プッシーラビッツ その7
セントラルは太平洋上に浮遊する、巨大な人工島である。
ユートピア計画が実行された大戦中期に作業及び連絡の効率化のために建造され、現在では陥落したハワイのドームポリス群と合流したこともあり、全長二百キロを超える壮大な規模を誇っていた。
人類にとっての最優先事項であるユートピア計画の中心ということもあり、国連の主要な機関もこちらに合流し、今では人類の心臓部となっているのだった。
そういうと聞こえはいい。しかし使い捨てにされる下級兵や、この世界に取り残される難民にはよく思われていない。安全圏から指示を出すだけの高官をなじって、『孵ることのない卵』と呼ばれていた。
かくいう私も、その腐った卵の中で渦巻く、黄身の一人の訳なのだが――大戦末期のイカれた倫理に身を任せて、非人道的な実験を繰り返す他の奴らよりはましだと思っている。
研究室に戻ると真っ先に、盗聴器が仕掛けられていないか神経質に部屋中を探る。それが済むと椅子に腰を落として、深いため息をついた。
ちらと視線を上げると、フランキーが気まずそうに股間の前で手を組んで、もじもじしていた。どうやら状況は芳しくないらしい。
一向に口を開かないフランキーを、私は顎でしゃくった。
「それで……麗虎の無事は確認できたのか?」
「その……ああ。リリスの言った通りだった。ジャンクヤードんとこで丁重に保護されていたよ。あいつらインド洋を漂流していたところを、組員が見つけたそうだ。んで無事を確認できたのはいいんだが――」
フランキーは口をへの字に曲げると、自らの頭に人差し指を当ててくるくると掻きまわした。
「アッパラパーになってた。麗虎の部下がいうには、救出した時にはすでにそうなっていたらしい。粘菌爆弾の告発資料も持ってなかったし、あいつに証言してもらうのも無理だな。すっかりお料理好きの、気の良い姉ちゃんになっちまってた」
私が自分のしたことに気づいたのは、叩きつけたベルトが床で跳ねて、砕けたプラスチック片が顔に当たってからだった。
私が肩で息をしながら床を視線を撫でる間、気まずい沈黙が流れていく。
やがてフランキーが、肩を落としながらつぶやいた。
「コニーよぉ……そろそろ潮時じゃねぇか?」
チリチリと、私の脳の奥で、何かが焼け焦げていくのを感じた。次の瞬間理性の糸が切れて、私はデスクの上を腕で薙ぎ払いつつ立ち上がった。
「潮時……? 黙れよフランキー! 黙れ! 黙れ! 貴様がいえる台詞か!? こうしている間にも、三級特佐たちは無謀な作戦を強いられている! ユートピア作戦成功のため、死ぬと分かっていてもな!」
床に転がったベルトを、思いっきり蹴飛ばした。壁に跳ねて、ばらばらに砕け散った。
「そいつらに『そろそろ潮時だ』って言ってやれる奴がいたのか!? あいつらは情報を得る権限がある! そして知ったからには任務を果たさなければならない! わかってて死んでいくんだ!」
「博士――」
フランキーが私を制止しようとするが、腕を遮二無二振り回して、彼女の巨体を遠ざけた。
「私は知った! ならば果たさなければならない! だから私も命を懸けるんだ! あいつらに美しきユートピアを残すために! 黙れ! 黙れ! 黙れ!」
転がって足元まで戻ってきたベルトを、渾身の力で踏みつける。靴の下でプラスチックの玩具が粉々になっていき、電子部品がこぼれ出てくる。
そしてベルトが何かを知っているフランキーは、止めようとしなかった。
その優しさが逆に、私の防衛反応を止めてしまったのだった。
露出した電子部品を踏み砕く直前で、私は足を止める。私はそのまま足から力を抜いて、椅子の上にへたりこむ。そして手で目元を覆うと、奇麗さっぱりものがなくなった机に肘をついた。
ベルトを壊さなかった今、私は抱えている問題が好転しないまま、新たな事件を抱え込む羽目になったわけだ。畜生め。
荒くなった息を整えながら、ぶっきらぼうにフランキーに質問を投げる。
「それで……お前が言っていた件だが……フランソワーズが……告発がしたいんだったな……あいつは知ってる……ユートピア計画の要の一つ……ポリス管理システムの……関係者だ」
フランキーは一瞬ためらって、生唾を軽く呑みこむ音が聞こえた。だが私がいらだちまぎれに机を殴りつけると、おずおずと口を開いた。
「ああ……麗虎の紹介だそうだ。頼れるのはセントラルにいて、信頼できるお前しかいないと……こっちも逼迫しててな、証拠品としてポリス管理システムの試作品である『アイアンワンド』を送ったそうだ。今ジャンクヤードが預かっているが、長くはもたない。AEUもさすがに気づいたみたいで、懸賞をかけたみたいだ」
「またユートピア計画関連か! いい加減にしろよ!?」
フランキーは声を詰まらせたが、この状況で慰めの言葉を吐いても、私には何一つ足しにならないことに気づいたのだろう。声から感情を意図的にこそげ落として、淡々と情報を伝えてきた。
「軍の補給路は検閲がかかったし、マフィアも動いているみたいだ。実際ベルトを運んだ奴らも、アル=ハザードかヨルムンガントに襲われたみたいだった。とりあえずそのベルトで現状を知って欲しいとのことだ」
私は声にならない悲鳴を上げて、頭を抱え込んだ。
これ以上私に何をしろと? ペンより重いものを持ったことがない、オタクの女科学者に何を求めているんだ! いい加減にしてくれよ! 私は遺伝子をいじって、より良い形を実現して、皆を幸せにして――それだけでいいんだ。それだけでよかったんだ。それなのに何でこんなことになったんだ。
行く先の見えない不安と、行きどころのない怒りが、握りこぶしを固めてデスクへと叩きつける。たっぷり数回殴り付けて手のひらに鈍い痛みが染み付いたころ、心は空っぽになって虚しさだけが満ちていた。
「しばらく一人にしてくれ……」
ぽつりと私が呟くと、フランキーは私に一礼して部屋を出ていった。
何も……考えたくなかった。
デスクの上で頭を抱えたまま、時の流れに思考を溶かすことで現実から逃避する。このまま時が流れていけば、ユートピア計画が実行される。そして約束の土地は、ミューセクトで溢れかえることになるだろう。
私が特佐という階級の闇に気づいたのは、いつ頃だったかな? 警備主任となったフランキーと、女性同士ということもあって仲良くなってからだったかな。固く結ばれたその口から、懺悔とも愚痴とも取れない嘆きがこぼれ出てからだ。
三級特佐に与えられるのは少尉同等の権限と、身分不相応の少佐クラスの情報要求権だ。笑える。一兵卒が中隊長クラスの情報を得て、一体何ができるというのか?
つまりこういうことだ。全てを知った。ならばそれを元に、全力で対処しなければならない。
三級特佐はその責任を負って、戦場へと死にに行く。撤退は許されない。成功するまで兵員が充填され続ける。その成果が八割を超える作戦成功率だ。
二級特佐は我々一級特佐が思い浮かぶ展望になるように、三級特佐を損耗する。三級特佐から昇進したフランキーは、その辛い現実を知っていて耐えきれなかったのだろう。
我々一級特佐には責任がある。使い捨てにした三級特佐に。命に従った三級特佐のために。青い空を残さねばならんのだ。
決意は固かった。だが、私に力はなかった。
ふと、床に転がるベルトに視線をやった。
マスクドライダー。私が遺伝学を志す原因になった、特撮ヒーロー。
悪のショッカーに改造されつつも、正義のために戦った悲哀のヒーロー。
子供の頃にこう思ったのさ。何で悪の科学者ばかりが、超技術を手にして皆をいたぶるのか。それなら私がすごい科学者になって、正義のヒーローを助けるんだ。
ベルトを拾い上げると、プラスチックの欠片がパラパラと剥がれ落ちる。デスクからテープを取り出して、雑な応急処置を施すと、私はそれを腰にまいた。
「へーんしん」
腕をぐるっと回すポーズをとり、陽気に私は叫んだ。
こうすれば私はクウガになれる。強くなって、怪人と戦って、皆を笑顔にできるんだ。
変身ボタンを押す。
聞こえたのは、あの心奮い立つ変身音ではなく、悲痛な女性の声だった。
『コニー・プレスコット博士にこのベルトが渡っていることを信じて、音声を吹き込みます。私はフランソワーズ。姓はあえて省略します。これから行うのはAEUが秘密裏に計画している、ユートピアにおける大量虐殺の告発です』
「私は強いんだ! 私は強いんだ! 私は強いんだ!」
声をかき消すように叫ぶ。
『このバーサーカーウイルスはL系統と呼ばれるもので偏桃体に集中的に感染し、感染者を無気力状態にしたうえで、生殖のみ行わせる人形に変えてします。AEUはポリス管理システムにこのウイルスを仕込み、住民を無力化したうえで統制しようと、あわよくば家畜の――』
やめて。聞きたくない。
私はもういっぱいいっぱいなんだ。
ぼろっと。涙がこぼれた。
「誰か助けてぇぇぇえええええ!」




