プッシーラビッツ その5
「ああ……大変だ……大変だ……」
ラルが床に這いつくばって、アタッシェケースに異常がないか丹念に撫で始める。するとさっきの銃撃で蝶番がイカれたのか、ケースががたりと音を立てて外れてしまった。
途端にラルが凍り付く。わなわなと四肢を震わせながら、中に収められていた箱を手に取り、まじまじと全体を観察している。やがて僕らの方を睨みつけると、唾を飛ばしながら吠えた。
「なんだよ……これ……なんなんだよこれ……俺は……こんなもののために……サー・マイケルを裏切ったのか……? お前ら俺らを騙したのか!?」
先に手を出したのはお前たちの方だろ。僕も負けじと唾を飛ばした。
「あの……その……聞き捨てならないな! 騙したのはあんたたちだろ! 僕らの荷物をすり替えやがって! なに責任転嫁しようとしてんだよ!」
「テメェらこれが何かわかってんのか!?」
ラルはそういって、ケースの中身を僕に見せつけてきた。
ブツはビニルでラッピングされた、四角い箱だった。表面には一風変わったライフスキン姿の人間がプリントされていて、腰のベルトをクローズアップした写真が隣に添えられている。どうやらベルトが梱包されているらしい。
これが何かと言われても……ジャンクヤードファミリーにアル=ハザード。あんたがたマフィアが狙ってくるんだから、きっと軍の重要な物資なんでしょ? それでこれは被服するものだから――
「新型のライフスキンのパーツ……?」
ラルは僕に、壊れたケースの取っ手を投げつけてきた。
「バァカ! テメェスカベンジャーの癖に、モノを見る目もねぇのか!? 戦前のジャップが作った玩具だよ! 骨董品だよ!」
ラルの張り上げた大声に、生き残ったアル=ハザードが大きくざわめく。
アル=ハザードは良いんだ。問題はジャンクヤードの刺客だよ。あいつが大人しくしてくれないと、この騒ぎは収まらない。
恐る恐るショットガンの銃声がしていた暗闇を見ると、刺客の姿はライトの少し後ろにあった。フルフェイスのヘルメットをした中肉中背の男が、空気に溶けた光で仄かに浮かび上がっている。彼は仕留めたアル=ハザードの首に手を回して盾にし、その状態で器用にショットガンに弾を込めていた。
箱の中身にてんで興味がないようで、僕たちをじっと見据えている。うん。殺す気満々だね。こんなところでやられてたまるか!
「ポリー……」
「任せて……」
僕の囁きに促されて、ポリーは両手を上げたままライトの前まで歩み出る。そして敵意がないことを全員にアピールするため、ゆっくりと一回転して愛嬌を振りまくと、トドメにウィンクをした。
「ねぇ……いったん休戦しませんこと?」
アル=ハザードの面々が、互いに顔を見合わせて反応を確認し合っている。おそらく最初に吹っ飛ばされたのが、こいつらの兄貴分だったらしい。誰が指揮を執るべきか、決められないようだ。
沈黙の中、ジャンクヤードの刺客が立てる、散弾を装填する音が冷たく響く。その音に脅されてか、生き残ったアル=ハザードの二人のうち、ひげ面の男が進み出た。
「わかった。積み荷を確認させろ。何の仕掛けもなければ用はねぇ。お前ジャンクヤードんとこのクソガキ見ておけ。兄貴殺しやがって……内臓ぶちまけてやる……」
ひげ面の男がやや駆け足気味にブツの方へと向かい、残った一人がライトの後ろに潜む刺客へと銃口を向けた。
アル=ハザードと悪徳業者、そして僕たちの全てを敵に回しても、状況はジャンクヤードの刺客が有利だった。あいつには肉の盾があり、すっかり光に目の慣れた僕たちを相手に、闇の中に身を置いている。戦えば向こうが三手先まで打てるんだ。
だからあんたにもこっちに混ざってもらわないと困る。
さしもののポリーも、ジャンクヤードの刺客と目を合わせる度胸がないらしい。顔を背けたまま、おそらく僕が聞いた中で最も人に媚びる声色で囁いた。
「ですってぇ~。そちらのお兄さんはジャンクヤード様のお使いでしょう? あなた様も私の乳でも揉みながら、こっち来て一緒に改めましょうよぉ~?」
刺客は一瞬だけ、敵意を和らげた。できれば戦いたくない。そんな胸の内が、ほんの少し溢れ出てしまったような感じだ。だけどその穏やかさは文字通り一瞬で、長続きしなかった。
刺客は盾どる人質の首に回した腕を、今一度きつく締めあげた。
「俺には中身なんざどうでもいい……知ったこっちゃない」
刺客は装填作業を終えたらしい。器用に片手でスピンコックし、薬室にショットゲージを送り込む。
「そのケースが欲しい……ただそれだけだ」
彼は点灯中のライトを足蹴にし、いつでもすべてを闇に引きずり込めるように備えている。真っ暗闇ではどっちに分があるかは、転がっている四人の死体で明らかだった。
「渡すなら命までは取らない。無抵抗なら決して傷つけない。不幸な間違いがあったなら水に流そう。だが違うならここで戦え」
刺客は銃口で僕たちを一人ずつ指し示すと、返答を問うように小首をかしげた。
「俺と戦え」
刺客はその言葉だけで、すっかり場を支配してしまった。
僕とポリーはミシェルに逆らう気なんてさらさらない。命がいくつあっても足りやしない。
アル=ハザードは雰囲気にのまれて、戦意を喪失しているようだ。
そして――かわいそーに。アル=ハザード頼りでミシェルを裏切ったのであろう悪徳業者は、座り込んだまま失意のどん底に沈んでいるのだった。
「とりあえず……荷物を確認するぞ……」
ひげ面の男がラルから箱を奪い取り、乱暴にラッピングをはがしていく。箱を引き裂くようにして開けて、梱包されていたプラスチック製の安っぽいベルトを、どこからか取り出したドライバーで分解し始める。やがて彼はドライバーを床に叩きつけた。
「ただの玩具だ! コンピューターチップじゃねぇ!」
あは~……アル=ハザードはそれが目的だったのねぇ?
納得……軍は汚染世界では作れない、集積回路を運ばせていたのか。なるほどなるほど。んで僕らは囮の荷物を任された、運び屋だったという事ですか。それでこんなひどい目に合うなんて、割に合わない。
僕が心の中で泣いていると、刺客が踵を鳴らして注意を引いた。
「いらないのならケースに詰めなおしてこっちに渡せ。それから貴様らのツラは覚えた。ここを出られないよう手配するから、マイケルの沙汰を待つんだな」
それは勘弁してほしい。ミシェルのシマで僕らがうろついていたことがバレちゃうじゃないのよ。アル=ハザードにしたって人のシマでこれだけの騒ぎを起こしたら、何されたって文句は言えない。事実上の死刑宣告だ。
これからどうしよう……。
妙案が出ないまま考えあぐねていると、不意に刺客がこめかみに手をやった。どうやら通信が入ったようで、そのまま刺客は僕たちを見据えたまま会話を始めた。
「俺だ……マイケル? ええ。ええ。はい。爆発は俺ではありません。根回しはいりません。積み荷は骨董品の玩具のようですが……え? それは開けて確認しま――」
『馬鹿野郎ッ! あれは未開封品だったんだぞ!? 開けちまったら意味がねぇだろうがッ!』
あのおっそろしいミシェル・ジャンクヤードの怒声が、僕のところまで届いてきた。
「俺はただケースが欲しいと……は? もういいんですか? いらない? しかし玩具は――はぁ。パッケージは破いて『もういい黙れッ!』はぁ……わかりました。アル=ハザードの連中が入り込んでいますが、どうしましょうか? はい。分かりました。揉め事はナシですね――」
刺客が人質を盾どったまま、アル=ハザードを追い払うようにショットガンを横に振った。
「アル=ハザード。死体を持って帰れ。憲兵が来る前に消えろ」
生き残った二人のアル=ハザードは、少しの時間ぽかんとしていた。だが時間がたつごとに気勢を取り戻したのか、ひげ面の男が歯をむき出しにしてすごんだ。
「兄貴分が殺されてんだぞ……? はいそうですかで帰れるかってんだ」
「人のシマで暴れた身で、よくそんな口がきけたもんだな。今ならなかったことにするとボスが言っているんだ。コトを大きくしたら、不利になるのは約束を反故にした貴様らの方だぞ? さっさと行け。こいつはもう助からんが、死体は後で届けてやる」
刺客が盾にしている男を軽く揺さぶる。血を流し過ぎてろくに意識もないのか、肉塊になりかけのそれはうめくことしかできないようだった。
ひげ面の男は個人的な復讐と組織の体面、どちらをとるかちょっと迷ったようだ。だが最終的には組織への忠誠心が勝った様子である。舌打ち一つ、手にした玩具を床に放り投げる。そして生き残ったもう一人を顎でしゃくると、銃をしまって立ち上がった。
広間を去っていく二人の後ろ姿に、刺客が抑揚のない声で語り掛ける。
「マイケルがアジフ(アル=ハザードのボスの名前である。僕は恐ろしくて呼び捨てになんてできないが)によろしくとよ」
「死ねッ! ボケッ!」
アル=ハザードたちは、捨て台詞を残して去っていった。
さて、現場に残ったのは、ミシェルにツラを見せるなと言われた僕たちと、ミシェルのシマで別の組織を助けた裏切り者の悪徳業者である。
一応覚悟してここに来た僕とポリーは、消沈して俯くだけで済んだ。だけど悪徳業者たちは先がないことを悟って、低い嗚咽を上げて震えていた。
「あなたを裏切った仲介業者と、ラビッツは始末できますがどうします? はぁ……あ? それは本当ですか? だから俺をよこしたんですか……。えぇ。はい。分かりました。ただ違ったら……俺のやり方でやらせていただきます」
刺客は肉の盾をぞんざいに投げ捨てると、ラルの方へと歩んでいく。へたり込んで俯く相手に、しゃがんで目線を合わせると、どこか裏寒い声色で言った。
「お前……臓器も扱っているそうだな?」
ラルが刺客と顔を合わせないまま、激しく首を縦に振る。
「お前この前、日本人のガキを引き取ったそうだな? そいつを渡せば、マイケルがこの先を考えてやってもいいそうだ」
助かる可能性があると知って、ラルが涙のたまった眼を刺客と合わせた。
「ガキ……? ニホンジン……? は……? もうちょっと詳しくお願いできますか?」
「コンバットスクールから逃げ出したガキだよ。貴様に分かりやすくいえば……チョーカー識別四七番だ……インドネシア四六番、韓国四八番じゃない。日本の四七番だ。希少種だからな……覚えがあるだろう?」
ラルの顔が真っ青になる。
「旦那! この前どころじゃないですよ! それってもう半年以上前の話じゃないですか! もう使っちまって……冷凍庫を探しても脳みそと骨が出てくるかどうか……子供の臓器が欲しいんですね!? すぐ調達しますから、何処の臓器が欲しいのか仰ってください!」
刺客は。とても。とても。虚しいため息を吐いた。
「……わかった。ほらよ」
刺客はラルの胸元に、割れて鉄板状になったアタッシェケースの片割れを投げた。
ラルが反射的にそれを受け取り、胸に構えた瞬間――刺客のショットガンが火を噴いた。
「オッ……オアアアアッッッ!」
ラルが絶叫するが、ショットガンの乱射はやまない。吐き出された散弾が、ラルの持つアタッシェケースで跳弾し、激しい火花をあたりに散らした。ベルヌがこの世のものとは思えない悲鳴を上げる中、僕とポリーは茫然とその様を見ることしかできなかった。
たっぷり五発の散弾を撃ち込まれたラルは、床に四肢を投げ出して小刻みに痙攣していた。
死んではいない。アタッシェケースがプレートの役割を果たして、ラルを散弾の嵐から守ったんだ。だけどその衝撃までは防げやしない。ラルは血反吐をこぼしながら、痰が絡まったようなうめき声をあげていた。
マフィアが見せしめにやる殺し方の一つだ。衝撃で肋骨が粉々に砕けてしまったに違いないなぁ。肺が傷ついて、死なない程度に呼吸ができなくなる。地獄の苦しみだ。
ベルヌが四つん這いになって逃げようとするが、刺客はその後ろ髪を掴んで引き留めた。
「誰が行って良しと言った?」
「ひぃぃぃ! おた……お助け――」
「お前秘書をしてたんだろ? こいつの仕事内容について聞きたいことが腐るほどある」
「何でも話しますッ!」
刺客は従順なベルヌを見ても、ちっとも嬉しそうじゃなかった。支配欲や達成感に満足した様子はなくて、明らかに何かを失って苦しんでいる感じだ。お願いだからこっちを見ないで。八つ当たりされそうでとっても怖い。
僕の願いが通じてか、刺客はこっちを振り返らずにぽつりとつぶやいた。
「あー……お前ら。『何処の誰かは知らん』が、見逃してやる。荷物を持って失せろ」
何でかはわからないけど、お許しが出た。
床に散らばった壊れたアタッシェケースとパッケージの破片、そして玩具のベルトをかき集めると、腕いっぱいに抱えて来た道を引き返した。
「もーやだ! もーミシェルのシマには来たくない! も―ほんとヤダヤダヤダ!」
走りながら絶叫すると、後ろからポリーの困惑した声が聞こえる。
「なんだったの……いったい……」
「知るか! いいから代えのタンク何とか調達して! さっさとここから出よう!? ミシェルとはもう揉めたくない!」
結局。
僕らは予定の二倍の値段でプロペラントタンクを調達。寝る間も惜しんでマジカルステッキに取り付けると、その日のうちにヴェネチアを出発した。




