沈黙-2
AEUとの通信を終えて、俺たちに張り巡らされた緊張の糸が切れたようだ。両隣のアイリスとロータスがぐったりとその場でへたり込み、俺の膝元でパギが小さくぐずりだした。
パギの震える肩を撫でおろしながら、俺はアイリスに向かって聞いた。
「アイリス。応対に出た相手はデミトリ・ユゴー本人で間違いないか?」
アイリスは戸惑いつつも、浅く首肯する。
「ええ……外観、声、話し方……遠目にしか見たことがありませんが、おそらく本人かと……」
「もう一つ……ユゴーにG系統バーサーカー陽性の兆候はあったか?」
アイリスは顎に手を当ててしばらく黙り込んだが、やがて首を横に振った。
「いえ……私の開発したGは、ああも理性を保っていられません。刑務所の異常者を母集団として、攻撃性を抽出した脳回路なので……まともなやり取りなんて不可能です。どちらかといえば……」
アイリスが恐る恐るといった様子で俺を横目で見て、それから恥じ入るように視線を伏せた。
「何でもありません……」
「どうした? 忌憚なく意見を述べてくれ」
「いえ……ユゴーの怒り方……酷かったころの貴方に似ていますね。まるで私たちを見ていない……復讐の鬼……」
アイリスの言葉に反応して、パギが俺の胸元にきつくしがみついた。
「そぅだよ……すごい怖いよあいつ……」
さもありなん。あいつらが俺と同じ過去を持つ人間ならば、当然の感情だと俺には思えた。素性がAEUであれ領土亡き国家であれ、その精神構造の根底には、『敵』への底のない憎悪があるのだ。結局地球を再生するマグマごときでは、世界を蝕む憎しみを焼き切ることはできなかったようだ。
ロータスが唇を尖らせながら、不安げに俺の肩をゆすって来た。
「一週間ってぇ、あいつらめっちゃくちゃに時間くれたけど」
「封入したバーサーカーに感染するのを待っているのさ」
ロータスが口をいの字に広げた。
「それ患ったら、アタシたちゃやばいのよねん?」
「使ってきた系統にもよるが、奴隷になるか暴徒になるか。どちらにしろただではすまん。しかし感染しなかった場合、俺らは領土亡き国家と断定される。恭順か、抗戦か。二つに一つ。奴ら荷物一つで俺たちを縛りやがった」
虚しいため息一つ、俺は沈黙する通信機のモニタを呆然と眺めた。そうしてしばらく考えを巡らせていると、アイリスがおずおずと手を挙げた。
「封入されていたバーサーカーを判別しましょうか? 領土亡き国家の手下である異形生命体と、冬眠したアリゾナの生き残りが患っていたのがG系統ですよね。AEUがポリス管理システムに仕込む予定だったのはL系統のはずですから、それで素性を探れるのでは?」
そう話が簡単ではないのが、悩みどころなんだ。
「お前が知っている限り、計画ではL系統を使うことになってたんだな? しかし同時にお前はG系統の開発を行っていた」
「はい。その通りです――あっ……」
「そうだ。奴らはLとGを選べる。だからバーサーカーの系統判明したところで、相手が誰だか断定できん。それに告発されかけたL系統を使い続けるほど間抜けとも思えん。(実際、俺たちはL系統の抗体を持っているしな)しかし状況を整理しておくに越したことはないな」
そもそものクロウラーズにもいまだ謎が多い。その上で情報が錯綜しすぎて、俺も混乱して何が何だかわからなくなってきたところだ。
立て続けにアクシデントが起こったからとはいえ、長らく事務仕事をおざなりにしたツケが回って来たな。ここらへんで得た情報を、正確な資料へと格上げしておかねばなるまい。パギを抱きかかえながら、重い腰を持ち上げた。
バーサーカー関連を簡単に整理すると、アリゾナのシェルターで殺し合っていたアメリカ人は凄惨な殺害現場を理由に、異形生命体は偏桃体異常を理由にG系統感染者の可能性が高い。しかも異形生命体は元人間である。だがこのどれも状況から推測しただけにすぎず、明確な検査結果を出していない。
「アイリス。バーサーカーの判別を頼んでもいいか? 検査するのは異形生命体、標的X、アリゾナの遺体だな。標的Xとアリゾナの遺体は冷凍保存してあるから、バーサーカーも残っているはずだ。異形生命体は近いうちに生け捕りにする。あとは……そうだな。俺の検査も頼む」
アイリスが露骨に顔をしかめて、「また妙なことを言いだした」と小声でうそぶくのが耳に届いた。
「あなたの検査は必要ですかね? 無駄にみんなの不安を煽るのもどうかと思いますよ?」
「俺はお前らと違って、ヘイヴンのメディカルポッドを使ったからな。万一ということもある」
「成程……承知しました」
アイリスは納得した様に首を小刻みに縦に揺らすと、もごもごと口の中で何かを呟きながら立ち上がる。やがて煙草を一本口にくわえると、火をつけないまま唇で弄び、コンテナを出ていった。
ロータスはコンテナに残って、気味悪げにAEUからの物資をぼんやりと眺めていた。彼女の野生の嗅覚は、物資に潜んでいる毒を鋭敏に嗅ぎ取ったらしい。俺に分配をねだろうとはせずに、むしろ処分の許可が欲しくてこの場に留まっているようだった。
「お察しの通り、食わん方が良いな。おそらくバーサーカーが仕込まれている」
「食い意地の張った雌豚どもが盗んでもつまらないでしょぉん? 埋めるなり焼くなりしちゃいましょうよん。気味悪いったらありゃしねー」
「アイリスに検査させてからだな……その後陽性だろうが陰性だろうが、お望み通り焼く」
敵か味方かも分からない相手から、贈り物を受け取るなんざ狂気の沙汰だからな。一度受け取ると、相手の臭いに慣れて嗅覚が鈍っていく。そうなると毒が仕込まれていたとしても、気づけなくなってしまうものだ。
友好の証だ。かつてアメリカ人はその言葉と共に、インディアンに毛布を贈った。結果多くの先住民たちが、毛布に仕込まれた天然痘で命を落とした。その後どうなったかは、知っての通りだ。
贈り物を受け取っていいのは、それに相応しい価値を自分が持っているときだけだ。そうでなければ、もうそれは贈り物ではない。状況によっては施しという言葉すら生ぬるくなる。選択肢を根こそぎ奪ってきた今回のように、一方的な搾取とそう変わりない。
ロータスは苛立っているのか、足のつま先を持ち上げては、床を叩く動作を長らく繰り返していた。やがて眉間にしわを寄せると、不安そうに俺に視線を振った。
「ダーリンの感想としてはどっちよ。あいつらジンルイ? それともバケモノ?」
「第一印象としては素直……いや……違う。愚直。うん。そう。愚直だな。愚直すぎる。駆け引きがなさ過ぎて、気持ちが悪い」
AEUはいくつも交渉を有利に運べる材料があったにも拘らず、からめ手を一切使ってこなかった。バイオプラントの優占に関しては、こちらの事情を酌んでお咎めなし。AceLORANの展開に至っては触れもしない。第一次接触のゴタゴタの件では、俺はそちらが高圧的だったと先手を打ったが、特に反論もなく謝罪をした。そうしてバーサーカー感染待ちという強硬な一手押しだ。この結果に全てをかけて、水面下で別の手を進めている気配も感じない。
当たり前の疑念をぶつけず、ただひたすらに一つの手をぶつけてくる。これが愚直でなくしてなんだ。
パギが俺の胸に埋めていた顔を上げて、潤んだ瞳を向けてきた。
「それっていいことじゃないの? 馬鹿正直ならいいじゃん」
「素直ならいい。だが愚直はまずい。素直は理屈を受け入れるが、愚直は理屈が通用しない。そういった連中は自らの信条を貫き通し、決して曲げることがない。たとえ行く末に破滅が待っていようと、美徳と捉えて突き進む。何が起ころうと顧みないんだ」
ロータスとパギは絶句して、俺のことをじっと見つめてくる。
やがてロータスは嘲笑に口の端を吊り上げて、軽口を叩いた。
「自己紹介してんの? ダーリン」
「あまり虐めんでくれ……」
しばらくこのことでからかわれそうである。




