沈黙-1
AEUから送られてきたコンテナを、さらに大型のコンテナに運び込む。完全に密閉したうえで、ヘイヴンの中庭へと移送した。コンテナにはバーサーカーウイルスや、爆発物が封入してある可能性も捨てきれないからだ。
休暇はたっぷりあった。俺はその間にしたためた、自分が戦死した際の対処法をアジリアに渡す。それからクロウラーズの声援を受けて、対爆スーツをまとってコンテナに足を踏み入れた。
内部電灯を点け、まじまじとAEUからの贈り物を観察する。
縦と高さ一メートル、横五メートルのコンテナは、救援物資を意味する白色に塗装されている。箱の側面には機械を使って焼き入れたと思われる、AEUからのありがたい言葉が刻まれている。
曰く、『我が親愛なる人類同胞。クロウラーズへ。AEUフランスより』だそうだ。
コンテナの表面を撫でながら、開閉ハンドルの前に屈みこんだ。
回すのがちょっと怖い。その気持ちをくれた彼女たちに感謝しながら、保護カバーを開いてひと思いに回した。
空気が抜ける音がしたかと思うと、よろめくほどの風が吹き付けてきた。たまらず尻もちをついてしまうが、爆発に伴う熱気も破片も襲ってこなかった。どうやらコンテナには、不必要に空気が圧縮してあったようだ。
「とりあえず……爆弾は送り付けては来なかったか……」
可能性が低いとはいえ、少し肝が冷えた。一呼吸ついて気持ちを整えると、コンテナの中を覗き込んだ。緩衝材の内壁に包まれるようにして、食料や医療品、日用品などの救援物資がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。そして物資の中央には、遠距離用の通信機が鎮座していた。
「これを使って連絡しろ――か……」
俺はちらと、腰に吊った検知器に視線をやった。アイリスが蘇った記憶を元に急造した、バーサーカー検知器である。既に赤色のランプを点灯し、弱々しいブザー音を鳴らしていた。
バーサーカー陽性。
「圧縮空気に仕込んでいたか……使ってきやがった……」
これは物資にも仕込まれていると考えた方が良いな。俺たちをどうしても感染させたいようだが、問題は相手が本当にAEUなのかはっきりしていないことだ。仮にAEUだとしても、感染者が暴走している可能性もある。もしそうなら助けなければならない。
とにもかくにも、コンテナを収容したことは向こうも知っているはずだ。
「連絡……せんわけにはいかんなぁ……」
俺はため息をつくと、収容コンテナの壁を叩いて、滅菌するよう外に伝えた。
*
数時間後。
収容コンテナの滅菌を確認して、俺はシエラチームの面々と合流した。メンバーはアイリスにロータス、そしてパギだ。
アイリスには相手がAEUか確かめて欲しかったし、彼女を知っている者がでるかもしれないとの理由で抜擢した。ロータスは話題が第一次接触の件に及んだ場合に備えて、当事者として来てもらった。揉めたアジリアとプロテアが出ると、開戦の口実や交渉の不利材料になる可能性がある。だから直接やり取りしていない彼女の存在は貴重だった。
パギは――子供を巻き込むのは気が引けるが、今回ばかりはそうも言ってられん。こんなかわいい子を擁する俺たちに、あまり厳しいことはしないでくれと、情に訴えておきたかった。
AEUのコンテナの上に、通信機を設置する。黒光りするカメラを正面にして俺が座り、右隣にアイリスが、左隣にロータス、そして膝元にパギがちょこんと腰を掛けた。傍目に仲のいい家族のように映ってくれるといいのだが。
戦ったら絶対に勝てん。しかし弱みを見せたら食われる。この気の良い家族が、毒牙を忍ばせていることも誇示しなければならん。
通信機の電源を入れると、システムの起動と同時に自動でどこかへと通信を始めた。どうやら立ち上げると、AEUにつなげるようプログラムされていたらしい。数回のコール音の後、若い通信士が画面に映し出された。
緑のライフスキンを身にまとった男で、体つきは貧弱だが痩せてはいない。顔色も良いので、食料にも外敵にも困っていない様子だった。
『ハロー。ハロー。こちらAEUフランス・オクシタニー。どうぞ』
「こちらクロウラーズ。聞こえています。私は代表のキョウイチロー・ナガセです。通信状態は良好」
『少々お待ちください。今担当官が参りますので』
『ありがとうございます』
その担当官とやらが来るまで、無表情の通信士とにらめっことなる。
俺はパギの肩をちょいちょいとつつき、事前にお願いした仕草を要求した。これは俺の持論だが、子供をどう扱うかでそのコミュニティの性質が知れる。
パギが通信士に向かって手をふって挨拶をした。すると相手はにっこりと微笑むと、手を振り返してくれた。
これ以上ないという、理想の対応だった。これでバーサーカーを送ってこなかったら、土下座して保護を請うていたんだがな。
画面にノイズが走り、映像が通信士から執務室へと切り替わった。そして椅子にゆったりと腰を掛けた、初老の男性が映し出される。皴の寄った顔は、皮膚と一緒にまなじりが下がり、柔和な表情を浮かべている。彼はやや骨ばった指先で、たっぷり蓄えた口ひげをいじっていた。
ライフスキンの色は目に眩い深紅。日本でいう上級公務員がお相手か。
『お。つながったようですな』
「初めまして。クロウラーズの代表をしております。第666独立遊撃部隊部隊長、キョウイチロー・ナガセ三級特佐です」
『初めまして……ではないんですな、レッド・ドラゴン。AEUフランス・オクシタニー外交担当官。デミトリ・ユゴーです。その節はどうも』
ユゴーが敬意のこもった眼差しで、俺のことを見つめてくる。だが、俺は彼の顔に見覚えがなかった。
「失礼ですが。何処でお会いしたでしょうか」
ユゴーが苦笑する。
『遺伝子補正プログラム輸送任務でAEUを発つ際に、見送りと握手をさせて頂きました』
「これはとんだご無礼を……申し訳ありません」
あのころは荒れていたし、AEUではえらい嫌われようだったからな。人間なんぞカカシ程度にしか思わないとやっていられなかった。覚えがないのも仕方がないか。
『いえ。心無い市民がハイランダーと226の件で、貴方に誹謗中傷を浴びせていましたからな。むしろ私の方こそ、貴方のような英雄に心狭い思いをさせて申し訳なく思っております』
ユゴーは視線を振って、俺の両サイドに座すアイリスとロータスを一目見た。二人に気を使って、俺がAEUで何をしたのか言わないでいてくれるらしい。かなり友好的に思えた。
「早速本題に入りたいのですが、率直に申し上げます。我々に交戦の意思はありません。保護をしていただけるのなら、あなた方をこちらへ迎え入れて武装解除するか、我々がそちらへ物資と共に向かうことができます。我々はこのユートピアで寄る辺を失くした難民なのです」
ただ不安なのは、我々、AEU、その両方の素性なのである。
「しかし我々はバイオプラントを巡って、不幸なことに……実に互いの認識を歪めるような邂逅を果たしました。これから話し合いで、お互いに安全の保障を確認し合いたいと考えております」
ユゴーが神妙に頷いた。
『よろしいでしょう。ですがまず身の証を立てるべきは、そちらではないでしょうか? 貴方方はアリゾナを不法占拠していますよね? それに機動要塞天風にいるはずの貴方が、なぜかような場所におられるのか。説明を求めたいです』
緊張感のある台詞のはずだが、ユゴーは相も変わらず柔和な表情を保ち続けている。その指先が、デスクに置かれた資料をさっと撫でていった。出会い頭に口ひげを撫でていたものだから、ついついその仕草に視線をとられてしまう。
俺は意識を集中して、事前に考えておいた作り話をすることにした。
「仰る通りです。実を申しますと、恥ずかしながら私は天風に到達することができませんでした。作戦時間に間に合わず、所属不明のドームポリスに避難。そこで遺伝子補正プログラムを使用してユートピアに参りました」
苦しい言い訳だが、どう取られたか。ちらと相手の顔を窺うと、ユゴーは変わらずデスクの資料を指で叩いていた。
『それで? 素性の方は判明しましたか?』
「施設をくまなく調べましたが、残念ながら。即時冬眠したため話は聞けず、ユートピアに至った時には逆行性健忘症を患っており、真相は分からずじまいとなりました」
『それはまた……随分と都合のいい話ですね』
「申し訳ありません。ですがこれが事実なのです。我々が冬を越したドームポリスは冬眠計画に上手く乗らなかったようで、目覚めた周囲に同胞はおらず、ユートピアを彷徨うこととなりました。ご存知の通り、凶暴な先住生物がこの地には蔓延っています。そこで安住の地を求めてアリゾナに避難しました」
『あそこは領土亡き国家の巣のはずでしたが――ま、あなたなら可能でしょう。レッド・ドラゴン』
ユゴーが口ひげを指でいじり、当然のように言った。
「我々は先住生物のことを異形生命体と呼称しておりますが、あれは領土亡き国家なのでしょうか? 奴らはファイナルカウントダウンを乗り越えて、ユートピアまで生き延びたのですか?」
『遺伝子補正プログラムさえあれば……あの腐った肉どもも人の形だけは取り戻せますからな……全くタチが悪い。なまじ我々と同じ姿をしているため、コロリと騙されてしまう。そのよこしまな考えに気づけずに……』
ユゴーがデスクを叩く力が、やや強くなる。
「すると――あの先住生物が領土亡き国家だと、確証を得たのですか?」
『もちろんですとも』
「ひっ」とアイリスが身をすくめ、「むぅ」とロータスが不機嫌そうに唸った。パギは軽い悲鳴を上げて、モニタから目を背けて俺に縋りついた。
ユゴーの柔和だった表情が一変し、凶悪なものになったからだ。憎悪に滾った瞳に、侮蔑に歪んだ笑みを口元に浮かべて、ユゴーは俺たちを睨みつけていた。
『遺伝子補正プログラムで人に成りすまし、冬眠施設に紛れ込んでおりました。内側から我々をのっとろうとしていましたよ。あのクソども……ユートピアまでへばりついてきましたぞ……』
「それで……そちらは我々が本当に人類なのか、疑念を抱いているわけですね。素性がわからず、アリゾナを占領した我々は、確かに疑われてしかるべきです」
俺は両の手でアイリスとロータスを抱き寄せた。
「ですが。私が申しあげたことは、嘘偽りのない事実です。私は戦友が血を流して築いた未来を、その子孫が分かち合えるために戦ってきました。決してこのような無益な争いを、未来永劫続けるためではありません。身の証を立てるために、そちらの望みを可能な限りかなえたいと考えております」
すっとユゴーが柔和な表情に戻り、指で資料を叩く動きが止まった。再び口ひげをいじり、デスクの資料の上に戻される。俺の注意がまたもや資料の方へと向く。
ここでピンときた。こいつ……俺に何かを伝えようとしている。しかもクロウラーズには内緒でだ。
『ふむ……とりあえず我々の行動も、説明させていただきます』
ユゴーは資料を指で叩きはじめる。その指先を確認すると、紙に印字された文字を、ひとつずつはっきりとタップしていた。
『ではまず。我々がそちらの偵察衛星を攻撃した件ですが、これはアリゾナが領土亡き国家の手によって陥落していたにもかかわらず、信号を放って衛星を起動したからです。我々は領土亡き国家がアリゾナのシステムを掌握したと判断し、先手を打たせていただきました』
それは理にかなっている。だが理解できないこともある。
ユゴーが差した資料の文字をつなげていくと、『気をつけろ』との単語になったのだ。
「何故?」
俺はユゴーを真似て、膝を指でタップしながら聞き返した。気づいたことを知らせるためだった。
『領土亡き国家は人類の脅威です。力をつける前に叩かねばなりません。衛星などという強大な戦力を保有される恐れが欠片でもあるならば、破壊するべきだと判断しました』
ユゴーの指が、先ほどとは異なる動きを見せる。差した単語をつなげると、『あなたは領土亡き国家に囲まれている』となった。
アイリスとロータスを抱き寄せる力は、欠片も緩まなかった。驚愕も、憤怒も、喪失感も、何も感じない。それが真実かどうかはさておいて、俺自身も想定していたしな。
以前は疑ったり、スパイ狩りを考えたり、揺らいだこともあった。過去に固執して、古い任務に縋りついていた。
決意にこくりと喉を鳴らして、生唾を飲み込んだ。
だが今は違う。こいつらは俺の大事な娘だ。素性が亡命者だろうが、領土亡き国家だろうが、それはもう一万年前に終わったことなのだ。俺はこいつらにユートピアを託したい。
これからの俺の仕事は、こいつらを人類に受け入れてもらうことだ。
「それではバイオプラントの件になりますが、こちらは衛星が破壊されたため、そちらの動きを察知できなくなりました。よって身を守るために、前進基地の設営を試みました。基地を拠点に、そちらとの接触ないし領土の通過を、バイオプラントを交渉材料にして行おうと考えたのです」
『なるほど……それで肝心のバイオプラントから粘菌が溢れたため、基地の設営を断念。バイオプラントの封じ込めに作戦を変更したわけですな』
「そちらは随分と高圧的だったと窺っていますが、代理に何か不手際があったでしょうか?」
『フーシェ中尉のことはすいませんでした。衛星破壊後にAceLORANを展開されたため、結構な時間膠着状態に陥りました。その期間であなた方への不信感と、こちらの衛星を破壊されたことへの不満が敵愾心へと変化し、あのような態度に出てしまったのです』
「そうでしたか。あれから……バイオプラントはどうなりましたか?」
ユゴーがずいと、デスクに身を乗り出した。
『レッド・ドラゴン。あなたの誠意ある活躍により、バイオプラントの滅菌作戦は無事終了しました。あの忌々しい粘菌が、ユートピアを汚すことはもうありません。同時にAceLORANも焼失したため、進軍を開始しました。そこから先は――ご存知ですね?』
ヘイヴンに迫りくる、標的Xの姿が脳裏に甦った。
「領土亡き国家を誘引し、威力偵察をさせたと」
『えぇ。比較的人型に近い個体――我々はイオタと呼んでいますが……あれは他の低レベルな個体と違って、仲間を襲わないんですよ……』
「交戦した我々は無実だと?」
ユゴーは鼻で笑った。
『まだわかりかねますがね……そちらも我々のことを、領土亡き国家ではないかとお疑いのようですね』
「私たちが交戦した先住生物は、程度が低いものばかりでした。イオタとは一度も遭遇してませんでしたよ。あなた方の土地に近づくまではね。それにどうも先住生物の挙動が、バーサーカーウイルスの罹患患者を思い出させるんですよ……あなた方があの化け物を生み出していないことを、はっきりと確認したいのですよ」
ユゴーがすっと目を細めて、鼻で深く息を吐いた。そのまま重い沈黙が、しばらく流れていく。やがてユゴーは両手の指を合わせて顎を引くと、重い口調でいった。
『とりあえず現状の確認はできましたね。お互いに戦争の意思はない――ということでよろしいですか?』
「はい。後日お互いの身の証明をする条件を提示し合うということで、いかがでしょうか?」
ユゴーは椅子に深く座りなおすと、一息ついた。
『では一週間後でいかがでしょうか?』
「それでお願いします」
『わかりました。では今日はこの辺で』
通信が終わり暗くなったモニタには光を反射して、俺の困惑気味の顔が映し出された。
向こうはクロウラーズが領土亡き国家だと断定し、俺を救出するつもりだったらしい。
それならなんで俺を巻き込んでまで、バーサーカーを使ってきたんだ?
まるで感染者以外は、全て敵だと言いたげじゃないか。




