沈黙-4
医務室に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、充満する煙草の煙だった。刺すような刺激が眼球を洗い、たまらず涙目になってしまう。
俺は軽く歪んだ視界でデスクにあたりをつけ、アイリスに近づいた。彼女は顎に手を当てて、何やら熱心に考えこんでいるのだった。
「アイリス。頼まれていた件にカタがついたって?」
アイリスは一旦俺を無視して、黙考に耽っていた。疑問に答えを出せなかったのか、それとも一端の区切りがついたのか。しばらくして彼女は顎から手を離すと、椅子を回転させてこちらに身体を向けた。
疲れで酷く濁った瞳が、俺を真正面からとらえる。
「ええ。バーサーカーの解析結果が出ました」
アイリスはデスクの資料を、俺に手渡した。
「まずは異形生命体、アリゾナのシェルターで発見した遺体、そして標的Xの検査結果です。全てバーサーカー陽性。G系統です。詳しくはそちらに」
「全部G系統か。間違いのか?」
「ナめてんですか。死体のバーサーカーの検出なんて、道具と知識さえあればパギにだってできますよ」
アイリスから資料を受け取り表紙を確認すると、三つのサンプルの検査結果が簡潔にまとめられている。
めくると検査方法や経過、結果、考察などが、門外漢にもわかりやすいよう仔細に綴られていた。
記憶を取り戻してから、飛躍的に成長したな。ただ研究の話になると、高飛車になるのは勘弁してほしい。純粋に怖い。
「パギにでもできるは言い過ぎだろう」
「全然。G系統のような行動を強制する――つまるところ洗脳系は脳自体が変形するので、形態変化を見れば見当をつけることができます。全て偏桃体異常。Gで間違いありません」
アイリスはそこまで言うと、悩ましげに柳眉を下げたのだった。
「ナガセの検査結果ですが……多分……陰性です」
「パギにでもできる簡単な仕事じゃなかったのか?」
緊張を取り除くため軽く茶化したが、アイリスは余程頭を悩めているのか反応しなかった。
「脳波に異常はない上……レントゲンでも形態は変化していなかったので……検査結果上は陰性なんですよ。ですがなんかこう……引っかかるんですよね。脳波がナガセっぽくない。何かしっくりこないんです」
「脳波で人格を語られてもなァ……」
「K系統のような人格移植型かと思ったんです……あれは脳の形態変化を起こしにくいですから。それだとベースと異なる脳波が出ていないとおかしいんです。生検したいんですけど、流石にそこまでの技術はないし、時間がかかりすぎます」
おいおいおい。俺の頭をカチ割る気でいたのか。気にしすぎだと苦笑いを浮かべると、アイリスはムスリと鼻を鳴らした。
「相手方は感染者を敵とみなしているのでしょう? 今後どのような対処をするのか存じませんが、無責任に陰性とは言えませんよ」
まぁ。アイリスの言うことはもっともだな。
「K系統ではないと、断言はできるか?」
「それはもう。サンプルを見たことがありますが、ベース人格が死ぬまで脳波で上書きしますからね。ナガセにはその様子はありません」
「だとしたら気にするな。ある意味領土亡き国家ではない、何よりの証明になるからな」
俺は旧世界でいろいろ汚いことをやったからな。何かの陰謀に引っかかったのかもしれない。
G(凶暴化)やL(無気力化)に感染していないなら、指揮をとり続けることができる。なんたってこの脳みそで、今までやってきたんだからな。別段問題が増えたわけではないはずだ。
楽観的な俺をよそに、アイリスの眉間の皴はますます深くなっていった。
「話はそう単純じゃなくなったんですよ。AEUの贈ってきたバーサーカーなんですが、それが非常に珍しいやつでした。タイプジョーカー。J系統なんです……」
「また新顔か……覚えきれんぞ。人格移植か? それとも洗脳か?」
「人格移植です……これはとある乳児から採取したニューロネットワークでして……いわゆるバーサーカーの原種です。人の手が一切加えられていない、最初のバーサーカーなんです」
「症状は? 幼児退行するのか?」
「いえ……全くの無害です……レセプタとの結合も弱く、脳に常駐できず自壊します。副作用があるとすれば、頭痛と熱、そして明晰夢を見るぐらいでしょうか。それ以外は後遺症もありません」
アイリスは困惑した表情を浮かべた。
「領土亡き国家はバーサーカーに感染し、他のバーサーカーに感染しようがありません。ですからタイプジョーカーにわざと感染することで、身の潔白を証明できます。ただこの方法だと……万一の場合ナガセが……」
「あらぬ疑いをかけられると」
朧気ながらだが、事の成り行きに見当がついてきた。
大胆な憶測をするとこうだ。AEUはマザーコンピューターに、G系統バーサーカーを搭載した。同時に第三勢力『領土亡き国家』がドームポリスに紛れ込み、内部より反乱を起こした。
結果アリゾナは全滅し、オクシタニードームポリスは撃退に成功するも多大なる被害を被ったのではないか。そんな状況下、俺たちクロウラーズと邂逅したのだ。
AEUが俺たちを領土亡き国家だと、既感染者だと疑うには、十分すぎるいきさつだろう。
さらに言えばそのような衝撃とトラウマを植え付けられれば、バーサーカー一手押しの渉外にも納得できる。
俺自身アリゾナは内部崩壊したと推測していたし、案外核心をついているのかもしれない。
ただ。もしこの推測が的を射ているのなら、身の証明さえできればすんなり受け入れてもらえるのではないか。無論AEUはG系統による虐殺を行った罪はある。しかし全ての人間が、その罪科に加担したわけではないはずだ。
その存在根底に、差別はあるかもしれない。
確かに差別は恐ろしいが……だが人類から孤立するほどではない。
アイリスは俺の心境を読み取ってか、ひときわ高い声で言った。
「私はAEUの手に乗るのは反対です。まだAEUの潔白が証明されたわけではありません。それにJ系統の使用だって、明確な背信並びに攻撃行為だと私は捉えます。慎重な判断をお願いします」
「お前がAEUを忌避する理由はそれだけじゃないだろ」
アイリスの奴め。冷静な医者ではあるが、ポーカーフェイスは苦手らしい。一瞬間の抜けた顔になったかと思うと、表情をこわばらせて、すぐに取り繕うように冷静な顔つきになった。
「言っている意味が、分かりかねますが。以上の理由以外に、懸念すべきことがありますか?」
「俺たちの中に、領土亡き国家の出身がいるんだろ?」
面白い女だな。ぽかんと目を丸くして、口をあんぐりと開けている。その顔色が見る見るうちに白くなっていき、やがて身体が小刻みに震えはじめた。
「いつから気付いていたのですか?」
「お前が一つだけ隠し事をしたいと言った時だ。あの状況下、それ以外思い浮かべることはなかろう。俺も陽性かもしれない……か。仲間を守るためとはいえ、医者が嘘をつくのはいただけんな」
「ナガセッ! あの子たちはッ!」
急にでかい声を出すな。まだ話の途中だ。
だが仕方ないことだ。俺のユートピアでの行いが、彼女をここまで危惧させているのだ。
それだけのことを散々してきた。俺だけの過去を理由に繰り返してきた。
歴史は皆で継承すべきだが、過去は個人で清算すべきだな。歴史は人に様々なものを教えるが、過去は個人的な感情を植え付けることしかできないのだから。
私たちを巻き込むな。いつの日かのアジリアの叫びが、脳裏にこだました。
「どうでもいいんだよ……もうそんなことは……」
そういう俺の声は、自らを否定するがごとく怪しく震えていた。
「どいつが元領土亡き国家だろうと関係ない。過去何していようが興味もない。今は違う人生を歩んでいるからな」
アイリスは俺の言葉が信じられないようだった。古風な言い回しだが、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、固まっているのだ。
かくいう俺もたったそれだけの言葉を吐くために、酷く消耗してしまった。個人で精算しろというが、過去とはその人間の全てだ。過去のない人間は存在しないものと同義だ。それを清算することは、自らを否定することと同義だ。
何のことはない言葉が、俺にとっては鉛よりもはるかに有毒で、そして重たかった。
「……そうですね。仰る通りです」
俺の気持ちを察しているな。アイリスの返事には、普段寄せられている信頼が感じられなかった。
「因みにそいつら。何でK系統に感染しているのに、俺らと生活できるほどマトモなんだ」
「その思想がすでに危ないんですよ……そんなもの関係なく、あの子たちは全員マトモです。声ちょっと怖いですよ? 脅迫しないでもらえますか?」
こんなことをしらふでほざくようでは、そりゃあ信頼されないか。
「ん……すまん。今のは俺が悪かった」
「バーサーカーもウイルスですからね。時代を経れば劣化します。それだけのこと。ホンモノのテロリストの様に、誰もがバーサーカーを再強化できるわけじゃないんですよ。満足ですか? これ以上は殺されてもしゃべりませんよ」
「ん……わかった。とにかく犠牲をだして、前に進むわけにもいかん。バーサーカーが関係しない、交渉による解決に臨むよ。万一の場合はバーサーカーに気づいたことを知らせ、感染対象を限定するよう交渉してみよう。ただこれは時間稼ぎにしかならん。あいつらと合流すれば、嫌が応でも身体検査を受けることになる」
俺はちらとアイリスの顔を窺った。
「抗バーサーカーウイルス薬。アンチ・レイヴンだったか? 開発にはどれくらいかかる?」
それまでに。問題のバーサーカーを取っ払っちまえれば最高なんだが。
「問題は二つありました。一つは材料の問題でして、ニューロネットワークを覚える前の、バーサーカーウイルスが必要でした。手元のG系統を改造することを考えていましたが、始祖であるタイプジョーカーが手に入ったのでクリアです」
「二つ目は?」
「開発自体はすぐにできるのですが……まだ試作段階でして、これを用いると重篤な後遺症が残ります」
「なにィ? そんなに危険なのか」
「ええ。レセプタに常駐するウイルスを、除去ないし破壊するわけですから。良くて記憶障害、脳性麻痺。最悪の場合……レセプタが破壊されて脳死に至ります」
アイリスはここで言葉を切ると、目に揺るぎない信念を宿して続けた。
「私はやり残した仕事があるとアンチ・レイヴンの名を挙げただけで、打開策として申し上げた訳ではありません。一人の医者として、現段階の提供は拒否します。あまりにも危険です」
「分かっている。俺も命を使ってギャンブルをするほどアホじゃない」
「それを聞いてほっとしました。私からは以上です。これからアンチ・レイヴンの開発研究を続けようと思います。他に用事がなければ、お引き取りお願いします」
話は終わったと言いたげに、アイリスはデスクに戻って作業を始めた。俺の存在など無視して、左指で唇を撫でながら右手で卓上の資料をめくっているのだった。
俺以上に分かりやすい女だな。元領土亡き国家の話を掘り起こされないよう、無理やり話を終わらせたいんだろう。まだ俺の言葉を信用できず、元領土亡き国家の面々の名前を言いたくないようだ。
今はまだいい。解決策がないのに、いらぬ真実を掘り起こすのは愚行だ。それにアイリスは聡明だ。秘密を暴露せざる得ない状況に陥ったら、自ずとその口を開いてくれるだろう。
「必要なものがあったら言ってくれ。できうる限り用意しよう。しかし研究開発は、良識の範囲内でだ。急ぐな。無茶をするな」
「知ってます? それあなたの国では、シャカにセッポーと言うんですよ?」
アイリスはデスクに向き合ったまま、気のない返事をした。
「俺は時間を稼ぎつつ、交渉を重ねる」
避難会議。避難訓練。避難訓練。避難訓練。その間はずっと、準戦闘態勢による待機。
時間はあっという間に過ぎ去っていく。
そして。
約束の一週間が経過した。
A系統バーサーカー。J系統を電気回路で再現したもの。人工知能の基礎となる。
B系統バーサーカー。洗脳型。脳死後間もない人間を、一時的に蘇生する。
C系統バーサーカー。人格移植型。特に指定のない一般人の脳回路を模したもの。
D系統バーサーカー。J系統を粘菌で再現したもの。汚染粘菌の基礎となる。
F系統バーサーカー。J系統を細菌で再現しようとしたもの。計画は失敗した。
H系統バーサーカー。人格移植型。各分野で偉業を遂げた人物の脳回路を模したもの。
J系統バーサーカー。始祖。なお採取したのは脳回路のみで、ウイルスがどこからきたかは不明である。
K系統バーサーカー。人格移植型。領土亡き国家の指導者の脳回路を模したもの。
L系統バーサーカー。洗脳型。感染者を無気力状態にする。
P系統バーサーカー。人格移植型。死亡した人間の意識を抽出するために特化したもの。
G系統バーサーカー。洗脳型。感染者を著しく凶暴にする。
W系統バーサーカー。人格移植型。既存人格との同居を試みたもの。いわゆる人工二重人格者。
Z系統バーサーカー。抗バーサーカーウイルス薬。アンチ・レイヴン




