にもかなり役立つはずだ。
俺は言葉の重みを受け取ったことを態度で示すため、しばし沈黙を置いた。
「ユゴー殿。今回お互いの身を証明する、条件を提示する約束でしたね? こちらの提案は、私をこの通信を介して、議会に召喚して頂きたいのです。私はいかなる問いにも、包み隠さず答えることを約束しましょう。そうしてより深い対話を進めて行ければと考えております」
本当だったら、俺が単身でAEUへ乗り込んだ方が話は早い。しかし万一拘束されたら、彼女たちはろくな抵抗もできずに攻撃されてしまう。距離を置いて交渉を重ね、時間を稼ぎつつ情報を引き出したい。
俺のあまりにも悠長な目論見は、次の一言で崩れ去った。
『ナガセ殿。申し上げた通り、悠長な交渉をしていられないのが現状なのです。もう時間はないのですよ。白黒つけてしまいましょう』
「どういう……おつもりですか?」
『これよりオクシタニー防衛軍をそちらに派遣します。武装してはおりますが、あくまで自衛用の装備です。そちらに危害を加えるつもりはありません。『あくまで領土亡き国家に対する武力』です』
ふざけるな。あまりにも強引すぎて、想像だにしなかった結果だ。
俺は懸命になって、動揺で震えそうになる声を冷静に保った。
「ユゴー殿。それはあまりにも性急過ぎはしませんか? 『お互い』の『身の証明』は、まだ済んでいないのですよ」
『民主主義の辛い所。本当に辛い所ですな。ナガセ殿。我々の潔白は、その存在をもって証明しましょう。ビュイソン君。セドリック・フーシェ中尉に出撃命令を』
ユゴーが画面外に向けて、指を振って合図をした。
あ。駄目だ。確信した。こいつにとって、AEUにとって、バーサーカーが全ての結果だ。それを確かめに攻めてくる。もう言葉遊びはできない。
「ユゴー殿」
俺が発した大きくない声に、秘められた決意を感じ取ったのだろうか。
ユゴーは一瞬動きを止めて、画面外に向けていた視線をこちらに戻した。
『何か?』
もう。愚直に素直で答えるしかない。
「物資を確認しました。ですがまだ手を付けておりません」
ユゴーは驚きに目を丸めると、もう一度指をタクトのように振るった。
『ビュイソン君。少し待ちたまえ――何故ですか? 我々を信用して頂けないと?』
「……いいえ。バーサーカーが封入されていたからです」
ユゴーが薄っすらと目を細める。
『知ってしまいましたか……』
「はい。封入されていたのが、無害であるJ系統であることも。我々がそれに感染することで、身の証をたてられることも存じております」
『アレは……二重感染しない』
「仰る通りです……我々はバーサーカーを警戒し、その存在に気づきました。無害とはいえ、一時的な病に伏せる代物。いたずらに患う訳にはいきません。そちらの真意を図りかね、より慎重な交渉に臨んだ次第です」
とりあえず、こちらの最終防衛ラインだけは保持しないといけない。
「こちらの心情も理解して頂きたい。バーサーカーは明確な攻撃行為です。この状態でAEU軍に来られては、迎撃をせざるを得ないのです」
ユゴーはきつく目を閉じると、眉間に指を当てて顔を俯かせた。
『レッド・ドラゴン。何故あなたが国家機密に準ずるアレの存在を知っているか、あえて聞かないでおきましょう。三級特佐の御立場だ。『火の代わりに噴いた事がある』のかもしれませんからな』
やかましいわ。実際に『火の代わりに噴いた』野郎の台詞がそれか。自分だけは例外。西洋人のこういうところは、未だに好きになれない。
『そちらの仰る通りですな。このまま出向いては、不幸な邂逅を果たすことになるでしょう。そう。第一次遭遇のような、不幸な邂逅を。ねぇ。ナガセ殿。アレは最も安全で、かつ手っ取り早い手段なんですよ』
「しかし、あまりにも非人道的では? このような暴虐を強行するなど、余程の事情がそちらにあると考えられます。一体何があったのですか」
ユゴーは眉間を抑えたまま、苦笑を浮かべた。どう対応すべきか、やや迷っている様子だった。
『何があったか? 冬眠から目覚めた瞬間に、領土亡き国家の攻撃が始まったのですよ。ドームポリスに紛れ込んだ領土亡き国家がアレをばら撒き、同胞を暴徒に変えて襲ってきたのです。我々が勝利をおさめたものの、多大な犠牲を払うこととなりました』
ユゴーの口角がねじ曲がり、苦笑が嘲笑へと変わっていく。
『ユートピアへと到達したと言うのに、その青空を拝めずたくさんの同胞が死にました。犠牲者の中には、年端もいかぬ子供もいたのですぞ? 我々は墓前で十字を切り、固く誓ったのです。二度とこのような惨劇は起こさぬと』
俺の推測は、遠からず当たっていたようだな。ま。こいつが嘘をついていなければだが。
ユゴーの口振りだと、AEUが仕掛けたバーサーカーの凶行について何も知らないようだ。彼らも狂った上層部の思惑に巻き込まれた、無垢なる被害者なのかもしれない。だがその確証が欲しい。お互いそのための交渉をしているはずだ。
忘れてはいけない。圧倒的不利の立場にいるために錯覚してしまうが、条件は同等なのだ。『怪しいのはお互い』なのだ。向こうは何一つ証拠を出さない。これでは一方的な審問だ。
何故ユゴーは頑なに、自らの身の証明をしようとしない!?
「それで……我々が領土亡き国家だと。ドームポリスを占領し……人類同胞に成りすましていると」
ユゴーはスンと、鼻を鳴らした。
『先ほども申した通り、時間はあまりないのですよ。何らかの進展がなければ、我々も強硬な手段をとらざる得なくなります。あなたの身を守るためにもね……』
あなた方ではなく、あなたときたか。クロウラーズの女に対して、領土亡き国家との強い嫌疑を持っている。その一方で俺に対する厚い信頼はなんだ。わけがわからない。
しかし。ここでまごついていたら、こいつは俺以外皆殺しにしかねん。
ユゴーは眉間から手を離すと、ずいとカメラへと身を乗り出してきた。その表情は全てがリセットされ、冷静な無表情に戻っているのだった。
『そう。我々は不幸な邂逅を果たした。でしょう? レッド・ドラゴン。神に誓ってそうだと、御身で証明してください。神は寛大だ。必ずやその忠心に報いるでしょう。この通信機にJ系統バーサーカーの点鼻薬が保管してあります。どうか。懸命なご判断を』
致し方なし。
「四人。感染します。私を含めて」
一人では納得すまい。二人でも同様。かと言って半数の六人ではクロウラーズが機能しなくなる。多めの人数で、こちらの活動が制限されないギリギリのライン。四人が妥当な線だろう。
危険なウイルスに感染するのに、俺が安全圏で見守るのは許されない。まず俺が感染し、志願者にも準じてもらおう。
ユゴーは……尊敬のまなざしを俺に注いでいるのだった。
『おお……キョウイチロー・ナガセ殿。御自らが身の証明をすると……』
「私がクロウラーズのリーダーです。その私が身を捧げねば、示しがつきません。故に、そちらにも相応の譲歩を頂きたい」
『無論です。そちらの誠意に、私も誠意で答えねばなりますまい。これよりわが軍は消失した森のAEU側に駐屯し、クロウラーズ側へと向かう領土亡き国家の殲滅を行わせましょう。そちらの負担がずいぶん減るかと思われます』
そうくると思ったよ。外交の常套手段。保護名目の軍の派遣だ。俺の知る限り、この名目で軍を派遣された側が、得をした話を一つも聞いたことがない。
「こちらとしては、軍の展開をご遠慮願いたい」
『分かっております。これでは『譲歩』ではなく、軍を展開する『口実』にすぎませんからね。aceLORANを積載した人工衛星を、そちらに一つ差し上げます。そちらで起爆して頂ければ、我々でも技術介入はできません。それで動向を監視してください。これならばそちらの誠意に報いることができるでしょう』
は……? 困惑で一瞬、頭が真っ白になった。
攻めれば潰れるような弱小の俺たちに、わざわざ人工衛星の一つをくれるのか?
俺たちにとっては満点を超えた満足のいく回答だ。だがお前たちにとってはマイナスより下の答えであるはずだ。『民主主義』が、こんな浪費を許すはずがない。明らかに条件が釣り合っていないんだぞ。
やはり違和感がある。
どうしてそこまで譲歩する。
どうしてここまでバーサーカーに拘泥する。
愚直。狂気と思えるほどの愚直さ。恐ろしい。こいつに敵と認定されれば、死体となっても凌辱されるであろう。そう想像してしまうほどの愚直さ。
やはりこいつ。何かおかしい。
「デミトリ・ユゴー殿……」
あなたは一体。問いかけて、とりとめのない質問という愚行を、微かに残った理性が引き留めた。
『何か? これでは安心できませんか?』
「いえ……あなたの温情に、つい敬意をもってその名を呼ばずにはいられませんでした」
『私もです。敬意をもってその名を呼ばせてください。レッド・ドラゴン』
ユゴーは温和な笑みを広げて、髭を撫でつけた。
こいつ……いや、こいつら……一体何なんだ?




